四季の彩り

季節の移ろい。その四季折々の彩りを、
写真とエッセーでつづって参ります。
お立ち寄り頂ければ嬉しいです。

「美わしき魂」の系譜 「山法師」に寄せて

2021年10月31日 13時17分31秒 | 短歌

私の短歌の師の一人、紅林茂夫氏(エコノミスト)著「山法師」に寄せて、
ある短歌誌に掲載された私の稿からの転載です。


  「美わしき魂」の系譜

 明治以来第二次世界大戦直後まで、さらに加えるならば全共闘世代の台頭と言われる1970年代初頭に至るまで、青年は社会変革の最先端に立たされてきた。
青年が時代の鼓動に身をゆだね、その体感が生涯を支配されるまでに、刷り込まれる季節が
青春ともいえる。 これらの時代、個人の青春がそのまま民族の青春に重なっていった。戦前から終戦直後にかけて、 日本の青年は歴史的に見て価値観の激変と共に、かつてないほどの
壊滅的ともいえる危機に直面した。



 それは見通しのきかない世界で、次々に立ちはだかる壁に激しく突き当たり、 それとの対決を好むと好まざるとにかかわらず突きつけられる青春であったと言える。 この民族の青春の担い手の一人として、激変する時代の流れに真摯に対峙し、自らの人生観と、 世界観を鍛えてきた探究者を「山法師」の著者に見ることが出来る。 これらは、青春の日に「美わしき魂」の実現のために生くべしと、自らに誓った著者の半生をかけた解答の書であり、 魂の系譜でもある。
 「山法師」に収められた350首の短歌は、著者の半生の確かな歩みの結実を示すかのように、「月の歌人」明恵上人の和歌を彷彿させる、澄明な静寂を湛えている。



   ☆「皇星隕而昭和終焉」国の興亡に われはわれなりに関わりて来つ
   ☆去にし日の戦のことも想ひ出づ かくも夕陽は静かなりしか
   ☆彼らしく生きて死にたる師走なかば 悔ゆる事などされどあるべし
   ☆昭和史を生き残り来し我等なれば おのもおのもに証言のあり

 個人の青春が、そのまま民族の青春と重なった昭和史の奔流を、自らの立脚点を明確にしながら、流されず泳ぎ切った「おのもおのもの証言」。言葉少なく、また静かゆえに秘めた想いの深さが心に沁みる。 これらの歌の句間に込められた、その語りえぬ部分こそ歴史の生きた証言であり、私たち後進が学び継承していく責務を負っているとの感を深めた。また、漢詩と、短歌との融合等も技法として学んでいきたい歌でもある。



   ☆春風無辺 かかる境地にいつの日か成ることもあれ 尚年積まば
   ☆筧の水細々と落ちて晝下り この静けさにわがいのちあり
   ☆一杯の酒にはあれどこの夕べ 妻と二人のみ ほがひ酒くむ

 「喜寿となる日」一連の内の三首。「尚年積まば」と謙遜をこめて詠っているが、「春風無辺」の境地への到達を思わせる作品でもある。人は歌に現れ、歌は人を映す。 まさに「歌は人なり」を静かに諭される思いである。

   ☆美しきものみななべて幻となり行くものか年経ちにけり
   ☆盛りすぎて花吹雪する桜花 そのしずけさにわが命あり
   ☆木漏れ陽に はつかに匂ふと想ふほど 花の命は短きものを


 咲き満ちてちる桜花。落下の音さえ響いてきそうな静寂の中で、花吹雪の律動に重なる己の鼓動の存在を知る。 その研ぎ澄まされた感性は自然の摂理としての落花と、己の生命の脈動との響き合いを捉えている。 短いゆえに精いっぱい匂いたつ花の命の豊かさを、自らの生命に重ねて詠んだ味わい深い歌三首。



   ☆竹群は幽けくめぐりたり キリスト者ガラシャ此処にねむれり
   ☆神の手の愛に抱かれねむるとも 戦国のおみなの運命と言はむ
   ☆清らかにゆたかに命終りけむ ガラシャを包むほむらを見たり


 卑弥呼、額田王、ガラシャを例に引くまでもなく、女性はその時代を映す映す鏡でもあった。その時代の哀しみ、切なさ、そして優しさまで映し、歴史のはざまで己自身を燃やしてきた。そして女性たちが不幸なとき、その時代も不幸であり病んでいた。戦国の世にあって、その不幸を人一倍心に刻み葛藤していたであろう、最高の文化人の一人と言われた明智光秀。
その彼を父にもち、それゆえに運命に翻弄されたガラシャ。己に誠実に、かつ信仰に生き愛に
殉じたガラシャ。 その静謐にして激しい生きざまを活写した三首の歌は、焔のむこうに立ち昇る戦国のおみなの覚悟、そして美意識への深い共感の思いを湛えている。



   ☆アムダリア川に掛かれる「友好の橋」を渡り ソ連最後の戦車アフガニスタンを去る
   ☆ソ連国民にいくばくかの安らぎありやなし ペレストロイカに揺るるモスクワ
   ☆ペレストロイカ、グラスノスチと謳ひあぐ いくばくソ連は変わらむとする
   ☆赤の広場 ゴルバチョフは子供を抱き上げ レーガンも和す そを信じたし


 日露戦争へ連なる軍靴の響きによって幕上げされた二十世紀。この世紀は端的に言うと、革命と戦争の世紀であり、さらに全体主義と軍国主義に支配され、その脅威にさらされた世紀でもあった。 幾たびかの戦争と、それに伴う甚大かつ貴重な犠牲の中から人々は学び、その脅威からの解放の道筋を一方では模索してきた時代でもあった。 それは全体主義と軍国主義の対局をなす、個人の尊厳と基本的人権に重点を置いた民主主義が勝利する時代ともいえ、 二十世紀を締めくくる大きなうねりとなって現出しはじめている。

 このうねりがゴルバチョフをして、ペレストロイカ、民主主義、グラスノスチを三位一体とした立て直し(ペレストロイカ)へと、 駆り立てた大きな要因とみることが出来る。
二十世紀を締めくくる統一テーマとも言うべき個の確立と、その勝利への流れを半世紀前に洞察し、予見していた著者。その作品としてこの四首の歌を改めて味わうと「信じたし」の言の葉に込められた深い想いが見えてくる。 社会詠に取り組む姿勢、切り取るべき視点と内容とを、これらの歌群から真摯に学んでいきたい。



   ☆匂いたち空をとよもす桜花 栄華は及ばず千歳の花に
   ☆マザー・テレサ 極貧は自らの選択と孤児養ひて すずしきひとみ
   ☆八十路遥かに齢数ふる武原はん女 うつそみの命燃ゆるを見たり
   ☆あめつちの果てなき白きひろごりに身をゆだねゐるけだものを 想ふ
   ☆夕かげに閉せる花は睡るなり ここにも幽やかにめぐるあめつち

「蚕のみが絹をはく」とは、著者がかつて語った言葉と記憶しているが、 まさに絹の光沢と温もりをまとった「山法師」の歌群。それは三十一文字の創り出す宏大な空間と、濃密な質量とによって詩的昇華の実態を語りかけてくる。そして「短歌一条の道」への道筋と、その神髄を諭している。
「山法師」の著書の、結語とも言うべき珠玉の一首を掲げ稿を締めたい。

   ☆えごの花散り敷きて月下地を覆ふ華やかにしてさぶしかりけり



なお、拙い写真ですが著作権は放棄していませんので、無断転載はご遠慮願います。
                         初稿 1990年3月掲載

紅林 茂夫氏 略歴
  富士銀行取締役
  早稲田大学、東京都立大学等教授(国際金融論)
  国際経済研究センター理事長、エコノミスト

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「口語短歌・水曜サロンの会」(その7) 

2021年10月27日 05時30分05秒 | 短歌
「口語短歌・水曜サロンの会」(その7)   短歌の投稿を歓迎します!!

 「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている
 皆様の詠まれた短歌を掲載し、その作品の鑑賞を行うコーナーです。

 短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、
 自由に短歌を投稿し、鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと
 思っています。皆様の投稿を歓迎します。

【運営にあたって】
 (1) 投稿期間は毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
 (2) おひとり様 3首まで(1首でも可)コメント欄に投稿願います。
 (3) 口語短歌を基本としますが、文語混じりでも構いません。
    仮名遣いは新仮名遣いとし、旧仮名遣いは極力避けて頂ければ幸いです。
 (4) 投稿頂いた短歌は、そのまま掲載します。皆様から感想等頂ければ幸いです。
 (5) 作者名は投稿頂いたペンネーム等を、そのまま掲載します。
 (6) 掲載順序は、原則本ブログのコメント欄への到着順と致します。


  「むくげ (八重)」

「ブログ友の投稿歌 交流コーナー」


☆ひさかたの 日射し射し込む 白樺の 秋を感じる ビーナスライン
☆あしひきの 山を従え 蓼科の 湖面に写す くれない紅葉
☆ぬばたまの 夢にかけた 数正の お堀に映る 姿はかなし
                      浅間山明鏡止水(knsw0805)さん

【解説】
 前回「枕詞」について説明させて頂きましたが、作者はさっそくそれを用いて、
 「蓼科」方面へ吟行され、短歌を詠んで頂きました。
 「枕詞」を完全にマスターされ詠まれていると考えます。なお、一首目の
 「秋を感じる」を少し変えてみましたが、いかがでしょうか。
【ご参考】
★ひさかたの 日差しに揺れる 白樺の 秋もさやかに ビーナスライン

☆英文法必要なれど必須ではなきことを知る会話のときに
☆習ふより慣れろが英語の会話するときも必要条件らしも 
☆なにごとも囚われることよくなしと英会話するときも思はむ
                      びこさん

【解説】
 びこさんは「安易な出詠」でと謙遜されますが、決してそうではありませんし、
 私たちも、平易に詠まれたびこさんの短歌に流れる「響き」を学びたいと思います。
 私たちが成長の過程で言葉を獲得する際は、決して文法を学んで、そののちに
 言葉を学ぶわけではありませんね。改めて短歌から気付かされます。
 「囚われることよくなし」を、かみしめて参りたいと思います。

☆制服で赤い電車にぬくぬくと朝日をうけて父母を追想
                      あんりさん

【解説】
 「独楽吟」にトライされるとのコメントもありました。独楽吟は結構奥が深く
 優れた短歌も数多く生まれています。韻を身に着け、想いを整理するのにも適した
 様式と思っていますので、是非トライしてみて下さい。あんりさんらしい独楽吟を
 期待しています。
 出詠歌は、少女時代の懐かしい思い出を詠んだ、爽やかな短歌と思います。
 時空の流れと、見守ってくれた父母への想いを、少し整理してみましたが
 いかがでしょうか。
【ご参考】
★かの日々に赤い電車で通いたる 制服のわれ父母につつまれ

  「秋桜」

☆字余りに
   いつも泣く泣く
    今回は
   ピタッと決まり
     ハイ完了✋ 
                      すずさん

【解説】
 作者は「何か思いつくまま(思いつけば)書いてみようという気持ちに
 なりました」とおっしゃっていましたが、「何か思いつくまま」に大いに
 詠ってみましょう。思いが言葉になり歌になるなんて、素敵なことと思います。
 「ハイ完了」が、字足らずと気にされていましたが、これでもよろしいかと
 思います。「ハイ完了よ」との表現もありますが、いかがでしょうか。

☆友の声 長電話して 懐かしみ 若きあの頃 蘇る日々
                      Yokiさん

【解説】
 郷里の親友との語らい。「一瞬にしてうん十年前のあの頃へ引き戻され」は
 実感でしょうね。自分も友も青春の季節を共有した思いは、いつまでも
 鮮明な記憶となって残っていると思います。それゆえ一瞬にしてその時代に
 戻ることが出来るとも…。まさに思いは時空を越えますね。
 即興ですが、少し時間軸を整理してみました。
【ご参考】
★長電話 友の変わらぬ声を聴き 青春の日々 蘇りくる

☆干し物をする手の染みと皺を見る 敬老の日や老人デビュー
                      りこさん

【自家自注】リコさんご自身の解説です。
 手の染みと皺を敬老の日とどう結びつけるか、「や」は照れくささを
 表現しました。老人の仲間入りをした日です。
【解説補足】
 「手は人生を物語る」と、友人でもある写真家が語っていましたが、
 手は皺やしみも含めて、その方の歩んできた人生を、紛れもなく刻んでいると
 考えています。顔はある程度装うことが出来ますが、手だけは素のままを
 晒さざるを得ませんね。
 敬老の日に改めてデビューを決意される、その思いがこもる短歌は
 「サラダ記念日」にも似た「記念日短歌」になると拝察します。

☆大塩湖
  寒い夜明けに
    出会ったね?
   ずぶぬれ仔犬
    今は家族に💓
                      クロママさん

【自家自注】クロママさんご自身の解説です。
 生後4~5ヶ月のクロに近くの湖で、9年前に出会いました。明方まで
 降っていた雨で寒い朝でした。身体も濡れてさぞ、寒かっただろうと~
 その日の事は忘れられません。
【解説】
 愛犬、クロちゃんとの出会いを詠んだ短歌には、クロママさんの心情が
 溢れていますね。その後の9年にわたるクロちゃんとの日々を想うと、
 胸に迫るものがあります。
 「今は家族に」の句に、しみじみとした深い想いが籠るいい歌です。

  「秋桜」

☆執拗な生保レディの勧誘に戸惑っている秋の夕暮れ
☆楽しみは妻のおでんと熱燗に舌鼓打つ夕餉のひととき
                      ものくろ往来さん

【解説】
 深まりゆく秋の夕暮れ。夕餉のひと時に、奥様手作りのおでんと、
 気に入ったお酒を熱燗で味わうひと時は、まさに至福の時間ですね。
 「炉辺の幸」という言葉がありますが、二首目の短歌は、そんな言葉も
 浮かぶ味わい深い短歌と思います。

☆晩秋の海 サーファーは 黙々と ひたすら波を 追いかけ泳ぐ
                      オライ&kencyanさん

                      参照https://blog.goo.ne.jp/orai

【解説】
 「オライ&kencyan」さんの息がぴったりと合った連歌です。オライさんの写真が、そのまま短歌に
 なっていますね。四句の「ひたすら」の流れから、五句は「追いかけてゆく」もありと思いますが、
 いかがでしょうか。

☆遅く起きた日は何もしたくないアダージェットの秋のゆう暮
                      自閑(jikan314)さん

【解説】自閑さんご自身の解説です。
 blog「新古今和歌集の部屋」の亭主、自閑と号しております。短歌を学ぶ為に、新古今和歌集、
 伊勢物語、源氏物語、芭蕉俳句、漢詩、万葉集などを読んでおります。
 アダージェットは、マーラー交響曲第五番で、Adagietto。音楽の速度標語で、
 アダージョ(Adagio)よりやや速くです。映画「ベニスに死す」で流れていて有名です。
 YouTube短歌なる物を考案して、「自由律愚詠」を映像、音楽で補完すると言う趣旨です。
 題詠となります。拙blog(以下にURL示します)を御覧頂ければ幸いです。
 https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/be063167e4012991c26d579d9318a9e9
 新古今和歌集の三夕は、中世の連歌、茶道、俳句に大きな影響を与えた和歌で、それに対抗する
 為に、秋のゆう暮の体言止めとしました。アダージェットと言うイタリア語とマーラー交響曲の
 本歌取りです。それぞれのアダージェットと愚詠を鑑賞頂ければ幸いです。

☆萩に吹く 風は乱れをさらに増し こぼれる花の かそけくひかる
                      ポエット・M

【解説】
 晩秋の庭隅に乱れ咲く萩。その萩に吹く風は乱れをさらに増し吹き抜けてゆく。
 風にこぼれるように散る花は、早くも傾き始めた陽の光を受け、かすかに光っている。
 散りゆく花の一瞬の輝きに、魅入る想いを詠ってみました。


  「酔芙蓉 (八重)」

「五行詩」「痛みの変奏曲」鑑賞 (8)

3.別れ (2)
   魂の
    抜けてうつろな
     我が身なり
    いくらでも吸え
     闇の憐れ蚊
   
     泣き濡れて
      深夜の街を
       さまよえば
      我を追い打つ
        無情の雨よ

      柿の実が
       月影あわき
        庭に落ち
       虫の楽隊
        ちょっと間をおく
    
    真夜中の
     夢に目覚めて
      しのび泣く
     甘美な君よ
      今はいずこに

     君も夢
      我も夢とは
       思えども
      ああこの哀しさ
        この切なさよ


  「酔芙蓉 (一重)」

【短歌入門・質問コーナー】
 この「水曜サロン」に集う皆様の直近のコメント等に記された、短歌を作るうえでの
 ヒント、さらに質問、疑問点等にいて、触れていきたいと思います。
 皆様からの提案、さらに素朴な疑問も含めて、コメント欄にお寄せいただければ幸いです。
 なお、私の「質問への回答」は、あくまでも一つの「解」でありますので、他の回答、
 反論、 意見等もありましたら、このコーナーで大いに議論して参りましょう。
 それが学びに繋がれば嬉しいです。

【繋がれいる、複合名詞】
 〇「いる」は、その動作や状態の程度が非常に深い、また、その動作に徹したり、
  その状態にすっかりなってしまったりする意を表しています。
  「ぐっすり寝―・る」「心に染み―・る」「恥じ―・る」等と使われています。
 〇「複合名詞」 動詞+名詞
  動詞のマス形と名詞の組み合わせで複合名詞ができます。
   ・慌て者、流れ星、歩きスマホ、切り株、持ち物、
  これらは名詞修飾ですが、句にしてみると
   慌て者…よく慌てる者
   流れ星…流れている星
   歩きスマホ…歩きながらスマホする
  と法則性はありません。
  よく使う名詞修飾を短縮し、複合名詞として使うようになったと推測します。

 短歌の句として使う「複合名詞」は、それぞれの方が作歌経験の中で身に着けた
 技法の一つでしょうが名詞、動詞を結び付けて、一つの言葉を作り出していく。
 そしてその言葉が読む方に伝わる工夫を重ねていく中で、少しづつ出来上がって
 いくものと思っています。

  「キンモクセイ」

【三夕の歌】
 三夕(さんせき)の歌とは、新古今和歌集に収められている以下の3首の和歌のことで、
 全て「秋の夕暮れ」という体言で、五句目が成り立っています。
 体言とは名詞の事で、「三夕の和歌」とも呼ばれています。

☆寂しさはその色としもなかりけり槙立つ山の秋の夕暮れ(寂蓮法師)
 現代語訳:この寂しさはどこから来るというものでもないのだが、
      寂しさが我が身を包む、真木が生えている山の秋の夕暮れよ。

☆心なき身にもあはれは知られけり鴫立つ沢の秋の夕暮れ(西行法師)
 現代語訳:あわれなど、既に理解するすべをもたない私にも、今はそれが
      よくわかるのだ。鴫が飛び立つ沢の、心に沁みる秋の夕暮れよ。

☆見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ (藤原定家)
 現代語訳:見わたすと、花も紅葉もここにはないが、それでも
      海辺の仮小屋にも、確かに訪れている侘しい秋の夕暮れよ。

                      了
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-空白の短歌史- 「綜合詩歌」誌鑑賞(4)

2021年10月24日 18時57分57秒 | 短歌

戦時下、空白の短歌史を掘り起こす (その4)
「秋桜の揺らぎ」

 遥かに東京湾を望む丘と森とからなる横須賀久里浜緑地。その谷戸一面を覆う百万本を越えると言われるコスモスは、未だ炎暑の名残を留める残照の中に淡あわと浮かんでいる。その花群れは夕陽の想いを語り合うかのように揺らぎ、薄紅のさざ波を谷戸に立てている。儚げに見えるコスモスは、幾たびかの風雨にもめげずしなやかな茎と、たくましい根を荒地に張って毅然と立つ花でもある。

 戦に明け暮れた戦国の世から、第二次大戦に至る歴史の底で男たちの誉れと夢を支えたおみな達。それゆえに男たちの胸に去来する夢の愚かしさと哀しみを、その胸に静かに受け止めてきたのかも知れない。その戦時下のおみな達の健気さは、コスモスの儚げな風情に秘められた、しなやかな揺らぎに重なって見える。

 昭和十八年二月。ソロモン群島ガダルカナルでの敗戦により、日本軍は戦局の主導権を米軍に完全に奪われる状況に陥った。さらに、七月七日サイパンの陥落により、日本本土は米軍の長距離爆撃機B-29の爆撃圏内となった。
 このような戦局悪化の情勢下、昭和十八年十一月に発行された「綜合詩歌」十一月について、前号に引き続き鑑賞、紹介を行って行きたい。

 当月号に作品を寄せられた代表的歌人は、斉藤史、筏井嘉一、野村泰三を含む十八名の方々である。これらの作品の中から、時代の苦悩を一人の表現者として真摯に受け止め表出した歌、さらに、惨い歴史に刻まれた先達の足跡として受け継いで行きたい歌を中心に、僭越ながら抄出させて頂いた。

北辺              斉藤 史
  ○ 一兵もあらざる島に振られたる日の丸あなや神顕(た)ちたまふ
  ○ うつつなす将士の魂が呼ぶ声の萬歳とまさに聞えたらずや
  ○ アッツ島に凝りしみたまがさきがけて護りたまふぞ北の国辺を

山荘日暮            神山哲三
  ○ ソロモンに神怒りますみいくさの烈しきさまは忘れて思へや
  ○ 釣橋のながながと写したる流れに向きて朝の息吸ふ
  ○ きびしかる世相となりて山畑の手入れ一しほ楽しくもあるか

原寸図             泉 四郎
  ○ 窓枠に移れる秋のゆたかさに受感はけふのよき原寸図
  ○ 相模野の狭間のつつみの曼珠沙華風に明るき対比といはめ
  ○ 底ぶかく轟きこもる波の音ききとどめゐて夜目にはてなし

一粒も            筏井 嘉一
  ○ おもへ子らこれ一粒の米ながら天地のめぐみ人の労あり
  ○ 配給に平らされくれば隣組おなじくらしをさやけみ睦ぶ
  ○ 貧しさに敢えてわがするやりくりの国に添ふらしいくさつづけば

秋深む            谷山 つる枝
  ○ もんぺにて都心へかよふことなどもわが今日の日のすなほさにして
  ○ きびしかる日々に生くれば一きれの薩摩藷にもあふれ来るもの
  ○ つぎはぎの敷布にうから事足りてけふにぞ生くるまた深きかな

至情              野村 泰三
  ○ 戦局になにの憂ひや燃ゆる血を秘めてしずけし銃後に生くる
  ○ たぎる血のいのちの若さ不可能を可能とすべし身ぶるひや斯の
  ○ 早稲みのる狭田の畔の曼珠沙華炎のごとしわが眼に咲けり


 抒情詩としての短歌は本質的に、詠嘆であり、感動であり、慟哭を秘めた叫びであると言える。苛烈さ極まる戦時下に紡がれたこれらの歌群より聞こえてくる澄明な響き、その意味を真摯に受け止め、改めて味わっていきたい。
 特に谷山つる枝氏の「秋深む」一連は、自らの日常および、体験の詩的昇華を思わせる澄んだ響きとともに、戦時下にあってなお、真の豊かさとは何かを私たちに問いかける迫力を秘めている。

 当月号には古典抄として賀茂真淵の「歌意考」を始めとした優れた歌論が掲載されているが、入門的歌論とも言える「随筆寸筆」より一部抜粋し、歌友諸兄の参考に供したい。

調べのこと
               長谷川 富士雄
 「歌は感動を表現したものである。これも判りきったことであるが、その感動は一体どうして表現されるか。それは歌っている事柄の意味と、一首の調べとによって現されるのである。これも判りきっている筈である。ところが実際にはそうはいっていない。意味は別におくとして、調べにおいて、とても舌にのって来ないものがある。なる程、五七五七七と三十一音にはなってはいる。しかし、歌の調べはそんなものではない。
やはり実際に、舌頭千転といって本当に声に出して詠んでみて、その内容になっている心情、意味とが一致した調子を伴ってくることが大切である。調べこそ歌の命である。

 その証明に万葉集の歌をみても、事柄、意味としてとりたてて面白さも妙味もなくても、なお今日に愛誦されているものには、調子のよさ―内容と合致した―ひとつによるものが随分と多いではないか。調べを会得するためには萬葉集を読む事が先ず第一である。そして暗誦しなくてはいけない。今の人は萬葉集を読むというと意味内容にばかりとらわれるが、私はそんなことは末のことで、先ず初めは声に出してせっせっと舌頭千転、誦みに誦むことが何よりだと思っている。」


 萬葉集を声をだして読もうという呼びかけも含めて、その調べを会得することの重要性を説く長谷川氏の論に、見解を異にされる方もおられると考える。しかし、私たちが作歌をする上で、踏まえるべき一つの基本として理解していきたい。

 当月号には、これらの歌論とともに前号に引き続き、三島吉太郎、金井章次、吉植庄亮、大野勇二、熊倉鶏一、泉四郎および、野村泰三の各氏が論文、随筆、歌論、試論、評論等々を寄せている。これらの論文、随筆、評論のなかから資料的に貴重なもの、あるいは時代を越えてなお、心に響いてくる記述を抜粋し「語録」として掲載したい。

農村青年の歌                吉植庄亮
 ・・・明治、大正歌壇のいわゆる歌壇人の作品と、昭和の無名農民歌人の作 品とを比較して見るときに、明治、大正の所謂歌人のもっていなかつたものを、昭和の無名農民歌人はふんだんに持っている。それは即ち土の臭い、汗の臭いであって、長塚節が働きながら勤労を美化しようとつとめているのに比べて、これらの農民はひたすらに農民道をゆきつつ、ただ土まみれになって働きつつ詠っている。この態度は古今、新古今以来長塚節まで持っていなかったものである・・・。

周辺随想                   野村 泰三
 ・・・日本民族と共に存在し、そのあらゆる面に生まれる短歌作品の批評を為すもの、秀歌を求める者は一層広く社会全体にその対象を得なければならぬ。
 主要歌人が知られたる歌人の作品のみでなく、有名無名歌人の作品、更に一層広い面から秀歌を発見すべく、又秀歌を詠み出し得るであろう素質を持つ新人を得るべく、一段の努力を重ねることを希求して已まぬ。そこにこそ真に歌壇の向上がある。

「詩の道」によせて             熊倉 鶏一
 ・・・短歌の性格は個の文学であると同時に全の文学である。しかも身を以って行ずる体験の文学である。徒らなる大言壮語や切歯扼腕ばかりが短歌ではない。常に高度の詩精神を持して各自個性の練磨を怠ってはならないと思う・・・。


 作歌の姿勢、歌評のあり方、さらには個性、感性を磨くことの重要性等を、これら先達の
提言より学んで行きたい。

 戦局が厳しさを増す中でも、本誌の会員は月を追って増加しており、新たに入会を紹介された会員も59名を数えている。これら会員の出詠歌の中から紙面の許す限り抄出したい。

 ○ 曇りなき月を見るにも思ふかな明日はかばねの上に照るやと   吉村寅太郎
 ○ へだたりて君のゐる辺をとほ山の雲のゆくへとおもひつつをり  竹町 俊
 ○ あからさまに詠めぬいのちの明暗にわれつつましく耐えて息づく 北村伸子
 ○ 時折のいとまに折りし千代紙の鶴に心ふれてたのしむ      河本文子
 ○ 早や幾たび遺書を書きしと事もなげに軍事郵便に覚悟を語る   鈴木 俊
 ○ 折々に立ち眩みなどありといふ土に荒れたる父の手をみる    小菅嘉之
 ○ 女の生命あわれひそかに炎えしめて哀しき人は去り給ひけり   菅野貞子
 ○ 生まれしは男の子と書きしわが文を父なる人の読ますいつの日  廣田博子
 ○ 泣く程の思いにたえて木犀の花を仰ぎしこともありしが     秩父ゆき子
 ○ けふよりは父帰り来ぬ寂しさに母なき子等の哀れさを増す    高畠てう子
 ○ 寝つかれぬこの夜もすがら泣き明かしいまさむ友を吾は偲びつつ 田中花子
 ○ 一人子を失ひませる父上の心いかにと日々を思ひぬ       加藤シゲ子
 ○ 朝顔の真白の花のふれ合ひに何気遣ふや征くとふ兄を      飯塚 清


 歴史が大きく揺れ動くとき、そこには滾る血を沸かす男達の少なからぬドラマが生まれる。
しかし先の太平洋戦争は学徒出陣を初め、時代の青春を壊滅的な状況に晒した。さらには沖縄、広島、長崎は言うに及ばず非戦闘員を含む310万名を越える貴重な人命を奪い、ドラマと呼ぶにはあまりに過酷で悲惨な終章を迎えた。

 この人間の消耗戦とも言える過酷な時代。その中で愛する夫を、さらにはわが子をも涙を隠して戦場に送り出さねばならなかったおみな達は、二重の苦悩を強いられた。その苦悩と葛藤ゆえに、大本営発表に象徴される男達の虚像と、そこに透けて見える哀しみを見抜きながら、銃後の生活を護るため懸命に、健気にも闘い生き抜いた。この「もう一つの戦場」を戦い抜いたおみなたちの生き様と、抑えた思いが、これらの歌群の中から滲み溢れてくる。

 遠い戦場で倒れた夫を、わが子を思い、こらえきれずに涙を流したおみなたち。それを家々の庭隅で見つめていたであろうコスモスは、揺らぎつつ彼女達へ静かな励ましを送っていたのではないだろうか。

 どんな荒地にあっても、しっかりと大地に根を張り厳しさを微塵も見せないコスモス。その花の表情に、戦さ場に耐え敢えて浮かべたおみな達の微笑が重なる。寂しさや哀しみをかみ殺し押し包んだそんな微笑を再び見たくない。そんなコスモスの呟きがかすかに聴こえてくる。残照に染まりながら、うねる様な揺らぎを繰り返すコスモスに包まれながら、決して遠くない母達の時代を思った。
               了
                       初稿 平成19年9月29日

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「口語短歌・水曜サロンの会」(その6) 

2021年10月20日 05時36分45秒 | 短歌
「口語短歌・水曜サロンの会」(その6)   短歌の投稿を歓迎します!!

 「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている
 皆様の詠まれた短歌を掲載し、その作品の鑑賞を行うコーナーです。

 短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、
 自由に短歌を投稿し、鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと
 思っています。皆様の投稿を歓迎します。

【運営にあたって】
 (1) 投稿期間は毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
 (2) おひとり様 3首まで(1首でも可)コメント欄に投稿願います。
 (3) 口語短歌を基本としますが、文語混じりでも構いません。
    仮名遣いは新仮名遣いとし、旧仮名遣いは極力避けて頂ければ幸いです。
 (4) 投稿頂いた短歌は、そのまま掲載します。皆様から感想等頂ければ幸いです。
 (5) 作者名は投稿頂いたペンネーム等を、そのまま掲載します。
 (6) 掲載順序は、原則本ブログのコメント欄への到着順と致します。


  「酔芙蓉」(八重)

「ブログ友の投稿歌 交流コーナー」

☆マスクのみ着けてメガネも補聴器も着けず歯科医に行きて気付けり
☆マスクするこの頃こんな失敗が多くなりたり真面目に悩む
☆子を叱り親を叱りてこしわれは今は己を叱りてゐたる
                    びこさん

【解説】
 本サロンは、短歌の初心の方も参加しやすいようにとの事から、「口語、新仮名遣い」を
 奨励させて頂きましたが、投稿頂いた短歌の表記方法は尊重して参りたいと思います。
 今回の投稿歌は、いずれも私たちの世代では身に覚えのある事象ですが、三首目の歌に
 漂う「ほろ苦さ」が秀逸と思います。

☆水曜の サロンの会に 誘われて 短歌を詠める 幸せ深く
☆楽しみは 海を感じる 土曜日に 白身の肴 酒でつまむとき
☆お三度を 現役終わり 軽々と 手伝う我を 驚くあなた
                        浅間山明鏡止水(kencyan)さん 

【解説】
 日々の生活の中で、情景を眺めていると三十一文字が自然と浮かぶと言われる作者。その感性の
 ひらめきに拍手をおくりたいと思います。なお、三首目は、奥様との日々が思い浮ぶ、
 ほほえましい短歌と思います。三首目の句の順序を少し整理してみましたが、いかがでしょうか。
【ご参考】
★リタイヤ後 気軽にお三度 こなす我 驚くあなたに 愛しさも湧き

☆Tokyoと言う巨大な街が
  人々を飲み込んで行く
   ハレーション               jikan314(自閑)さん

【解説】作者のjikan314(自閑)さん、ご自身による解説です。
 オリンピックを控え、様々な建物や駅が改修され、東京が国際都市TOKYOに変わって行く中で、
 1年以上もコロナ自主隔離で孤独に過ごし、久しぶりに東京に行った時、慣れていた駅で道に迷い、
 人々の多さにめまいを感じ、写真や映像用語の「光が強く当たりすぎて画面が白くぼやけたり
 濁ったりする現象」ハレーションとしました。何十年と東京で過ごしたのに、拒否反応して、
 「この列車に確率的に感染者が1人以上いる」と恐怖し、この恐怖を無視する様に人々は街に
 向かっていました。
 三行詩にしたのは、読者が文字を追う時に、改行で小休止するので、軽い切れを表しています。
【補足】様変わりする「国際都市TOKYO」への「畏れ」を、鋭く表現した口語自由律短歌です。

☆その柄は木槿のようねと母笑う 夏服揺れる10月の午後
                        あんりママさん

【解説】
 作者は「暑さが一段落して夏服を干した時、母がその模様を木槿のようだと言ったのを思い出し、
 母を見送った暑い夏の日を思い」を詠んだ、とのことです。
 最初「逝く夏惜しむ」の句が印象に残り、ご自分の短歌に取り入れて詠まれていましたが、再度詠み
 直して投稿頂きました。
 短歌には「本歌取り」という手法もあり、新古今集時代には結構行われていました。
 従って、気に入った句を取り入れて、自分の短歌を完成させることもありと思っています。
 なお、「夏と10月が入って良いものか」と気にされていましたが、今年の気候の特殊性もありますので、
 問題ないと思いますが、何年かの後に読者から違和感を抱かれる可能性もありますので、少し整理して
 みましたが、いかがでしょうか。あくまでも一例ですが…。
【ご参考】
★干されいる 木槿の柄に 笑む母を 偲びて過ごす10月の午後

☆海のどか 秋の夕暮 船一艘 繋がれるのは 船の宿命か
                       「kencyan&オライ」さん

【解説】
 オライさんの写真に寄せた、Kencyanさんと、オライさんとのコラボ蓮歌です。
 オライさんの写真は、そのまま詩となり、その心象風景には圧倒されるというより、しみじみと
 包まれる印象があります。学んで身につくものではありませんが、目標としたい映像です。
 なお、連歌は即興を旨としますが、生煮えで済みませんが、参加させてください。
【ご参考】
★揺れゆれて 秋の夕凪 船一艘 繋がれいるは 船の宿命(さだめ)か

  「秋薔薇」

☆水曜日
   楽しみな日が
    やって来た!
   力作揃い
    皆様サンキュー          すずさん

【解説】
 作者は「ルール違反的な言葉選び」と言われていましたが、それはありません。
 短歌は、長い伝統を持つ短詩型ですが、その時代の状況や、意識に、さらには気分に晒されながら進化し
 「生きた言葉」を獲得してきたものと考えています。従って、ルールはその時代を反映し、多くの変遷を
 経て変えられてきた経緯があると思っています。「ルール違反的な言葉選び」は大いに結構なことと
 思います。挑戦失くして進化はないとも思っていますので・・・。

☆落ち葉食む
  「いいの?」と見上げる
    愛しき仔
   カサコソカサと
    音立て走る               クロママさん

【解説】
 作者は愛犬「クロちゃん」を「吾が子」と、言われるほど可愛いがっております。その「吾が子」との
 日々を、愛おしむように詠った短歌です。「クロちゃん」の見上げる可愛い眼差しが浮かびます。

☆病院の待合室でメール打つ人の指先じっと見つめる
☆楽しみは早起きをして野や路地をカメラ片手に散歩する時
                        ものくろ往来さん

【解説】
 「独楽吟」の二首目は、ものくろ往来さんの日常が垣間見える、楽しい短歌になっています。
 なお、いつも拝見する詩情に満ちた写真から、ものくろ往来さんの被写体に向ける目の鋭さと
 共に、それとは裏腹な温もりが感じられるのは「写真」に籠める想いの深さでしょうか。
 その想いと、温もりが短歌にも滲んでいます。
 
☆帰り咲く さつき ひと花楚々として 狂えるものの命 愛(いと)しく
                        ポエット・M

【解説】
 清秋の夕べ、酔芙蓉、ムクゲなど夏の花が花弁を閉じながら散っていく中で、初夏の花「さつき」が
 一輪、二輪と咲いています。帰り花、狂い咲き等とも呼ばれていますが、この花の楚々とした姿に、
 季節に戸惑い狂いながらも、凛として咲く命の確かさと、愛おしさを感じます。そんな花に寄せて
 詠んでみました。

  「酔芙蓉」(一重)

「五行詩」「痛みの変奏曲」鑑賞 (7)

3.別れ (1)
  これ以上
   あなたにお会い
    いたしません
   言う君あわれ
    聞く我あわれ
   
    君さえも
     そんな女か
      我が命
     闇にはかなく
      消えゆく思い

      別れきて
       夜道に一人
        むせび泣く
       命も闇も
        消えよとばかり
    
    永遠の
     審判(さばき)を受けて
      滅びゆけ
     君を打ちたる
      我の右の手

     リリリンと
      音なき音を
       奏でつつ
      君面影の
       雨に泣く庭


  「秋桜」  

【短歌入門・質問コーナー】
 この「水曜サロン」に集う皆様の直近のコメント等に記された、短歌を作るうえでのヒント、
 さらに質問、疑問点等にいて、触れていきたいと思います。
 皆様からの提案、さらに素朴な疑問も含めて、コメント欄にお寄せいただければ幸いです。
 なお、私の「質問への回答」は、あくまでも一つの「解」でありますので、他の回答、反論、
 意見等もありましたら、このコーナーで大いに議論して参りましょう。それが学びに
 繋がれば嬉しいです。

【本歌取り】
 本歌取(ほんかどり)とは、短歌(和歌)の作成技法の1つで、有名な古歌(本歌)の
 1句もしくは2句を自作に取り入れて作歌を行う方法を言います。主に本歌を背景として
 用いることで、短歌に奥行きを与えて表現の効果を高めることが出来ます。
 こうした本歌取については、批判的に評価する等、様々な受け取り方がありましたが、
 藤原俊成は表現技法として評価している歴史的経緯もあります。
 藤原俊成の子・藤原定家は『近代秀歌』で、本歌取の原則を以下のようにまとめています。

 (1) 本歌と句の置き所を変えないで用いる場合には2句以下とする。
 (2) 本歌と句の置き所を変えて用いる場合には2句+3・4字までとする。
 (3) 著名歌人の秀句と評される歌を除いて、枕詞・序詞を含む初2句に本歌をそのまま
   用いるのは許容される。
 その他に、本歌とは主題を合致させない等が述べられています。

【字余り・字足らず について】
 短歌の基本は5・7・5・7・7の5句31音ですが、この基本をはみ出したものに
 「字余り(じあまり)」「字足らず(じたらず)」があります。
  ☆夜の張(ちょう)にささめき尽きし星の今を 下界の人の鬢(びん)のほつれよ(与謝野晶子)
 この歌の場合、3句が基本の5音を外れて「星の今を」と6音になっています。
 このような歌を「字余り」と言います。
 逆にそれぞれの音数に一音以上足りなくなることが字足らずです。「字余り」でも
 「アイウエオ」の母音が入ったときは許容されています。

                      了

  「むくげ」(一重)
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-空白の短歌史- 「綜合詩歌」誌鑑賞(3)

2021年10月16日 12時12分22秒 | 短歌

「戦時下、空白の短歌史を掘り起こす その3」
    「忘れな草への序章」


 かのナポレオンの最終決戦、ワーテルローの戦で倒れた兵士の胸に咲いた花。 忘れな草は偽りのない誠と、率直な友愛のシンボルとも言われる野の花でもある。 そして「ソ連の水爆の父」と仰がれながら、ソ連軍の1979年12月アフガニスタン侵攻に反対し「流刑の沈黙に」耐えたアンドレイ・サハロフ博士の、追悼の夕べの祭壇を飾った花でもある。

  「酔芙蓉」(八重)

 人が己の信念を行動に移そうとする時、そこに少なからぬ逆流が生ずる。 その信念が時の権力者や権威に逆らうものであるとき、逆流はより大きく激しさを増す。 それは本人は言うに及ばず、家族もさらには友人、隣人をも巻き込み、時にはその生命まで 奪ってしまうことは、多くの歴史的事実が教えている。かのガリレイは言うまでもなく、 わが国においても大坂町奉行所の不正、役人の汚職などを告発し、乱を起こし自死を余儀なくされた大塩平八郎、治安維持法改正に反対し暗殺された山本宣治等々、数多の事例を見ることが出来る。

  「忘れな草」ネットから借用しました。

 それらの逆流にあえて身を晒したペレストロイカ前のサハロフ博士の言動を改めて 思い起こすとき、自国の民衆への限りない愛情と、信頼に裏打ちされた「人間への希望」、「人類共生」への深い思いを看る事ができる。そして死への恐怖をも含む葛藤を乗り越えた者のみが持つ、静かな微笑を湛えたその姿は、今もなお鮮明に私達の脳裏に焼きついている。
 この「人間への希望」は、先見性と人類愛に溢れた科学者の思想の根幹を成すものであったが、 人間と人間が殺しあわなければならなかった戦争と言う極限の中で、文学を志しその陣地を守ろうとする者にとっても、その糧ともすべき思いではなかったかと考える。

  「秋薔薇」

 太平洋戦争の戦局が苛烈さを極めつつあった昭和十八年十月、なお、投稿者の数を 増やし発刊され続けた「綜合詩歌」十月号に前号に引き続き、「人間の希望」を尋ねてみたい。 前号と同様に短歌作品の抄出、鑑賞を中心に歌論を合わせて紹介しそれらの文の行間に 溢れる思いも汲み取って行きたいと考える。

 当月号に短歌を寄せている代表的歌人は、後に芸術院会員となった前川左美雄氏を初め、穂積忠、下村海南、松田常憲、原真弓、野村泰三の各氏を含む十一名の方々である。平成二年三月一日発行の「短歌四季春」号で、おりしも前川佐美雄氏の特集を組んでおり、合わせて年譜も掲載され昭和十八年当時の氏の歩みが確認できる。この年は氏の長男佐重郎氏が誕生し、「春の日」「日本し美し」の第五、第六の歌集が出版されている。 先ずは「綜合詩歌」十月号に掲載された前川氏の作品から五首抄出したい。
 金剛           前川 佐美雄
○ 金剛の青嶺大きくはだかりて麓をよろふ山ををらせず
○ 一言の神の社の銀杏樹にひよどりの鳴く秋に来たりぬ
○ 鳴りかぶら引きしぼらせてこの山の大猪たしし帝しぬばゆ
○ 戦いに勝たせたまへといただきの午前五時ごろ杉の木下に
○ 末の世のわれは如何なるいのちぞも萍(うきくさ)はしきり野川ながるる


 これら五首と、昭和五年七月刊行の前川氏第一歌集「植物祭」の次の三首とを比べてみたい。
○ 戦争の真似をしてゐるきのどくな兵隊のむれを草から見てゐる
○ われわれの帝都はたのしごうたうの諸君よ万とわき出でてくれ
○ われわれの周囲になんのかかわりもない遠方に今日も人が死んでる


 これら歌柄の変化は、十三年の歳月によるものか、また、時局の流れへの深い洞察によるものかは定かではない。しかし、氏の第二歌集「大和」(昭和十五年出版)に 掲載された、次の三首は氏のこの間の心の軌跡を示す象徴的な歌として私たちも心に 刻んでいきたい。
○ あかあかと硝子戸照らす夕べなり鋭きものはいのちあぶなし
○ 万緑のなかに独りのおのれゐてうらがなし鳥のゆくみちを思へ
○ 無為にして今日をあわれと思へども麦稈焚けば音立ちにける

 むせかえるような万緑の中で味わう孤独感。己自身をも含む「人間への希望」を人一倍いだきながら、なお揺れるその想いは物に挑もうとする時、誰しもが襲われる葛藤かもしれない。ましてや、表現すること、詠うことに命をもかけざるを得なかった時代。これらの作品群を世に問うた歌人の志に、サハロフ博士とは時代も、状況は異なっても底流をなす心意気と勇気とに相通ずるものを感ずる。時代の濁流の中で真摯に守り深められた 詩精神と、歌へ真向かう志を学んでいきたい。

  「むくげ」(八重)

 なお、当月号には前述の通り歌友諸兄もご存知の穂積忠氏も作品を寄せている。僭越ながら氏を始めとした代表歌人の歌を抄出したい。
 日記抄         穂積 忠
 ○ 時鳥ききつと告げて胸あまるものにか耐えめ梅雨入りひそけし
 ○ 時鳥季節にあひつつ寂しさは去年より深し憶ふものかも
 ○ さぶしさをひとに告げねど時鳥啼く弱昼は籠居りかねつ

 餘燼          山本 初枝
 ○ のこされし生に乞ふ幸やいくばくとまたよりゆかむ身が切なしも
 ○ 生命の果てやいづこと朝勤行終へての後に掌をくみてゐつ
 ○ 暁じろむ霧に髪ぬれ佇てらくはきざすひとつの想ひ冷ゆべき

 その母         渡辺 曾乃
 ○ その母の悲しみをすら知りて居つ娘のいとしさや髪結ひてやる
 ○ 我が経来しかなしき道を踏ませじと娘に思ふなり夜を覚めつつ
 ○ 翅そらし舞ひすむあきつ雨あとの陽射の中に光とも見ゆ

 汝が父         野村 泰三
 ○ わがいのち遠く承けきて無邪気ならずいさぎよきもの清くあるべし
 ○ その父にその母に似ずひたすらに生きよわが子ようるはしくも
 ○ 寂寞たり青葉の光に爪を剪り棄て思うこともなし


 父の子に対する思い。そして、母の子に対する思いは、時代を越えて響き会うものがある。時代が厳しければ厳しいほど、また経て来た道のりが苦渋に満ちたものであればあるほど、わが子にはそれを味合わせたくないと思う親心は想像に難くない。未来そのものであるわが子。そのよりよき明日を願う思いは、死と隣り合わせであった戦時下の父母たちの切実な 祈りでもあった。

  「酔芙蓉」(八重)

 当月号には新企画として投稿作品に対して、複数の批評者が重層的な批評を行う形式をとった、言わば「誌上歌会」の欄が設けられている。これらの形式は今の結社誌でも参考にしたい画期的な試みと考える。この作品評欄から一部抜粋したい。

○ とぎれつつ目路の果てまで海凍り空の青さをふふむひとところ
 加藤 「青さをふふむ」は、含むとの意ならんも、果たしてこういう言葉を用いることが適切なりや。といつても単に「うつる」というので良いと言うのではない。 初句のおきどころ、これまた問題であろう。

 館山 もっと腹の底から声を出して歌い上げればよかった。何かいい歌になりそうでいながらそういかなかったのは、作者の心の深部からものを言わず、結局咽喉元でものを言っているからだと、私にはそんな気がするのである。

 このような遠慮会釈の無い指摘、鋭い批評が続くが、歌をあらゆる角度から掘り下げ研究し、学んでいくには適切な試みと考える。なお、加藤は加藤将之、館山は館山一子の各氏である。

  「宗旦むくげ」

 当月号へ掲載された投稿者は156名を数え、戦時下においてなお、詩歌誌の裾野の広がりを見せている。
 戦局の進展に伴い、空を覆う暗雲への予感が濃密になる中で、歌に託した人々の思い。 それは心からの叫びであり、魂の吐露でもあった。投稿歌の中から心に刻み、深く受け止めていきたい歌を中心に抄出したい。

○ 別れきてひびくをとめのこととひにさめやすくわがあかときををり
                            榛名   貢
○ 水引草しごきし指の紅を別るる今は君に示さじ    南    梓
○ 明るく生きむと君に誓いひて別れたり足裏のほてり漸く激し
                           北村    伸子  
○ 抱きあぐればことこととなる小箱にてみなみに散りし弟やこれ
                           土井   博子  
○ ひそやかにも想ひ心に炎ゆるとき人は我身に生き給ふなり
                           菅野   貞子 
○ なにごとも思ひつくしてあり経つつ尽きぬ涙の流れてやまず
                           桐井   緑 
○ ふるさとへ子等をかへして独り居の夜はある限りの燈火ともしぬ
                           小笠原  一二三 
○ まみえざる人をし思う幼子の 寝顔は生きし面影なるか
                          鈴木   恒子


 南海で戦死し、白木の箱と化して帰ってきた弟。抱き上げてもカラカラと鳴る のみで、重さの実感も無い弟に寄せる姉の思い。抑えてもなお湧き上がる魂の叫びを、そして、時空を越えてなお響いてくる慟哭の思いを、心に刻み引き継いでいきたい。 人知れず無念の涙を流さねばならなかった、あの時代を再び招かないためにも・・・。
 サハロフ博士が自らの全存在を賭して示した「人間への希望」の探求は、文学の世界において、否、思いが直裁に表出される短歌の世界においてこそ、より強く受け継ぐべき想いであり、課題でもあると考える。

  「薄紅に染まり始めた酔芙蓉」(八重)

 表現することに自らの生命をも賭けざるを得なかった時代を経て、人間として表現すべき志さえ曖昧にしつつある現代において、この課題は厳然としていまだ私達の前に存在している。
 忘れな草の花に託された祈りにも似た思いを「人間への希望」の序章として、受け止め追求していきたい。その中で短歌に込められ託された、千数百年にわたる人々の深い思いを継承し、人間の生きる志と触れ合える短歌一条の道を探求できたらと考える。
          了
                                        初稿 平成18年10月25日

  「芙蓉」一重

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「口語短歌・水曜サロンの会」(その5) 

2021年10月13日 05時04分33秒 | 短歌
「口語短歌・水曜サロンの会」(その5)   【短歌入門・質問コーナー】を設けました!!

 「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている
 皆様の詠まれた短歌を掲載し、その作品の鑑賞を行うコーナーです。

 短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、
 自由に短歌を投稿し、鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」目指したいと
 思っています。皆様の投稿を歓迎します。

【運営にあたって】
 (1) 投稿期間は毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
 (2) おひとり様 3首まで(1首でも可)コメント欄に投稿願います。
 (3) 口語短歌を基本としますが、文語混じりでも構いません。
    仮名遣いは新仮名遣いとし、旧仮名遣いは極力避けて頂ければ幸いです。
 (4) 投稿頂いた短歌は、そのまま掲載します。皆様から感想等頂ければ幸いです。
 (5) 作者名は投稿頂いたペンネーム等を、そのまま掲載します。
 (6) 掲載順序は、原則本ブログのコメント欄への到着順と致します。



「ブログ友の投稿歌 交流コーナー」

☆曼珠沙華 天界に咲く 彼岸花 逆のサイクル ハミズハナミズ(葉見ず花見ず)
☆タカブシギ日本に飛来旅鳥の宿命(さだめ)と知るも明日はいずこか
☆マルモッタン 睡蓮池に 映る空 水鏡の紅葉 心を洗う
                      浅間山明鏡止水(kencyan)さん

【解説】
 曼珠沙華の別名「葉見ず花見ず」に、また、ユーラシア大陸で生息し、秋や春に日本に飛来して
 休憩する旅鳥タカブシギ、さらに、高知県北川村「モネの庭」マルモッタンに寄せて、詩人としての
 深い想いをこめて詠まれた短歌です。
 「睡蓮池に 映る空 水鏡の紅葉」の語句を少し整理してみましたが、いかがでしょうか。
【ご参考】
★マルモッタン もみじ、睡蓮 映しつつ モネの想いも 深く刻まれ

☆道中が旅は楽しきものなれば楽しみてをり旅の道中
                     びこさん

【解説】
 びこさんは「おざなりの歌」と謙遜されますが、決してそうではありませんね。
 旅は「行くまで、道中、思い出」といわれますが、いずれも楽しいものですね。とりわけ、中身の
 詰まった道中の楽しさは格別と思います。そんな実感を詠んだ楽しい短歌と思っています。

☆亡き母に問うた答えはみずからの心に灯る道しるべなり
☆嵐去り七七日に光差す 悲しみさらにつくつくぼうし
                    アンリさん

【解説】
 「自灯明 法灯明」という言葉を、お母様が亡くなる6日前に病院に向かうラジオで聞かれた
 とのこと。この言葉は、お釈迦様の教えと伺ったことが在ります。
 四十九日の法要を済まされてもなお、哀しさや寂しさは襲ってくることでしょうが、
 つくつくぼうしの鳴き声が、さらに哀しさを誘いますね。そんな想いが切々と詠まれて、
 共感を呼ぶ短歌と思います。「悲しみさらにつくつくぼうし」の表現が秀逸です。

☆自販機に馬のいななくお茶を買う勝ち馬祈願の藤森神社
☆いま一度馬のいななき聞きたくてまたお茶を買う荷物になるに
                    リコさん

【解説】
 疾走する馬の上に乗って曲技を披露する、駈馬神事が行われている京都市伏見区の
 藤森神社。その神社で自販機の「馬のいななき」を聞きたくて、お茶を買っている
 作者の、ほほえましい姿が浮かぶ短歌。歌枕を取り入れた巧みな短歌と思います。
 なお、リコさんには「短歌を詠む時の手順」をまとめて頂きましたので、
 【短歌入門・質問コーナー】で紹介させて頂ます。

☆楽しみは古いカメラをあれこれとカスタマイズする一人の時間
☆誕生日祝いの葉書二通着く割引で釣る店の作戦
☆スーパーで買い物中に咳すれば皆振り向く困ったものだ
                    ものくろ往来さん

【解説】
 一首目の短歌は、ジャズを聴きながら、かつての垂涎もののカメラを手に入れ調整している、
 ものくろ往来さんの幸せに満ちた表情が浮かびます。このようなひと時を、短歌に詠み切る
 感性に学びたいと思います。俳句をよくする、ものくろ往来さんの鋭い観察眼が短歌にも
 生きていると考えます。

☆曖昧な 表現多き演説の 眼鏡の奥の 怪しき眼  
                    oraiさん

【解説】
 新総理の所信表明演説は抽象的な表現が多く、具体的な政策の深堀も無く、期待外れに
 終わったとの印象がありますが、あいまいさの中に感じた「怖さ」はoraiさんの詩人としての
 感性と思います。「詩人は時代の半歩先を読む」と言われていますが、この感覚を大切に
 していきたいと思っています。なお「怪しき眼」を「怪し眼光」として見ましょうか。
【ご参考】
★曖昧な 表現多き演説の 眼鏡の奥の 怪し眼光

☆寺町の 記憶色濃き 秋すだれ 祭り太鼓と お囃子の音
                    オライ&kencyanさん

【解説】
 京都・祇園の花町にひっそりと佇む「創作京料理 北郎」の秋すだれが、寺町の記憶を
 色濃く残しています。そのすだれに祭り太鼓とお囃子の音を結び付けた、オライ&kencyanさん
 渾身の連歌がいい味を出しています。このような連歌遊びも良いものですね。

☆秋あかね群れ飛ぶ里に「もういいよ」忘れし言葉つぶやいてみる 
                      ポエット・M

【解説】
 幼い日、かくれんぼうの最中にアキアカネを追いながら、その輪から離れ「もういいよ」 
 の言葉を言い忘れ、友に迷惑をかけました。そんな遠い日の微かな悔いを詠んでみました。



「五行詩」「痛みの変奏曲」鑑賞 (6)
2.出会い (3)
  「いけんじょ」と
   口ではいえど
    夕闇に
   妖しく光る
    きみの瞳(まなざし)
     
     夕霧に
      うるむ瞳の
       哀しさよ
      抱けばはるか
       遠き鐘の音

      夕霧の
       白きヴェイルに
        包まれて
       二人はしばし
        愛の彫刻

    夕霧に
     生けるロダンの
      彫刻と
     なりてはるかな
      鐘の音を聞く

   夕霧の
    白きヴェイルの
     影二つ
    包め夜霧よ
     黒きマントで



【短歌入門・質問コーナー】
 この「水曜サロン」に集う皆様の直近のコメント等に記された、短歌を作るうえでのヒント、
 さらに質問、疑問点等にいて、触れていきたいと思います。
 皆様からの提案、さらに素朴な疑問も含めて、コメント欄にお寄せいただければ幸いです。
 なお、私の「質問への回答」は、あくまでも一つの「解」でありますので、他の回答、反論、
 意見等もありましたら、このコーナーで大いに議論して参りましょう。それが学びに
 繋がれば嬉しいです。

【短歌を詠む時の手順】 リコさんからのご提案です。
 短歌を詠む時の手順を忘備録的に書かれたとのことですが、皆様の参考になると思いますので
 掲載させて頂きました。
 (1) 散文風でも、まずメモをとる。心躍る情景等に出会ったら電車の中でも。
     例:琵琶湖へと久方ぶりに遠出する特急電車に心躍らせ
 (2) 声に出して読む。調べが良いと31文字にまとめやすい。
 (3) 文語、旧かな、文法のチェック
 (4) 語句を推敲(主語の統一)
 (5) 句切れ、体言の多用等に注意


【表記について】
 歌を詠む場合、声に出して読んでいた万葉集の時代などとは違って、現在では文字によって書き、
 それを読み手に届けることになります。前回のこのコーナーで述べました「調べ・響き」と
 おなじくらいに、表記の仕方も作品の完成度に重要な影響を与えます。
 これも「こうしなければいけない」というような決まりはなく、人それぞれなのですが
 「読み易さ」などを指標としながら、著名な歌人の作品などを参考にして学んで頂ければと
 思います。また、先にリコさんから提案がありましたが、漢字、仮名の表記も工夫して
 頂ければと思います。


【枕詞(まくらことば)】
 枕詞とは短歌(和歌)にみられる修辞用語のひとつで、一定の語の上にかかって、ある種の
 情緒的な色彩を添えたり、句調を整えたりするのに用いられます。ただ、主題とは直接に
 意味的な関連はありません。
 簡単に言うなら、「あしびきの」とくればその下は「山」、「ひさかたの」とくれば
 その下には「空」や「光」などがくるわけです。

  ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ (紀 友則)

 たとえばこの歌の場合は、「ひさかたの」が「光」にかかって(光を引き出して)いる枕詞です。
 万葉集の時代には短歌(和歌)は文字に書いて見せるものではなく、声に出して詠み、
 詠うものでした。 枕詞が生まれた背景にはそのことが深く係わっています。 たとえば…詠み手が
 「あし~ひき~のぉ~~~」と詠んでいる間に読み手は、「ああ、これから山の歌を詠むのだな」と
 想像し、心構えが出来たのです。 詠み手はそれを利用して、読み手の期待通りの素敵な山の歌を
 詠んだり、または技巧を凝らし予想外の山の歌を披露することで人々の喝采を得たりしたわけです。

 このように枕詞は、口誦時代には一定の語句を引き出す役目をしていました。ただ、現代では短歌は
 文字に書いて発表されることが大半のために、このような効力は失われつつあります。それでも、
 枕詞の多くの語句が五音から出来ているため、現代短歌の世界においても韻律を整えるうえで
 有効であることは確かですので、挑戦してみましょう。

 枕詞とその枕詞が引き出す語句の例を、いくつか挙げておきたいと思います。

  枕詞      被修飾語
  あかねさす:  日・昼・紫・照る・君
  あしひきの:  山・峰(を)
  あらたまの:  年・月・日・夜・春・
  あをによし:  奈良・国内(くぬち)
  うつせみの:  命・人・世・妹
  くさまくら:  旅・結ぶ・結ふ(ゆふ)・仮・露・たご
  たまきはる:  命・うつつ・世・わ・うち
  たらちねの:  母・親
  ちはやぶる:  神・宇治
  ぬばたまの:  黒・髪・夜・夢・夕・暗き・今宵・寝る
  ひさかたの:  天(あめ)・雨・月・光・日・昼・雪・雲・霞・星・夜・桂・都・鏡

                            了
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香りに酔うも

2021年10月09日 12時45分41秒 | 短歌
 岸田首相は8日の所信表明演説で、「信頼と共感を得られる政治」を掲げ、対話を重視する姿勢を
前面に出し、説明不足との批判がつきまとった「安倍・菅路線」との違いを強調しました。
また、「早く行きたければ一人で進め。遠くまで行きたければ、みんなで進め」との、
アフリカのことわざを引用し、新型コロナウイルスなどの困難に対し、国民と共に乗り越えていく
姿勢を示しました。

 しかし、森友学園の再調査は行わない、さらに日本学術会議が推薦した会員候補6人の任命拒否問題で、
岸田内閣として新たに任命する考えがない等々「みんなで進」むための条件を最初から放棄しています。
また、野党から、被爆地の広島出身を強調する首相が、核兵器禁止条約の是非に触れなかったことに
ついても「広島出身と言うのであれば、そういう政治でいいのか」との意見も出ています。

 私たちは、党総裁選で「聞く力」を自らの長所に挙げてきた新首相に期待しましたが、今回の所信表明演説
は残念ながら、残された課題への取り組みも弱く、政策の深堀も無く「期待外れ」との印象があります。

 そんな日々、開放された公園や、温水プールへ繰り出し、巣ごもりの生活から少し抜け出すことが
出来つつあります。しかし、感染対策は依然として必要と感じますので用心しながら「日常」を
取り戻していきたいと思っています。

 そんな中で、10月になって我が家の月下美人が三度咲いてくれました。実は月下美人がかなり繁茂
したため、春先に細君がかなり思い切って選定しました。その際に切られた枝を鉢に刺しておいた所
その葉についた蕾が開花したものでした。今年の開花は期待していなかったのですが、一輪小ぶりながら
開花してくれましたので写真に収めてみました。



 そんな様子も含めて、短歌に詠んでみました。

 ☆萱の露 風に吹かれて舞うがごと 末枯れ花野に潤い運ぶ
 ☆星月夜 妻と見上げるその果てに 秋のペガスス耀きを増し
 ☆藍ふかく晴れ渡りゆく空のもと コスモスの群れ海になだるる
 ☆草笛も草書も我に教えたる 父を想いてカナカナを聞く
 ☆神無月みたび咲きたる月下美人 香りに酔うも寂し一夜と
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「口語短歌・水曜サロンの会」(その4)

2021年10月06日 06時35分01秒 | 短歌

「口語短歌・水曜サロンの会」(その4)   【短歌入門・質問コーナー】を設けました!!

「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている
 皆様の詠まれた短歌を掲載し、その作品の鑑賞を行うコーナーです。

 短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、
 自由に短歌を投稿し、鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」目指したいと
 思っています。皆様の投稿を歓迎します。

   「清秋の青空に咲く むくげ(八重)」

【運営にあたって】
 (1) 投稿期間は毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
 (2) おひとり様 3首まで(1首でも可)コメント欄に投稿願います。
 (3) 口語短歌を基本としますが、文語混じりでも構いません。
    仮名遣いは新仮名遣いとし、旧仮名遣いは極力避けて頂ければ幸いです。
 (4) 投稿頂いた短歌は、そのまま掲載します。皆様から感想等頂ければ幸いです。
 (5) 作者名は投稿頂いたペンネーム等を掲載します。
 (6) 掲載順序は、原則本ブログのコメント欄への到着順と致します。


   「白花曼殊沙華と曼殊沙華」

「ブログ友の投稿歌 交流コーナー」

☆花散りてのちに緑の葉を見せる相思花のごと老いらくの恋
                          びこさん

【解説】
 作者は、この短歌は「余興」で作られたとのことですが…。「相思花」にかけて
 「老いらくの恋」を詠う、発想の斬新さがあります。花の季節を終え緑の葉を
 従えて蘇る、「相思花」の強い生命力。それを「老いらくの恋」のごとくと
 表現する、豊かな発想に学んで行きたいと思います。

【詞書】軽井沢ハルニレテラス遊歩道の、北原白秋「落葉松」の詩碑に寄せて。
☆落葉松を 詠んだ白秋 魅了する 雑木林と 水のせせらぎ
☆お彼岸日 射し込む日射し 穏やかに 花いっぱいの 笑顔なくらし
☆鬼押出し 緑豊かな 白糸の 滝に流れる 水清らかに
                         浅間山明鏡止水さん

【解説】
 いずれも「ロマンチスト」なKenさんの横顔が見られ楽しい短歌と思います。
 じっくり味わいたいと思います。白秋と落葉松林、湯川のせせらぎとの関係を
 少し整理してみました。
【ご参考】
★白秋の感動誘うや 落葉松の 萌える緑と川のせせらぎ


☆陽を受けて 土手に連なる 彼岸花 稔る稲穂を 守るが如く
                         クロママさん

【解説】
 クロママさんさんは、五句「守るかのよう」を「守るが如く」と自ら推敲
 されました。この表現の方が短歌の重厚感が出ると思います。しかし、最初の
 表現でも秋の爽やかさや、彼岸花と稲穂のつながりも十分表現されていて、
 好感の持てる短歌と思っています。

【詞書】磐梯山の周りを自転車で走る夫を見送り、道の駅付近を散策した際に
  詠みました。
☆会津富士 向かう貴方の背を送り 湖畔の畑涼風立ちぬ
☆ふと気づく お土産探す道の駅 喜ぶ母の顔見たかった
                         アンリさん

【解説】
 日ごろの、ご主人、お母様との温かな絆が浮かぶ、ほのぼのとした情景が詠まれ、
 好感の持てる短歌と思います。助詞を少し整理してみました。ご参考になれば
 嬉しいです。
【ご参考】
★会津富士 向かう貴方を送るとき 湖畔の道に涼風立ちぬ
★ふと気づき お土産探す道の駅 喜ぶ母の顔を思えば


☆猫とでもやさしく話す夫の声 巣ごもりの日々に心がなごむ
                         リコさん

【解説】
 コロナ禍での外出自粛も、従来の日常では見られなかった、新たな発見もありまね。
 ご主人の猫に話しかける様子と声に優しさ見出し、「心なごむ」と詠ったリコさんの
 温かな眼差しが見える素敵な短歌と思います。なお、リコさんもおっしゃるように、
 短歌を表現するうえで「漢字と平仮名のバランス」は大事なポイントと思っています。
 特に短冊等に草書で書く場合の、ひらがなの優しい印象はいいですね。

☆パソコンの調子段々悪くなる買うか直すか妻に尋ねる
☆売る酒も断る酒も命がけウィズコロナの居酒屋店主
☆楽しみはお気に入りのジャズを聴きながらブログ投稿閲覧するとき
                         ものくろ往来さん

【解説】
 二首目の短歌は「緊急事態解除後も苦しい営業を強いられる居酒屋を思う」との
 詞書が在りましたが「売る酒も断る酒も命がけ」の表現は、今の時世の核心をついた、
 鋭い社会詠と考えます。三首目を少し整えてみました。いかがでしょうか。
【ご参考】
 ★楽しみはいつものジャズを聴きながら ブログ投稿閲覧するとき


☆夢の中 母のぬくもり 花香り 私を包み 涙こぼるる
                         Yokiさん

【解説】
 お母様が逝去された直後は、その喪失感と寂しさを抱え、その状況から中々抜け
 出せなかったと拝察します。四か月はその状況抜け出すのに必要な期間だったかも
 知れませんね。Yokiさんが、その現実を受け入れたことに、お母様も安心して
 夢の中に現れたものと考えます。
 「花香り」を具体的な「薔薇の香(か)」にして、少し手直ししてみました。
【ご参考】
 ★夢にみる 母のぬくもり 薔薇の香は 私を包み 覚めても涙

☆小鴨飛ぶ ゆらりゆらりの 波の上 夜の葦辺に 響く羽ばたき
                         オライ& kencyanさん

【解説】
 お二人による連歌ですが、上の句がオライさん、下の句がkencyanさんです。
 オライさんの印象的なモノクロ写真に掲載された俳句に、kencyanさんが下の句を
 付けたものです。
 夜の葦辺まで想像力を広げず、波の上の小鴨にフォーカスして詠んでみました。
【ご参考】
★小鴨飛ぶ ゆらりゆらりの 波の上 羽ばたき残し 闇に溶けゆく


☆秋雨に濡れつつ開く酔芙蓉 逝く夏惜しむ寂しさもまた
                         ポエット・M

【解説】
 朝、純白の花を開き、夕べに紅色に染まり散っていく、ひと日花の酔芙蓉。
 その咲く様には時の移ろいと季節の移ろいを、なによりも花の命の儚さと、
 矜持を感じます。さらに、その花が秋雨に濡れつつ開花する様には、逝く夏を
 惜しむ寂しさを、より一層感じます。そんな微妙な思いを詠んでみました。

   「純白から薄紅に染まる 酔芙蓉(八重)」

「五行詩」「痛みの変奏曲」鑑賞 (5)
2.出会い (2)

  さりげなく
   我が手は君の
    手の上に
   相合傘で
    濡れるうれしさ

     ひそやかに
      そっとキスして
       一輪の
      すみれささげん
       すみれの君に

      しとやかに
       慎み深く
        恥じらいの
       すみれの君の
        甘き情熱

    手を取りて
     我らは翔ける
      春風の
     光の中に
      舞い散るごとく

   黒髪も
    おどろに乱し
     火のごとき
    口づけかえす
     春の夜の君


   「未だ咲く 朝顔」

【短歌入門・質問コーナー】
 皆様の直近のコメント等に記された中から3点について、簡単にお答えしたいと思います。
 皆様から素朴な疑問も含めて、コメント欄にお寄せいただければ幸いです。なお、
 私の回答は、あくまでも一つの「解」でありますので、他の回答、反論、意見等も
 ありましたら、このコーナーで大いに議論して参りましょう。それが学びになれば
 嬉しいです。

【短歌の数え方】
 短歌は一首(いっしゅ)、二首(にしゅ)と数えます。 なお、俳句などと混同し
 「一句」「二句」と呼ばれる方もおりますが、これは誤りです。ちなみに、俳句や
 川柳は「一句」「二句」と数えます。 短歌の場合で「句」というのは、一首の中の
 句切れのことを指します。

【調べ・響きとは】
 前回のこのコーナーでも触れましたが、短歌は詩であり、歌でもあります。歌でも
 あるということは、散文ではなく韻文であるということです。
 「韻文である」ということを要約していえば、独自の「調べ・響き」を持っていると
 いうことです。 この「調べ・響き」はまず、5・7・5・7・7の定型に納めて
 詠めば、最低限のものは自然に生まれると考えます。

 ★散りてなお静かな笑みを湛えいる 苔にわ埋める沙羅の花々  ポエット・M
 この歌も同じように声に出して読んでみてください。何も言われなければ、
 すんなりと読める歌だなあーぐらいにしか感じないかも知れません。しかし、
 それは作者が「すんなりと読める」ように、「調べ・響き」について推敲し、
 考えた結果なのです。
 このように短歌は「意味」だけでなく「調べ・響き」について意識して詠むことで、
 作品に仕上げてゆくことが出来ると思います。よいリズム感を養うためには、
 多くの歌人の優れた作品をたくさん読んでみることをお勧めします。
 なおこの作品の「沙羅」は「さら」と読み、夏椿のことです。

【推敲(すいこう)】
 詠んだ短歌をより良くするために語句を入れ替えたり、調べを整えたり、助詞を
 直したりして、自分で考え練ることを「推敲(すいこう)」と言います。
 推敲するときのポイントとしては、先にも述べました「調べ・響き」の見直しなどが
 あげられます。さらに、文法的誤りがないかの確認も必要です。 助詞、助動詞などの
 使い方は、逐一辞書を引く癖をつけましょう。もちろんネットにも載っています。


   「今年三度目に咲いた 月下美人」

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