四季の彩り

季節の移ろい。その四季折々の彩りを、
写真とエッセーでつづって参ります。
お立ち寄り頂ければ嬉しいです。

倉敷及び、大原美術館

2016年10月20日 20時13分13秒 | お出かけ
岡山レポート第二弾です。

前々から細君が訪れたいと言っていた街の一つに、倉敷がありましたが、今回は備前焼の窯元を
訪ねた際に地理的には比較的近いこともあり、もし可能ならとの思いもありました。
たまたま長男の業務も一段落ついたこともあり、案内してもらうことが出来、細君共々ラッキーと
叫んだほどでした。



倉敷は白壁のまち、大原美術館に代表される文化と芸術の町とのイメージがありました。
窯元から山陽道をへて約50分ほどで着いた倉敷は、期待にたがわず、江戸時代天領として
栄えた商人のまちの面影をそのまま残し、白壁なまこ壁の屋敷や蔵が柳並木の倉敷川畔に沿って
続き江戸の風情を色濃く漂わせていました。


その一角にある大原美術館を訪れましたが、そのコレクションの膨大さと、質の高さに圧倒
される思いでした。

エル・グレコの『受胎告知』、ルノワールの『泉による女』、モネの『睡蓮』等、西洋美術は
言うに及ばず、エジプト・中近東美術、中国美術などを含めて展示され、さらに、
「木彫彩色女神坐像」(エジプト・プトレマイオス朝)、「一光三尊仏像」(中国・北魏)(重文)、
ロダンの「カレーの市民 ジャン・ダール」と貴重な彫刻も展示されていました。

エル・グレコ『受胎告知』(パンフレットよりお借りしました)

この美術館は実業家大原孫三郎と、収集に携わった洋画家児島虎次郎との深い信頼関係、
高い志し、さらに審美眼とによって築かれたとの印象を持ちました。

また、本町・東町界隈は、大部分が町並み保存地区に指定されて、現在も約200世帯の人々が
暮らしているとのこと。白壁や格子窓のある家々からは、ちょうど昼食時のこともあり、
さんまを焼く匂いも漂い、住む人の息づかいも聞こえてきました。

そんな町並みに溶け込むように、ギャラリーや雑貨店、デニム店、茶道家元を改築した喫茶店などが
点在し、古い歴史や文化の中に、新しいセンスやモダニズムが調和しているとの印象をもちました。
そこには、私たち世代をも包み込み心をなごませ、落ち着いて散策できる雰囲気がありました。
デニム店の続く「デニムストリート」の奥には、元星野監督の胸像もある「星野仙一記念館」が
ありました。

倉敷川畔のお店で「きび団子」を求めて屋台で頂きましたが、素朴な味で、これを食べて桃太郎と
鬼退治に向かったイヌ・サル・キジたちの心意気を改めて思い返していました。

昼食は長男が倉敷に来るとよく訪れるという天満屋の又来軒という中華レストランで、名物と
言われるもやしラーメンと炒飯のセットを頂きました。
サブメニューとして注文した餃子も含めて味は絶品で、コクがありながら、しかも爽やかさの
感じる中華料理を久しぶりに味わうことが出来ました。

こんな経緯を即興で歌ってみました。
 ☆集めたる何れの作も世を越えて 志(し)の誠をも熱く語りし(大原美術館)
 ☆こころざし秘むるも滲む大原の美術のやかた ため息の渦
 ☆倉敷の川のほとりの街並みに溶けゆく人ら柔らかな笑み

三日目は帰る日でしたが、16:20の出発であったため、岡山藩主池田光政によって開設された
日本最古の庶民学校と言われる閑谷学校(しずたにがっこう)を訪ねてみました。


 
ここは「旧閑谷学校」として特別史跡に指定され、講堂は国宝に指定されているとのこと。
元禄の時代、藩主が庶民のための学び舎を作るという、その先見性には打たれるものがありました。
講堂をはじめ学舎の屋根は備前焼の瓦で葺かれ、300年たった現在でもほとんど割れないで使用で
きているとのこと。一般の瓦が寿命60年といわれるのに対して驚くべき耐久性でもあり、備前焼の
優れた特性をここでも示していました。
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備前焼窯元へ

2016年10月17日 19時49分11秒 | お出かけ
先週末の10月15日(土)~16日(日)は岡山県備前市伊部地区において第34回備前焼まつりが開かれ、
盛大な陶器市が行われました。
備前の陶芸に取り組んでいる長男からの誘いもあり細君とともに、この前日まで勤務をやりくりし、
二泊三日で備前の窯元にお手伝いもかねて、登り窯の焚き上げを見学して参りました。


備前焼とはご存知の方も多いかと思いますが、岡山県備前市周辺を産地とする炻器で、日本六古窯の
一つに数えられ、備前市伊部地区で盛んであることから「伊部焼(いんべやき)」との別名も持つと
言われています。


当日は少し余裕をもって早めに家を出発し、羽田空港で息子と合流し10時50分発のJALで岡山空港に
向けて飛び立ちました。



出発日は良いお天気でずっと下の景色が見え、途中海ほたる、アクアラインも見えました。

無事12時10分に岡山空港に降り立ちました。
若干手狭な印象のある岡山空港ですが、とてもきれいに整備された周辺の景観と相まって岡山に来た
という実感がありました。

常に登り窯を管理されている地元の陶芸作家さんが車で迎えに来てくださり、空港から約40分で
登り窯のある別荘にたどり着き、先ずは窯を見せていただきました。

その後、作家さんの奥様が駆けつけて下さり、地元自慢のシャインマスカットも頂き、さらに
おいしいコーヒーを淹れてくれました。素敵なご夫婦で陶芸作家としての苦労話も含めて、
いろいろと話が弾みました。
その後、普段着に着替えて登り窯へ・・・。地元の作家さん3人が交代で休みなく火の管理を
されているとかで、もう2週間も薪をくべて窯を焚いていると聞きしました。

延々5時間ほどずっと窯の焚きあがる様子を見せてもらって、炎の乱舞に感激しきり。

太古の昔から私たちのDNAに刻まれてきた記憶故でしょうか、炎を見ているとなぜか和み、
とてもいい時間と感じました。窯の温度も1200度ぐらいまで焚き上げるとのこと。
私も、薪をくべるのを手伝わせてもらいましたが、炉の温度が半端でない高温のこともあり
薪一本入れるのも至難の業で、作家さんたちのご苦労な様子を肌で感じました。
細君は高温の状況もあり、危ないとことで見学のみとしました。

夕ご飯の支度で部屋に戻って、先ずはお風呂で疲れをいやしました。
地元の作家さんは火のそばを離れられないので夕食も窯の側で食べるとのこと。
窯に向かう途中で、夕食の食材を購入してきたので息子の賄で夕食となりました。
色々な食材の下準備を行い、囲炉裏の炭火で焼きました。
牛タン、牛肉とともに、最後の焼きおにぎりは絶品でした。火の番を行う作家さんに夜食を
届けてしばし焚き上げの様子を楽しみました。

翌朝、目覚めてすぐに登り窯の周辺を夫婦で散策してみました。
椎の木の森、竹林さらには柿の林に囲まれた田園風景が一面に広がりかつてのふるさとの
イメージがそのまま残されており、たまらなく懐かしく感じました。

また、細君が散策の途中で摘んできた野草を備前の焼き物に活けましたが、その野趣み
は備前焼にとっても似合っていました。

夜半に窯の温度が1200℃を越え、陶器も透き通るガラス化も見られたため、焚き上げを
完了し、窯の口は閉じられることになりました。
これから窯が冷めるのに1週間程度かかるとのこと。それから作品を取り出すとかで
その時また息子は岡山まで来ることになるとのこと。

どんな作品が仕上がるかは、取り出してみないとわからないそうでまさに仕上げは炎と
作家の格闘技との印象を持ちました。今回は1200点ほどの作品が焼かれているとのこと。

備前焼について即興で一首詠んでみました。
 ☆灼熱の炎の記憶秘むるかに 備前の放つ 深き凛々しさ

焚き上げも完了し、しばらくは登り窯での作業は無く小休止とのことで、この時間を使って
倉敷の町と大原美術館に長男が案内してくれました。これは次回でレポート・・・致します。
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再び月下美人が

2016年10月09日 09時17分09秒 | 日々の歩み
現在、時々東銀座まで通勤し勤務を続けていますが、先週末の7日、金曜日は
リオデジャネイロ五輪とパラリンピックの選手らによるパレードがオフィスの近くで
行われました。

五輪、パラリンピックの合同開催は初めてとのことで、87人のメダリストが参加し、
沿道には約80万人の方が詰めかけたようですね。たまたま勤務中であり、通り一つ
異なっていましたので、その様は見れませんでしたが熱狂のざわめきが部屋まで響いて
来ました。

土曜日には葉山に、この9月にオープンした「HAYAMA STATION」に細君と
行ってまいりました。この施設は「葉山の観光の拠点として、また憩いの場」として
作られたとのことです。出店者も「日影茶屋」「葉山旭屋牛肉店」「葉山マリーナ」等
葉山を代表するお店をはじめ、地場野菜、朝どり魚介類等々も揃いこじゃれた「道の駅」
という感じでした。




細君たちは既に息子夫婦と行ってきたとのことですが、私は初めてでしたので少し期待して
いましたが、期待にたがわずイートイン、ディスプレーも含めて素敵なお店と感じました。
ただ、各々の店の品数が少ないとの印象がありました。
関口牧場のソフトクリームを細君と分け合い食べましたが、濃厚で適度な甘さの味は現地の牧場で
味わうものと同様に美味しかったです。また、パン工房でのパンと総菜を購入して帰りましたが
いずれも美味しく頂きました。


昨夜、我が家の月下美人が7月に続き、7輪一斉に咲きました。
7月は9輪が一斉に開花しましたが、今回も一斉の開花となりました。

夕刻、葉先からシュートを伸ばし蕾を膨らませ、八時前から甘やかで雅な香りと共に、
黄金の花蕊と純白の大輪の花が開き始めました。なお、開花の時間も例年より早く
9時過ぎにはほぼ満開の状況になっていました。


日付が変わるころには早、しぼみ始めるという状況は変わらず、わずか数時間の花の命を凛々しく、
艶やかに咲き、雅な香りを部屋一面に漂わせてくれました。この花の潔さを改めて胸に刻みました。


即興で一首詠ってみました。
  ☆艶やかに咲きて香るや一夜花 月下美人の命切なく
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日々是好日

2016年10月02日 14時06分22秒 | 日々の歩み
親鸞がわずか9歳の時に詠んだと言われる和歌。
「明日ありと思う心のあだ桜 夜半に嵐の吹かんともかな」の歌意にも通じる
「日々是好日」。



これは私の座右の銘でもありますが、なかなかその通りにならない日々を
送っているのが昨今でもあります。

かつて、平々凡々、何事のさわりの無い穏やかな日々を「日々是好日」との
解釈でいた私に、「時人を待たずであり、はたして明日と言う時があるとは
限らない。この一瞬を大事にしなければ…」とある先輩に教えられたことが
蘇ります。



そんな中で、過日の同窓会で再会した同窓生に誘われ、彼の川柳の仲間に
入れて頂き、短歌とは異なった言葉に対する「おかしみ」を感じさせる
短詩型の良さを改めて感じています。
その会のお仲間の詠まれた「豪栄道の綱取りに向けて」のエールに触発され、
さらに、昨今の豊洲新市場のゴタゴタに触れ、私も初心者の「初挑戦」として
川柳、都都逸に挑戦してみました。

【川柳】
  技磨け ひいき倒しに 勝つ技も
  ほめ殺し 心むしばむ 闇もある
  クオカード 残る二円に妻の知恵
  浅草の どぜうも怒る豊洲かな
  石原氏ハンコは押すが オレ知らね
  副知事は知らぬ存ぜぬ 言えば済む
  副知事は気楽な稼業と 判を押す

【都都逸】
  かつて真田は 夢追う大地 今は遥かに 懐古の地
  誰が言ったか ダメ大関と 俺が言ったら ダメやんか
  母の涙は 見たくはないが うれし涙を 見てみたい
  男なみだは 清しいものよ 母も涙の 豪栄道



また、昨今は勤務のない日は公営温水プールでの水泳と、その間を縫って
周辺の海辺や、緑地での散歩に細君とともに出かけて諸々語らっています。
その何気ない語らいや、プールへのドライブの日々。そのひとときに
ホッコりとした和みと、豊かさを感じています。これも「日々是好日」かと…。
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