四季の彩り

季節の移ろい。その四季折々の彩りを、
写真とエッセーでつづって参ります。
お立ち寄り頂ければ嬉しいです。

肩組み歌う

2022年04月28日 16時16分12秒 | 短歌
 プーチン政権がウクライナに侵略した2月24日から2か月余が経過しています。
今、ウクライナ東部と南西部に兵力を集めて態勢を立て直したロシア軍は、新たな攻撃を
開始しています。 これからの展開がどうなるのかの予断ができませんが、可能性としては
戦争の長期化が考えられます。
 もっとも、グテレス国連事務総長は、日本時間の昨日27日未明、訪問中のモスクワで、
ロシアのプーチン大統領と会談する等、停戦に向けての交渉は断続的に行われていますが、
ロシアがウクライナと停戦合意を結ぶ可能性はかなり低いと考えます。 



 NATO諸国はウクライナへの武器供与を拡大し、直接の軍事介入をすることなくウクライナが
持ちこたえ、ロシアに反撃することを目指しています。さらに北部のブチャを象徴として
ロシア軍の虐殺、略奪、 性暴力等戦争犯罪の実態が明らかになっています。
ロシア軍が全面撤退をしない限り停戦交渉は膠着し、 戦争が長期化することになりそうです。
 また、少なくない可能性として戦争のエスカレートがあり、プーチン政権の示唆する核兵器
使用の可能性は、NATO諸国により軍事介入を拒むための威嚇と考えます。
この戦は、ウクライナからロシア国民の安全が脅かされていないにもかかわらず行われた
侵略戦争であり、軍人ではない国民の殺戮と文民施設を破壊した戦争犯罪である以上、侵略された
ウクライナ国民を世界は、見殺しにすることがあってはならないと考えます。



 大型連休を前に、新型コロナウイルス感染症も高止まりで安心・安全には程遠い状況ですが、
私たちは引き続き感染症対策の基本に則り、粛々と日々の生活を律していくことが求められていると
思っています。
 人の世の喧騒をよそに、四月初めに散り時を迎え、方々の川面に花筏を浮かべた染井吉野は、
早や葉桜の季節を迎えています。また、その後を襲い八重桜、藤の花、シャガ、さらにツツジ等々の
春の第二楽章とも言える花々が遊歩道の周辺を彩っています。鬱々とし心のふさぐ日々にあり、
そんな花々にひと時の安らぎを求め「花追い人」になるのも一興かもしれません。






 なお、夕闇に散る八重桜を眺めることが出来ました。染井吉野の潔く散る様とは趣を異にする
妖しいまでの落花の様が心に刺さりましたが、短歌に詠むには力量の不足を感じました。



  ☆八重桜 ひと日咲き満ち闇に散り 桜吹雪も妖し彩なす
  ☆春風に浮力はあれど この重き 想い曳きつつ戦況をみる
  ☆国歌でも子守歌となるウクライナ 地下壕の民 肩組み歌う


           注)「テレ朝 News」「NHK NEWS WEB」等参照
コメント (15)
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「口語短歌・水曜サロンの会」(その32)

2022年04月27日 05時25分28秒 | 短歌
「口語短歌・水曜サロンの会」(その32)   短歌の投稿を歓迎します!!

  ☆☆☆ 明るく、楽しく、和やかな短歌の交流広場を目指したいと思います。  ☆☆☆
  ☆☆☆ 「口語短歌・水曜サロンの会」は2021年9月発足以来、半年を経過しました。
       皆様のご尽力とご協力に心から感謝申し上げます。         ☆☆☆
  ☆☆☆ 緊急連絡!! 最近心無い「スパムメール」等がコメント欄に届いています。
       誠に心苦しいのですが、今後コメントは「許可制」にさせて頂きます。☆☆☆

 「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている
 皆様の詠まれた短歌を掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。

 短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、
 自由に短歌を投稿し、鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと
 思っています。皆様の短歌の投稿と、ご意見を歓迎します。

【サロンの運営について】
 運営等につきましては、末尾に記させて頂きますので宜しくお願い致します。



     「なにわ茨の花」

「ブログ友の投稿短歌 交流コーナー」

【詞書】4月12日高遠城址公園に行って来ました。快晴の中桜も満開で見事でした。
    そして今回は桜守という言葉をしりました。植樹されて130年桜守の方々が英知を
    傾けて守った桜であると実感しました。
☆桜守 受け継ぐ誇り 名誉にも 営々として 千年咲かす
                         浅間山明鏡止水(knsw0805)
【詞書】4月14日小諸城址懐古園に行って来ました。ここの見どころは何と言っても石垣と
    ソメイヨシノのマッチング、素晴らしかったです。
☆石垣と 見上げる空に 桜花 落した城に 往時を偲ぶ
                         浅間山明鏡止水(knsw0805)
【詞書】4月16日部屋の模様替えをしました、所謂「夏バージョン」です。その時に
    5月節句の兜やお人形を出して飾りました。
☆金太郎 鯉のぼり乗って 颯爽と 孫の成長 秘かに祈る
                         浅間山明鏡止水(knsw0805)

【解説】
 「高遠城址公園」「小諸城址懐古園」と、信州の桜の名所に吟行し、しっかりと
 短歌に詠まれる作者のフットワークの良さと、作歌姿勢に感動しています。
 また、「節句の兜やお人形」を飾り、お孫さんの成長を祈る「じいじ」の姿にも
 ほのぼのとした温かさを感じます。
 二首目の「落した城に」の表現が少し気になりましたので、手直ししてみましたが、
 いかがでしょうか。
 ★櫓無き苔むす石垣見上げれば 桜咲き満つ往時偲ばん

【詞書】グーグル依頼によるユーチューブのアカバンリスクとベネフィットの比較を
    阻止する対策に驚きました。このような隠ぺいは身近でも起きていました。 
    長くブログをやっていて初めての体験を含め詠いました。
☆真実は削除の彼方 塵となり 詭弁の山が さらに惑わす
                         さわやか♪さん 

【解説】
 「ネットでの添削は、とてもいいこと」と、おっしゃって頂き、心強く思います。
 なお、「アカバン=垢BAN」は、e-スポーツやネットをかなり使いこなしている方には
 一般的な用語になっていますが、このサロンに集う皆さんには馴染みのない用語かも
 知れません。すこし解説しますとアカバンとは「アカウント停止」を意味します。
 つまりネットの運用者によって、運営規約に抵触した等の理由によりアカウントを
 停止されることを言います。

 ユーチューブ等に掲載されたワクチンのリスク情報が削除され、利便性との比較検討が
 出来なくなっている状況。この隠ぺい体質への警告を詠んだ短歌と思いますが、この
 短歌の表現のみで、これらの内容を読者の方に解って頂くのは少し無理があるかと
 思います。…との提案後、ネットを介して意見交換を行い、次の通り整えました。
【推敲結果】
 ★示されし 言の葉すでに 削除され 偽り語り詭弁を弄す




【詞書】あれ程豪華絢爛に咲いた八重桜も時期がくれば、そよ風にも散っていく。
    そんな風情を詠みたかったのですが~。
    クロか?八重桜か?主人公がいまいち解り憎いかな?と思いつつ。
☆クロの背に ヒラリ舞い散る 八重桜
         そよ風うけて 足どり軽く

                         クロママさん
【詞書】アオサギを見かけ写真を撮ろうと~、気ずかれて飛んで逃げられました。
☆大塩湖 水面(みなも)に遊ぶ アオサギや
            気配を感じ 高く飛び立つ

                         クロママさん

【解説】
 愛犬クロちゃんとの散歩とふれあいの日々が、丁寧に詠まれ和やかな雰囲気の
 漂う詠歌と思います。
 一首目、「クロか?八重桜か?主人公がいまいち解り憎いかな?」との
 コメントがありましたが、八重桜をメインに据えて少し整理してみましたが、
 いかがでしょうか。
【ご参考】
 ★そよ風にひらり舞い散る八重桜
        クロの背包む 淡きくれない


☆球音の春待ちわびて新しき砂が積まれる野球場
                         『楕円と円』さん

【解説】
 訪れの遅い春を待ちわびる想いが、雪解けをまって「新しき砂が積まれる」の
 表現に、的確に詠み込まれています。
 なお、作者の、情景に対する観察眼の光る詠歌と思います。
 「北国にもようやく桜が辿り着いた」と、作者のブログに書かれていましたが、
 春はやがて北海道の大地に萌え、緑に染め上げていくものと思います。


☆たのしみは はつか大根の黑いたね 土を押し上げ 双葉になるとき
☆たのしみは 今日か明日かと豆の実の 長くなりしを今朝に見るとき
☆たのしみは 寝ぼけ眼で庭に出て くねる小さな豆を採るとき

                         shima-千恵子さん

【解説】
 蒔いた種の発芽と、双葉はそれ自体が「希望」の象徴でありますが、それが花をつけ
 実り、さらに収穫へと向かう経緯にも表現しがたい喜びがあります。
 そんな時の流れと経緯が三首の独樂吟に詠み込まれ、そこに喜びが静かに息づく詠歌です。
 短歌とは本来このような想いを詠むものと、改めて教えられました。



【詞書】惜別桜を
☆さくら花
   うつろうまでは
     しばしとて
  ともに眺めて
     ともにかたらむ

                         自閑(jikan314)さん
【短歌説明】自閑(jikan314)さん ご自身の説明です。
 blog新古今和歌集の部屋亭主自閑と号しております。
 新古今和歌集には多くの本歌取りと共に、漢詩を取った本文取りもいくつか
 撰歌されており、有名な歌として、
 白氏文集 嘉陵春夜詩不明不暗朧朧月    大江千里
 照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき
 白氏文集 蘭省花時錦帳下廬山雨夜草庵中  藤原俊成
 むかし思ふ草のいほりのよるの雨涙な添へそ山ほととぎす
 が有ります。

 愚詠は、感春 張籍の
 明年各自、東西に去らば、此の地に花を看るは是れ別人。
 です。
 同じテーマで、俳句 この櫻明日見る人は別の人 も作っております。

【解説】
 『古今集』は正岡子規の『歌よみに与ふる書』で、痛烈な批判を浴びてから一時期
 肩身の狭い想いをした時期もありましたが、批判を恐れず申し上げますと『古今集』
 から『新古今集』への時代は「短歌の完成期」でもあったと思っています。
 本歌取りや、掛詞、折り句等々短歌の技巧が精緻を極めた時代とも思っています。
 作者の『新古今集』の造詣の深さにはいつも学ばせて頂いていますが、俳句も自在に
 こなし、それらの土台の上に紡がれる口語自由律の短歌の世界観には、短歌表現の
 宏大な可能性を感じています。

 さらに今回の「惜別桜」の一首の「ともにかたらむ」は、移ろう季節の象徴でも
 ある桜と、それを眺める人の世も移ろいゆくもの、せめて桜を共に眺めるひと時を
 心ゆくまで語ろうではないか・・・と、そのように理解させて頂きました。

【詞書】今月20日に見て参りました弘前の桜を詠ってみました。
☆狂ふから見に来る人のゐることを知らず狂ひて咲くさくら花
☆咲くは裂く木の枝先から裂けて咲く花を哀れと思ひつつ見る
☆身体(しんたい)を裂きて子を生む性(さが)を持つ女のごとく桜の花は

                         水仙さん

【解説】
 「弘前城の桜」は、見事に咲き満ち、背景をなす岩木山の頂には未だ雪が残り、
 雄大な山裾を見せていたことと思います。本州の桜前線最北端の弘前の桜の見事さは
 格別で、その美しさ故に「桜に狂う」人の存在も納得できます。
 桜は新古今集の時代から、私たちの先人の体に染みつき、深層意識に埋め込まれた
 記憶であり、DNAなのかも知れません。
 一首目の「狂ふから見に来る人」の詠歌から、そんな思いが浮かびます。


☆空に向き笑むかに咲くや花水木 地上に満ちる哀しみも抱き
                         ポエット・M

【解説】
 20世紀初頭、日米の友好を願って、日本から桜がアメリカに贈られましたが、
 その返礼としてアメリカから日本に贈られたのが花水木とのことです。
 この出来事から「返礼」という花言葉が出来たようです。
 一青窈の代表曲に「ハナミズキ」がありますが、大切なひとへの想いに溢れた歌詞
 でもあります。かの「9・11アメリカ同時多発テロ事件」によって、愛する人を亡くした
 人の思いを伝える意味もこめられているそうです。
 今、ロシアのウクライナの侵略により日々無辜の民が惨殺されていますが、それぞれの方に
 家族があり、大切な人がおり、歴史があります。それが根こそぎ抹殺される現実と、
 それらを止める何の手立てを講じることの出来ない私達の無力さに、心がふさぎ哀しみが
 襲います。そんな哀しみをも包んで空を向き、ほほ笑むように咲く花水木に勇気付けられる
 想いが致します。そんな思いを詠ってみました。

 

     「空に向って咲く 花水木」

「五行詩」「痛みの変奏曲」鑑賞 (33)
 8.浅き夢みし (2)

  色は匂へど 散りぬるを 我が世誰そ 常ならむ 有為の奥山
                 今日越えて 浅き夢見し 酔ひもせず
                     『寺子屋の教科書「いろは覚え」』
  我れの名を
    かすかに呼びて
        逝く君の
     掌(て)よりこぼるる
        薔薇の十字架

     時が来て
       君の命を
         奪うのか
        小鳥のような
          君の命を

       傷ついた
         小鳥のように
           君は逝く
          十字架さえも
            掌(て)よりこぼして

     深き川
       我らの命
         越えゆかば
        まこと確かに
          カナンはありや
   
    さんさんと
      陽のふりそそぐ
        花野辺の
       浅き夢みし
         君が墓標よ




【短歌入門・質問・提案コーナー】
 この「水曜サロン」に集う皆様の直近のコメント等に記された、短歌を作るうえでのヒント、
 さらに質問、諸々の疑問点等にいて、触れていきたいと思います。
 皆様からのご提案、歌評、さらに素朴な疑問も含めて、コメント欄にお寄せいただければ幸いです。
 なお、私の「質問への回答」は、あくまでも一つの「解」でありますので、他の回答、反論、
 ご意見等もありましたら、このコーナーで大いに議論して参りましょう。
 それが学びに繋がれば嬉しいです。

【破調について】先週に引き続き掲載致します。
 破調とは短歌・俳句などの定型詩で、音数に多少が生じることを言い、字余り・字足らず
 などがあります。破調はあくまでも定型を遵守する上での例外的な措置と位置付けたいと
 思っています。
 なお、破調は、短歌会や結社によっては避けるよう指導されるところもありますが、
 一般的には広く許容されていると考えます。
 大切なことは調べ(リズム)が美しいか否かですが、名歌と呼ばれる歌歌に、極端な
 破調の歌は少ないと思っています。これは文語でも、口語でも同様と考えます。
 さらに破調でも字足らずの名歌というのは、知る限り少ないと考えています。

 例えば下記のように、字余りの名歌はかなりあり、有名な歌人でも正しく31音のみで
 詠う人は少ないと考えます。
 ・日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも     塚本邦雄(1句目)
 ・肺尖に ひとつ昼顔の 花燃ゆと告げんとしつつたわむ言葉は   岡井隆(2句目)
 ・瓶にさす藤の花ぶさ みじかければ たたみの上にとどかざりけり 正岡子規(3句目)

 しかし、字余りには以下のようないくつかの法則があります。
 ・第1句は6音7音ぐらいなら許容され、かなり多用される字余りです。
 ・第2句~第5句は1音の字余りは許容範囲です。
 ・第4句は意外と桁外れな字余りを許しますが、例歌は少ないです。
 ・いくつかの字余りが混在する例は少ないです。

 一方、字足らずの名歌は少ないのですが、以下二首を例示します。
 ・さねさし相模の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問ひし君はも  弟橘媛(1句目)
 ・あたらしき墓立つは家建つよりもはれやかにわがこころの夏至 塚本邦雄(5句目)
                      参照: 現代短歌辞典「角川書店」等

【投稿外コメント】自閑さんからのコメントです。歌友各位の参考として掲載します。
 破調について、新古今和歌集にも有名な歌が一首有りますので、ご紹介いたします。
  ☆阿耨多羅三藐三菩提の仏たちわがたつ杣に冥加あらせたまへ
 読み:あのくたら さんみゃくさんぼだいの ほとけたち わがたつそまに
    みょうがあらせたまえ

 伝教大師最澄の歌ですが、さすがに正岡子規も「九たび歌よみに与ふる書」の中で、
 「いとめでたき歌にて候。長句の用ゐ方など古今未曾有にて、これを詠みたる人も
  さすがなれど、此歌を勅撰集に加へたる勇気も称するに足るべくと存候。
  第二句十字の長句ながら成語なれば左迄口にたまらず、第五句九字にしたるは
  ことさらにもあらざるべけれど、此所はことさらにも九字位にする必要有之、
  若し七字句などを以て止めたらんには上の十字句に對して釣合取れ不申候。」
 と絶賛しております。和漢朗詠集などにも撰歌されて、我が立つ杣は、比叡山の
 異名ともなっており、天台座主の慈円も、おほけなく~の百人一首歌で
 本歌取りしております。



【運営にあたって】 注)文頭から移しました。
 (1) 投稿期間は毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
    注)投稿に当たっては、ご自身のブログのアドレス(url)も記入願います。
 (2) おひとり様 3首まで(1首でも可)コメント欄に投稿願います。
 (3) 口語短歌を基本としますが、文語混じりでも構いません。
   仮名遣いは新仮名遣いとし、旧仮名遣いは極力避けて頂ければ幸いです。
 (4) 投稿頂いた短歌は、そのまま掲載します。皆様から感想等頂ければ幸いです。
 (5) 作者名は投稿頂いたペンネーム等を、そのまま掲載します。
 (6) 掲載順序は、原則本ブログのコメント欄への到着順と致します。
 (7) 掲載された短歌の著作権は、投稿者に帰属します。
                       了
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「君へのレクイエム」嵯峨吹雪著 解説にかえて

2022年04月23日 12時37分23秒 | 短歌
「君へのレクイエム」
- 嵯峨吹雪「嵯峨哀花改め」 著 五行歌集「君へのレクイエ」の解説にかえて -


 著者の処女歌集「痛みの変奏曲」の解説を、かつて担わせて頂きましたが、ここに再び第二歌集の「君へのレクイエム」の解説を承ることになりました。「レクイエムとは」との注釈は、博学の諸兄には失礼に当たるものと拝察しますが、本書の主題を構成する背骨にも当たる為、 若干の補足を行うことをご容赦頂きたいと思います。
 レクイエムはキリスト教の典礼に用いられる「死者のためのミサ曲」から発展したものと言われています。 また、このレクイエムについて、ヴェルディ、モーツアルトと共に「三大レクイエム」の作曲者であるフォーレは、 1902年に次のような言葉を手紙に書いています。「私のレクイエム……は、死に対する恐怖感を表現していないと言われており、なかにはこの曲を死の子守歌と呼んだ人もいます」と・・・。



 嵯峨吹雪さんの著書「君へのレクイエム」は、まさに永遠の恋人「君」へ捧げた鎮魂曲であります。 また、悲痛な喪失感と深い哀しみとが、歌の行間から響いてきます。 短歌は幾たびかの歴史の過酷な波に洗われながらも、その度に深く磨かれより広く裾野を広げ、民族の詩精神をも育んできました。 短歌を生活の潤いとして、あるいは拠り所として、またその表現をつらぬく志に、命をも賭けて詠ってきた多くの市井の歌人達。 これら歌人の貴重な営みによって築かれてきた短歌の広大な裾野。
その裾野上に「君へのレクイエム」は著者の処女歌集「痛みの変奏曲」と共に、 連峰として聳え立つ可能性をも秘めています。
 全九章に及ぶ「君へのレクイエム」は一章から四章までは、文字通り「君」への挽歌という主題で占められ、 それがまた優れた相聞歌ともなっています。 著者は短歌を「詩的な形式に視覚化」するとの意図の下に、一首五句を五行書きしていますが、紙面の関係で、 著者の了解を得て一首一行書きで抄出してみました(以下同文)。


    ○ 春琴と 佐助もかくや 病む貴女に 寄り添い来たる 三歳の月日
    ○ 病む貴女よ 病は四苦の 苦と言えど 心安かれ 罪には非ず
    ○ ああ貴女よ 余命三月の 宣告を 二年五ヶ月 戦いぬけり
    ○ 深々と 降る白雪や 昏々と 永遠の眠りの 貴女が朝に
    ○ かの日から 我が胸底に 時として 痛み激しく 疼く死の棘
    ○ 君も夢 我もまぼろし ああされど この夕光の この哀しさよ




 「短歌はつきつめれば相聞と挽歌から成ると言える」と、著者はその「序文」でも述べていますが、私もこの論に賛意をおくりたいと思います。 愛し合う男と女が、死を前に残された短い生を意識しつつ純粋に己の感情をみつめ、その一瞬一瞬の燃焼に生命をも賭けた恋。 そして慟哭を呑み込み闇に涙する愛の伝説。それらが詩歌の流転に重なる人々の長い歴史を経た現代に、再び生まれ得るのでしょうか。 この問いに対する一つの回答とも言いうる挽歌、即相聞の証が
    ○ 君も夢 我もまぼろし ああされど この夕光の この哀しさよ
と詠う、これら抄出歌と、この章の歌群に溢れています。ときには甘く、ときには哀しく、 しかも感傷に堕さない確かな調べをぬって清澄な響きが伝わってきます。 文語のもつ緊張感とは趣を異にする、口語のしなやかで活きた言葉が、その響きと艶を支えています。



 五章から七章は、著者と「君」とに関る人々との交友の日々、その中で紡がれた作品で構成されています。 「君」を取り巻く背景を浮き彫りにしつつ、「君」を亡くした後に襲ってきたであろう深い喪失感と、哀しみとが歌群に滲んでいます。


○ 哀しきは 古今かわらず 山里の 卯の花曇りに 鳴く 妹背鳥
○ 男あり 独り夜半の 台所 注ぐワインの 音にて泣けり
○ 天さえも 泣けるや友の 愛妻の 出棺まぎわに 泪雨ふる
○ 繊細(デリケート)で憂愁(メランコリック)と我が歌をテレビで評す歌人教授
○ 星々の 彼方を永遠に 駆け巡れ 我が哀しみよ エコーとなりて


 生きることの危うさと、痛みと、さらに哀しみを十分に識った人間同士が求め合う、本能的とも言える連帯への志向。 人と人との出会いと永訣によって紡がれる生きる標、そして知る生の価値と重さと輝き。 これらは三十一韻律の短歌という器を長いこと満たしてきました。そしてこれからも満たし続けることでしょう。
    ○ 星々の 彼方を永遠に 駆け巡れ 我が哀しみよ エコーとなりて
と詠う、この歌を含むこれらの章は、その器の質的容量をさらに増し、現代短歌への貴重な道標となっていくものと考えます。



 八章は、著者の哲学的原点を象徴的に示す「薔薇」に関る短歌の集大成であり、「薔薇づくし」となっています。 「薔薇は花々の女王としてのみならず、形而上学的意味を付与されている」と、著者は説いていますが「一輪の薔薇もて」歩みながら、じっくり味わいたい歌群でもあります。

    ○ 薔薇なれば 花開かんと 言う君の 長き黒髪 永遠なる瞳
    ○ これが薔薇だ ここで踊れと 言うほどの 歌を詠いて 死にたきものよ
    ○ 現象は 変現すれど 本質は 永遠不滅 万能の薔薇
    ○ メドウサの 囲いの中を 一輪の 薔薇もて歩む 夢の傑作
    ○ 過ぎ去りし 薔薇なる君は 名前のみ 今も哀しく 我に残れり




 九章は著者が人生最後の師と仰ぐ埴輪雄高(本名、般若豊)の代表作「死霊」の真髄に、 短歌でアプローチするという画期的な試みを展開しています。埴輪雄高は「知の巨人」と言われる立花隆に、「埴谷は神様のような存在だったと」述懐させるほどの「存在」でもあります。
一首の完結・独立性を旨として、 三十一音律の限られた空間で詠う短歌。その表現手段をもって「人間の救いしか説かなかった」と、 キリストも釈迦をも糾弾する「死霊」の本質に迫るという試み。
 これは勇敢な挑戦とも言えますが、歌の背景と深さを把握し得ない読者の戸惑いを誘うと共に 「ラ・マンチャの男」的な危うさをも秘めていると言えます。 しかし、この著者の挑戦は埴輪雄高の胸奥に巣くう悲哀までも表出しつつ、制約された短歌表現ながら、 歌の行間に漂う暗喩も動員しつつ、埴輪文学攻略のホームランとは言えないまでも、確かなヒットエンドランを放っています。

   ○ 不合理ゆえ 吾信ずとの アフォリズム 死霊に影を 落とす一冊
   ○ 不快なる 時空や不快な 肉体を 超出せんと 死霊は呻く
   ○ 哲学で 不可能ならば 文学で カントを超えて ドフトエフスキーへ
   ○ 死者たちの 叫びがわーんと 木霊する 般若の胸よ 汝れが悲哀よ 
   ○ 死霊とは 全実体の 超越虚体 イマジナリーナンバーの イマジネイション
   ○ 精神の リレーになれる 「紅楼夢」 死霊のバトン 誰が継ぐ者ぞ
   ○ 薄暗い 己が頭蓋の 茨道 歩み出だせよ 死霊の読者


 なお、「死霊」の膨大な著作を視野に入れると、今回の試みは「死霊」文学に、短歌でアプローチする、 その端緒を開いたとも言えます。今後は著者の意欲的な挑戦により短歌の表現限界の超越と、さらなる進化を期待したいと思います。 また、「歩み出だせよ」との呼びかけにも、一人の歌人として真摯に真向かって行きたいと思っています。



 最愛の「君」の死。その理不尽さを慟哭しながらも呑み込み、呻吟しつつ受け止めた著者。 その著者が言霊と全霊とをかけて奏でた「永遠の至福の喜びに満ちた開放感」への祈りに溢れた「レクイエム」。 それは「生きて在る」ことに向けた限りない憧憬を詠い、生命の豊饒への限りない賛歌を重く、静かに奏でてもします。
 また、この「レクイエム」にはチェロの音が際立つヴェルディ「レクイエム」の華麗な調べばかりでなく、 ためらいながらも疾走するバイオリンの音にも似た哀しげな調べとが協和しつつ響きあっています。 あたかもパッヘルベルのカノンの曲のように、生命の復活と再生を促す、通奏低音を基調としたおおらかな調べが繰り返し重層的に響いてきます。 死がもたらす深い哀しみと共に、それが開放するであろうフォーレの唱える「永遠の至福」をも示唆しながら…。 
                        初稿掲載 2007年11月15日

 本文は著者と出版社との約束で、解説のネットへの掲載を保留していたものですが過日、 著者からネットへの掲載の承諾を得ましたので、歳月の経過がありますがここに掲載するものです。 なお、著書中の「解説文」の一部を手直しして掲載させて頂きました。
    嵯峨吹雪 著 五行歌集「君へのレクイエ」より転載(文責:ポエット・M) 

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「口語短歌・水曜サロンの会」(その31)

2022年04月20日 06時22分59秒 | 短歌
「口語短歌・水曜サロンの会」(その31)   短歌の投稿を歓迎します!!

  ☆☆☆ 明るく、楽しく、和やかな短歌の交流広場を目指したいと思います。  ☆☆☆
  ☆☆☆ 「口語短歌・水曜サロンの会」は2021年9月発足以来、半年を経過しました。
       皆様のご尽力とご協力に心から感謝申し上げます。         ☆☆☆
  ☆☆☆ 緊急連絡!! 最近心無い「スパムメール」等がコメント欄に届いています。
       誠に心苦しいのですが、今後コメントは「許可制」にさせて頂きます。☆☆☆


 「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている
 皆様の詠まれた短歌を掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。

 短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、
 自由に短歌を投稿し、鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと
 思っています。皆様の短歌の投稿と、ご意見を歓迎します。

【サロンの運営について】
 運営等につきましては、末尾に記させて頂きますので宜しくお願い致します。



     「咲き初める 花水木」

「ブログ友の投稿歌 交流コーナー」

【詞書】御柱祭は、諏訪地方で行われる祭です。2022年は新型コロナウイルスによる
    感染対策で、上社、下社とも氏子による曳行を断念し、4月8日トレーラーで
    無事運搬されました。氏子の気持ちを詠んでみました。
☆御柱(おんばしら) 木落しなくても 奉仕する 心ひとつに 下社山出し
                         浅間山明鏡止水(knsw0805)
【詞書】4月8日テレビニュースで飯田市杵原学校の枝垂れ桜は満開で見頃でした。
    その見事さに思わず1首詠んでみました。
☆嫋やかな 枝垂桜に 心打ち 万葉集の 世界に浸る
                         浅間山明鏡止水(knsw0805)
【詞書】4月12日高遠城址公園に行って来ました。最初、高遠で紅葉を詠んだ歌を
    Shouさんにお見せしたら、参考として絵島が入った短歌を詠まれました。
    それが物凄く強烈で、今回は散りゆくタカトウコヒガンザクラを詠んで見ました。
☆大奥の 絵島生島 両島も 散りて涙の コヒガンザクラ
                         浅間山明鏡止水(knsw0805)

【解説】
 今春の諏訪大社式年造営御柱大祭(御柱祭)で、4月の上社、下社の山出しが氏子に
 よる曳行ではなく、トレーラーなどで運搬とすることになり、4月8日に無事完了した
 とのこと。この曳行方式は「苦渋の決断」だったとのことですが、コロナ禍では
 やむを得ない決断だったと思います。
 7年前の御柱祭では、私の地元の諏訪神社でも、諏訪から氏子の皆さんが来られ曳行の
 セレモニーが行われ、私たちも少しお手伝いしました。あの氏子達の勇壮さは絵巻に
 なり、まさに心意気と共に「奉仕する 心ひとつに」ですね。
 一首目は、そんな姿が浮かぶ確かな詠歌と思います。三首目は原歌を尊重しつつ
 少し添削させて頂きましたが、いかがでしょうか。
 【ご参考】
  ★大奥の 絵島の悲恋 顕(たた)すがに 散りて涙の コヒガンザクラ


【詞書】桜の花は一見か弱そうな感じがしました。でもそれは勘違いだということが
    わかりました。満開の桜の花は触ってもひとひらの花びらも落としませんでした。
    散り始める前の桜の花はとてもパワーがあることを詠いました。
☆満開の桜の花と握手する 命溢るる逞しき花よ
                         さわやか♪さん
【詞書】どんどん桜の花が咲きだして美しい春を、私たちに見せてくれています。
    その日本の春を詠いました。
☆花よ花 桜の花よ咲きほこる 重なるほどの美しさかな
                         さわやか♪さん
【詞書】吹雪がとても綺麗です。つい花びらが近くに舞ってくると手を伸ばして
    花びらをつかまえます。掌で生まれたばかりの花吹雪のひとひらを見て
    詠いました。
☆花びらを キャッチしたての掌に 名残惜しむや ゆく年の春よ
                         さわやか♪さん

【解説】
 まさに桜一色の春爛漫を情景を詠まれていて、作者の桜に寄せる想いの深さを
 感じます。
 一首目「花と握手」、二首目「重なるほどの」、三首目「ゆく年の春」の表現を
 作者とネットで意見交換しながら推敲し、以下の歌に整えることができました。
 【推敲結果】
  ★咲き満る 桜の花に 触れ見れば 静かにもえる 命息づく 
  ★花よ花 さくらの花よ 幾重にも 咲き満つるさま 心も弾む
  ★花びらを 手に掴みおるその刹那 春の名残に 笑みも浮かぶや


「詞書」口語短歌ではいつもの文語短歌とは違う、アプローチで詠むようにしてます。
☆紫の桐の花さく
    薄っすらと汗かき歩きタンポポつつじ
☆ひらひらと名残りの桜風に舞う
    鳥のさえずり落花を誘う

                         リコさん

【解説】
 「桐の花咲く」「名残の桜」と、季節感満載の手練れた詠歌と思います。
 一首目、桐の花は凛と咲き、高所にありながらも爽やかな香りを漂わせ、その芳香にも
 雅さを感じさせます。それ故に「鳳凰の止まり木」という伝説もあるとのこと。
 この歌は散歩の一齣を詠んだものと考えますが、「桐の花」に焦点を絞り詠み込んで
 みました。以下は作者とネットで意見交換しながら推敲し、整えた詠歌です。
 【推敲結果】
  ★桐の花雅に香る
     紫の花影かすめ 鳳凰舞うや


【詞書】ひまわりは墓標  映画「ひまわり」ヘンリー・マーシーを
☆空に連なるウクライナのひまわりは
       愚かな人類への墓標

                         自閑(jikan314)さん
【短歌説明】自閑(jikan314)さんご自身の説明です。
 映画「ひまわり」は、イタリア軍がソ連軍とウクライナで戦い、従軍した行方不明の
 夫を探す妻をソフィア・ローレンが主演した1970年のもの。
 地平線まで続くひまわりの下には、多くの戦士者が眠っていると言う。
 ウクライナの戦争は、まだまだ混迷を深めており、今日も多くの兵士・市民が
 亡くなっており、戦争と言う人類の愚かさは、今も続いている。
 下記URLに音楽と映画の名場面を掲載しているので、御覧頂ければ幸いである。
 https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/727aa3fe5246d56f9888cad7332a5e86

【解説】
 映画「ひまわり」は「ブーベの恋人」と共に、私たちの世代が感涙した忘れえぬ
 映画の一つと思っています。
 特に「ひまわり」はウクライナで撮影されたこともあり、現在のロシアプーチンの
 侵略戦争の惨状と相まって、心に刺さる映画と思っています。
 映画の冒頭と、ラストに映し出されるひまわり畑の広大な広がりと、その下で眠る
 多くの兵士の存在を思うと、愚かな戦争を一刻も早く止めなければと心が逸ります。
 「愚かな人類への墓標」の句が語る、意味合いの深さを改めて心したいと思います。


【詞書】ニュースを見るのが怖い!!けれども、やはり見てしまい、心が痛みます。
☆絢爛の 桜満開 短かりし
     吹く風ともに 花の絨毯
☆長いくさ 今日も非業の 危機みまう
     情け無用の 鬼畜に劣る

                         クロママさん

【解説】
 「ニュースを見るのが怖い!!」は、今の状況では偽らざる思いですね。 
 「花の絨毯」「ウクライナ戦」を詠んだ詠歌は、旬な題材で新鮮な歌と考えます。
 一首目は情景の良く分かる詠歌で、「花の絨毯」の結句がいいですね。
 二首目は日々「筆舌に尽くせぬ残虐な人命喪失の実態」が明らかになるウクライナの現状への
 想いが、明確に詠まれています。今日も非業の死をとげる人々の無念の思いと、その存在が
 心に刺さります。
 「情け無用の」を「殺戮するは」に変えてみましたが、いかがでしょうか。
 【ご参考】
  ★長いくさ 今日も非業の 死はあまた
          殺戮するは 鬼畜に劣る




☆たのしみは テラスに雀が二羽三羽 ガラス戸越しに眺めいるとき
☆たのしみは 青い木の実を描きながら 幼きころを思い出すとき
☆たのしみは 庭の片隅突然に 見知らぬスミレ咲くを見るとき

                       shima-千恵子さん
【短歌 注釈】fumiel-shimaさんの注釈です。
 一首目の「眺めいる」について私(fumiel-shima)はちょっと不自然かな?・・
 とも思ったのですが・・・。それは「眺める」は遠くを見る、或いは広い場所を
 見渡すというようなある程度の距離を感じたときに使う言葉のような気がした
 からなのです。眺めという意味には「物思いに耽りぼんやりと見る」という意味も
 あるようですが可愛い雀を見ている状態ではどうなのでしょうか?
 解説による「直し」をお願いできましたら幸いです。

 二首目は幼いころに少し距離感があったかもしれない継父(実の父は戦死)が
 ムクロジに穴をあけて鶏の羽を3枚入れて 羽根つきの羽子をつくってくれたことを
 思い出し、黒くなったムクロジの実ではなくてもたとえ青い実であっても丸い実を
 見ると懐かしく優しかったその姿を思い出すそうです。

【解説】
 いずれの歌も、作者の優しい心根が伺える素直な良い歌と考えます。
 ・一首目の「眺めいる」についてですが、おっしゃるような意味もありますが、
  「じっと熱心に見る。見入る。」という意味もあります。従って、この表現で
  「ガラス戸越しにじっと熱心に見ている」と解釈できますので、宜しいかと思います。
 ・二首目は、幼な心に刻まれた優しかった継父との思い出。それが「青い実」を見る
  たびに思い出される。それは千恵子奥様の「心の宝」かも知れませんね。
 ・三首目の「庭の片隅突然に」の表現を、少し直してみましたが、いかがでしょうか。
 【ご参考】
  ★たのしみは 狭庭(さにわ)の隅に突然に 見知らぬスミレ咲くを見るとき


【詞書】一昨日、夫の京都の友人から山城たけのこを賜りましたので詠いました。
    この女性は、夫の小学時代の友人で、私の夫は憧れの人であったと言って
    くださいます。それをそのまま詠いました。
    また、この方は連歌のベテランで京都国文祭の時は連歌の部の選者も努められた
    方です。旧仮名遣い、文語体の歌で申し訳ありません。
☆かつてわが夫を憧れくれてゐた女性の送りくれるたけのこ
☆わたしなどよりも遥かに優秀な人に思はれゐたりし夫
☆色白く白たけのことも呼ばれゐる山城たけのこ賜りし幸

                         水仙さん

【解説】
 半世紀を越えてなお交流が続き、旬の産物を届け合うお付き合いは、ほほえましい
 限りと思います。その交流を妻の立場で見守れる作者の懐の深さも見事と感じます。
 しかも、相手の方を「遥かに優秀な人」と評価できることに、感動すら覚えます。
 「わが夫」を信頼し、愛情を育んできた歩みが窺える、確かな詠歌と思います。


☆マリウポリ灰燼と化す
   春愁は怒りともない さらに深まり

                         ポエット・M

【解説】
 この詠歌は、別のブログに掲載したものを、リコさんに添削頂き、さらにネットで
 意見交換を行い整えたものです。改めてリコさんのご支援に感謝致します。
 マリウポリは、ロシアの侵略戦争により破壊し尽くされ、まさに灰燼と化す状況で、
 建物ばかりか、市民をも標的に殺戮し尽くすロシアの在り方は戦争犯罪そのものです。
 そんなロシアへの怒りは、春愁をさらに深くしますが、そんな想いを詠んでみました。
 なお「春愁」は俳句では「春」の季語に当たり、春におぼえる愁いを言います。



     「石楠花の花」

「五行詩」「痛みの変奏曲」鑑賞 (32)
8.浅き夢みし (1)


  色は匂へど 散りぬるを 我が世誰そ 常ならむ 有為の奥山
                 今日越えて 浅き夢見じ 酔ひもせず
                     『寺子屋の教科書「いろは覚え」』
  乙女子の
    命消えゆく
       様あわれ
     術なく泣いて
        見守るばかり

     乙女子の
       死の瀬戸際に
          手にとるは
        あわれ小さき
          薔薇の十字架

       そんなにも
         君の時計は
           まわったのか
          僕が眠って
            泣いている間に

     誰れが名を
       呼ぶや乙女子
          死の淵の
        深き川波
          越えゆく刹那
   
    君と我れ
      運命(さだめ)哀しく
        別れゆく
       忘れな草を
         キスに託して




【短歌入門・質問・提案コーナー】
 この「水曜サロン」に集う皆様の直近のコメント等に記された、短歌を作るうえでのヒント、
 さらに質問、諸々の疑問点等にいて、触れていきたいと思います。
 皆様からのご提案、歌評、さらに素朴な疑問も含めて、コメント欄にお寄せいただければ幸いです。
 なお、私の「質問への回答」は、あくまでも一つの「解」でありますので、他の回答、反論、
 ご意見等もありましたら、このコーナーで大いに議論して参りましょう。
 それが学びに繋がれば嬉しいです。

【破調について】
 破調とは短歌・俳句などの定型詩で、音数に多少が生じることを言い、字余り・字足らず
 などがあります。破調はあくまでも定型を遵守する上での例外的な措置と位置付けたいと
 思っています。
 なお、破調は、短歌会や結社によっては避けるよう指導されるところもありますが、
 一般的には広く許容されていると考えます。
 大切なことは調べ(リズム)が美しいか否かですが、名歌と呼ばれる歌歌に、極端な
 破調の歌は少ないと思っています。これは文語でも、口語でも同様と考えます。
 さらに破調でも字足らずの名歌というのは、知る限り少ないと考えています。

 例えば下記のように、字余りの名歌はかなりあり、有名な歌人でも正しく31音のみで
 詠う人は少ないと考えます。
 ・日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも     塚本邦雄(1句目)
 ・肺尖に ひとつ昼顔の 花燃ゆと告げんとしつつたわむ言葉は   岡井隆(2句目)
 ・瓶にさす藤の花ぶさ みじかければ たたみの上にとどかざりけり 正岡子規(3句目)

 しかし、字余りには以下のようないくつかの法則があります。
 ・第1句は6音7音ぐらいなら許容され、かなり多用される字余りです。
 ・第2句~第5句は1音の字余りは許容範囲です。
 ・第4句は意外と桁外れな字余りを許しますが、例歌は少ないです。
 ・いくつかの字余りが混在する例は少ないです。

 一方、字足らずの名歌は少ないのですが、以下二首を例示します。
 ・さねさし相模の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問ひし君はも  弟橘媛(1句目)
 ・あたらしき墓立つは家建つよりもはれやかにわがこころの夏至 塚本邦雄(5句目)
                      参照: 現代短歌辞典「角川書店」等

【投稿外コメント】自閑さんからのコメントです。歌友各位の参考として掲載します。
 破調について、新古今和歌集にも有名な歌が一首有りますので、ご紹介いたします。
  ☆阿耨多羅三藐三菩提の仏たちわがたつ杣に冥加あらせたまへ
 読み:あのくたら さんみゃくさんぼだいの ほとけたち わがたつそまに
    みょうがあらせたまえ

 伝教大師最澄の歌ですが、さすがに正岡子規も「九たび歌よみに与ふる書」の中で、
 「いとめでたき歌にて候。長句の用ゐ方など古今未曾有にて、これを詠みたる人も
  さすがなれど、此歌を勅撰集に加へたる勇気も称するに足るべくと存候。
  第二句十字の長句ながら成語なれば左迄口にたまらず、第五句九字にしたるは
  ことさらにもあらざるべけれど、此所はことさらにも九字位にする必要有之、
  若し七字句などを以て止めたらんには上の十字句に對して釣合取れ不申候。」
 と絶賛しております。和漢朗詠集などにも撰歌されて、我が立つ杣は、比叡山の
 異名ともなっており、天台座主の慈円も、おほけなく~の百人一首歌で
 本歌取りしております。



【運営にあたって】 注)文頭から移しました。
 (1) 投稿期間は毎週水曜日から翌週火曜日17:00までと致します。
    注)投稿に当たっては、ご自身のブログのアドレス(url)も記入願います。
 (2) おひとり様 3首まで(1首でも可)コメント欄に投稿願います。
 (3) 口語短歌を基本としますが、文語混じりでも構いません。
   仮名遣いは新仮名遣いとし、旧仮名遣いは極力避けて頂ければ幸いです。
 (4) 投稿頂いた短歌は、そのまま掲載します。皆様から感想等頂ければ幸いです。
 (5) 作者名は投稿頂いたペンネーム等を、そのまま掲載します。
 (6) 掲載順序は、原則本ブログのコメント欄への到着順と致します。
 (7) 掲載された短歌の著作権は、投稿者に帰属します。
                       了
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「微力であっても無力ではない」と

2022年04月16日 21時24分06秒 | 日々の歩み
 「共同通信」の報道によると、ロシア国防省は16日、ウクライナの首都キーウ(キエフ)の
戦車工場と南部ミコライウ州の兵器修理工場を精密誘導ミサイルで新たに攻撃し破壊したと
発表したとのこと。キーウ市長は郊外で爆発があり、救急隊が現場で活動していると
通信アプリで明らかにしました。

 ロシア軍は15日にキーウ近郊をミサイル攻撃しましたが、黒海艦隊旗艦のミサイル巡洋艦
「モスクワ」の沈没への報復とみられ、再び首都を狙ったとのことです。
これらを踏まえ、停戦交渉は事実上破綻したと米研究所は分析していますが、戦闘が
激化しており、ウクライナのゼレンスキー大統領は核兵器や化学兵器による攻撃に備える
考えを示したとのことです。


     「薄紅色の花水木」

 ウクライナでは「筆舌に尽くせぬ残虐な人命喪失の実態が・・・明らかになっている」
と朝日新聞の社説でも触れられていますが・・・、プーチン大統領の蛮行による凄惨な
状況を、一日も早く止めるための国際的な統一戦線とも言える結束と、行動を
各国リーダーの英知を集め図れないものかと、もどかしさを抱えながら思っています。
私たちは、人道支援のための寄付等という、ささやかな支援しかできないもどかしさも
あります。しかし、「微力であっても無力ではない」との言葉を信じて、できうる限りの
取り組みを重ねていきたいと思っています。


     「八重桜」

 こんな想いからか、心の奥に大きな鬱々を抱えながら日々を送っていますが・・・、
薄紅色の桜の花筏。そこに移ろい行く季節の形見を見たのもつかの間、早、葉桜の季節に
なりました。異常気象と言われて久しいものの、春の到来を全身で表現するチューリップ、
つつじ、しやが、花水木をはじめとした花々はゆく春を惜しみつつ、着実に次の季節への
橋渡しを兼ねた、艶やかな新たな装いを見せつつあります。



 そんな花たちが健気に咲く様を、横須賀馬堀海岸、走水、観音崎等々でデジタルスケッチを
してみました。いずこで咲いても花の持つ命の輝きは、元気をくれるとともに和みと癒しを
感じさせてくれます。そんな輝きをありのままに受けとめられる確かな目と、心のゆとりを
養っていければと思っています。

 「悲劇だが他に選択肢がなかった」と、暴虐とも言える侵略を正当化するような独善と、
凍てつく心を、間違ってももたぬように自戒しつつ・・・。



     「シャガの花」

一首詠んでみました。
 ☆哀しみに春愁さらに増しゆくも ウクライナの民 傷なお深く

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「口語短歌・水曜サロンの会」(その30)

2022年04月13日 05時00分01秒 | 短歌
「口語短歌・水曜サロンの会」(その30)   短歌の投稿を歓迎します!!

  ☆☆☆ 明るく、楽しく、和やかな短歌の交流広場を目指したいと思います。  ☆☆☆
  ☆☆☆ 「口語短歌・水曜サロンの会」は2021年9月発足以来、半年を経過しました。
       皆様のご尽力とご協力に心から感謝申し上げます。         ☆☆☆
  ☆☆☆ 緊急連絡!! 最近心無い「スパムメール」等がコメント欄に届いています。
       誠に心苦しいのですが、今後コメントは「許可制」にさせて頂きます。☆☆☆


 「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている
 皆様の詠まれた短歌を掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。

 短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、
 自由に短歌を投稿し、鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと
 思っています。皆様の短歌の投稿と、ご意見を歓迎します。

【サロンの運営について】
 運営等につきましては、末尾に記させて頂きますので宜しくお願い致します。


     「咲き満る 大島桜」


「ブログ友の投稿歌 交流コーナー」

【詞書】全国各地で桜満開情報ですが、今年は悲惨なウクライナ情勢もあり、私の胸には
    どこかもの悲しさが去来します。
☆花吹雪 桜を愛でる 気持ちこそ あれど今年は なぜか寂しく
                         浅間山明鏡止水(knsw0805)
【詞書】4月2日日曜日NHK18時ワールドニュース、ウクライナで行われる国際コンサートが
    中止になるも有志が地下鉄ホールでコンサートを開催し感動しました。客も涙、涙です。
☆地下鉄に 音楽の調べ 鳴り渡り 涙を誘う 有志コンサート
                         浅間山明鏡止水(knsw0805)
【詞書】4月2日BSNHKで復活・加山雄三特集」をやっていました。1年9か月前に脳梗塞を患い
    過酷なリハビリを克服してのコンサートでしたが、その陰にめぐみさんの献身的な
    支えがありました。
☆若大将 復活かけての リハビリに 支えてくれた 妻への感謝
                         浅間山明鏡止水(knsw0805)

【解説】
 「花吹雪」「有志コンサート」「若大将 復活」と、今日的な旬の話題を詠んだ新鮮な
 趣を感じさせる詠歌と思います。
 一首目は春爛漫と桜が、艶やかに咲けば咲くほどに「悲惨なウクライナ情勢」が、心を
 よぎり、「なぜか寂しく」の心情になり心に沁みます。
 二首目の「地下鉄ホールでコンサート」は、改めて「音楽の力」を感じさせる感動的な
 シーンを詠んで、涙を誘います。語順と表現を少し変えてみましたがいかがでしょうか。
【ご参考】
 ★ウクライナ 地下のホールのコンサート 奏者も客も共に涙し


【詞書】いつもの散歩道を歩いていると、今シーズン初鳴きのウグイスの声は
    ホーホケキョとは程遠い、寝起きのような鳴き方を蕾を開きかけた桜の花と
    共に詠いました
☆初々し春知らせおる鶯に 目覚めの時と桜綻ぶ
                         さわやか♪さん
【詞書】近所の方が 自宅の庭に出てきたフキノトウを持って来てくださいました
    料理をするときに広がる香りを思い出し詠みました
☆早春の緑やさしや蕗の薹 友届け来る春の香りよ
                         さわやか♪さん
【詞書】国会でもワクチン接種の副反応が審議されています。多くの有志医師や専門医が
    警鐘を鳴らしていまが、マスコミ情報はあおり情報に傾くばかり。自分で調べる
    ことが今の時代は特に大切なことだと痛感しています。そのことを詠いました
☆故事成語 覆水盆に返らずと 後の祭りは命の軽視
                         さわやか♪さん

【解説】
 「初音の鶯」「蕗の薹」といずれも、早春の象徴を詠った爽やかな詠歌と思います。
 三首目の「覆水盆に返らず」は、故事成語ですので、あえて五音を用いるのは
 もったいないと思いますので、少し検討してみましょうか。
 なお、今回「覆水盆に返らず」を使ったのは「元に戻らない現象、つまり不可逆性の
 ことを真剣に検討することの大切さ」を主張したかったとのこと。
 ワクチンが人の細胞に一度取り込まれたらどうなるか、その結果について十分検証も
 無く使ってよいのかとの問題意識。この主張の緊急性は十分理解出来ます。
 この問題意識を短歌の表現空間で、納得のいくものに詠み切ることの困難さも同時に
 感じます。あえて、この表現に挑戦してみましたが、現在のワクチンに問題意識を
 持たない方に、理解して頂くことの難しさも同時に感じます。
 「ご参考」は作者とのネットによる三度にわたる検討の結果まとめたものです。
【ご参考】
 ★ワクチンは 「覆水盆に返らず」を 肝に銘じて 検討すべし




【詞書】前週に続き、放浪の旅で山口の関門海峡で詠んだ詩です。
☆壇之浦海底都眺めるは波間に浮かぶ歌詠みの詩
☆桜咲き散りゆく時を感じつつ晴れわたる空希望の詩よ
☆今をみて過去を見つめて詩を詠む
          五月の空に未来を描き

                         和輪さん

【解説】
 一首目の「壇之浦 海底都」は、壇之浦の海戦で負けを悟った二位尼(平清盛の奥方)が、
 孫の安徳天皇に「弥陀の浄土へ参りましょう。波の下にも都がございますよ」と答えて、
 ともに海に身を投じた「平家物語」を背景に詠まれた詠歌と思います。
 源平の最後の戦いである「壇ノ浦の戦い」は文字通り死闘の海戦でしたが、この史実を
 踏まえて淡々と詠まれている故に、「祇園精舎の鐘の声……」の書き出しの「歌詠みの詩」
 が哀しく響きます。


【詞書】戦争と愛 映画「戦場のピアニスト」ショパン - 夜想曲 第20番 嬰ハ短調 遺作を
☆人はどうして殺し合うまで人を愛するのか
  定めというには…

                         自閑(jikan314)さん
【短歌説明】自閑(jikan314)さんご自身の説明です。
 ロシア軍兵士、ウクライナ兵士、共に愛する家族、恋人がいて、その愛する
 者の為に戦場で戦っています。
 「戦場のピアニスト」は、2003年公開の映画で、共に音楽が好きな
 ユダヤ人とドイツ人が、廃墟のワルシャワで出会うと言う実話を元にしています。
 ショパンの美しい調べと現実の血生臭い映像の対比から、何故人は憎み合い、
 殺し合うのか?人の性(さが)を詠んでみました。
 下記URLにもう一首と共に掲載しておりますので、御覧頂ければ幸いです。
https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/9868eaa3e58000b4776c75540c81de55/?cid=25b98705961fd12dd260867ef1e7317b&st=0

【解説】
 映画「戦場のピアニスト」はエイドリアン・ブロディ主演、イギリス・フランス・ドイツ・
 ポーランドの合作映画ですが、ユダヤ系ポーランド人のピアニスト、ウワディスワフ・
 シュピルマンの体験記を映像化したものですね。
 ナチスドイツのポーランド侵攻後、ユダヤ人迫害により、強制収容所へ送られた主人公の
 ピアニストが、ピアノを弾くことで自らの人生を切り開き、戦火を逃れるというストーリーですね。
 日々報道されるウクライナの惨状と同様なシーンが展開され、ショパンの曲が「人のもつ原罪」を、
 静かに重く問いかけてきます。
 この詠歌の「定めというには…」に込められた思いを、改めて心に刻んで参りたいと思います。


【詞書】今朝、1年振りに朝の自転車散歩を始めました。物置から自転車を引っ張り出して
    葡萄棚の下を通った時に「葡萄の涙」が朝日に光って飛ぶのを見て春の息吹を感じました。
☆大雪に耐えた棚から朝陽満つ葡萄の涙春風に飛ぶ
                         『楕円と円』さん

【解説】
 葡萄は冬の間、雪の中でずっと生きていて、春になると雪解け水を吸い上げ、そして幹の先から
 水を落としますが、その雫のことを「葡萄の涙」と言うそうですね。
 まさに春の象徴とも言える現象ですが、その雫が朝日に煌めきつつ飛ぶ一瞬をとらえた詠歌は
 作者の鋭い感性故とも感じます。また、「一瞬を詠む」短歌の真骨頂とも考えます。


【詞書】先週、鹿島神宮に参りましたときに連作として詠んだものです。
☆ささやかな旅をわたしがしてる間もウクライナでは戦火やまざり
☆何をしてこんな目に遭ふウクライナ母国となせる人達の上に
☆ウクライナ・キエフの戦火も消えるべし罪なき人を泣かすなロシア

                         水仙さん

【解説】
 いずれも、ロシアによるウクライナ侵略戦争に対する女性の目線からの「戦争やめよ」の、
 やむに止まれぬ想いの籠った詠歌と思います。
 三首目の「罪なき人を泣かすなロシア」は、全世界の人々の共通する想いであり、それを
 実現できない事態への歯がゆさでもあろうと思います。
 私たちは「微力であっても無力ではない」の言葉を信じ、「停戦」へ向けての声と行動を
 たとえ微力であろうとも、あげ続けたいとおもいます。



     「咲き初める 花水木」

☆たのしみは 膨らむ蕾に光きて 今モクレンの咲くを見るとき
☆たのしみは 古希に植えたハナミズキ 伸びた小枝に花を見るとき
☆たのしみは 朝に窓あけ庭の隅 初花みつけはっとするとき

                         shima-千恵子さん

【解説】
 三首の独樂吟は、いずれも今の季節に咲き匂うモクレン、花水木、初花を感情をこめて
 丁寧に歌っていて、共感と共に好感が持てます。
 三首目の「初花」は、その季節になって最初に咲く花。また、その草木に初めて咲く花を
 言いますが、一般的には初めて咲く桜の花を指す場合が多いです。この歌の場合は
 「草木に初めて咲く花」と解釈できますが、誰しもが感じるささやかな楽しみを味わい
 深く詠っています。特に一首目の「膨らむ蕾に光きて」の表現が秀逸です。
 このような表現の在り方を、私たちも多いに学び取り入れていきたいと思います。


☆春愁を呑みてうねるや相模湾 鎌倉武士の夢も遥かに
                         ポエット・M

【解説】
 「春愁」は、俳句歳時記で「春」の季語に当たり、春におぼえる愁いを言います。
 その愁いは、第六派からうち続くコロナ感染症の高止まりであり、さらにロシアの
 ウクライナ侵略に伴う殺戮の現状に対する怒りと、それを止められない故の歯がゆさに
 起因し、増幅されたものでもあります。
 そんな思いを抱えながら、鎌倉の高台から見下ろす相模湾は、人の愁いをよそに、太古から
 続いていたであろう、ゆったりとしたうねりを見せ海鳴りが微かに響いていました。
 今、大河ドラマで旬な話題となっている「鎌倉殿の13人」。北条家が鎌倉幕府において
 最高権力を持つ「執権」となっていく過程で繰り広げられた、数々の駆け引きと、
 血みどろな闘い、さらに坂東武者の悲願等々がない交ぜとなった歴史。その物語の
 底に秘められた、あまたの武士の夢や悲哀の数々が春愁を越えて、波間から立ち
 登ってきます。そんな思いを詠んでみました。




「五行詩」「痛みの変奏曲」鑑賞 (31)
7.折々の歌 (5)


  あるおりおり、ふと心におぼえしを、・・・・
                   「建礼門院右京太夫」
  ローポジの
    カメラに写す
       人の世の
     うつろい哀し
        「東京物語」

   「赤ひげ」の
     佐八の愛の
       哀しさよ
      三日つづきの
        夢に見て泣く

       黒沢よ
         汝もついに
           老いたるか
          「乱」に密かな
             涙を流す

     あと何度
       みれば気の済む
          映画やら
        我がセルゲイの
           「イワン雷帝」

    神聖な
      獣のごとき
        絶叫か
       我がエミリーの
         「嵐が丘」は




【短歌入門・質問・提案コーナー】
 この「水曜サロン」に集う皆様の直近のコメント等に記された、短歌を作るうえでのヒント、
 さらに質問、諸々の疑問点等にいて、触れていきたいと思います。
 皆様からのご提案、歌評、さらに素朴な疑問も含めて、コメント欄にお寄せいただければ幸いです。
 なお、私の「質問への回答」は、あくまでも一つの「解」でありますので、他の回答、反論、
 ご意見等もありましたら、このコーナーで大いに議論して参りましょう。
 それが学びに繋がれば嬉しいです。

【破調について】
 破調とは短歌・俳句などの定型詩で、音数に多少が生じることを言い、字余り・字足らず
 などがあります。破調はあくまでも定型を遵守する上での例外的な措置と位置付けたいと
 思っています。
 なお、破調は、短歌会や結社によっては避けるよう指導されるところもありますが、
 一般的には広く許容されていると考えます。
 大切なことは調べ(リズム)が美しいか否かですが、名歌と呼ばれる歌歌に、極端な
 破調の歌は少ないと思っています。これは文語でも、口語でも同様と考えます。
 さらに破調でも字足らずの名歌というのは、知る限り少ないと考えています。

 例えば下記のように、字余りの名歌はかなりあり、有名な歌人でも正しく31音のみで
 詠う人は少ないと考えます。
 ・日本脱出したし 皇帝ペンギンも皇帝ペンギン飼育係りも     塚本邦雄(1句目)
 ・肺尖に ひとつ昼顔の 花燃ゆと告げんとしつつたわむ言葉は   岡井隆(2句目)
 ・瓶にさす藤の花ぶさ みじかければ たたみの上にとどかざりけり 正岡子規(3句目)

 しかし、字余りには以下のようないくつかの法則があります。
 ・第1句は6音7音ぐらいなら許容され、かなり多用される字余りです。
 ・第2句~第5句は1音の字余りは許容範囲です。
 ・第4句は意外と桁外れな字余りを許しますが、例歌は少ないです。
 ・いくつかの字余りが混在する例は少ないです。

 一方、字足らずの名歌は少ないのですが、以下二首を例示します。
 ・さねさし相模の小野に燃ゆる火の火中に立ちて問ひし君はも  弟橘媛(1句目)
 ・あたらしき墓立つは家建つよりもはれやかにわがこころの夏至 塚本邦雄(5句目)
                      参照: 現代短歌辞典「角川書店」等



【運営にあたって】 注)文頭から移しました。
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                       了
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「綜合詩歌」誌鑑賞(10)「深山桜の舞」

2022年04月08日 19時13分39秒 | 短歌

-戦時下、空白の短歌史を掘り起こす その10-
     「深山桜の舞」


 北信濃の山峡に深山桜が散っている。信濃路の遅い春を淡紅に彩る深山桜。その花の開花は長く厳しい山国の冬を耐えてきた里人の希望であり、春の象徴でもあった。未踏の山峡にあって、若葉の陰に慎ましく咲く深山桜は、楚々とした気品さえ漂わせている。そして、他の木々の芽が萌えはじめる時、咲き満ちるおごりも示さず静かにその花弁を散らせて行く。
 舞い行く花びらは、落花の気負いに遠い清々しさを湛えている。木々と山並みとが太古から
繰り返してきたであろう生命の律動。その確かな調べにおのが身を委ねた花びらは、実りへの
確かな予兆を秘めて軽やかに散っていく。


     「地元での呼び名 深山桜」

 街中に咲き誇る染井吉野の落花の様は、ひたすらに散り急ぐ美意識を駆り立てる。その気負いに満ちた落花の華麗さに比べ、深山桜の落花の清々しさは際立っている。
 かつて、戦地に赴く若者達が悲壮な決意の中で、この深山桜の落花の様に出会っていたなら、あるいは「散華」などと言う思想を拒みえたのではないか。そんな思いを抱かせるほど生命の温もりに満ちた落花の舞がそこにある。

 季節の移ろいのもつ哀しみよりも、実りへ向かう豊かさを告げ静かに舞う深山桜。その舞に導かれ遥か戦時下の五月へ、歴史を遡ってみたい。 昭和十九年五月に発行された「綜合詩歌」五月号について前号に引き続き、短歌、歌論を中心に紹介、鑑賞を行っていきたい。
 本号に作品を寄せた代表的歌人は吉植庄亮、光田作治、上林角郎、築地籐子、西村徳蔵、
野村泰三の各氏を含む十八名の方々である。
 アッツ島、ケゼリン島、さらにコット島の三度の玉砕。その報に続き、日本の制空権をも
手に入れたアメリカ軍のB29による、本土空襲で多くの死傷者を出すに至って、「決戦」の
敗色はさらに増し人々を重く覆いはじめた。



 「綜合詩歌」五月号に代表歌人として名を連ねた主要歌人の歌にも、これらの情況が色濃く反映している。熾烈さを極める戦局下、その状況に真向かいながら、なお人間としての生のあり方を表現者として見つめた歌、さらには魂から零れ落ちた先達の思いの刻まれた歌を抄出させて頂くものとする。


命生きたり                  吉野 庄亮
 現身のきびしき戦は炎なす坩堝にありて燃えのこりたる
 この十日からく保ちてありにけるわれの命に生きて間向ふ
 わが命生きてありけり高射砲来る敵機にとどろく都に

女子挺身隊                  光田 作治
 愛しさよ小机に小さく花活けてをみならしくをり機会の中にも
 火花もる眼は鋭けれうつむける背筋の暢びの未だ稚き
 戦はむ意力の冴えはその眸に散る金屑は顔てりかへす

信楽                     西村 徳蔵
 冬の日にあたたまりたる石のごと幸閑寂のなかに息づく
 まぎれなき死にの嘆きの三年経てかそかに伝ふ韻(ひびき)は澄めり
 歎異抄薦めし人のこころばせ皓々としてをりふしにほふ

暁天                     築地 藤子
 わが寝ぬるふとんの裾に月させる暁にきく爆音あはれ
 星月のいまだきらめく暁天を飛行しゐるは誰の子ならむ
 目覚むるやただに聞く爆音いさぎよしあわれ機上は寒からましを

寒村                     松本 千代二
 炭俵になひて下る山岨の斑雪を吹きてひびく風あり
 バスがあげし埃しづまる草の上茜ながれて人影もなし
 天心に寒の月ありこの村のしづけさ占めて寺の大屋根

乙女の歌                   野村 泰三
  ―愛人を戦場に送る乙女のうたへる―
 その門出は涙を見せずとちぎりしを笑顔にむかひて瞳うるみぬ
 若く生きてあはれたましひむすばれぬ戦場へ君はわれは職場へ
 生別あるひは死別となるか君を送り最後となしぬ万歳の声


 背筋の暢びに未だ稚さの残る「女子挺身隊」を、温もりに満ちた眼差しで見つめつつ詠んだ
光田作治氏の一連。恋人を戦場へ送る乙女の心情を、その乙女の思いで詠った野村氏の「乙女の歌」一連。いずれも厳しい戦時下にあってなお、感傷に溺れず生への希求そして、哀しさと歓びを、その歌の調べの底に滲ませている。



 時の文部省は、この昭和十九年五月十六日「学校工場化実施要綱」を発表した。学校を一大軍需工場とするこの要綱は、未だ稚さの残る「女子挺身隊」をも大量に動員し編成していった。そして、この編成は後の「ひめゆり部隊の悲劇」へと連なっていった。

 当月号では、今まで連載されてきた古典抄が中断された。歌論については熊谷武至が戦時下の短歌のあり方を、作歌姿勢も含めて辛口の評論を展開している。曰く「私は作者の国民としての日常を誠実につくしているものと信じている。それにも拘らず、歌の作者として誠実が
尽くされているとは信じ得ない作品があまりに多い・・・」と、歯に衣を着せぬ小気味の良い
批評が続く。文章の抜粋は紙面の関係から割愛するが、評論の姿勢、視点の鋭さには学ぶべき
多く、貴重な資料でもある。

 先月号から始まった新企画に、前田夕暮氏ら代表歌人による「題詠選歌欄」があるが、当月号は杉浦翠子氏の選で、お題は「空」であった。戦時下と言う時代の状況を色濃く滲ませた「秀作」には次の三首が選ばれている。

 ○冬晴れの空のはたてに静もるは疑居久しき雲にてありなむ   成瀬 初次
 ○ゆるゆると宙返りせり青空に大き弧描きつつ機影かがやく   直原 研一
 ○屠りし無電入り来もその機はや還り来ぬ空眺めて久し     本間 篤太郎


 社外歌人による題詠選歌の欄は、作歌技術の向上につながるばかりでなく、選者との歌を
通しての真剣勝負が可能となり貴重な試みと言える。
 当月号には、これらの企画欄、歌論と共に金井章次博士の「新たなる権利を繞る異民族統治」と題する論文を初め、村田保定、小田寛一、泉四郎、鈴木亜夫、野村泰三の各氏が論文、随筆、さらに詩論と多彩な研究成果を寄せている。

 特に、金井博士の論文は時代背景を考慮に入れても、なお、現代社会への警鐘を伴う鋭い
指摘とともに、同胞愛に満ちた温かなまなざしが行間に溢れている。この論文は次の文章で
結ばれている。「東洋の特性は社会的にも個人的にも、よく中庸と調和を得るということが
真髄である。吾々はこの点を活用してゆかねばならぬ。」


     「咲き競う 染井吉野」

 空襲機が首都圏を襲い、万を越える死傷者を出すに至って決戦が遠い太平洋上や、大陸での
ことでなく、本土での現実のものとして人々に実感されるようになった。日々熾烈さを極める
戦局の中で、一筋の光明を求めるように詠った歌。それは祈りそのものであった。そんな祈りと、底深い哀しみを滲ませた歌を投稿歌より抄出させて頂いた。


○われに似し子の面影のかなしさよ分けし命の短かかりしを    熊倉 鶏一
○飛行機を飛行機をと叫び砲陣にはてたる兵の眼がきえやらぬ   竹町 俊
○マーシャルの其の後は聴かず音絶えし帝都の表に湛へたるもの  金剛 みを
○神経の痛みに耐へて書きましし母が葉書の文字はゆがめり    久佳 史哉
○この山に再び木々の茂れるを永久に見ざらむ我い征くなり    古谷 秋良
○声もなく土に死にゆく貧農をむしろ懐かしく思ふ日のあり    小鴨 鳴秋
○ひだまりにはつはつ咲きし梅なれば湖北に散りし君に捧げむ   河本 文子
○みいくさに背を征かせて夜々馴れぬ業にいそしむ若き妻はや   田村 幸子
○悲報告ぐラジオの前に幾たびか声に立てねど吾は泣きたる    最上 陽
○征く君に悲壮のあかししらしめずかへり来しかや駅の別れ路   吉本 長子
○はろはろと汽車酔ひしつつ老母は出で征く吾を訪ひたまひき   小泉 憲寿
○わがとものみ霊を包むしらぬのの白きが沁みて目のくもりくる  飯島 浪花
○常の日と変わらぬ母や愛し子を御楯と送り思ひふかからん    下田 敬一郎


 こみ上げる哀しさ、辛さ。その思いを抑えて吾子を、夫を、そして恋人を戦場に送る。
そのかたわらに白木の箱を白衣で覆われたみ霊が帰還する現実。その現実を見つめながら慟哭とうめきを越えて紡ぎ出されたこれらの歌群。悲しみと呼ぶにはあまりに深い喪失感。慟哭は
抑えようもなく、眠れぬ夜と涙に暮れる日々を重ね、そのあとに訪れたであろう諦観。その濾過された思いの澄明さと共に、祈りを越えた重い響きがこの歌群から聴こえてくる。


     「咲き満ちる 染井吉野」

 江戸末期から明治にかけて、染井村(現在の駒込地区)の植木職人が大島桜と、エドヒガン桜の人為的な交配を行い作ったと言われる染井吉野。この花は葉も開かぬ前に花だけが咲き満ちて散ってゆく。この散り急ぐ落花の美が武士道の、また将兵のシンボルとして明治以来軍国日本の、とりわけ若者たちの思想に注入されてきた。未だ人生の開花も知らぬ若い兵士が「散るのは覚悟・・・」と悲壮な決意の中で歌い継いだ。その思いの中に咲いていた花は、染井吉野の不気味なまでの美しさではなかっただろうか。



 深山桜の温もりを感じさせる落花の舞は、日々色づく若葉への惜別と、豊かな実りへの
予兆を秘めて「しず心」で散っていく。それは、落花の美へのいかなる意味づけも空しいと
諭しているかに見える。戦時下の若者達の思いを反芻しつつ、その落下の舞を見守った。
                           了
                       初稿掲載 2008年4月20日

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「口語短歌・水曜サロンの会」(その29)

2022年04月06日 05時00分02秒 | 短歌
「口語短歌・水曜サロンの会」(その29)   短歌の投稿を歓迎します!!

  ☆☆☆ 明るく、楽しく、和やかな短歌の交流広場を目指したいと思います。  ☆☆☆
  ☆☆☆ 「口語短歌・水曜サロンの会」は2021年9月発足以来、半年を経過しました。
       皆様のご尽力とご協力に心から感謝申し上げます。         ☆☆☆
  ☆☆☆ 緊急連絡!! 最近心無い「スパムメール」等がコメント欄に届いています。
       誠に心苦しいのですが、今後コメントは「許可制」にさせて頂きます。☆☆☆


 「口語短歌・水曜サロンの会」は、このブログにお立ちより頂いている
 皆様の詠まれた短歌を掲載し、その作品の鑑賞を行うサロンです。

 短歌の初心者の方から、ベテランの方まで、所属する短歌会等を越えて、
 自由に短歌を投稿し、鑑賞しあえる「賑わいのあるサロン」を目指したいと
 思っています。皆様の短歌の投稿と、ご意見を歓迎します。

【サロンの運営について】
 運営等につきましては、末尾に記させて頂きますので宜しくお願い致します。



     「咲き競う桜 大島桜」

「ブログ友の投稿歌 交流コーナー」

【詞書】3月22日朝から午後7時頃まで雪が降りました。翌朝快晴の浅間山を眺めて
    いますと一筋の噴煙が立ち上っていました。
☆残雪の 輝く頂き 浅間山 ひと筋白く 噴煙の立つ
                         浅間山明鏡止水(knsw0805)さん
【詞書】3月26日テレビニュースで東京は千鳥ケ淵公園の桜特集をやっていました。
    昔は毎年行っていまして、東京の桜名所では一番好きな場所です。そこで
    瞬間的に2首詠みました。
☆花びらを 水面に浮かべ 花筏 お堀を淡い ピンクに染める
                         浅間山明鏡止水(knsw0805)さん
【詞書】開花時期に合わせてライトアップされる千鳥ヶ淵の桜。暗闇に浮かぶ
    夜桜が、千鳥ヶ淵を幻想的な空間に変えます。
☆暗闇に 浮かぶ夜桜 水面には 幻想的な 鏡の世界
                         浅間山明鏡止水(knsw0805)さん

【解説】
 三首の短歌は、浅間山の残雪、千鳥ヶ淵の花筏、夜桜と、今の季節の風物詩を
 詩情豊かに詠まれていて、共感を誘います。また、いずれも情景の描写が巧みです。
 二首目の「花筏」が良いですが、少し「想い」も籠めてみました。いかがでしょうか。
【ご参考】
 ★花びらで堀一面の花筏 淡紅なぜか 涙色にも


【詞書】桜は小さく咲いていつの間にか、大きく広がる感じがします。昨日とは違う
    桜の花を詠います
☆移り行く桜の花の可憐さよ 無心になりてただ眺めおる
                         さわやか♪さん
【詞書】曇りの日、雲のすき間から青い空が一瞬ですが見えてきました、桜の花はその
    青さの中で微笑んでくれた気がしました。懐かしい友を思い出したことを詠います
☆過ぎし日を 優しき色に 重ねつつ 見上げし桜 空の青さよ
                         さわやか♪さん
【詞書】桜の花色は刻々と変わっています。ウクライナの戦火やワクチン情報の偏りは
    収まりません。命の軽視はいかなる理由があるとしても許されないという思いを詠います
☆桜さえ移りし時を色彩に ただ変わらぬは人の世の罪
                         さわやか♪さん

【解説】
 開花から咲き満ち、そして鮮やかに散る桜は、一瞬とも言えるその過程で、多彩な変化を
 見せてくれます。そして、諸々の埋もれた想いや、事柄を思い出させてくれます。
 命二つを持つことのない私たちは、このかけがえのない命を抱えて生きているわけですが、
 この事実はウクライナの民も同じです。プーチンには、その事実を改めて思い知って欲しい
 とも考えます。そんな思いを込めて、これ以上「命を奪うことはやめよ」との想いを詠み
 三首目の添削を行ってみました。
 なお、「ご参考」の短歌は作者とネット上で幾たびか議論し、その結果をまとめたものです。
【ご参考】
 ★移ろいを 彩(あやど)り示す桜花 命を奪う世上哀しく


【詞書】プログを開設して4年になります。その間に日本全国の方とブログを通じて
    お仲間になれました。そのご縁に感謝して詠みました
☆ブログからご縁いただく
    昨春は見知らぬ人の安否きづかう
☆岡山のブログの友の息災を奈良のお寺の薬師に祈る

                         リコさん

【解説】
 ブログの良い点は、今まで知り得なかった遠方の方とも、距離に関わりなく、瞬時に交流
 出来ることだと思います。まさに「えにし」が時空を超えて結ばれ、私たちの日々を
 少なからず豊かにしてくれます。そこに感謝の念を感じる作者の想いが、素直に詠まれた
 詠歌と考えます。ネットのマイナス面も諸々ありますが、それは保留しこのような縁を
 大切にして参りたいと思います。
 二首目は「岡山」と「奈良」の取り合わせに物語性がありますが、薬師に祈る必然性を
 「病をかかえる友」として明示してみましたが、いかがでしょうか。
【ご参考】
 ★病もつブログの友の息災を 奈良に赴き薬師に祈る




【詞書】放浪の旅で山口の関門海峡でふと色々詩が浮かびましたので、詠んで詩を
    書いておきますね。
☆赤鳥居くぐりたびたび祈りたる平和の時をみなに幸あれ
☆まっすぐに伸びたるおもい伝われときづつく人のない世を祈り
☆巌流島眺めて詩を競いたる波の狭間に師匠の笑顔

                         和輪(warincafe2010)さん

【解説】
 「放浪の旅で山口の関門海峡でふと色々詩が浮かびました」とは、風流ですね。
 作者の、なにものにも囚われない日々の営みを憧憬を込めて、愛おしく思います。
 四首の短歌、確かに拝受いたしました。最初の三首を今回の「水曜サロン」に掲載させて頂き、
 あと一首は、次回に掲載ということでご了解頂ければと思います。
 二首目は、ロシアのウクライナ侵略戦争を背景に詠まれたお歌と、解釈させて頂きましたが、
 戦禍の下で日々傷つき、命を落とす人々の存在を想うと心が痛みます。
 一首目の「くぐりたびたび」の表現を少し変えてみましたが、いかがでしょうか。
【ご参考】
 ★赤鳥居くぐりくぐりて祈りたる 平和の今を 愛おしみつつ


【詞書】間違い マイルス・デービス  Générique (映画「死刑台のエレベーター」)を聴いて
☆雨がつづく街で独りつぶやく
   今日間違いは無かったはずだが。。。

                         自閑(jikan314)さん
【短歌説明】自閑(jikan314)さんご自身の説明です。
 YouTubeの音楽を聴いて、短歌を作っております。
 古い1958年の白黒のフランス映画の「死刑台のエレベーター」で、ジャズ・トランペッターの
 マイルス・デービスが、映画のワンシーンを見ながら即興で吹いたGénériqueと言う曲。
 完全犯罪を目論む男が、殺人を犯した後、ケアレスミスを思い出し、殺人現場に戻ると
 エレベーターに閉じ込められてしまう。
 それを、完璧に仕事をこなしているはずなのに、ケアレスミスで上手くいかない。連日の雨が
 気分を更に押し下げていると言うイメージです。有名な曲なので、マイルス・デイビスの
 イメージを下記URLで楽しんで頂き、ついでに愚詠も御覧頂ければ幸いです。
 https://blog.goo.ne.jp/jikan314/e/b981234d55071c7eaa4246a871618c49/?cid=25b98705961fd12dd260867ef1e7317b&st=0

【解説】
 「死刑台のエレベーター」は、BGMにモダンジャズを使い、ロケ撮影によるリアルな映像で
 描いたサスペンス映画です。25歳の新鋭ルイ・マル監督が1957年に発表した、ヌーベルバーグの
 先駆的作品と言われ話題になっていました。
 ジャンヌ・モローの後ろ姿や、モノクロの映像美、さらに全編で流れる「モダン・ジャズの帝王」
 マイルス・デイビスの奏でる、ジャズ音楽に魅せられる作品でもあります。その映画のすべてを
 「今日間違いは無かったはずだが。。。」の句で、表現しきった作者の描写力に脱帽です。
 短歌の真髄を学んだ想いです。


【詞書】江ノ島、横浜、三嶋と旅をしておりましたが、その折の想い等を詠んでみました。
☆関東は寒の戻りて江ノ島の夜を震へる布団重ねて
☆寒もどる三月尽の寒さには勝てず江ノ島観光やめる
☆鎌倉の観光するも諦めて小田急片瀬江ノ島を離(か)る

                         水仙さん

【解説】
 江ノ島、横浜、三嶋と旅をされたとのこと。気分転換には良かったですね。
 この時期の江の島はいいですが、折角の江の島観光も寒さで十分楽しめなかったようですね。
 そんな残念な思いが短歌から伺えます。
 ここは、本来は温かで富士山と青い海の似合う風光明媚な場所ですので、またのお訪ねを
 お勧めします。
 いずれの短歌も調べが良く、内容の良く分かる詠歌です。特に二首目の「観光やめる」に
 凝縮された想いが感じられます。

☆たのしみは 幼い笑顔のベビーカーに ふいと目が合い「にっ」と笑むとき
☆たのしみは 朝日に光る白蓮の 真白き花を眺むるひととき
☆たのしみは 孤高のごときアオサギを メガネ重ねて 其処に見るとき

                         shima-千恵子さん

【解説】
 いずれも内容の良く分かる独楽吟で、完成度の高い作品と思います。特に三首目の
 「孤高のごときアオサギを メガネ重ねて」の表現が光ります。
 なお、一首目は情景が良く分かりますが「ベビーカーに ふいと目が合い」の表現が
 少し気になりました。「幼い笑顔」と目が合って、との表現に少し変えてみましたが、
 いかがでしょうか。
【ご参考】
 ★たのしみは ベビーカーに乗る 幼子に ふいと目が合い「にっ」と笑むとき


 お訊ねの白蓮は、白い蓮の花を本来は呼んでいたようですが、白木蓮(ハクモクレン)の
 別名としても存在していますので、この表現でよろしいかと思います。
 なお、木蓮の花はハス(蓮)の花と似ており、ハスは本来水辺ですが、白木蓮は樹木の
 ハスということで「木蓮」となったとのことですね。


☆風をよび荒磯越える白波と 舞い散る桜 ふたたび空へ
                        ポエット・M

【解説】
 岬の荒磯に連なる断崖の上に山桜の群生があり、ちょうど散り時を迎えていました。
 海に向く微かな風にのり桜の花びらは舞い、群青の海とのコントラストを見事に
 演出していました。その時、荒磯を越える波しぶきとともに、桜の花びらが巻き
 上げられ、まさに一幅の名画を見る心地がしました。
 そんな様子を詠ってみましたが、自然の織り成す一瞬の現象の前に、自らの
 言語表現の未熟さと、限界を感じました。



五行詩」「痛みの変奏曲」鑑賞 (30)
7.折々の歌 (4)


   あるおりおり、ふと心におぼえしを、・・・・
                   「建礼門院右京太夫」

  君の名に
    ミスプリされし
       初校ゲラ
     コーヒー飲みて
        校正惜しむ

   カフェーにて
     キルケゴールや
       サルトルと
      君が話を
        交わす夜の夢

       万智ちゃんは
         ふいに後から
           やってきて
          はるか彼方へ
             翔けゆく人か

     クリムトの
       ダナエに君の
          裸体をば
        浮かべて愛し
           世紀末展

    哀しみの
      涙も清く
        輝けり
       愛と赦しの
         光を受けて




【短歌入門・質問・提案コーナー】
 この「水曜サロン」に集う皆様の直近のコメント等に記された、短歌を作るうえでのヒント、
 さらに質問、諸々の疑問点等にいて、触れていきたいと思います。
 皆様からのご提案、歌評、さらに素朴な疑問も含めて、コメント欄にお寄せいただければ幸いです。
 なお、私の「質問への回答」は、あくまでも一つの「解」でありますので、他の回答、反論、
 ご意見等もありましたら、このコーナーで大いに議論して参りましょう。
 それが学びに繋がれば嬉しいです。

【万葉集以降の歌集】引き続き掲載致します。
「万葉集」前回説明していますので、概要のみ記します。
 〇作成時期:奈良時代
 〇特徴:現存する日本最古の歌集(全20巻 約4500首)で、天皇から防人、農民まで
     様々な階層の人々に関わる和歌が収録されています。
     なお、元号「令和」の出典元となったのが万葉集第5巻で、そこに収録されて
     いる「梅花の歌(梅花歌三十二首并せて序)」から引用されました。

「古今和歌集」
 〇作成時期:平安時代
 〇特徴:日本最初の勅撰和歌集(天皇や上皇の勅命によって編集された和歌集)
     (全20巻 約1100首)醍醐天皇の勅命で,紀貫之らが編集。
 古今和歌集は勅命により国家の事業として和歌集を編纂する伝統を確立した作品であり、
 八代集・二十一代集の第一に数えられています。平安時代中期以降の国風文化確立にも
 大きく寄与しました。
 また、古今和歌集は仮名で書かれた仮名序と真名序の二つの序文を持ちますが、仮名序に
 よれば、醍醐天皇の勅命により万葉集に撰ばれなかった古い時代の歌から撰者たちの
 時代までの和歌を撰んで編纂し、延喜5年(905年)4月18日に奏上されました。
 ただし現存する古今和歌集には、延喜5年以降に詠まれた和歌も入れられており、
 奏覧ののちも内容に手が加えられたと見られ、実際の完成は延喜12年(912年)ごろと
 の説もあります。撰者は紀友則、紀貫之、凡河内躬恒、壬生忠岑の4人です。

「新古今和歌集」
 〇作成時期:鎌倉時代
 〇特徴:勅撰和歌集(約2000首)後鳥羽上皇の勅命で,藤原定家らが編集
 新古今和歌集は鎌倉時代初期、後鳥羽上皇の勅命によって編まれた勅撰和歌集。
 古今和歌集以後の8勅撰和歌集、いわゆる「八代集」の最後を飾っています。
 古今集を範として七代集を集大成する目的で編まれ、新興文学である連歌・今様に
 侵蝕されつつあった短歌の世界を典雅な空間に復帰させようとした歌集でもあります。
 古今以来の伝統を引き継ぎ、かつ独自の美世界を現出しました。
 「万葉」「古今」と並んで三大歌風の一である「新古今調」を作り、和歌のみならず
 後世の連歌・俳諧・謡曲に大きな影響を残しました。
                      参照: ウィキペディア日本語版 等



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満開の桜に誘われて

2022年04月02日 18時51分46秒 | 日々の歩み
 過日、満開の桜に誘われて横須賀市走水にあります「走水 水源地公園」へ細君と共に
花見に行って参りました。いつもは、この隣にある湧水を汲みに車で来るのですが、
当日は散歩を兼ねて5kmほどの道のりを徒歩で行って参りました。
この公園は、自然海岸の走水海岸に隣接し、磯の香りとともに東京湾を一望でき、桜は
染井吉野や大島桜等約150本近くあり、当日はまさに満開の状況で、ウイークデーにも
関わらずかなりの人出でした。


     「咲き競う桜 染井吉野」

 私たちも、それぞれ桜や、海、さらに花見に饗する皆さんの姿をカメラにおさめたり、
久しぶりのフカフカとして心地よい、芝生の上の散歩を楽しみました。
また、途中のスーパーで購入したお弁当を頂きのんびりとした花見のひと時を過ごす
ことが出来ました。なお、ここは海辺の公園でもありますので、トンビにしばしば食べ物を
さらわれる危険があり、所々で悲鳴が上がっていました。私たちは松の木陰に陣取り、
トンビの飛行ルートの二方向を遮断していましたから被害は特になかったです。


     「走水 水源地公園」

 青い海を眺めながら花見を楽しむ方々の楽しそうな表情を見るにつけ、このひと時でさえ
砲弾の雨の中、命の危機にさらされているウクライナの皆さんを想うと胸が締め付けられる
ように痛みます。とにかくロシアの侵略戦争をやめさせ、停戦が一刻も早やからんことを
心から祈りたいと思います。



 この水源地公園は、市内随一の桜の名所であり、昨年から都市公園として整備されています。
かつては、桜の開花期のみ開放されていた芝生広場は、今年の2月15日から開放されて、
JR横須賀駅から、馬堀海岸を経て観音崎までの遊歩道「1万メートルプロムナード」の
一部に位置しております。市としても新たなにぎわいの場としたいようです。



 また、走水水源地は、明治9年、フランス人技師ヴェルニー指揮のもと、日本の近代化が始まった
横須賀製鉄所(後の造船所)の用水として使用したことに始まる歴史ある水源地です。
一日約1,000立方メートル涌き出る水はミネラルを豊富に含み、「ヴェルニーの水」と名付けられ
美味しいことで有名です。 私たちも週一回ほど、この水をポリタンクで採取しコーヒー用として
頂いています。



 この「走水」の地名の由来は、遠く古事記の時代にさかのぼります。
古事記の記述によりますと・・・、
 日本武尊は、上総国へ軍船でいっきに渡ろうと船出されましたが、突然強い風に襲われ、
海は荒れ狂い軍船は波にもまれ進むことも戻ることもできず転覆寸前の危機に見舞われました。
その時、日本武尊に付き添ってこられた御后の弟橘媛命が「このように海が荒れ狂うのは、
海の神の荒ぶる心のなせること、尊様のお命にかえて海に入らせて下さい。」と告げ、

「さねさし さがむのおぬにもゆるひの ほなかにたちて とひしきみはも」

と、辞世の御歌を残し、海中に身を投じられました。すると、たちどころに海は凪ぎ
風は静まり日本武尊一行の軍船は水の上を走るように上総国に渡ることが出来ました。
以来、水走る「走水」と言われるようになったとのことです。


   「弟橘媛命の歌碑 ネットから拝借しました」

この日本武尊と、弟橘媛命を御祭神とする「走水神社」は、水源地の裏側の丘陵の一角に
あり、弟橘媛命の辞世の御歌の歌碑も建立されています。


コメント (12)
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