四季の彩り

季節の移ろい。その四季折々の彩りを、
写真とエッセーでつづって参ります。
お立ち寄り頂ければ嬉しいです。

新種紫陽花「汐音」

2024年06月23日 09時10分16秒 | 日々の歩み

 今回は県立観音崎公園に咲いている紫陽花の新種「汐音(しおん)」に
ついて触れてみたいと思います。

     「新種紫陽花 汐音」

 この紫陽花は、先にブログでも触れましたが…、この公園で新たに
作出され、2017年7月に命名されました。新品種は、咲き始めは白色で、
徐々に濃い紫に変わるのが特徴です。
 名前はあらかじめ公園が選んだ5つの候補から投票で「汐音」が最多で
決まったとの事。投票した方は「潮の音を聞きながら育つアジサイなので
ぴったり。字も響きもすてき」と話していたとのことです。

     「紫陽花汐音が 紫色に変わる前」

 園内にはガクアジサイや西洋アジサイなど約1万株が咲いていますが、
さらに観音崎のアジサイをアピールしようと、同園パークセンター前に
70株ほどの新品種が植えられました。

 この公園では、自生種のガクアジサイを見つつ森林浴や、うみの子とりで、
花の広場、三軒家園地、横須賀美術館をめぐるコースが人気で、約約40分程で
散策出来ます。
 なお、アジサイを眺めながら園内を歩くと、今の季節ボランティアの方が
丹精を込めて育てている山百合の群生に出会い、レンガ造りの砲台跡を
見つけたり、木陰から海が見えたり…等々の発見もあって自分なりのコースを
見つけるのも楽しみの一つです。

     「観音崎公園 花の広場」

 また、横須賀美術館の山の広場ではいろいろなアジサイが咲き、来場者の
撮影スポットになっています。皆さんも機会を作り梅雨のこの時期、観音崎
公園を訪れて見られたらいかがでしょうか。

      「白色のガクアジサイ 慰霊の想いを込めて」

 今日、6月23日は沖縄戦から79年となる「慰霊の日」です。沖縄県民の4人に
1人が命を落とした凄惨な地上戦の戦闘が終わったとされる日。沖縄県内各地が
平和への祈りに包まれるこの日。
 私達も歴史に学び、語り部の方々の胸の内から紡ぎ出される悲痛な叫びに
想いを寄せ、さらに、諸々の資料に遺された戦争の実態と記憶を胸に刻み、
「再び戦前にしない」想いを、改めて受け継いで
行きたいと思います。

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内視鏡検査へ

2024年05月12日 14時45分58秒 | 日々の歩み

 現役の時代、私は健保組合の計らいもあり、毎年人間ドックを受診し身体のチェック及び、治療等をタイムリーに行ってきました。しかし、リタイヤ後は自治体の検診プラスアルファ―等は定期的に行ってきましたが、検査項目から心もとなさも感じてきました。
 忙しさに忙殺される中で身体の不調等にも目を瞑ってきましたが、友人や、周辺の方々の近況を聞くにつけ、身体に若干の違和感もあり改めて細君とも話し合い、共々10年ぶりに大腸内視鏡検査を受けることにしました。先に細君が受診し、続いて二日後に私も受診しました。


     「ジャーマンアイリス 白紫」

 ここの病院は以前にも二度ほど受診し、その都度ポリープが見つかり、検診の際に切除して頂いた経緯があります。今回も違和感を訴え検診と、必要で有ればポリープの切除も依頼して検診に臨みました。この病院は軽く麻酔を使っての検診となりますので、辛い思いをすることなく検診から、ポリープ切除迄完了します。
 今回、細君も、私も5mmほどのポリープが見つかり、検診の際に切除して頂きました。10年もの間検診することなかったため心配していましたが、その程度の結果に終わりホッとしたところでした。

     「薔薇 湘南ファンタジー」

 経験された方はお分かりでしょうが、大腸内視鏡検査はその前段の準備も中々辛いものがありますが、結果として二人とも大過なく改めて安心したところです。友人たちの術後の辛さを伺っていた中で、この程度で済んで申し訳ない思いもしましたが、細君共々胸をなでおろして、その後しばらくは安静にして過ごしています。

     「ジャーマンアイリス 白」

 細君は、他の病院ですが、医師の診断結果から来週急遽胃カメラ検査も決まりました。これは検査結果に関わりなく手術ではなく、化学療法で対処可能と事前に医師から、私も伺っています。いずれにしても大事に至らないことを祈るのみです。
 細君は大病を患い、大きな手術を幾たびか経験していますが、何とか凌いで現在は、水泳等の好きなスポーツにも興じ、健康に過ごしています。それに引き換え、身体に一度もメスを入れたことの無い私は、健康管理に鈍感になっており、その都度注意されてしまっています。出来得れば二人とも、元気に過ごせるのが一番ですが、そのための検診も必要であれば身体チェックの一環として、嫌がらず臨んでいきたいと思っています。

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再び「あなたは虹」の曲を

2024年04月14日 09時57分18秒 | 日々の歩み

4月は旅立ちの時。多くの会社で、また学校で、新人の皆さんが大きな夢と希望を
胸に新たな「出発」を決意されたことと思います。
今日の朝日新聞の「天声人語」で、ノーベル賞作家バーナード・ショーの名言を
掲載していました。『若いときには「可能性という道路が広くどこまでもある」のを
わかってほしい』・・・と。この可能性を信じ、新人の皆さんには胸を張り自らの道を
切り開いていって欲しいと願わずにはいられません。

     「咲き満ちる 深山桜」 

一方、長く続いたコロナ禍で、その可能性を途中で打ち砕かれた多くの若者たちの
存在も少なからず生まれていることも事実です。
そんな彼らへ、少しでもエールになればと、かつて私のブログで紹介した
「あなたは虹」の曲を再度掲載したいと思います。

この曲は、私の現役時代プロジェクトや、周辺の若いメンバーたちへのエールと、
彼らには目の前にある厳しさをなんとか凌ぎ、辛くても「生きていて!」との
想いを込めた詞の一つを楽曲としたものです。この詞は、「母」の立場から
吾が子へのエールとして紡いだものです。

なお、「あなたは虹」の曲は、「ブロ友」Kenさんのご尽力、さらに、作曲・歌唱を
担って頂いたYokiさん、演奏を担って頂いた、じいじさんの懐の深さ、寛容さに
助けられ、楽曲公開の運びとなったものです。
Yokiさん、じいじさんが、それぞれユーチューブに公開しておりますので、二曲を
合わせて掲載させて頂きます。

Yokiさん歌唱
作詞:ショー・ジロー、 作曲・歌唱:Yokiさん、 演奏:じいじさん



じいじさん歌唱
作詞:ショー・ジロー、 作曲:Yokiさん、 演奏・歌唱:じいじさん


「あなたは虹」
                
 1.人の冷たい仕打ちに泣いて
   たとえひと時沈んでも
   生きていて!
   その思いは変わらない
   あなたは虹 私の希望
   ツンドラの凍てつく大地を
   切り裂いて 萌える双葉の
   たくましい
   命をあなたも宿してる
   信じてる 
   羽ばたく翼 磨いていると

 2.人の悪意に打ちのめされて
   たとえひと時倒れても
   生きていて!
   その思いは変わらない
   あなたは虹 私の希望
   水も無い砂漠の果ての
   サボテンに 芽吹き花咲く
   たくましい
   命をあなたも宿してる
   信じてる 
   羽ばたく翼 広げる時を

 3.人の酷さに傷つきながら
   たとえひと時篭っても
   生きていて!
   その思いは変わらない
   あなたは虹 私の希望
   核の火に半身焼かれた
   夾竹桃の それでも花咲く
   たくましい
   命をあなたも宿してる
   信じてる 
   翼を広げ 舞いゆくことを

   あなたは虹 私の希望
          了

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荒ぶ走水の海

2024年03月24日 18時39分08秒 | 日々の歩み

 春分の日も過ぎたのに、寒の戻りにも似た寒い日が続きましたが、
これは「花冷え」と言うとのことです。気温が上がり桜の開花時期を
迎えているにも関わらず、一時的に
気温が低くなることを指すとのこと。


      「咲き初める 椿」

 そんな日に、富士山の見える走水海岸に出向いてみました。通常ですと、
3月も
中旬を過ぎると、この海岸からはすっきりとした富士山を眺めるのは
不可能と
なりますが、当日は東京湾を隔てて眺めることができました。

     「東京湾の果てに見える冠雪の富士山」

折からの風速10mを越える強い風の中ですが、何とか白銀に覆われた
富士山の雄姿を
デジカメで撮ることができました。
 この状況を知ってか、お馴染みさんも含めて、カメラを構えた方が
海岸にはかなり
訪れていました。

     「波荒ぶ 走水海岸」

 強風にあおられ3mを越える波しぶきをあげる荒れ狂う海を見ていますと、
古事記に記された
倭建命の妃である弟橘媛の伝説が、ふっと思い浮かびます。
前にも、このブログでも
記しましたが…。

 倭建命は東国に遠征中、妻である弟橘媛を伴って走水(現在の東京湾・
浦賀水道)を渡ろうとしましたが、大嵐に遭遇しました。この危機を
救うため、弟橘媛は
「私の命を捧げ、海峡の龍神の心を鎮めましょう」と
言い、海に身を投じました。その辞世の歌が
 さねさし 相模の小野に 燃ゆる火の
           火中に立ちて 問ひし君はも
でした。
 その結果、海は鎮まり、倭建命は無事に上総国へ上陸できたと伝えられて
います。
その後、弟橘媛が髪に挿していた櫛が近くの海岸に流れ着き、
それを拾った土地の
人々は弟橘媛の遺品と知り、御陵を作って手厚く
葬ったとされています。

 これは、神話の世界の話でありますが、弟橘媛の御陵は諸々の変遷を
経て、
この走水海岸の上の丘陵の一角に「走水神社」としてまつられ、
現在に至っています。
 そんな神話の世界も、さもありなんとする荒ぶる海の様子が目の前に
広がっていました。

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気になる食堂

2024年02月11日 19時58分06秒 | 日々の歩み

 過日、冬とは思えない温かな日差しに誘われて、観音崎公園の河津桜を眺めに細君共々行って参りました。
 この公園は、本ブログでも度々触れてきましたが、東京湾に大きく突き出した観音崎の岬の上に広がる海と山の両方の魅力をあわせ持つ自然豊かな公園です。ここは、花の広場をはじめ季節の花々に彩られ、散策には適した場所でもあります。
二つの海水浴場を抱える海岸から、55m~77mの標高をもつ丘陵の頂きまで、それなりのアップダウンに富んだ散策路となっています。

     「花の広場に咲き初める 河津桜」

 花の広場の河津桜は全体には2~3分咲きという状況ですが、多くの方がカメラを構えていました。また、日頃あまり見かけないお馴染みさんとも、結構お会いすることができました。菜の花も植えられていましたが、こちらは蕾の状態が多く、開花している花は少なめでした。あいにく雲が多く日差しが射さず花の撮影には苦労しましたが、ねばりつつ何枚か撮ってきました。

     「花の広場の菜の花と河津桜」

 当日は、河津桜と菜の花が咲き始めた花の広場の撮影は早々に済ませ、丘陵を下り、横須賀美術館を経て、気になっていた食堂を目指しました。

          「横須賀美術館 前景」

ここは、以前から気になりトライしながらも、長い行列が出来ていて幾たびかあきらめた「味美食堂」という食堂でした。

     「味美食堂前景 ネットより借用しました」

 食堂の比較的空いている時間とのことで、11:00の開店に間に合わせて訪れました。食堂には開店間際に入りましたが、既に先客が二つのテーブル席を占めており、私たちはカウンター席に座りました。
 既に、アジフライも一つのみしかなく、アジ刺身定食は12:00にならないと入荷しないとのこと。アナゴ丼とアナゴフライはあるとのことでした。「値上げしました」との張り紙がありましたが、アジフライ定食、アナゴ丼、アジ刺身定食等は1200円、エビフライ定食は850円と、かなりリーズナブルな値段でした。

     「アジフライ定食」

 私はアナゴが若干苦手のためエビフライ定食を、細君はアジフライ定食をそれぞれオーダーしました。日ごろアジフライ等は積極的に食べない細君が、アジフライを一口食べるなり「美味しーい!」と言いましたので、私も少し頂きました。朝どれの新鮮なアジで、しかも揚げたてのこともあり柔らかく、とっても美味しいと感じました。アジは大アジや金アジと言った、この地のブランドアジとのことで、美味しさは納得しました。エビフライは地のものでないとの説明もありましたが、丁寧な下処理も感じられ若干の硬さはあるものの、それなりに美味しく頂きました。


     「エビフライ定食」

 採れたての魚の新鮮さと美味しさを売りとし、フレンドリーな対応に徹するお店の方々。それ故に、いつも行列が絶えない店の実態に改めて感じ入り、漁港にしっかりと根を張った心意気の感じる、このような店がいつまでも続いてほしいと思った次第です。今度は子どもたちの家族と来ようと細君と話しつつ、お店を後にしました。

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心に残る風景

2024年01月14日 09時40分16秒 | 日々の歩み

 ある冊子の求めに応じて「心に残る風景」を取りまとめてみました。
そこから抜粋し、ここに記したいと思います。

 私の心に残る風景としてまず第一に浮かぶのは・・・、
「小諸なる古城のほとり」の歌碑が建立されている、長野県小諸市にある
懐古園から眺める千曲川の景色です。
信州の大地を北に向かって蛇行しながら、ゆったりと流れるその川の雄大さと、
たたずまいは今でも鮮明に胸に焼き付いています。

 当時、住んでいた佐久市から高校のあった上田市まで約二時間をかけて
通学していました。小諸は小海線の乗換え駅で、土曜日などは途中下車して、
懐古園まで学友たちとよく散策に出向いたものでした。

 二年生となり、進路について家の経済状態も含めてかなり悩み、鬱々と
した日々が続きました。

そんなある日、土曜日で早めに帰れたこともあり一人で懐古園を訪れました。
丁度、雲水のお坊さんが歌碑の前で、草笛を奏でている場面に出会いました。
公園はまさに秋たけなわで、見事に染まった紅葉があたり一面を覆っており、
もみじ狩りの人出も多く、そこそこの賑わいでもありました。

 たまたま「藤村詩集」を図書館から借りて持っていましたので、雲水の
奏でる曲に合わせて「千曲川旅情の歌」の詩をなぞっていました。
その中に、

 ♪ 昨日もまたかくてありけり
   今日もまたかくてありなむ
   この命なにをあくせく          
   明日をのみ思ひわづらふ

の詩が目に入りました。草笛の切なくなるような響きと、その詩が
胸いっぱいに広がった瞬間でした。詩の深い意味は解らないながらも
「この命なにをあくせく」の言葉が強烈に胸に刺さったことを、今でも
鮮明に思い出します。
「一日一日を精一杯生きよう。その結果を素直に受け入れよう」と、
なぜか開き直って考えられるようになったのも、その瞬間でした。

 そんな想いで眺めた千曲川の景色。佐久平を削りながら、北へ向かって
伸びる雄大なその景観は、なぜかとっても新鮮に映り、私の行く末を暗示して
くれているかに感じました。
西に傾き始めた陽に照らされ、輝きながらゆったりと流れる千曲川は太古から
変わらぬ姿で水を湛え、田畑を潤し、多くの民人に豊穣の
実りを届けてきた
ことは言うまでもありません。そんなことすら
そ知らぬふりで滔々と流れる
川の姿は「くよくよするな」とも
言っているようでした。

 その後、自分を信じ、理系の学びを経て大手の電機会社の本社に入社し、
当時黎明期であったコンピュータのソフトウエア開発の世界にどっぷり
浸かっていきました。
 コンピュータがICT社会の中枢になっていった時代、数々のプロジェクトの
リーダーとして、寝る間も惜しみ多くの開発現場に転戦を重ねてきました。
その中で、100名を超えるSE部隊を率いてシステム開発等を担う責任者として、
厳しいながら得難い経験を積むことも出来ました。
技術者として、また、ビジネスマンとしても環境にも、同僚、先輩にも
恵まれた良き時代を過ごすことができました。

 今思えば、島崎藤村の詩に触れ、千曲川の雄大な眺め「忘れ得ぬ風景」に
勇気づけられたあの日々が、出発点であったとしみじみ思っています。

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八代亜紀さん

2024年01月10日 19時48分17秒 | 日々の歩み

 「舟唄」「雨の慕情」「愛の終着駅」などの名曲で知られ「演歌の女王」とも言われた、歌手の八代亜紀さんが、昨年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため死去していたことを、所属事務所が公式サイトで発表しました。

 デビュー当時から密やかなフアンの一人でもありましたが、改めて長年のご活躍とボランティア等々へのご尽力へ感謝を込めて、ご冥福をお祈り申し上げたいと思います。

 昨年8月28日にブルーノート東京でバースデーライブを行い、いつもと変わらない歌声で観客を魅了し、つづく9月9日には埼玉県熊谷市での公演「日野皓正クインテット」にゲストとして登場していました。その3日後の9月12日に所属事務所を通じて膠原(こうげん)病を患っていることを公表し、年内の活動を休止することが発表されていました。

 ボランティアに尽力していたことでも知られています。73年に「なみだ恋」がヒットしたことで「ヒットのお礼に恩返しがしたい」とボランティア活動をスタートされました。同年に少年院への慰問を始め、81年から女子刑務所の慰問公演を開始し、ペルーのアルベルト・フジモリ元大統領の両親が、八代さんと同じ熊本県出身という縁で、ペルーへの支援も行い、94年には学校(ヤシロアキ工業技術学校)を設立しました。

 2011年の東日本大震災の後に被災地を訪れ、体育館で寒さに震える被災者の姿を見て数千枚の畳を届け、その心遣いに涙する被災者もいたと報道されています。熊本地震の後も被災地でコンサートの開催をし続けました。得意な絵については、個展の開催を呼び掛けられた時に交通遺児の助けになるようにチャリティー絵画展にするなど、いつも助けを必要としている人々の心に寄り添っていた印象があります。


 私の現役の時代、先輩、同僚達は指揮者カラヤンが全盛の時代に青春時代をおくったこともあり、クラシックフアンが多く、演歌へのアレルギーがある方も多くいました。そんな中で八代亜紀さんのフアンを表明するのは、結構勇気のいる事でした。しかし、彼女の唄う心に沁みるような演歌には「日本で一番過酷」と言われた、コンピュータ・ソフトウェア開発業務の厳しさを忘れさせ、また、幾たびか癒される思いを味わいました。

 演歌に相当する音楽は、南米やスペイン、イタリアなど多くの国々にも存在します。南米のアルゼンチンやウルグアイのタンゴ、スペインのフラメンコ、ポルトガルのファド、イタリアのカンツォーネという音楽が有名です。いずれも大地にしっかりと根を下ろし、生活者としての苦しみや喜び、さらには人々の愛や郷愁などの感情を抒情豊かに表現する歌でもあります。

 このように、日本の演歌に相当する音楽は、それぞれの国や地域の歴史や文化を反映した音楽であり、演歌と同様に、それぞれの国の人々の心に響く音楽と考えます。
 さらに、突き詰めて言うと人々の苦しみや、哀しみ、叫びに寄り添い、その人々の表現できない深い想いを汲み取り歌ったのが、演歌の本質ではないかと勝手に解釈しております。その意味では短歌にも通じるものもあると考えています。八代さんのコンサートには細君共々幾たびか伺いましたが、その席上でよく言われる「代弁者」と言う表現が、演歌そのものの本質を表していると感じたことがあります。


 こんなことも含め、長い事八代亜紀さんのフアンでありましたが、細君も大病を患い大きな手術後のリハビリの中で、八代演歌に慰められ、勇気づけられた一人でもありました。
 また、あまり知られていない八代亜紀さんのボランティアに保護猫活動があります。たまたま中学生の孫の一人のイラストが八代さんの目に留まり、昨年3月八代さんとコラボで絵本「ちーたんとあきちゃん」を出版すると言う幸運にも恵まれました。この出版はチャリティー事業として行われ、本の収益金が保護猫活動に役立てられていると伺っています。
(出版時、孫は未だ中学生であり、マスコミ等への開示は避けたいとの配慮もあり、イラスト担当は「ひまり 14才」との表示に留めました)

 偉大な歌手でもあった八代亜紀さんですが、誰にでもフレンドリーに接し、子供達からも親しまれ、愛され「身近な友だち」を貫き通した歌手は、中々存在しないとの感慨があります。

 改めて、一フアンとして心からのご冥福をお祈りしたいと思います。

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新年始動へ

2024年01月06日 12時07分30秒 | 日々の歩み

2024年も明け、既に6日を経ています。
新年初のブログで、「甲辰」の年は「変革(転機)」や「激動」が示すように、時代が動く年となることが予測されます・・・と、申し上げました。その予測をなぞるように、当日の午後四時過ぎに最大震度7を観測した能登半島地震が発生しました。

     「三浦半島 諸磯湾からの富士山の眺望」

発生から6日目となった本日6日、報道によりますと石川県の死者は輪島市で4人増えて98人に上り、安否不明者は222人とのことです。輪島市は救助通報の内容などから、建物倒壊により人が下敷きになったとの情報が100件ほどあるとしており、自衛隊や警察が捜索を急いでいます。
亡くなられた皆様のご冥福をお祈りするとともに、安否不明者のご家族、さらに被災され避難を余儀なくされている皆様に心からのお見舞いを申し上げます。

     「白い山茶花」

現地で厳しい状況におかれている皆様の想いに寄り添うとともに、復旧・復興に向けて自身の出来る貢献を、ささやかなりとも続けて参りたいと思っています。

このような心の重い日々ではありますが、正月は子どもたちも受験期の子供を抱えたり、それぞれ身動きが出来ない状況もあり、比較的身軽な次男家族と共に、私たちが彼らの家に「お年玉」を届けに訪問し三が日があわただしく終わりました。そんな日々も過ぎ、初詣の参拝も行い、ようやく日常を取り戻しつつあります。

     「シクラメン」

まず、体力維持を兼ね温水プールでの初泳ぎと、遊歩道の散歩から始めました。初泳ぎの公営プールはいつものように、午後から出かけました。館長さんやスタッフの方々に新年のご挨拶を行い泳ぎ始めたものの、かなり空いており私たちも含めて数人と、貸し切り状態でゆったりと泳ぐことができました。初泳ぎでもあり、あまり無理をせずに1500mほどで切り上げ、水中歩行やストレッチを十分行ってきました。

     「東京湾を挟んで 横浜みなとみらいの街並み」

また、遊歩道での散歩も平年に比べ比較的気温も高く、散策には適した状況です。既に水仙の蕾も膨らみ、中にはほころび始めています。四季咲きの薔薇も冬の寒さの中しっかりと花をつけ、マチルダでしようか純白と薄紅の見事なコントラストの花を冬の日に耀かせています。また、野生化したシクラメンも小ぶりな花ながら咲き継ぎ、菜の花も陽だまりに咲き初めています。そんな花たちを眺めながらの散策はひと時の安らぎでもあります。

     「冬薔薇 マチルダ」

また、凪の海は湖さながらにどこまでも静かな海原が続き、能登半島を襲う津波の怖さを忘れさせ、それゆえ自然の秘める脅威を改めて感じさせられました。

こんな感慨を抱きながら、「甲辰」の年を歩み始めました。
本年も、お立ち寄り頂ければ幸いです。よろしくお願い致します。

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無農薬野菜を

2023年12月18日 13時11分45秒 | 日々の歩み

 今回は、日ごろ細君と通っているスイミングプールについて触れたいと思います。私は、現役を一昨年3月に終えましたが、コロナ禍もあり、それまでの生活の諸々見直しを図りました。その一環として、スポーツジムを取りやめ公営の温水プールに切り替えました。

 スポーツジム時代は、ルームラン、ウエートトレーニング、太極拳、気功、ダンス教室、さらに水泳等々殆どのコースとメニューに参加してきました。そんな中で友人もかなりでき、競うように続け、一時期体脂肪率が1けた台と言う状態も経験しました。さすがに、風邪もひきやすくなったり疲れも残るようになったため、その後はかなりセーブするようにしていました。
 さらに、スイミングプールは営業政策もあったのでしょうが、子供たちを始め各種の水泳教室が数多く開催され、純粋に泳げるコースが2~3コースと制限されゆったりと泳げない状況になりました。こんな中で、水泳を主な目的として通って来ていた友人たちも、かなりの方が公営プールへの切り替えを図ったようでした。

 私達は、三浦半島の西海岸にあります比較的新しく出来た公営の温水プールに週2~3回の頻度で通っています。ここは我が家から往復で20数キロと比較的遠いのですが、空いておりプールも綺麗で気に入っています。相模湾に沈む夕日を背にした富士山のシルエット等の眺望も素晴らしく、ドライブコースそのものも楽しみで、運転も細君と交互に行っています。

 私は、いつも1600メートル前後を目標に1時間程度泳いで帰ります。通っている間には顔見知りも出来、挨拶をしたり簡単な話はしますがお互いに名前を名乗ることはほとんどしてきませんでした。もちろんプールを社交の場として、友達を作っておしゃべりを楽しむ方も少なからず、おられるようです。喧騒を離れ、それぞれの方が、ゆったりとスイミングで過ごすひと時を持つことは身体のためばかりでなく、精神の健全維持のためにも良いのではと思っています。

 過日いつもの時間に行ったら顔見知りの方が一人泳いでいました。私たちもそれぞれのコースで泳ぎ始めました。しばらく泳いだ後、細君が「今日は空いていますね。」と声かけしたことから話が弾んで「実はミカン農園をやっていて野菜も自宅用に作っている・・・」との事でした。
 そんな会話があったことを知らずに、シャワーを浴びて車に向かおうとしたら、その方から声をかけられ「来年のミカン狩り」に備えて、その場所に案内するとのことで、その方の車について行きました。帰りの運転はいつも細君の役目なので、私は助手席に乗り込みました。同じ市内と言っても知らない場所が多く、初めての道を進んで行きミカン園の傍に止まりました。

 園の脇にあるお宅にその方は入っていき、奥様を連れて出て来られました。「突然お伺いしてすみません」と・・・ご挨拶しましたが、奥様はとても快く迎えて下さり「作った野菜が家だけでは食べきれず差し上げられるのは嬉しいことなので…」と、ご夫妻であれこれと畑から収穫して下さいました。

 大根、ニンジン、キャベツ、レタス、ブロッコリー、カリフラワー、カブ等々沢山収穫してくださり「自宅用なので無農薬で作っているのでちょっと虫がいると思います」とのこと。無農薬野菜はスーパー等では買うことできませんので嬉しい限りでしたが、事の成り行きに驚いた次第です。
 家に戻ってから早速新鮮な野菜を茹でて夕食のおかずにし、小さな人参の葉はてんぷらにしましたが美味しかったですね~。来年は是非ミカン狩りに行かせて頂ければと細君と話し合った次第です。もちろん有料で・・・。

     「頂いた無農薬野菜」

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干柿作りに

2023年12月10日 09時20分04秒 | 日々の歩み

我が家の、ささやかな秋の風物詩で恐縮ですが・・・、先月中旬のこと、細君がネットで渋柿の愛宕柿を注文し、10キロほどの柿が我が家に届きました。

     「渋柿 愛宕柿」

「今年は干柿作りに挑戦する」と細君は張り切っていましたが…。思えば昨年は、大型修繕もありベランダが使えないため断念しました。ここ何年か、我が家の秋の風物詩となっていた干柿作りが、ようやく再開されることになりました。

     「皮むきをした渋柿」

細君は、数にして30数個の大ぶりの柿の皮を手際よく、ピーラーで次々と剥いていきます。柿には生産者の方がT字の枝をきちんとつけた状態で届けてくれましたので、ひもで吊るすには便利でした。私も少しお手伝いをして2個一組で紐かけをしました。その後熱湯でさーと消毒して・・・、ベランダに吊るしました。

     「皮を剥き 吊るし柿」

その後、数日ごとに細君は柔らかくなるように優しくもんだり、カビ防止用に食用アルコールを吹きかけたりしながら仕上るのを楽しみに待ちました。
今月に入り細君は、柔らかい干柿が好きとのことで、3週間ぐらいで干すのは終了とし取り込みました。それらを冷蔵庫等に保存し、日持ちさせて長く楽しむとのこと。

     「出来上がった 干柿」

我が家の息子たちはあまり甘いものや果物を食べないのですが、干柿は美味しかったと言っていたので正月の帰省用に半分を冷凍庫に保存しました。

     「出来上がった干柿 とろとろの断面」

最近は、細君と1個を半分ずつにして頂いていますが、スイーツとしてもなかなかのものと思っています。細君はとろとろ系が好きなので満足なできのようです。もちろん私も結構好きです。

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