四季の彩り

季節の移ろい。その四季折々の彩りを、
写真とエッセーでつづって参ります。
お立ち寄り頂ければ嬉しいです。

-空白の短歌史- その2

2021年08月27日 09時40分52秒 | 短歌

-戦時下、空白の短歌史を掘り起こす- 「綜合詩歌」誌鑑賞(2)
  「夾竹桃への思い」

 熱波を伴う炎暑の下、夾竹桃が濃い紅の花を揺らしている。 「美しいけれど、たまらなく嫌いな花。なぜって、生きることを強いるから・・・」と、 遥かな青春の日の友の呟きが甦る。
 長崎での体内被曝と言う重い十字架を背負いながらも、「はんなり」の趣そのままの楚々とした女性であったその友。重い血液の病との死闘の果て夾竹桃の咲く葉月のつごもりに逝った。炎暑のもとで敢然と咲く夾竹桃は つらい生を貫こうとする者へ、無言の励ましを送っているようにも見えるが、時にはむごい鞭のようなしなやかさをもって生への希求を主張している。

 昭和史の炎暑とも言える昭和十八年八月に改巻された「綜合詩歌」誌について、 前号に引き続き九月号の鑑賞、紹介を短歌、歌論等を中心に行って行きたい。
 当月号に短歌を寄せている代表的歌人は、尾上紫舟、相馬御風、生方たつゑ、 野村泰三、泉四郎の各氏をはじめ十五名にのぼる。この中から昭和史、特に戦時下の 証言として心に留めていきたい歌、あるいは時代を超えてなお、私たちの胸に響いてくる短歌を中心に次の通り抄出した。


 飛行場   尾上 紫舟
○飛び立つ機今あるらしも野のはてを土の烟のたなびき進む
○土のはてほのかに動く機のありて大飛行場夏日まぶしも
○目を張りて仰ぎ眺めし機のかげの我に著しい今か下り来る
 こども今昔  相馬 御風
○朝な朝な喇叭を吹きて学童の足並みそろえ行く世となりぬ
○いつかしくいさましき今の世に育つ子等が行末おもはざらめや
○アッツ島に玉と砕けしますらをのその子の手紙ひらきためらふ
 焦げくさ     生方 たつゑ
○野の方にほのほのあかき野火はなち豊けき土を人らたがやす
○萌えいづるしもとのなかに泡雪のごとくかそけき花が多しも
○ゆく春に花も實ごもる草生きて霧のむすべるつゆみだしたり
 折にふれて    長谷川 冨士雄
○死に顔のあまりにしずかにありしかばその唇に乳房ふれしむ
○胸に抱く骨壷の底に音たてて骨が鳴るなり我が子の骨が
 忙日       泉 四郎
○在りなれて日々のいのちのはぐくみに妥協はなきか己いましむ
○歌よみのたれかれを知り知らでよきそのさげすみの今ははるけし
 露草の花     野村 泰三
○夢に見てさらによしなく笑む君のあるひは恋ひし露草の歌
○胸の嘆きつくづく吐きて手折りしぞ君よよく見よ露草の花
○淡淡たり水の如しと君はいふ逢ひつつあればかしかく言ふなり


 これらの歌から八十年近い時空を越えて、なお響いてくる調べの重さと、 そこに溢れる生命力を全身で感じ、摂取していきたい思いに囚われる。
 アッツ島において玉砕した武人の子の手紙を前にして、開封することをためらう思いを そのままに歌に表出した相馬氏に、人に寄せる温もりと思いの深さを感じることが出来る。時局を考慮し抑えた 表現をしつつも、なお、その思いの表現に自己の全存在をかけた勇気と共に・・・。

 時代の状況と切り結び、それとの格闘を静かに詠っている歌群。また、野村氏は戦時下にあってなお、青春の瑞々しさと、それゆえの儚さを露草に託して詠っている。 青春への賛歌として、また原則に忠実なものは、情況に最も柔軟に対応できるのだと言うことを諭すかのように・・・。

 前号ではページ数との関係から割愛させて頂いたが、私たち初学者にとって参考となる入門的歌論が本誌には数多く掲載されている。その中から一編を部分的に抜粋し歌友諸兄の参考として供したい(かな遣い、旧漢字等一部修正)。


作歌の心得                  南部 松若丸
 ・・・選歌をしていると胸のすく様な歌、模糊として意の通ぜぬ歌、意味は判然とわかるがそれだけのことで読者に感激を与えぬ歌、この三種類の区別がはっきりとする。この三者の中で真に佳い歌は勿論最初のものであり、他の二者は不完全なものであるが、 この差は何によって生ずるかという事を、作歌の立場から解剖説明して諸氏の参考に供しよう。順序として詳解の順の第一に「模糊歌」、第二に「そうですか歌」、第三に「完全に佳い歌」 を詠み得る態度へと論を進めたい。

 自分で良く出来ていると思っている歌を人に示して評を求める場合、歌を理解してもらえたら、まず歌として第一義的の目的たる相手に通ずるという点に関しては及第したのである。それがたとえ第二の「そうですか歌」であっても詠まんとする事のみの点については人に理解できたことになる。しかし相手が理解に苦しむ時がある。 理解に苦しむという程ではないが、この歌で真に読者に伝えたいのは、即ち作者の真の感動はどこにあったのか判明しないという場合が往々にある。

 かかる場合、どこにその欠点があるか、それは簡単に答え得る。即ち感動の中心点を掴んでいなかったのだ。作者はあるいは言うだろう。自分の詠わんとしていたところは立派に詠い得ていて自分では佳作と信ずると。しかし作者のこのような信念と読者の感動の中心が判然としないと言うのと、どちらが正しいのか。諸君は第三者である読者の―教養ある読者の言を信じてよい。作者は往々にして陥りやすい欠点に陥っていることに気づかないまでのことである。即ち作者が作品をあまりに近づけ過ぎていて、作品を独立した存在たらしめ、客観視し得ないために、作品の不完全さを発見出来ないでいるということである。・・・。

 これは戦時下に著された歌論の一部であるが、作家技術を含め、 学んでいくべき諸点を撞いていて、今なお新鮮でもある。ここで指摘された諸点に学びながら、私たちも「胸のすくような」心に響く歌を紡いでいけたらと改めて思った次第である。


 本誌の投稿欄である「九月詠」には211名の方が作品を寄せて、前号より数十名の増加をみせている。これらの作品から時代を越えてなお、心からの叫びが、嘆きが、 そして喜びが響き伝わってくる。そのうちの何首かを抄出したい。

 ○徒に死をたたゆるは今の世につゆ思はぬも浄きみいのち     清水 勝
 ○のびあがり伸びあがりつつ子が征きに応へて母の振りたまふ手よ 小島赤麿
 ○汽車の窓によりそひ立ちて今し征く夫の厳しき瞳にあひぬ    土井博子
 ○何事も耐へてゆかんと思ひたりとめどもあらぬ涙ぬぐひて    竹内澄江
 ○とぶらはむ言の葉もなしアッツ島ますらを二千ゆきて帰らず   木下喬夫
 ○あふれ出づる涙のごはず見送りぬ兄征く汽車のはや遠ざかる   辻垣弥太郎
 この世に生を受けて、二千の歴史をそれぞれに刻み負ってきた戦士たち。そのアッツ島における玉砕。残された妻達の、子達の、そして父母達の想い。その無念さと、嘆きを「とぶらはむ言の葉もなし」との句に表現するのみで、誰に対してもぶつけることの許されなかった戦時下の悲しみと無念の想い。その底知れない深い哀しみを、今改めてかみ締めている。


 その想いは、重い血液の病を背負いながらも、「自分と同じ辛いめに合う者をこれ以上作ってはならない。そして、ナガサキに続く原爆の被害を三度起こしてはならない」との強い思いと祈りを秘めた、行動するキリスト者でもあった友の思いに重なる。騒乱とも言える状況の学園の片隅で、声高に叫ぶことなく、核廃絶の運動に真摯に取り組みながら、死よりも惨い生をひたすらに、ひたむきに生きた友。「何十万を越える人々の死の代償として、この世に生を受けた私は、その人達の分も一分でも長く生きなければ・・・。生きることが辛いなんて言ったら、 天国へ行ったあの人達に申し訳ないわよね」との言葉と共に・・・。

 夾竹桃の花は八月に逝った、否、生きたくても生きられなかった友の、さらに、あまたの死者たちの無念と、血潮にも似た涙の結晶を思わせる深い紅色を滲ませている。
           了         (初稿 平成18年8月27日)

コメント (15)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「月下美人の香り」の曲、ユーチューブ公開

2021年08月24日 10時00分21秒 | 作詞、ユーチューブ
「月下美人の香り」
   作詞  :ショー・ジロー
   作曲&歌:yoki


先にブログでも報告させて頂きましたが、先月の満月の夜、我が家の「月下美人」が
六輪一斉に開花しました。
宵につぼみを膨らませ、夜半満開に向い、深夜1時過ぎには大輪の花を閉じ始める
文字通りの一夜花です。艶やかな純白の花弁、黄金の雄蕊と、白の雌蕊の
コントラストも見事な花でもあり、甘やかで、雅びな香りを漂わす気品に
満ちた花であります。

この花に寄せて、私の視点から何とか詞を紡いでみようという、身の程知らずの
挑戦を行い前回、ブログに掲載させて頂きました。月下美人の儚げでいながらも、
凛とした花の姿を、言葉に表し「詞」に昇華することの難しさを改めて思い
知らされました。

この詞に、ブログ友のkenさんからのご意見も頂き、さらにYokiさんからの
ご提案もあり、若干の手直しをさせて頂きました。
私の詞をもとに、素敵なオリジナル曲を3曲も作曲して頂いたYokiさんに、
今回も、お忙しい中協力して頂き、素敵な曲に仕上げて頂きました。
Yokiさんのユーチューブに、既に公開して頂きましたので、このブログにも
掲載させて頂きます。


「月下美人の香り」
   作詞  :ショー・ジロー
   作曲&歌:yoki

 画像をクリックしますと「Youtube」を視聴できます。



1.
 宵闇に ひらきはじめた   月下美人  
 甘い香りを漂わせ   一夜限りの命としらず  
 闇にのびゆく花びらは   炎のように揺れている   
 憂いもつ君に君に似て   その刹那に命を燃やす
2.
 花びらの 白さ際立つ   月下美人  
 雅な香り漂わせ   一夜限りの夢に酔う  
 闇を切り裂く花びらは   炎のように燃えている   
 儚さは君に君に似て   その刹那に命を燃やす
3.
 花びらが 耀き放つ   月下美人  
 深い香りを漂わせ   一夜限りのものがたり
 闇を照らせる花びらは   炎のように 凛として   
 気高さは君に君に似て   その刹那に命を燃やす

******************************
月下美人の花言葉は「艶やかな美人」「はかない恋」だそうです。
コメント (16)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

譲れぬ誇り

2021年08月22日 13時14分24秒 | 日々の歩み
政府は20日、新型コロナウイルスの感染急拡大を受け、その対策として東京など6都府県に発令中の
緊急事態宣言の対象地域に、茨城、栃木、群馬、静岡、京都、兵庫、福岡の7府県を追加しました。
宮城、岡山など10県には、「まん延防止等重点措置」を適用し、いずれも期間は9月12日までと
しました。人流の抑制を中心に対策を強化する意向とのことです。

   「むくげ 八重」

 新型コロナウイルスの感染爆発で自宅療養者が全国で約9万7千人に上り、東京、埼玉、千葉、
神奈川の首都圏4都県で7月以降、少なくとも18人が自宅療養中に亡くなっていたことが確認されています。
50代以下が9人で半数を占め、8月に入って15人と急増し、各地で病床が逼迫し、
入院して治療を受けることが困難になっており、自宅療養者の急変へのケアが急務となっています。
まさに、医療崩壊が現実の状況となっています。
なお、現在のような感染急拡大が長期化すれば、治療薬や頼みのワクチン接種の効果も帳消しと
なりかねない状況であり、政府分科会の尾身茂会長は「ワクチンや抗体カクテル療法だけでは
乗り越えられない」と訴えています。

   「酔芙蓉 一重」


   「横須賀の街並み」

私たちの身近にも、中等症レベルにも関わらず、入院が叶わず自宅療養を強いられ
重症化する事例もあり、「明日は我が身」が現実的になりつつあります。
このような中で、私の住む地域では夏祭りをはじめ、夏の恒例イベントは全て中止となり、
さらに、不要不急の外出自粛圧力が強化されるつつあります。
しかし、散歩に行く海辺の公園の駐車場には都内からの車があまたみられ
「県境を越えて・・・」との、さる御方の言葉が虚ろに響いてきます。

   「宗旦むくげ」


   「ノウゼンカズラ」

緊急事態宣言下で、公営のプールもすべて閉鎖され、体力維持や気分転換の選択肢は
散歩、ジョギング、スクワット等限られてきました。そんな中で、散歩で行く公園や、
遊歩道では芙蓉、ムクゲ、百日紅等、夏の花が、コロナ禍をよそに今は盛りと咲き競っています。


   「酔芙蓉 一重」


   「酔芙蓉 八重」


   「花咲く遊歩道」

また、そんな日々の徒然に詠み貯めた短歌を、統一感無きままに掲載させて頂きます。

 ☆夏雲と猛き日差しはロナ禍に 負けじとさらに勢いを増し
 ☆寂として 空蝉幹にとまりいる 土に埋もるる歴史もとどめ
 ☆駒草を 恋い峰を恋う コロナ禍の 巣ごもりの日に 募る思いも
 ☆谷戸の風 ひまわり揺らし海に抜け コロナ禍の鬱ともに連れゆく
 ☆籠り居の路地に響ける蝉しぐれ 短き命の絶唱と聞く
 ☆風鈴の音色響ける軒下に 「疫病退散」短冊揺れる
 ☆サルスベリ咲き継ぎつつも実も成して 花のみならぬ 強さ秘めもつ 
 ☆流星は森から海へ尾を曳きて 闇の重さに引き込まれゆく
 ☆むくげ花 炎暑に楚々と咲きいるも 病む孫にさえ会えぬコロナ禍
 ☆空蝉に温もりありや夕映えに 掴む爪さえ放つ耀き
 ☆炎暑にもヒグラシは鳴き夕暮れに 風誘うがにいよいよ響き

   「百日紅 淡紅色」

 ☆潮騒が微かに響く夕暮れに 炎暑の名残り石畳にも
 ☆青りんご葉陰に実るふる里を 遥か思えり青果市場に
 ☆空蝉の数もあまたに蝉しぐれ 相手出合えぬ絶唱もして
 ☆うち続く雨上がりにはヒグラシも 急ぎて鳴くも哀しみ誘い
 ☆合歓の木に淡々咲きし花に降る 雨を想えり ビル打つ雨に
 ☆酔芙蓉 朝の光に生まるるや白き花弁も 耀き初める
 ☆酔芙蓉 陽の傾きを察してか 花びら染めて 音無く閉じる
 ☆かなかなは大樹の梢に鳴きいるか 姿見えねど哀切もまた
 ☆夏蝶は花より出でて花に舞う ひと日の花の蜜求めゆく
 ☆老木に五匹かたまり蝉しぐれ 逝く夏惜しむ命の絶唱
 ☆月下美人 暁闇みつめ閉じゆくも 残り香みやびに漂よい止まず

   「酔芙蓉 一重」

 ☆「みるく世」を創ると謳う沖縄の 少女の決意我ら継ぐべし
 ☆遅咲きと言われしスイマー大橋の 五輪舞台に咲くや大輪
 ☆五年もの己に課したる研鑽も 無念の落下 王者内村
 ☆打者投手 矛盾もたずに凌ぎいる 大谷選手地平拓くや
 ☆勝どきとWe are Hong Kong 響きいる 譲れぬ誇り五輪の場でも
 ☆台風下警報級の雨も降り 温暖化さえ列島襲う
 ☆生かされし水におびえる列島の 弱き穴突く「線状降水帯」
 ☆虚ろなる目をして読みし挨拶も 読み飛ばしして気づかぬままに
 ☆コロナ禍と水におびえる列島に 失政さらに追い打ちかける
 ☆リトルボーイ 一つはじけて二十万 命と人生未だに奪い


   「咲き初めるコスモス 白色」
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

-空白の短歌史-「綜合詩歌」誌鑑賞(1)

2021年08月15日 07時35分33秒 | 短歌

-空白の短歌史-「戦時下、空白の短歌史を掘り起こす」
「綜合詩歌」誌鑑賞(1)


 この稿は、ある短歌誌に寄稿し一年半にわたり、連載された15章の文章が下敷きとなっています。
それは、戦時下に発刊され、東京大空襲の昭和二十年(1945年)三月まで、12年間余にわたって発行され続けた「綜合詩歌」誌の、終焉に向う一年半に限定して鑑賞を行ったものです。内容は歌学、歌論、代表歌人の短歌作品、エッセー、作品への批評等々多岐にわたりました。
 今回の稿は短歌作品及び、その批評に関連する部分のみを抽出し、一つの歌評集として再編集したものです。
治安維持法改定の1929年3月から、敗戦の1945年8月にいたる間に発表された、詩歌及び小説等を含む文学作品に、私は一種の痛ましさを感じてきました。それは、わずかに許容された表現空間の中に、自らに課したぎりぎりの抑制のもとに情念の昴まりを吐き出す。その表現者の心情と、うめきが、さらに慟哭が作品の行間に否応なく滲んでいるからでもありました。

 また、これら十数年にわたる歳月は、文学全般はもとより短歌と、その歌人にとっても、不幸な時代であつたと言わざるを得ません。戦中の作品、出版物は、過酷な「発禁」や出版統制を考慮しても、この時代の作品数は極めて少なく、時局を忖度せざるを得ず、涙を呑みながらも、作者自身によっても意識的にネグレクトされてきたとも推測されます。

 しかし、戦時下に発刊され、12年余にわたって発行され続けた、この「綜合詩歌」誌に触れ、その作品群の底流をなす、おおらかさ、純粋さ、さらに投稿歌の抄出、作品掲載に示された詩歌誌編集者の懐の広さに、改めて深い感慨に浸りました。
本書において、これらの事実に光を当て「空白となっている短歌史」の空白部分を、多少なりとも掘り起こすことができればとの想いから、戦後76年目の終戦記念日の本日を期して記すことに致しました。
 なお、この治安維持法は、1929年改訂の事後承認に反対した衆議院議員の暗殺という痛ましい歴史を背負っていることを付記したいと思います。  


************
「雪渓の石楠花」

 奥信濃の深山の頂に、白馬の大雪渓を背に人知れず咲く石楠花の花。 その花のうす紅色と、雪渓の白さとのコントラストに息を呑んだ遥か青春の日の記憶が甦る。人の世の毀誉褒貶をよそに、己の生命の摂理に従い、厳しい風雪に耐え蕾みを育て、 花をつけ密やかに散っていく。その花の生涯の見事さは幻の名花のゆえんであり、 正に「愛惜の外に花は散る」の感が深い。
 歴史を遥かに遡るが、日本の国際連盟脱退の年。昭和八年に創刊され、 真珠湾奇襲の昭和十六年を経て、アッツ島玉砕の昭和十八年に改巻。さらに昭和十九年七月「とねりこ」「博物」を統合し「春秋」と改題し、東京大空襲の昭和二十年三月まで、十二年余にわたって発刊され続けた歌誌「綜合詩歌」の歩み。
 激動の時代の狭間に生まれ、風雪を超える厳しい時代の荒波の中で蕾を育て、 懸命に咲き静かに散って行ったこの詩歌誌。そこに、雪渓を背に咲く石楠花の鮮烈なイメージが重なって見える。

 本稿では、歴史に埋もれ、ある意味で戦後歌壇から意識的に抹殺されてきた 詩歌誌「綜合詩歌」、その昭和十八年八月号より誌の紹介を中心に鑑賞を行っていきたい。
この歌誌は、発行兼編集人に当たる野村泰三(敬称略。以下同様)が 「周辺随想(1)」で、述べているように「総合雑誌と結社誌を揚棄した雑誌の出現」を標榜し創刊、改巻された。  「・・・歌壇の現状は、真に清純なる新人を待望しあるいは歌壇の覚醒を 願うならば、従来の如き短歌結社にあらざる、もちろん総合雑誌的なものでもない。 全く新しいものが生まれでて来なければならないのである。最近の歌壇の混沌の中から、 立ち至るところ、総合雑誌と結社誌を揚棄した雑誌の出現が、ここにおいて必然性を帯びているのを知るのである」。
 本誌は、その書名が示すとおり、短歌(投稿歌も含む)、歌論、詩論、評論、テーマ論文及び、随筆とから構成されている。折からの戦時統制化にあって、発刊に当たっては関係官庁の特段の配慮があったと聞き及んでいるが、その準備、運営、維持にあたった方々の苦労は、想像を絶するものがあったと拝察する。

 「未来の未来は現在にある」と、かつてある哲学者は語ったが、私達の目指す「短歌一条の道」の現在と、明日をしっかりと見据えるため、その一つの視点をこの 「綜合詩歌」の歴史から学び、掘り下げていきたい。その過酷とも言える時代背景を 勘案しつつ。
 短歌作品は代表的歌人による題詠、投稿歌、八月詠の三部構成から成っている。 代表的歌人としては、前田夕暮れ、宮柊二、尾山篤二郎、木俣修、野村泰三の五氏の 他に十二名の方が作品を寄せている。さらに、投稿歌には鷲尾熊彦氏をはじめ146名の 錚々たる方々が作品を寄せている。
 これらの作品の中から世情を反映し心に響いてくる歌、さらに歴史的事実として心に刻んでいきたい作品を中心に、僭越ながら抄出させて頂いた。 先ずは代表歌人のものから抄出させて頂く。

 国土世界   前田 夕暮
 ○国土世界にみちてあまねきみ光を総身に感じ虔しみをるも
 ○あたたかき極大慈悲母のおはします空をあふぎていのち足らへり
 ○萱草の花あえかなる日の照りに母思ひいづをさな心は
 玉とくだく  尾山 篤二郎
 ○花咲かば氷とけなば翼あらばといかにや待ちし行軍二千
 ○いでたたば還らぬことは無論ながら益荒男つひにかへらず
 挽歌     宮 柊二
 ○大君のおほきみ征のさながらを力盡してうたひましにけり
 ○響(とよ)みつつ東におこるものの音ききもはてなく君逝きませり
 沈丁花    野村 泰三
 ○沈丁花まどに匂ふを愛しめば幽かなるかもいのち生きつつ
 ○おろそかにいのち過ぎきししかすがに悔ゆるはあらずわれのつつしむ
 岳麓吟    木俣 修
 ○木苺の花しろじろと咲くみれば甲斐の谷田の夏かたまけぬ
 ○郭公のよび啼く方や霧はれて木高き朴の花も光り見ゆ
 世相とは裏腹に、あるいはそれ故にか野村、木俣両氏の歌には青春の日の隠しようも無いロマンシズムと、まどろみを排して自己の裡に未来への指標を求める真摯さが溢れている。ただ、「いでたたば還らぬことは無論ながら益荒男つひにかへらず」と詠った尾山氏の心中は「名誉の・・・」とは遠い、察して余りある哀悼の誠が表出されている。

 次に投稿歌の中から同様の抄出を行って行きたい。
 いのち    清水 勝
 ○桜花散りしくなかに全かるいのちをおきていくさに思ふ
 ○きびしかる流轉なりしが生き死には越えて静かに歌詠まむとす
 ひさかたの  大野 水脈子
 ○寝ねがたき枕は悲し夜もすがら海なき町の潮騒を聞く
 ○激しさはエルモのさがに似たる火のむなしくもゆる思ひなれども

 さらに当月号の「八月詠」の中から抄出を続けたい。
 ○弾丸(たま)受けしわがつはものが母さんと臨終の際に叫びしといふ
                     臼井 民子
 ○ゆたかなる愛情として解くべきか言葉すくなく君征(た)たします
                     逸見 貞子
 ○くだけ散る波の岩間に咲く花の耐えつつ尚も生きむとすらむ
                     桐井 緑
 ○冷えしきる山のひそけさ傷兵が窓ごとに飼へる鳥は鳴かずも
                     水城 秋歩
 ○朝夕に待たぬ日はなし召されたる兵吾子の便りいかにと
                     宮武 とく代
 ○愛し子を北の守りに捧げたる母なる人の涙して座す
                     鈴木 恒子
 ○北海のほとりに咲ける杏などなべてかすむと父母へ書く
                     小山 徹

 戦争が、そして戦時下の銃後の状況が個人に何をもたらしたか。これらの歌は、 その問いに対する個々人のぎりぎりに抑えた回答の言の葉であり、思いを深く秘めた 歌でもある。また、戦争を決して巨視的にのみ見てはならないことを、「愛し子を北の守りに捧げたる母なる人の涙して座す」の歌をはじめ、これらの歌は 深く静かに訴えかけてくる。どんな状況下でも淡々とした日常があり、人が人に寄せる情愛の深さがあったと言うことを・・・。

 歌論及び、詩論においては、それぞれ浅野晃、大野勇二の両氏が時局を踏まえた 含蓄のある論を展開している。その一部のみを抜粋し掲載したい。
 歌のまさみち              浅野 晃
 「・・・作者の心からの祈りが一首の調べの上に隠れもなく滲み出ているところが 尊い
  のである。・・・達者な歌、いかなる標語をも器用に詠みこなす、あるいは詠み込む
  という事は出来るかも知れぬが、相聞のまことの嘆きへと、昴まってゆかぬのでは
  ないか。・・・」
 詩とは何ぞや              大野 勇二
 「・・・詩は・・・鋭い感覚が物を言う。単に思想を述べたもの、単に感慨を綴った
  のみでは此の感覚の批判の一撃には耐え得ない。詩は詩の面目にかけてのみ詩である、
  という厳粛な至上命令は今日も決して滅びてはいないまである」。 

詩歌誌「綜合詩歌」、その昭和十八年八月号の短歌を中心に鑑賞を行いましたが、今後も資料としての紹介を主題に掲載して参りたいと思います。ご意見、ご批評を頂ければ幸いです。 
               「初稿掲載 平成18年8月15日」

コメント (15)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「核兵器禁止条約」に

2021年08月09日 14時52分17秒 | 日々の歩み
原爆投下から76年を迎えた本日9日。長崎市の平和公園で「平和祈念式典」が開かれ、
同市の田上富久市長が長崎平和宣言を読み上げました。そこで、今年1月に発効した
「核兵器禁止条約」に署名・批准していない政府に対し、2022年1月にウィーンで
開催予定の第1回締約国会議にオブザーバー参加するよう求め、原爆投下時、
国が定める被爆地域外にいたため被爆認定されていない「被爆体験者」の救済も
求めました。

  酔芙蓉「八重」

この平和祈念式典に参列した菅義偉首相は、あいさつで「核兵器のない世界の実現に
向けた国際社会の努力を着実に前に進める」と述べる一方、核兵器禁止条約についても
昨年まで参列した安倍晋三前首相と同様、触れませんでした。
広島、長崎での唯一の被爆国である日本が「核兵器禁止条約」を批准しないことの
明確な理由すら、今回も菅義偉首相は「説明」しないどころか、触れもしませんでした。

「核戦争の勝利者は存在しない」は自明のことですので、核廃絶の第一歩として
「核兵器禁止条約」の批准が出来る政権を、選択していくことが私たちに出来る
当面の課題とも思っています。

  むくげ「八重」

 夾竹桃が炎暑に咲き、せみ時雨ふる、この季節になると鮮明な記憶となって甦る、
少し先輩の友への思いを綴ってみたいと思います。
 その友は、長崎での胎内被爆という重い十字架を生まれながらに背負った方でもありました。
重い血液の病を背負いながらも、自分と同じ辛いめに合う人をこれ以上作ってはならない、
そして、ナガサキに続く原爆の被害を三度起こしてはならない、との強い思いと祈りを秘めた、
行動するキリスト者でもありました。

  芙蓉「うす紅」

 また、「怒りを祈りへ」と、想いを深めること、さらに祈ることの深淵を、血気盛んな私に
教え諭した方でもありました。
青春の真っ只中、学び舎の片隅で出会ったその友の印象はあまりに鮮明で、その友によって
教えられ、切り開かれた世界は未だ私の中に鮮明な映像として、また想いの姿として残っています。

 23才にも満たない短い生涯を、赤と白の夾竹桃の咲き乱れる、夏の日に閉じましたが、
この友の想いを受け継ぎ、語り継ぐこと。また、詠いつづけること。それを私の一つの
責務として課して来た思いもあります。

  夾竹桃「うす紅」

「平和祈念式典」の日に、手向けの花の一つとして短歌を捧げたいと思います。
  ☆涙呑みケルンを積みし峰遥か 君逝く葉月 またも巡りて
  ☆一つだに骨も残さず燃え尽きし かの八月を君は想えと
  ☆重たかり胎内被爆の十字架よ 無念も言わず君は旅立つ
  ☆三十路をも待たずに旅立つ君が背に 負いし非核のクルスを継がん
  ☆ナガサキの背負いきれない悲しみを 抱きしままに君はたびたつ
  ☆怒りをも祈りに変えよ 君が声 葉月の闇にまたも響きて
  ☆祈りさえ無力に思える日々を経て 君が想いを静かに継がん
  ☆声高に叫ぶことなく語り継ぐ 我ら世代の非戦の想い
  ☆茜雲消え行く果てのきら星か 温めきたる夢のひとつは

  百日紅「白色」
コメント (13)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

深き哀しみ

2021年08月06日 21時35分52秒 | 日々の歩み
広島は、本日8月6日、76回目の「原爆の日」を迎えました。
広島市の平和公園では原爆が投下された午前8時15分に、1分間の黙祷が行われました。
松井一実市長は平和宣言で、一刻も早く核兵器禁止条約に参加するよう日本政府に
求めましたが、菅義偉首相はあいさつで、核軍縮を進めるために様々な立場の国の
「橋渡し」をすると述べる一方、核兵器禁止条約には、残念ながら触れることは
ありませんでした。

私自身、戦後に生を受け、戦後史をその身体に刻んできた者の一人として、被爆76年を
迎えるにあたり、原爆犠牲者の御霊に、謹んで哀悼の誠を捧げたいと思います。
そして、今なお、様々な後遺症と「黒い雨」の被害等々で苦しんでおられる被爆者の
皆様や、ご遺族の皆様に、心からお見舞い申し上げます。


一首捧げたいと思います。

 ☆ヒロシマの深き哀しみ背負いつつ 歩みし君の76年の日々
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

短歌の癒し

2021年08月04日 12時58分54秒 | 日々の歩み
 この稿は、かつて私の所属していた短歌会の歌誌に、投稿し掲載されたものですが、
短歌についての私の想いを、拙いながらも表現していると思いますので、ここに若干の手直しを行い
掲載させて頂きます。

   「白い夾竹桃」

☆☆☆☆☆☆☆☆

 独りのつぶやきが、叫びが、そして哀しみが歌となり、その時代の思いに重なっていくことがあります。
短歌は時代の荒波に晒されながら、幾世代にもわたって歌い継がれ人々の心を、ある時は激しく、
ある時はたおやかに揺さぶってきました。

 「一行の詩」とも言われる短歌が、時代の過酷な波に洗われながら、なお鮮烈な生命を持ち続け得たのは
なぜでしょうか。それはどんな時代にあっても、人間の持つ根源的な哀しみを温かく見守り、
それへの共感を紡いできたからであり、諸々の哀しみを越え、なお前進しようとする人々の思いと志とを、
三十一韻律の器に満たしてきたからではないでしょうか。

 決して高らかにではなく、密やかに、つぶやくように、また祈るように、それぞれの身の丈に合わせて
詠われてきた短歌。
 それは千年余にわたって、連綿と人々の心に刻まれてきた魂の碑(いしぶみ)とも言えます。
人々の哀しみに寄り添い、密やかな勇気と想いとをその行間に滲ませた短歌は、表現の巧拙を越えて
人々の琴線に触れ、人間への賛歌を奏でてきました。
 これらは、かつて大江健三郎氏がノーベル平和賞受賞記念講演の際に述べられた「芸術の治癒力」
「時代に傷ついた魂の癒し」を、大げさでなく短歌も少なからず担えることを私たちに語りかけてきます。

 なお、大江氏が「閉じた言葉」として批判的に例示された「月の歌人」明恵上人の和歌には、
歌を学ぶ一人として弁護の余地を残したい思います。生命への畏れを、澄明かつ静謐な詩的空間の内に
表出した上人の和歌。
 生きとし生ける者に注ぐ、慈愛に満ちたまなざしと共に「歌をもって天地を動かす」気迫を内に秘めた歌。
それでいて涼やかな調べと共に、深い余韻を感じさせる歌の持つ奥深さと凄さを、上人の和歌から
学んだ者の一人として…。

 短歌は人々がどんな悲惨な状況に置かれようとも、否、状況が悲惨ならなおさらに慟哭と隣り合わせで、
生命への愛おしさを擁くように紡ぎだされてきました。歌群を貫く志と、生命への熱い想いを、
かの大戦下の短歌に、また1995年1月の阪神淡路大震災下の短歌に、さらに2011年3月
東日本大震災後に、各メディアに投稿されたおびただしい歌群に見ることができました。

 これらの短歌は何れも「傷ついた魂の癒し」を深く、重々しく、心に沁み入るように詠っています。
愛するものを失った男達が、また女たちが慟哭の夜を重ねてなお、湧き上がってくる思を鎮めるために、
自らの心に重ねるようにして詠んだ短歌。それは、正に魂鎮めであり「傷ついた魂の癒し」でもありました。

 「詠まずにはいられない」状況が紡がせた歌群は、その臨場感と迫力とにより「一瞬の今」を写し、
歴史の赤裸々な写生者としても立ちあがってきます。それは抒情性の文学と言われる短歌の持つ、
もう一つの側面を形作っています。
 千年を越える伝統の中で磨かれ、試され、継承されてきた短歌。この短詩形文学は、圧倒的多数者である
市井の歌人の手に委ねられたことにより、歴史の証言者、記録者としての地歩を築き、さらには民族の
詩精神とともに、その美意識をも育む礎を築いてきました。

 一面焦土と化した神戸の街。敬愛し親友とも呼べる友をこの震災で失いました。

  ☆生き残るものの奢りか寂しさは 叫び呑みこみ 君の忌に立つ 

 1995年1月17日の発生から、二十六年。今はコロナ禍で訪ねることが叶いませんが、
復興著しい神戸の街の片隅には、炎暑をものともせずに、底紅をにじませた白い「宗旦むくげ」が、
楚々として咲いていることと思います。
 一日花の儚さをまといながらも健気に咲くその花の矜持に、神戸の街の復興を担った人々の思いが、
さらに東北の地で、オリンピックの歓喜を聴きながらも、未だなお復興を担う多くの人々の胸奥に
秘められた熱い思いが、重なって見えます。       了

   「宗旦むくげの花」
コメント (17)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「月下美人」再び

2021年08月01日 12時52分36秒 | 日々の歩み
前回のブログでは、「月下美人」に寄せて短歌を詠んでみましたが、今回は拙いながら、
作詞に挑戦してみました。
私の詞をもとに、素敵なオリジナル曲を作曲して頂いたYokiさんから、門あさ美さんの歌う
「月下美人」の楽曲を紹介して頂きました。
門あさ美さん曲のような、妖艶な大人の詞は無理ですが、私の視点から何とか詞を紡いで
みようという、身の程知らずの挑戦をしてみました。
短歌と同様、即興での作詞ですので、生煮えの感は否めませんが、最初の言葉に「言霊」は
宿るとの言い伝えを信じ、掲載させて頂きます。

「月下美人」は宵につぼみを膨らませ、夜半から咲き始め、夜零時過ぎには、
大輪の花を閉じる文字通りの一夜花です。
艶やかな純白の花弁、黄金の雄蕊と、白の雌蕊のコントラストも見事な花であり、
甘やかで、雅びな香りを漂わす気品に満ちた花であります。
さらに、一夜で萎む花ゆえの誇りか、侵しがたい矜持を秘めた花でもあります。

そんな花に魅せられ、宵から深夜にかけて見つめ続け、めまいにも似た酔いを感じました。
月下美人の儚げでいながらも、凛とした花のたたずまいに、たとえコロナ禍の厳しい
状況であろうと、己を全うせよとの静かなメッセージを聴く思いが致しました。


「月下美人」

1.満月の光が満ちる宵闇に
  ひらきはじめた月下美人
  甘い香りを漂わせ
  一夜限りの命としらず
  闇にのびゆく花びらは
  炎のように揺れている
  ああ 憂いもつ君に似て
  その刹那に命を燃やす

2.満月の光集める花びらの
  白さ際立つ月下美人
  雅な香り漂わせ
  一夜限りの夢に酔う
  闇を切り裂く花びらは
  炎のように燃えている
  ああ 儚さは君に似て
  その刹那に命を燃やす

3.満月の光に負けぬ花びらが
  耀き放つ月下美人
  深い香りを漂わせ
  一夜限りのものがたり
  闇を照らせる花びらは
  炎のように 凛として
  ああ 哀しさは君に似て
  その刹那に命を燃やす
コメント (22)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする