しら鳥はかなしからずやそらの青 海のあをにもそまずたゞよふ
「咲き初める 白芙蓉」
この歌は、皆さんご存知のように若山牧水の詠んだ有名な短歌ですが、その歌碑を過日訪ねてみました。当日はたまたま細君がその近くの医院で診察を受けましたが、その待ち時間の50分ほどを使って訪れてみました。折からの猛暑日でもあり、10分も歩くと熱中症が心配される状況でしたが、せっかくの機会ですので、意を決して訪ねました。
「野比海岸 景観」
横須賀市北下浦の野比海岸の一角が公園として整備され、牧水の歌碑が
建てられています。
これは、「夫婦歌碑」と呼ばれ、表面には先に記した牧水の歌
しら鳥はかなしからずやそらの青 海のあをにもそまずたゞよふ
背面に喜志子夫人の歌
うちけぶり鋸山も浮かび来と今日のみちしほふくらみ寄する
が刻まれています。
若山牧水「夫婦歌碑」 表に牧水、裏に喜志子夫人の歌
当日は、まさに紺碧の空の下、喜志子夫人の歌にも詠まれている通り、東京湾を挟んで対岸の房総半島の鋸山もはっきりと見えました。
「東京湾と対岸の鋸山」
群青から、エメラルドグリーンに染まる海と、白波が寄せては返す潮騒が微かに響いていました。残念ながら白鳥の影は見えませんでしたが、カモメの姿があれば牧水の歌の趣に浸れたものと感じました。炎天下であり、吹き出す汗を拭いながら、歌碑と海、海岸等の景観をカメラにおさめ現場を離れました。なお、この暑さゆえでしょうか、ウイークデーであっても、いつもは多くの見学者のある場所ですが、当日は私のみでした。
牧水は大正4年、妻の病気療養のため北下浦に転居しましたが、酒と旅を愛した牧水らしく、2年足らずの滞在でした。牧水はこの間に歌集を発行したり、野比海岸で獲れたシコイワシを肴に美酒を味わい、野比川で釣りを楽しんだりしたと言われています。
この地で、牧水夫妻は健康を取り戻し、地元の人々との交流を通して穏やかな日々を送ることが出来たようでした。ここでの日々が牧水に活力を与え、その後の東京での活躍の原動力となったと言われています。
なお、道を挟んだ向かい側には長岡半太郎・若山牧水資料館があります。ここには牧水の当時をしのばせる資料や写真も数多く展示されています。また、毎年9月には北下浦牧水まつりが開催されています。機会がありましたら「歌枕」として、お立ちより頂くことをお勧めします。
早、台風9号〜大事はなかったですか?
本当に横浜に長く住んでいながら
沢山の素敵な場所を知らずじまいです。
そうなんですね?千葉の鋸山が見える‼️鋸山は昔会社の仲間と登りました🎵懐かしいです〜😆
最近、口語もご無沙汰しています。
まだ、引っ越しもままならずで〜
何か皆様と遠のいてしまうような
寂しさ感じたりも〜
書き留めている口語も
季節外れになりそうですが
又、お仲間入りたいと思い
楽しみにしております🙇
8/1〜3日まで高野山に来てます
自己を見つめ、甘えないようにしたいと思いました。
「はてなブログ」へ引っ越ししてから、gooblogのコメント欄を開くのを
失念していまして、返信が今日になってしまいました。
遅い返信をお詫び申し上げます。
鋸山は、久里浜からフェリーで渡ると比較的近く、結構な景勝地ですね。
クロママさんも、お仲間と登られたとのこと。
口語短歌は、ゆっくりでかまいませんので、いつでもお越しください。
なお、口語短歌の投稿は引っ越しが完了しなくても出来ますので
機会がありましたら覗いてみて下さい。
これからもよろしくお願いします。
遅い返信をお詫び申し上げます。
高野山では多くの学びがあったことと思います。
折を見て聞かせてくださいね。
これからもよろしくお願いします。