うてん通の可笑白草紙

江戸時代。日本語にはこんな素敵な表現が合った。知らなかった言葉や切ない思いが満載の時代小説です。

あやめ横丁の人々

2012年04月02日 | 宇江佐真理
 2003年3月発行

 宇江佐さんの小説にして珍しく、架空の地が舞台となっている。その名も、あやめ横丁。当初は、花の菖蒲(あやめ)を思い浮かべるが、実は…。といった落ちが付く話である。
 そこに匿われる事になった旗本三千石の若様が、見聞きしたある意味異次元の世界が描かれる異色の長編。
 実は宇江佐さんの小説の中で、2番目に読んだ作品であった。宇江佐さんを未だ認識しておらずに、表紙の可愛さとタイトルから、面白おかしい裏長屋物だと思い込んでいたのだが、読み進めるうちに、深く引き込まれ、重いテーマながらも爽快感の残る不思議な物語であった。
 各項のタイトルは、江戸市井の言葉で、旗本の若様がその意味を知るといった趣もある。

あめふりのにわっとり
 身を隠していた日本橋本石町から、命からがら本所御竹蔵近くのあやめ横丁の自身番に辿り着いた紀藤慎之介は、岡っ引き権蔵に匿われる事になる。
 旗本の三男に産まれた慎之介は、笠原家に入り婿となる予定であった。ところが、婚礼の日に花嫁になる筈だった娘は、相惚れの男と逃げ出したのだ。
 慎之介は男を斬り捨てたのだが、後日花嫁となる筈だった娘も自害して果てた、笠原家は御家断絶との沙汰が下り、その恨みを慎之介へと向けたのだった。 
 慎之介があやめ横丁に身を隠すまでの経緯を紹介した序章であるが、既に訳あり風な住人に出会うなど、読み手も、単なる江戸の市井ではない事を知り、不思議なあやめワールドに引き込まれていく。
 既に男勝りの伊呂波との恋の予感も感じられる。

ほめきざかり
 あやめ横丁で太吉という少年から、「誰を殺ったんだ」。と、唐突に問われ、胆を冷やす慎之介。
 次第にあやめ横丁は、訳ありの人の集まりだと気付くが、太吉とその兄新吉の壮絶な過去を耳にする。
 住人の誰もが悲しい過去を背負っている中で、この太吉、新吉兄弟のそれが群を抜く。宇江佐さん風に表現すれば、鼻の奥がつんと痛むが、涙はラストまで取って置きたい。       
 
ぼっとり新造
 大家の林兵衛から、子どもたちに手習の指南を頼まれた慎之介は、助蔵、彦次、お梅、おゆり、寅松、それに太吉の師匠となる。
 一方で、「夜には借りに行くな」。と言われていた貸本屋夜がらすに不用意に足を向けた慎之介は…。
 年増女の色気を持ち合わせるお駒に、熱に浮かされ半ば虜となった慎之介。「抜け殻になってもいいから、ひと晩、お駒の色香に酔ってみたいと慎之介は内心で思っていたが、それは口にしなかった」。
 この表現を女流作家が思い付く辺りがさすがと思うと同時に、「思っていたが、それは口にしなかった」。ほかでも見られるこの宇江佐さん独特の言い回しが、とてつもなく面白く感じられて好きである。

半夏生
 ついにあやめ横丁にまで討っ手が現れた。不意の事に戸惑う慎之介を他所に、あやめ横丁は出入りに応じた万全の対策がなされていた。
 また、お駒が首を縊ったという知らせが飛び込んできた。
 出入りの供えたあやめ横丁の家々の造りに、不謹慎ながら、ふっと笑みがこぼれる。
 そして伊呂波に懸想する小者の仁助と、その様子に苛立ちを覚え始める慎之介が、真っ向からぶつかる。
 慎之介に仁助との事を問われた伊呂波は、誰とも所帯は持たない。「あやめ横丁から出て行きたくないからさ」。と答えている。この段階では、慎之介に対して引かれているのを隠す為だろうくらいにやり過ごしてしまうが、この言葉の重みが、終盤大きく影響を及ぼすのだ。こういった細やかな部分も見落とせない鋭さが憎い。

雷の病
 太吉の母親の月命日に深川から訪う、香明という尼僧から、田島文之進という手練の浪人の助成を勧められ、断った慎之介だったが、時を同じくして知り合った文之進と、進行を深める事になる。
 香明とのやり取りの中で、十五歳を待って罪の裁きを受ける新吉が、寺は三度の飯が喰えてありがたいと、そんな幸せを噛み締めている事を知らされた慎之介。こういった悲壮な場面の次に、湯屋で文之進を見た慎之介に、「醤油で煮染めたような下帯を盛んに、ほろっていた。虱でも落としているのかと嫌な気分になった」。こんな感想を持たせている。こういった場面が実に人間臭くリアリティがある。

あさがら婆
 文之進に剣術の稽古を付けて貰う一方、権蔵の女房おたつの、太吉の祖母のお粂から、権蔵の娘伊呂波の過去をそれぞれに聞き、理解出来ない薄気味悪さを覚えた慎之介は、目眩を起こし寝込んでしまう。
 この一話の中で、伊呂波と新吉の不幸が一気に吹き出される。慎之介でなくとも気持ちが重くなるような話だが、やはり旗本の坊ちゃんには、刺激が強過ぎたかと思わざるを得ないシーンが、明るいタッチで描かれている。

そっと申せばぎゃっと申す
 南町奉行所同心久慈仲右衛門の小者仁助から聞いた、おたつの話は衝撃的だった。とうていやり過ごせない慎之介は、権蔵、おたつ夫妻に伊呂波の件の真相を問い質す。
 また、あやめ横丁のあやめは、人を殺めるのあやめだと聞いた慎之介は、漸くここに住まう者は、人を殺める事情を抱えていると知る。
 ここまででも登場人物が多く、またそれぞれの経緯を書いていたら切りがないので割愛するが、止むに止まれぬ事情でも罪は罪であると、作者は伝えたいのか。また、結果的に罪ではあるが、殺された方の罪はどうなるのだと言いたいのか。この作品の伝えたい事がこの項にあると思えた。

おっこちきる
 良く当たると評判の、小間物屋くるり屋の、おうのに八卦占いをして貰った慎之介に、おうのは敵が迫っていると告げる。そして、万が一の場合はあやめ稲荷のお堂の抜け穴を通れと。そして、権蔵の娘の伊呂波と、相思相愛だと告げるのだった。
 いよいよクライマックス。これまで時間を掛けて人々の過去を語ってきた本誌だったが、ここにきて速い速度で、あやめ横丁が出来上がった経緯、周りの人々の本音が分かってくるサスペンス仕立ての項である。

あとみよそわか
おうのの予言通り、慎之介は命を狙われ、寸でのところで、あやめ稲荷のお堂の抜け穴を潜った。だが、慎之介に加勢した文之進が命を落としてしまったのだ。
 晴れて紀藤家へ戻れる運びとなった慎之介は、伊呂波を伴おうとするが…。
 慎之介と伊呂波の別れが、7頁もの長い項を裂かれて淡々と綴られる。しかも、この別れは互いの気持ちや家柄ではなく、あやめ横丁に暮らすに至る血を案じてのものであるのだ。
 「あたしもその仲間さ。横丁以外では暮らせない」。伊呂波の台詞がそれを示している。

六段目
 十年の月日が流れ、慎之介は御側衆のひとりとして江戸城御座之間に勤めていた。妻のひふみとの間には男の子が三人授かっている。
 あやめ横丁が火事で焼けたと知った慎之介は、再びあやめ横丁に向かう。
 「あやめの葉は蛇のようにくるくると動いては止まり、止まってはまた動く。まるであやめ横丁のあやめとは、あやめの名が本家であると言うかのように。それが芝居で言うなら六段目。あやめ横丁の終わりの景色であった」。
 ラスト3行である。物語中盤には、あやめの葉が刺身包丁に見えたと感じていた慎之介だったが、横丁が焼失した後に、漸くあやめ(殺め)横丁があやめ(菖蒲)横丁に変わった瞬間と言えるのではないだろうか。
 例えば、誰が死のうと景色は変わらない。同じように1年は過ぎる。反対に誰を殺めようと生きている者には、苦しみもあれば笑いもある。もちろん生きる喜びもある。過去を振り返ってばかりにはいられない。そんな事を感じた一編だった。

主要登場人物
 紀藤慎之介...旗本三千石の三男、後に御側衆
 紀藤伊織...慎之介の父親
 
 まさ...慎之介の母親
 
 勇之進...紀藤家嫡男、慎之介の兄
 
 吉野多聞...紀藤家若党
 権蔵...あやめ横丁の岡っ引き
 伊呂波...権蔵の娘
 おたつ...権蔵の女房
 太吉...あやめ横丁の住人、慎之介の教え子
 新吉...太吉の兄、後に紀藤中間
 お粂...太吉の祖母
 お駒...貸本屋夜がらすの女主人
 田島文之進...浪人
 久慈仲右衛門...南町奉行所の臨時廻り同心
 
 仁助...仲右衛門の小者


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