1997年の8月に松山のステージラボで集まった音楽コースの人たちは少し個性的な人たちが多かったようだ。それまでに例のない8月という時期の選択。無理をせず15名という少人数でのコース。音楽祭を作ってみよう、と言うテーマと由布院音楽祭の加藤事務局長の参加などいくつかの理由があってのことだろうが、そのときに「来年は由布院にボランティアに行こう」と言いだしたのが広島県の某財団の方で、その後毎年来ている。
コースの人で10年間来続けたのは二人だが、彼らは由布院の町の人(行政、市民の両方ともに)に認知され、良い関係が出来ているみたいだ(もちろん私はそういう立場ではないが)。これはとても良いことだと思う。
今年は、そのきっかけから10年になる。ずいぶんと昔になってしまった。実際、その間に音楽監督の交代とか、町の人の参加メンバーの若返りとか、ボランティアのメンバーが変わって来たこととか変化もあった。でも、その変わり様の緩やかさは独特の時間的な判断があるのだろう。東京人の常識からすれば考えられないほど遅く緩やかな流れであり、変態である。
今年も、明日が最終日。今年の大きな特徴は久しぶりに本当に若いSQが来ていることか・・。彼らのロザムンデを聴きながらいろいろと思いだしたりしていたのだが、やはりハレーSQやエクセルシオが出てきた時とは若干の違いを感じる分野である。あの時代よりも環境が良くなっているとは言いにくいが・・。
コースの人で10年間来続けたのは二人だが、彼らは由布院の町の人(行政、市民の両方ともに)に認知され、良い関係が出来ているみたいだ(もちろん私はそういう立場ではないが)。これはとても良いことだと思う。
今年は、そのきっかけから10年になる。ずいぶんと昔になってしまった。実際、その間に音楽監督の交代とか、町の人の参加メンバーの若返りとか、ボランティアのメンバーが変わって来たこととか変化もあった。でも、その変わり様の緩やかさは独特の時間的な判断があるのだろう。東京人の常識からすれば考えられないほど遅く緩やかな流れであり、変態である。
今年も、明日が最終日。今年の大きな特徴は久しぶりに本当に若いSQが来ていることか・・。彼らのロザムンデを聴きながらいろいろと思いだしたりしていたのだが、やはりハレーSQやエクセルシオが出てきた時とは若干の違いを感じる分野である。あの時代よりも環境が良くなっているとは言いにくいが・・。