拝啓 夏目漱石先生

自称「漱石先生の門下生(ただのファン)」による日記

あの頃の未来に僕らは立っているのかな

2006-11-04 22:44:52 | 音楽
スマップのベスト盤が出た頃(2001年の春)、木村拓哉のラジオ番組「ワッツアップスマップ」(TOKYO FM系)で、ベスト聴きながら当時行ったコンサートツアーの思い出を振り返るという企画を放送していたのをたまたま聞いた。その放送で一番記憶に残っているエピソードは「名古屋レインボーホールガラガラ事件」。文字通り、レインボーホールでライブをやったものの客が入らなかった事件である。往年のスマップファンなら誰でも知っているらしい、今では考えられないようなこの事件が起きたのは14年前、1992年の夏。シングルでいうと「負けるな Baby!」の頃(知ってる?)。キムタクの話によると「3割ぐらいしか客席埋まってなかった」「スタンド席は30人いたかいなかったか」「メンバーがステージ上で走ったり、花道ステージに移動したりすると、お客さんもそれに合わせて客席を流動的に移動してた(それだけの広大なスペースが客席に空いていた)」「インパクト強すぎて忘れられない」…とのこと。
こんな経験をしただけに、「もっと頑張らねば」という気持ちも強くなったそうな。今では一回のコンサートツアーで100万人動員するといわれている巨大産業となったスマップだが、そんな時代もあったのだ。レインボーホールが地元だけにこの話大好き。ラルクなどのライブ見に行ったり、高校受験の会場になったこともあったので何度も行った事あるが、客席の7割空いてる状態は想像できん…。8000人収容の、アリーナクラスの会場ですよ?でもまあこんな経験を踏み台にして今のスマップがあるのだろう。今じゃあナゴヤドームや豊田スタジアムで余裕でライブやってます。レインボーホールなんて小さすぎる会場でライブなんて夢のまた夢。この事件の後、スマップはしばらくアリーナではなくホールを回ることになり、名古屋の場合は厚生年金会館とかに来てたようだ。す、すっげー!キムタクは「この頃はお客さんとも距離近くて楽しかったね。いいよねああいうライブもたまには」と言ってたが、ライブの規模は年々デカくなってます。
改めて振り返ると、スマップは本当に波瀾万丈な活動の軌跡を刻んできたアイドルグループだ。ジャニーズとしてはかなり地味なCDデビュー(初登場10位。つーかみなさん、「Can't Stop!! -LOVING-」を知ってますか?)、例のガラガラ事件が起きたあんまりパッとしない時期、「$10」のヒットを経てオロナミンCのCMに使われた「オリジナルスマイル」でグループとして本格的にブレイク。この間、周りのスタッフ達の態度が手の平を返したようにコロっと迎合ムードに変わり、戸惑ったこともあっただろう。先輩格の光GENJIの干されっぷりを見て、「自分たちはあんな風になるまい」と気を引き締めたこともあっただろう。さらに、ファンはもちろん、他のメンバーからも惜しまれた森君の脱退劇やキムタク結婚騒動、ゴローちゃん駐禁騒動…さんざん修羅場をくぐってきたグループだ、スマップは。それだけにもう怖いものなど無いのか、どんな場面でも堂々としている。大物ゲストを招いてる時も、礼儀正しくしてるようで結構ドスが効いている。そんな彼らを見てると、「これからもずっと不動の国民的アイドルでいてくれるんだろうな…」と思ってしまう。頼もしい。
そういえば先月、ただいま人気絶頂といえるKAT-TUNの2トップの一人、「赤西君」が休業宣言してグループを抜けてしまうという事件が起きた。そのニュースを聞いて真っ先に思い出したのは10年前の森君脱退劇のことだった。赤西騒動のときは教育実習真っ最中だったので情報を得る暇が無かったため、最近になっていろいろとニュースを読み出したのだが、なんというか…森君のときと比べて他のメンバー、随分とドライだなぁ。森君の時は熱かったぜ?森君がオートレーサーの試験に受かったと知った瞬間、香取が号泣したり、中居君が森君の父親を尋ねて脱退をやめるよう説得をお願いしたり、森君の家にスマップメンバー全員集まって話し合いをしたりなど、やたらと熱いエピソードゴロゴロ。対してKAT-TUNのメンバーの赤西への、湿っぽくない態度にはびっくり。個人主義が進行しすぎたというか、時代の流れを感じる…つーかスマップの結束が強すぎたのか?森君最後の出演となったスマスマ(だったか?)で歌った「BEST FRIEND」、永遠に輝くよ。もちろん赤西の意志が曖昧すぎて説得のしようが無いというのもあるだろうけどね。真相やいかに。