拝啓 夏目漱石先生

自称「漱石先生の門下生(ただのファン)」による日記

逆巻く波間の小船の上で1000年

2006-09-12 23:54:39 | 日記
戦後の第一次ベビーブームの頃に生まれた「団塊の世代」の人達。とにかく同年代の人間が沢山いるため、いつまでたっても競争から逃れられない波乱の人生を送った人達。そんな人達の子供である「団塊ジュニア世代」。学生時代に華やかなバブル経済を羨望の目で見ていたものの、いざ自分たちが社会人となった時は既に不況の真っ只中だったというこれまた波乱の世代。…このように、ある特定の世代や時代の特徴を客観的に文章化するのにはある程度の年月が必要である。バブル期の真っ最中、好景気に浮かれていた人々の中に「今はバブルだ」と自覚していた人が殆どおらず、「これが普通だ」と思っていた人が大多数。バブルがはじけてみて初めて「あぁ、あの頃はバブルだったんだ…だからあんなに派手にお金を使えたんだ…」と我に返ることができる。渦中にいてはその状況をどう形容したらいいかわからない。これが普通だ。それなら、私が生まれた80年代中期~後期及び我々が生きている時代は後の日本でどのように形容されるのだろうか。バブル経済を実感どころか社会科の教科書で知った、不況ど真ん中に育った世代?すぐにキレる世代?引きこもり世代?インターネット世代(ニフティーサーブ?何それ)?うーん…。
話は変わるが、村上春樹の小説を読んでいて気づくのは、ミュージシャンの固有名詞がゴロゴロと出てくること。出てくるミュージシャン全てが村上春樹のお気に入りだったのかは知らないが、「これをリアルタイムで聴いてたんだぜ、我々は。羨ましいだろ?」という感じがなんとなく伝わってくる気がする。『TVピープル』という文庫に収録されている「我らの時代のフォークロア」という短編、主人公は村上春樹と同世代の青年。この青年及び彼の知人が過ごした青春時代についてのお話なのだが、この作品にも「同世代キーワード」がいろいろと出てくる。60年代に青春時代を過ごした主人公の青年。彼の周りにリアルタイムで存在したドアーズ、ビートルズ、ボブディラン…。作中には「別にこの年代を生きたことを自慢したいわけではない」という旨の文章が存在するが、やっぱ自慢したいだろうよ。現代でも人気の衰えない大物ミュージシャンをリアルタイムで聴いていたなんて、普通誇らしいだろう。こんな風に「私これがリアルタイムだったんだよ」とか「リアルタイムでこんな事を経験したよ」と下の世代に語りかけられるもの。私たちの世代では何があるだろう。ドラゴンボール、スラムダンク、ダウンタウン、宇多田ヒカル、スマパン、レディオヘッド、ベック、エミネム…この辺は結構自慢したいかも。hideは聴き始めたの死後だから当てはまらないな。ラルクは人によって好き嫌い激しいからあんまり自慢は出来ないな。もう少し上の世代の人だと「エヴァブームを経験したよ」とかそういうの結構自慢だな。エヴァンゲリオン人気がどんな風に広がっていったかを肌で実感していない私にとってそういう話はとても興味深いものだ。
自分がこれまでに見聞した事件の中で一番大きなものは、やはり2001年の911だろうか。当時高校一年生。そんな多感な時期に、生中継であの衝撃映像を見たことは貴重な体験と言わざるを得ない。オウム事件とかも驚いたけどあれは小学生だったからな。思えば私が高校入学した年の春に小泉政権が発足して以降、件のテロやイラク戦争、北朝鮮の拉致問題、靖国問題、反日デモ問題、ホリエモン旋風などなど、激動(?)の日々が続いた。そのお陰でなんだか色んなことを無い頭使って考えたりした気がする。「高校生時代が小泉政権だった」。我々の世代が「体験」した一大事件はまさにそれかもしれない。 


追記
親王さまの名前が「悠仁」に決定。「ひさひと」と読むのですね。凄いなぁ、某ゆずの北川さん、名前一緒じゃん!ゆずの方は「悠仁」で「ゆうじん」と読むのだが。