拝啓 夏目漱石先生

自称「漱石先生の門下生(ただのファン)」による日記

『ちびまる子ちゃん』再考―成人しないと気づけない魅力

2006-09-02 22:32:55 | テレビ
夏休み期間中、見る時間があればスカパーで「ちびまる子ちゃん」をチェックしている。1990年に放映開始の第一シリーズをアニメチャンネル「アニマックス」で放送中なのだ。まる子のアニメで面白いのはやはりこの第一シリーズでしょう。原作に沿ったお話はもちろん、アニメオリジナルの話も面白いのばっかり。当時まだ20代だったさくらももこのセンスが爆発している感じ。
今日見たのは「まるちゃん飲み屋さんに行く」の巻。まる子が父ヒロシと清水港の倉庫街の一角にあるおでん屋の屋台に行くというお話。見ていてついほのぼのとしてしまうというのが「ちびまる子ちゃん」の魅力の一つだが、そのほのぼの話の筆頭に私はこれを挙げたい。まる子とヒロシ以外の家族が全員外出するということで、まる子がヒロシに料理をふるまおうとするが失敗。仕方ないので外食することに。ヒロシの幼なじみのおじさんが営む屋台で冷たいジュースとあつあつのおでんをおいしそうに飲み食いするまるちゃん。熱燗を渋く飲むヒロシ。途中、屋台で同席していたカップルが喧嘩を始めてしまい、女の方が泣いてしまうと、まるちゃんが「小学3年のくせに妙にババくさい」という最大のチャームポイントを発揮して男に軽く説教し、仲直りさせる。次に荒っぽそうな大男が来店するとさすがにビビるまるちゃんだが、その大男に余裕綽綽で応対するヒロシと店主の様子から、二人が大男の先輩にあたる関係だと気づく。仕事に疲れてつい荒っぽくなってしまった大男(トシ坊というあだ名らしい)を上手くなだめるヒロシ達を見て、「自分が生まれるずっと前からこの清水の港町に住み、温かな人間関係を築いてきた父達」を尊く思ったまるちゃん。その後は食後のお約束で眠ってしまい、夢見心地でヒロシにおんぶされ、家路につく。途中でふと目が覚め、夜空に目をやると、浮かんでいる月が自分を追いかけてくるように見えて、なんだか不思議な気分になるのだった。…ストーリーの全容を説明してしまった。だって凄く気に入っちゃったんだもん。見ててすっごく清水に行きたくなったエピソードだった。
そうそう、序盤、料理に失敗した「料理の素人」まるちゃんに対してのナレーション、可笑しかったなぁ。「こんな不得手を披露していては、『素人娘ばかりです』などと自慢げに言ってもいられない」。さくらももこという作家、イラスト集が発売されたり展覧会が催されたりなど、可愛らしい絵を描くイラストレーターという側面ももちろん持っているのだが、やっぱりこの人は「絵」ではなく「言葉・テキスト」の人だ。「月が追いかけてくるように見える」という名シーンは幼少の頃リアルタイムで見たときにも強く印象に残っていた。おかげで歩きながら夜空の月見るのがとても楽しいのだ、今でも。「これまるちゃんに出てきたなぁ」なんて考えながら夜空を見上げるの。
このエピソードのほかにも夏休み期間にスカパーで見た「ちびまる子ちゃん」は私が好きなものばかりだった。スカパーのホームページを見たら、今は「ベストセレクション」と題して、傑作エピソードを抜粋して放送しているようだ。なるほど、考えてみれば放送される順番がバラバラだ。ついこの間、夏休みの出来事である「まる子まぼろしの洋館を見る」がやってたのに、今回のやつは早くも冬前の時期を感じさせた。あー、「まる子まぼろしの洋館を見る」も傑作なんだよなー。いつかブログで「ドラゴンボールZ名場面集」という記事を書いたように、「ちびまる子ちゃん名場面集」も書いてみるか。
最近やっと気づいたのだが、「ちびまる子ちゃん」の本当の魅力は、ある程度年齢を重ねないと感じ取れない。70年代に小学生時代をすごしたさくらももこと同世代の人達はこの作品を見てダイレクトに「あぁ、なんて懐かしいんだろう!」と感動するのだろう。さくらももことちょうど20歳年齢が離れている私は「まる子」を媒介として、リアルタイムで「まる子」を『りぼん』や単行本、アニメで見ていた幼少期を回想することで感動する。今現在、私は「ちびまる子ちゃん」のサブタイトルリストをただ眺めるだけで心地良くも強烈なノスタルジーに襲われる。この作品の魅力は幼稚園の頃から誰よりも理解していると思い込んでいたが、甘かった…。