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相模太夫の旅録=Tabi Log

☆ 旅は一枚の写真から始まる!!

☆ 旅先での四季彩々一期一会の被写体を瞬撮!!

黒田如水妹君「妙円尼」ゆかりの「秋月山妙円寺」

2018-09-27 13:48:18 | 寺院
福岡市博多区住吉、住吉神社の傍に妙円(黒田孝高の妹)ゆかりの浄土宗寺院「秋月山妙円寺「秋月山妙円寺」(昌林院)にある。開基は天文10年(1541)。本尊は聖観世音菩薩。筑前國続風土記によれば元は黒田如水(福岡藩藩祖)の妹が黒田長政公(初代藩主) が福岡入の後、主人亡の際、尼となり妙圓という名前となり現在地に小庵を建て「妙円」はその向かいに居住した。蓮譽上人が諸国遍歴の間にこの地に訪れた時「妙圓」がこの僧に帰依しその小庵を譲りそこに寺を建て「昌林院」とした。妙園尼は約400年ほど前1616年に亡くなり、この寺に眠っている。「山門」を抜けると正面に入り母屋造りの「本堂」、その前に「鐘楼」、右側に墓域がある。(1809)






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博多の街の遺跡~カラフルな土塀「博多塀」

2018-09-26 20:39:22 | 史跡・遺跡
福岡博多の街の日本庭園周りや神社や寺院の境内で土色した何やら模様のある「土塀」を見かける。「博多塀」ということが分かった。東京では谷根千ほかに「築地塀」が残っているが、それとは違いこの土塀は戦国時代、相次いだ戦乱で廃墟となった博多の町を豊臣秀吉が復興するとき、戦火兵火で焼け残った石や瓦等が塗りこめた「土塀」を造った。神社や仏閣や豪商の屋敷に数多く築かれ博多塀でといわれた。当時は長く続いたこの土塀を「博多八丁塀」と言っていた。歴史的な遺跡でそこには秀吉の平和への願いが込められている。この土塀は廃材活用の造り方をしていた究極のリサイクル土塀と言えるかもしれない。この「博多塀」がもっともよく残っているところは江戸時代の代表的な庭園様式を有し茶室を擁している「楽水園」である。当時の歴史を辿って復元されたものである。その他「櫛田神社」に博多商人・島井宗室の屋敷跡のものや御供所町の「聖福寺」や「妙楽寺」に復元された「博多塀」を見ることができる。この土塀は秀吉の太閤町割りによるまちの再興、都市計画であったかと思うと感慨深いものがある。(1809)














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福岡 那珂川=中洲端~博多湾 海景

2018-09-26 14:09:42 | 川・堰
福岡、東中洲の川沿いに200軒弱並ぶ博多の名物「リヤカー型屋台」。よくテレビで中洲と西中洲・天神を結ぶ「福博であい橋」、那珂川沿いのネオンサイン、赤い提灯、ラーメン、風景が映し出される光景、列は壮観でありまさしく福岡の文化となっている。中洲は福岡市博多区、那珂川と博多川に挟まれた中州に位置する地区で、那珂川の流れに沿って北西から南東にかけて約1キロの細長い地形、北東から南西にかけての横幅は約200mとなっていいる。夜の中洲には全国の他の歓楽街と同じく飲食店や、風営法対象業種であるクラブやキャバクラ、パブ、バーなどが集まっている。中洲の店の数は約3,500軒、働く人は約3万人、1日に中洲に遊びに来る人は約6万人といわれ九州最大の歓楽街、大阪・北新地と並んで西日本一の歓楽街なのである。また東京の新宿・歌舞伎町、札幌・すすきのと合わせて日本3大歓楽街と称されることもある。残念ながら今日は昼間であったため賑やかな光景に立ち会うことはできなかった。次回は是非食を、雰囲気を味わってみたい。(1809)






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福岡に式内社、筑前国一宮の古社「住吉神社」

2018-09-26 09:38:20 | 神社
福岡市博多区住吉=那珂川のかつての河口付近に鎮座する式内社(名神大社)、筑前国一宮の「住吉神社」はある。大阪の「住吉大社」、下関の「住吉神社」とともに「三大住吉」の一つに数えられる。創建は不詳。「住吉神社略誌」では上古よりの鎮座として「住吉本社」または「日本第一の住吉宮」で全国2千数百社ある「住吉神社」の始源(説)とされ総本社とされる。主祭神は航海守護神の住吉三神(底筒男命/中筒男命/表筒男命)。広さは8,107坪の境内にまず「大鳥居」から小石が敷き詰められた参道、「二の鳥居」を抜けると華麗な「神門」、境内正面に江戸時代前期の黒田長政造営で住吉造りの「本殿」(国の重要文化財)、右に能楽殿、神徳殿、相撲場、古代力士像、左に神楽殿、社務所、境内社として小彦名、菅原、人丸、志賀、船玉、稲荷、三日恵比寿神社がある。境内から出土した弥生時代の銅戈・銅鉾は市文化財指定。また当社は三大住吉の札所である。(1809)














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空旅「福岡~東京羽田」空撮!!

2018-09-25 21:10:08 | 空撮
いよいよ14:00「福岡空港から東京=羽田空港までの空旅」である。距離は約800kで飛行時間1時間40分のフライトである。滑走路へ移動、離陸のアナウンス。ゴーとエンジン音が響く。滑走路と車輪の摩擦音が消える。60度近い角度、徐々に高度を上げている。しばらくすると眼下にはマッチ箱を並べたような福岡市の街並がどんどん小さくなっていく。ぐんぐん高度をあげ安定飛行に入ったようである。高度はもう9000mくらいに達しているだろうか?機窓から街並みが消え果てしなく続く「雲海」の海原を飛行中。右翼の彼方に「白い月」が浮かび上がってきた。一路一会のショット。やがて中国と四国間の瀬戸内海、播磨灘あたりを飛行し、関西から東海そしてしばらくすると伊豆の上空に来たようである。眼下にはかすかに伊豆の島々が見えてきた。いよいよ着陸態勢に入り、次第に房総半島から東京湾へ。眼下には木更津と川崎を結ぶあの「アクアライン」、そして中央の「海ほたる」と「空気孔」がはっきりと視界に入ってきた。ドスンと車輪が滑走路に付き羽田に到着、飛行時間1時間40分のフライトであった。(1809)
















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