猫のツィツカが食事を拒否して一週間になります。カルガリーに行っている間預けたので憤慨してのハンストかと思っていたのですが、丸一日経っても朝起こしにも来なければ夜中にあちこち引掻きまわることもしなくなりました。初めのうちはミルクを少し飲みましたが、今は水のみ。そして眠ってばかりいます。
二年余り前、獣医から数ヶ月の命と宣言されながら今日まで我が儘を通してきた猫ですから、その日が来たのだと覚悟しています。
子供達は獣医へ連れて行くことも提案しましたが、「車に乗ること」が彼女には大変なトラゥマの原因なのですから、苦しまない限り好きなように眠らせておこうと決めました。ラジオはクラシック音楽のステーションを常時付けっ放しで最後の日々を安心して憩えるようにしています。(だから、当分ここに置いてある洗濯機も乾燥機も使えません)
そして、先ほどはラジオからシューマンの「トロイメライ」が流れていました。
トロイメライはドイツ語で夢と言う意味ですから、日本語では夢と訳されていることもありますが、大抵の人はトロイメライとして覚えているのではないでしょうか。少女時代婦人雑誌かなんかについていた楽譜を頼りに覚えた歌です。当時の私は楽譜から歌を覚えるのを仕事のようにしていたもので、父の本棚にあった楽譜の中には数字で書かれている物もあり、その読み方も憶えて密かに得意でした。
ツィツカは安らかな寝息を立てながらどんな夢を見ているのでしょう。
曲が終わって、解説者が「シューマンのドリーミング」と言った時、「目から鱗」というのはこういうときに当てはまるかと言えるほど新鮮な驚きを憶えました。
曲の雰囲気は確かに夢を表現していると言うより夢みている状態を表していると感じられるから。「フゥ~ン、ナルホドねぇ」なのです。
Sonĝo ではなく Sonĝanta なんだ、と。
今まで関わりのあった猫達に申し訳ないくらい世話を焼き面倒見たツィツカです。その割には愛情の表現も信頼の度合いも薄く他人様からは可愛げが無いと言われますが、我が夫が何故か特別に可愛がった猫です。今は亡き他の猫達に悪いなァと言いながら。。
その夫亡き後私にとって彼女は唯一の伴侶でした。英語では「Keep me company」と言いますが日本語ではどんな表現が適切なのでしょう。
「返事はしないけれど話は聞いてくれるでしょう?」とある友人の言葉です。
聞いているかどうか知りませんが聞いてる振りだけは確かにしていました。
全てに終わりがあり、終りは悲しいです。だから夢を見るのです。夢を見ることで悲しみが薄らぐのを期待するのです。そのこと自体が、ああ、なんと夢のように脆く儚いことか。。。。
その2 楽譜で歌えるって、すごいですね。かっこいい!大学時代にそんな先輩がいて、驚きました。私は全くの音痴で若い頃は、♯や♭がいくつ付いていても、それは何調で、この音は何と答えられたものです。でも音にならないのです。いいなー。
いかにもモト野良猫です。毛が多くて、密で、飛ぶ毛も凄いのです。ブラッシすると、ごそっと抜けるけど、その割りに減らないのです。寒い国の猫だからなのでしょうね。
我が家に来て15年、二歳くらいにはなっていたと思うので、いい年ですね。
子供の頃の我が家には楽器と言えば父の尺八とハーモニカくらいでした。ハーモニカの音階は限度があるしハ調子か出ないし等々、自分の声で憶える必要がありました。多分、私のクラスでそれが出来る子は私一人だったのではないかと自負しています。自慢する性質ではないので統計は取りませんでしたが。。ィヒヒ。
勿論超優秀なお子さんでした。
前述の大学時代の友人も精神科医やっています。
serenaさんにも、卓越した才が備わっているのでしょうね。
音痴な私には尊敬の的です。
子供の頃遊んだ裏の小山の木の枝か、川原の石の上に置き忘れてきたような、朧な記憶があるのみです。
イマサラ探しに行っても誰かに拾われたか腐ってしまっているでしょうよ。
自分の才能を粗末に扱うとこうなるという良い見本です。ハイ。