★ Serena ★

カナダ暮らしのエスペランチスト、自然愛好家。
エスペラントやカナダの野草、ネーチャークラブの活動など思いつくままに。

お悔みの手紙を。。

2008-11-18 21:10:18 | 雑  記

書かなければならなくなったのです。日本語も英語もエスペラントも通じない人に。
先週のある日帰宅すると電話にメッセージが入っていました。デスプレーに現れている電話番号は長距離で、しかも見慣れぬエリアコード。誰かしら、何処かの広告かな?
いやいや深刻な声で、英語で「。。の息子のチャバです、父が二日前に無くなりました」と言っている、しかも最後には私の名前をはっきり発音しているのです。
ただとても聞き取りにくく、父親の名前もはっきり聞こえないので一時メッセージを保存し、暫し保留にしました。先ず、812というエリアコードを調べると米国のインデアナ州です。
その後このメッセージを何度か聞きようやく言っている事の大半を理解したのですが、旧ユーゴ、ノヴィ・サド市で暮らすカロリが亡くなったのです。カロリの息子チャバが米国で暮らしていることなど知らなかったのでちょっとショックでした。
電話番号はメッセージに残してくれなかったので、デスプレーに出ている電話番号に掛けてみました。
録音のメッセージで、「あなたのダイヤルした番号では掛けられません、電話番号を確認、掛けなおしてください」と言う声が繰り返されます。放っておくのも一つの手ですが、他に方法があるかしら。他の友人達も連絡は受けているでしょうからそちらに問い合わせる方法も考えましたが。
チャバの父カロリは亡夫の子供の頃からの友人で若い頃夫婦で遊びに来たことがありましたし、毎年クリスマス、誕生日、イースターには欠かさずお祝いのカードを送ってくれる人たちです。今年のイースターにも絵葉書が来ました。
ユーゴの住所は持っているので、そちらにお悔みの便りを書けば直接ユリアナに気持ちを伝えられるのですが、彼女はハンガリー語とセルボクロアチア語は良いけれど英語は殆どダメ、エスペラントなど勿論ダメですから私は困ってしまいました。
こんな時、本当にインターネット様さまです。
私は直ぐ英語で書き、カルガリーの娘にE-メールで翻訳を依頼しました。
彼女は出来るだけ努力すると言ったのですが、私の英語の間違いや言い回しを修理翻訳し、モントリオールに住む義姉に転送添削を依頼したのです。ブダペシュト生まれのブダペシュト育ちの彼女は直ぐ添削返送、私が送って三日目には私の手元に綺麗なハンガリー語の手紙が。
この手紙に私はユリアナとカロリが遊びに来た頃を思い出し「あの頃は私たちは若かったし、このような日が来ようなどとは夢想だにしなかった。。。」と言うようなことを書いたのです。
私の母の口癖は「その日と言うものは来るものだ、私が死ぬ日もお前がお嫁に行く日も」というもので、私はこれを聞くのが嫌でしたが、ふとそのことを思い出しました。
三十数年後この二人の義姉妹が私の年齢に達したら私の手紙の内容は全て忘れてもその一行だけは思い出し、実感になるだろうと言うことも思いました。
そして、私は今一人減り二人減りという年代に何時の間にか突入していたということも実感したのです。
ユリアナに再会する日はまずないでしょうが、私が同じ立場だった時受けた人々の優しさを彼女にも伝えたいのです。

明日はお悔みのカードに添えて投函しようと思います。


エスペラントの父ザメンホフ
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