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★ Serena ★

カナダ暮らしのエスペランチスト、自然愛好家。
エスペラントやカナダの野草、ネーチャークラブの活動など思いつくままに。

ナイアガラ・リサイクリング・センター

2008-11-05 20:32:29 | 雑  記
<選別されたゴミが下の箱に。。<騒音で、会話も出来ない。黙々と仕事。<ベルトの上を流れて行くゴミ<缶詰の空き缶などはポンポン磁石に吸い取られて。。<大きなシュレッダー、ビジネス書類などはここで処理される。<梱包されて出荷を待つ。
ナイアガラ・リサイクリング・センター

十一月三日月曜日、ネーチャークラブの手配でリサイクリングセンターの見学に行きました。リサイクルの箱にゴミを捨てるたびに、沸いてくる色々な質問をする良い機会でもあり、滅多に来ない機会でもあるので絶対に。。と思っていたのです。
リサイクルに関してはカナダでもリーダー格のこのセンターは9,300平方メーターの建物を使っていますが、始めからこのように大きかったわけではありません。
もともとは発育障害者を対象にした教育機関として1974年に発足したもので、リサイクルの対象も新聞紙に限られていました。それも今のように定期的に回収するのではなく溜まったら電話をして取りに来てもらうという形です。
今では、ナイアガラ地区のゴミ処理を一手に引き受けリサイクルしていますが、その範囲は12市町村、140,000世帯に及びます。その他同地区の200を越える商工業、250あまりの学校もこのセンターが請け負っています。

リサイクルによってナイアガラ地区は収入を得ています。2007年にはリサイクルした原料の売り上げは6.7百万ドルでした。
中でもリサイクルのスター格は「ナイアガラ・エコグラス」です。
1.2百万ドルの最新技術を用いた機械によって古いガラスは再生され、商品となって出荷されます。
日本の風呂桶位もある白い大きなプラスチックの袋一杯に詰められた製品が幾つも並んでいましたが、機械そのものは特許を取ってあるので写真に取らないで欲しいといわれました。
製品は主にサンドブラストに使われますが、セメントに混ぜたり、水の浄化装置に使われたりもします。

表紙写真は梱包されたアルミ缶の山の前で説明する所長のブルースさんと聞き入るネーチャークラブのメンバー達。


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新しいオーヴン

2008-10-19 15:09:01 | 雑  記

私の貧しい台所が少しばかり華やかになった。
もっと狭い台所でもキチンと整えて暮らしている人も多いのに我が家のは片付かない。片付かないというより片付けない、が正しい。
仕舞いこんでしまうと所有していることも忘れて不自由していたり改めて買ったりするので、何でも目に付くところにおいておきたい心境なのだ。
だから本当は物を増やしたくない。だが、今回はちょっと事情が違う。
オーヴンなるものを使うようになってこの方私は一度も自分の新しいオーヴンを持ったことがなかった。いつも誰かが、「新しいのを買ったから、これ、使わない?」と提供してくれる。自分の持っているのより良い状態なら「有り難う」と受け入れる。そんなわけでこの家に暮らして40年間私のオーヴンは何回か変わったがいつもお下がりばかり。
一度くらい自分で選んだ新しいのを使ってみたいものだとの希望はあってもまだ使えるので使い続けていたのだ。
それが、最近ノブに手を掛けるとビリッとくることがあり、八月に息子の訪問があったとき見てもらったのだが専門の電気屋さんにでも見てもらわないと判らないと彼もお手上げだった。
ウィニペッグに帰ってから彼は電話をくれた。「適当なのを探しておけば?新しいのを買ったほうが良いと思うから。。」と言うこと。
私が新しいのを買うときは「グラストップ」にすると決めていたので、適当なのを見つけるのにあまり時間は掛からなかった。要はサイズと値段。サイズはぴったりの30インチ幅、値段も手頃な$600。最も安いものだが私はお料理する方ではないからこれで充分過ぎるくらいなのだ。
息子は今回の訪問の第一日目にこの買い物をしてくれた。買って二日めには配達され、古いのは配達人たちがカーブに出しておいてくれて、一時間もしないうちに誰かが持ち去ってくれた。屑鉄を商売にする人たちは街を巡って歩き、直ぐ集めていく。その辺はとても便利な国である。
目下日本に帰っている友人は独り暮らしだったお母さんが亡くなった後の家の始末に行っているのだが、こう簡単には行かないのだと嘆いていたけれど。。
まだ役立つガラクタの始末にはがラージュセールが一番なのだが、それも日本では出来ないと彼女は言っていたが、リサイクルのシステムは非常に進歩している国にしては矛盾する話だと思う。
話を元に戻そう。
私の新しいオーヴン、何故グラストップを欲しかったかと言うと私は良くへまをやり煮こぼしてしまう事が多く、その後始末が大変なので。これなら汚れの掃除にレンジの下に手を入れて洗わなくても済む。それが気に入っているから。
色々注意書きがあって、それに従わなければトップのガラスが割れることも考えられるから充分な注意を要するけれど、使うのは私一人だから良い。
夫が健在だったら恐らく真っ先にドジをしたと思う。例えばまだ熱いレンジの上に冷めたい水をこぼすとか。。。
テフロン鍋をいくら言ってもフォークでかき回す人だったので想像に難くない。

因みに、私はオーヴンと言う言葉を使いましたが、オーヴンはケーキを焼いたり、肉のローストをしたりする部分です。全体のことは一般にはキッチン・ストーヴ或いは単純にストーヴと呼んでいるのですが読者は殆どが日本在住の日本人、従って暖房用のストーヴと混乱するだろうと思い敢えて「オーヴン」を使いました。


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宇宙カレンダー

2008-10-15 17:22:44 | 雑  記


先頃三浦信義(Nobby Miura)さんの随筆「宇宙カレンダー」を読ませていただきました。彼はトロントに住む科学者で、カナダの日本語新聞、日加タイムスにもう17年も「コスミック茶話」という連載コラムを書き続けている人です。
彼が書いたものを私も読めるというところが彼の著作の魅力なのですが、科学はサッパリわからないと言うような人でも読んで面白いと感じられるような平易な表現を使って誰にでも理解できるような書き方をする彼の態度を私は常に高く評価しています。このような書き方ならば少年少女が読んで科学に興味を持ちその方面に伸びて行く可能性も高いでしょうから。
その17年間の著作をまとめ、本にする計画なのだそうですが、科学の進歩が目覚しく古い記事はそのままは使えないので書き直す必要があるとのこと。これも結構な大仕事でしょう。

『コスミック(宇宙)カレンダーというものがある。137 億年前に起こった宇宙の始まり、「ビッグ・バン」を1 月1 日午前零時とし、現時点を12 月31 日の真夜中として、長い宇宙の成長過程を1 年という時間感覚でつかもうとしたものだ。』
で始まるこの随筆は人間の存在が如何に小さなものであるかを私たちに改めて思い知らせてくれます。彼は続けます。
『だが、ここで驚くべきことに気がつく。その時間的にも空間的にも無に等しい生物である人間が、逆に宇宙全体を超越しつつあるということを。人間という生命の中の頭脳が「考える」という武器を使って、時間も空間も超越し、今や宇宙の根源にまでその指先を触れようとしている。そのことを考える度に僕は深い感銘を覚える』
そのようなことを知り、そのことを考えた時、感銘を覚えるのは彼一人ではない筈。

そこで、私は思うのです。
人間は微小でありながら偉大なのだということを。人間は様々な能力を与えられています。鳥が空を飛ぶのを見て飛行機を考え出しました。小鳥は歌を歌えます。人間は自分で歌うだけではなく楽器を考え出しそれを操作し音楽を作り出すことが出来ます。このような色々な能力を与えられている人間ですが、良い、役立つ能力だけではありません。動物の中で憎しみと言う感情を持っているのは人間だけだと私は思っています。他の動物が何かに襲い掛かるとしたらそれは憎しみからではなく餌食にするためか、身を守るためかのどちらかでしょうから。
神様は人間を自分の姿に似せて造ったと言うことを聞いたことがあるでしょうか?
私はこれは逆だと思っています。人間が神様を自分の姿に似せて表現しているだけではないですか?その身勝手さは傲慢とも言えるでしょう。この傲慢さも人間以外の他の動物にはないものでしょう。
傲慢さ、憎しみ、どちらも醜いものです。その醜さゆえに人間は争い、殺し合いをしています。その間自分たちが如何に微小なものであるかを忘れています。
宗教や思想の違いから、或いは他人の物を自分の物にしたいがために争っている人たちが改めて宇宙を考え人間の微小さに気付いてくれたら。。。
それは夢かもしれません。でも全く不可能なことでしょうか。
路傍の花に立ち止まりその美しさを愛でる心や、星空を仰ぎ見てその彼方を思う心を持つ人々が増えることを願うのです。

『人間とは基本的には動物で不完全な生き物だ。人類の抗争や諸問題がそう簡単に解決するとは僕自身思っていない。でも、理想に向かって努力することは誰にでも出来ることだろう。』
本当にそうです。理想に向って努力することに大きな意義があることを知らなければなりません。

因みに三浦さんは挿画も自分で描かれます。これがまたユニークな白黒の、切り絵のような、或いは版画のような鮮明なものです。今回の随筆の中で私が特に好きだったのはモナーク蝶(オオカバマダラ)が今まさにアジサイの花にとまろうとしている姿でした。


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北京オリンピック -- その華麗さに。。

2008-08-11 20:58:32 | 雑  記
オリンピックの開会式の様子を断片的にニュースで見ました。
早朝の5時から頑張って見ていた人も多かったようですが、私はそこまでする気は無く夕方になってニュースを見ただけです。
その華やかさは確かにWow!と言えるものが有りました。
が、私はその華やかさに不快を感じたのです。
市街地を這うように続けざまに上がる花火を見ながら、危険は無いのかしらという疑問も湧きました。
オリンピックが始まる少し前カナダの国営放送CBCが「Road to Bejing/北京への道」とか言う番組をしばらくやっていたので断片的ですがそれを見ていました。
その番組で様々な中国の事情や景色やらが紹介されたのですがが、最も心に残ったのは、あの素晴らしい大都市を作るため、市民の家を破壊し彼らを追いたてていた事情です。
相応のコンペンセーションも無いままに、全てを失って号泣する初老の夫人に胸が詰まりました。抗議のデモをして投獄されたり。。。
オリンピックが成功しても、そして成功を願いますが、私は恐らく中国政府のやり方には全てについて疑問を持つでしょう。
オリンピックが始まって、街頭のインターヴューに応える中国人の全てが誇らしい表情で「他国の尊敬を獲得するため。。」頑張っているのだと応えているのも気になりました。金メダルの数は目下中国が一番取っているようだし、今後の期待も大きいようです。
金メダルの数だけで他国の尊敬を得られるのでしょうか?
人権を無視するような国政が行われている限り無理な話と私は思うのです。
既に殺人事件も起きていますが、オリンピックが原因だったかどうかは知る由もありません。ただ、この後は何事も無く平穏に予定が進行されることを祈るのみです。

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ヴァイキング料理の食べ方

2008-07-08 13:30:57 | 雑  記
Maid of The Mist

写真はナイアガラ瀑布の遊覧船「霧の乙女号」、乗らない心算だったのが、合羽を渡されたのでしょうがなく乗ってしまった 。。。 私がこの船に乗るのはこれが最後、と言う気もして天気も良かったし「Kial ne / Why not」と乗ってしまい撮った写真が下の三枚。勿論カメラに撮ったのは何十枚、紹介するのがこれだけです。
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この後、夕食をとあるリゾートホテルのバッフェで食べました。所謂ヴァイキングです。
その時は特別考えなかったのですが、使ったお皿は食べ残した物も含めてテーブルに置いておくというマナーも変わってくる必要があるとふと思ったのです。なぜなら地球温暖化が煩く言われ、水も大切に使いましょうという呼びかけの声も日々高まっている現在、このようなマナーは酷く不合理です。普通の家庭でバッフェをするならそんなことはしないでしょう。自分の使ったお皿を持って次の食べ物を取りに行くでしょう。
今だってナイフ・フォークの類は同じ物を使うことになっています。これがお皿に延長されても不思議は無い筈です。いずれ何処かのレストランが始めるかと思うのですが、まだそこまで水不足を感じて居ないのかも知れません。お互いに何処かが誰かが始めるのを待っている状態かもしれないし。。。
きっと真剣に検討している最中かもしれないのです。
車を洗うのも昔のように水道水をジャージャー流して、というやり方は顰蹙を買うし遠慮しながら洗っているという印象を受けます。私の場合は単に怠け者ゆえなのですが。

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キャスリーンの金メダル

2008-05-12 21:21:28 | 雑  記

ちゃんの従姉キャスリーンが一昨日の土曜日にケベック州のシクチミ市で行われた音楽祭で金メダルを貰いました。
彼女の使っているヴァイオリンは我が夫が「家族内に残しておきたいから」という理由でまだ小さかったキャスリーンに上げたものです。従って私としてもそのヴァイオリンが有効に使われていることは嬉しいことです。ヴァイオリンはその後数年壁に掛けられてキャスリーンの注意を促していたようでした。習い始めてまだやっと一年で、この度胸。堂々と観客を正面から見詰めていたとか。聴いてあげてください。
キャスリーンの演奏
写真はキャスリーンの練習するのを見て興味を持ったちゃんが独自のヴァイオリンを弾く真似をしているところです。


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ビルマのたわごと

2008-05-09 10:14:27 | 雑  記

ビルマのサイクロンの被害の大きさは私の想像の及ぶところではないらしい。
そういうニュースをテレビで見たりラジオで聞いたりしていると、この国の軍事政権のためらいがはっきり伝わって来る。援助を受ける躊躇い。。
近日になってようやくしぶしぶ受け入れることに下らしいが、それでも物資は欲しいが配布は自分たちのルートでやる、とか外部の者に入ってきてもらいたくない態度を見せている。
外部の援助を受ければ後日自分たちの政権に干渉される恐れがあるとの考えが元になっているらしい。自分たちの立場さえ守れればそれで良いんですよ、とはっきり行っている人の話もテレビで聞いたけれど、国民が滅びてしまったら治める相手が居ないのだから、それからどうする?と聞きたくなる。
被害者にしてみれば援助は何処から来ようと誰がしてくれようと関係ないのではないのか。兎も角助けて欲しい。路上に「空腹です。助けて下さい。」と書いて空からの援助を期待していた人たちは一日と言えない状態なのだ。
空から栄養価の高いビスケットの包みを落としている映像も見たけれど、飲料水も薬も必要なこの人たちにとって一刻を争う状態なのに、何を考えているのだろう。
私の考えは単純幼稚かもしれないが、恐らく多くの人は同感ではないだろうか。


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みどりとパールマン

2008-04-18 10:08:18 | 雑  記

台所で何となくラジオを聴いています。美しいヴァイオリン曲を弾いているのはみどり。さすが天才と言われるだけのことはあると感心しながら聞いていました。曲はチャイコフスキーの「シンフォニー・メランコリック」とか言うものではじめて聞く曲でした。デビューの頃ははっきりと「五島みどり」と呼ばれていたのに何時の間にか「みどり」だけになったことの理由は判りません。
それから三日後、同じ曲が聞こえてきました。放送局もレコードのストックが少なくなって、またみどりの曲を流しているのだな、と思いました。
しばらく訊いていて気が付いたのです、少し違うことに。
全く同じ曲なのに演奏に艶があるというか、深みがあるというか、言葉は見つけられませんが確かに違うのです。たった三日でこんなに上達するなんて、、と思い、生放送ではないんだと気付いて一人苦笑い。こうなると最後まで聞いてみどりの演奏かどうかを確かめなければなりません。
曲が終わり、イツァーク・パールマンとアナウンサーが言いました。
謎が解けたというか、何となくホッとして、さすがパールマン、と言う感動も否定できません。みどりほどのヴァイオリニストでも比べられるとこんなに差がついてしまうのです。年期が違うと思います。でもそれだけではないのでしょう。生まれつき与えられた才能というものは絶対あると思います。


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はないちもんめ

2008-04-04 20:04:04 | 雑  記
ちゃんが『子供に日本の伝統を教える教室』に通い始めて大分経ちました。娘のは「学校」と呼んでいます。
その教室で「はないちもんめ」の遊びが紹介され、には大分チンプンカンプンだったようです。そこで検索し、ウィキペディアの英語のページに歌の文句がローマ字で出ていたので知らせてやりました。
子供の頃学校の庭で遊んだ記憶はあるのですが、「はないちもんめ」の意味は全く知らぬまま。この検索で初めて知りました。
英語のページにはこうした歴史的な意味はまったく書かれていないので、口頭で説明したのですが、意外なところに勉強の糸口があったということ。
貧しい農村で口減らしのために子供(女の子=花)を一匁(「いちもんめ」は江戸時代頃の銀貨の単位)という安い値段で人買いに売った、という社会状況を歌っているのだそうで、知らぬが仏とは言え楽しく遊んだことに罪の意識さえ感じます(大袈裟!!)。或いは楽しく遊んだあの頃にそんな悲しい意味を知らなくて良かったとも言えるかも。
はないちもんめ


この教室では先日は紙の風車(カザグルマ)を作ったそうです。幼い子供達ばかりなのでとても喜んだそうですが、私などはすっかり忘れていたことばかり。指導は三人の日本女性で、何を教えるかどう教えるかなどの準備も大変だろうと思うのですが頑張って欲しいですね。
も何時か子供を連れて日本を訪問したいそうなので日本語の勉強にも意欲が湧いてきたらしいです。

序でに遊びの色々、メモリー・レーンを辿ってみてはいかがでしょう。
遊びの大図鑑


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小鉢が割れた

2008-04-03 21:36:34 | 雑  記
今朝、昨夜洗っておいた食器を片付けようとして戸棚を開けたら其処にあるべきものが無い。確か一つあった筈、それともこれはボケというものか?
私の食器棚には和風食器と言うものがほとんど無いのです。その数少ない和風食器の一つがもう大分昔に妹が買ってくれた小鉢で、一個は大分前に割れて四個だけになってしまったのですが、そのうちの一個が其処にあるはずでした。
昨夜使った二個をその上に重ねようとしてその辺が変に空いているのに気付いたのです。一個は冷蔵庫の中、手に二個それならばもう一個はここにある筈。。。
ありました。桃太郎の桃のようにパッカリ割れて。
自然に独りでに割れる?
「キミがこんなことしたの?」
と私は亡霊に聞きます。返事はありません。
昨日あんなことを書いたから実際は何か出来ることを証明したのかと思いましたが。
あまり綺麗にスッパリ割れているので捨てる気になれずそのまま台所においてあります。
最近何とか言う強力な接着剤がテレビで宣伝していたことを思い出し、もしかしたら買おうかなとも。
薄っすらとひびが入っていたので使っていて割れたら嫌だなと思い、使う確率の低い一番下に置いたのですが、使ってもいないのに割れてしまったのです。
何にでも寿命がある、と母が良く言っていましたが、これが寿命というものなのでしょうか。寿命なら接着剤で繋ぎ合わせても意味がないでしょう。勿論繋ぎ合わせて又使う心算はありませんが、一つ減り二つ減りして寂しくなっていくのが残念です。
割れっぷりが小気味良いので、捨てることには聊かの抵抗もあるし、当分このまま置いておきましょう。何かいいアイデアが出てくるかもしれません。
割れた小鉢にですかぁ?
と言う声が何処からか聞こえてきますが。。。


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今日は強風

2008-04-01 19:36:07 | 雑  記


昨日は一日雨、今日はかなりな強風が吹いている様子。でも気温は15℃と気味が悪いほど暖かいのです。前庭のスノードロップス(写真)も咲き始めました。
久しぶりに買い物に出掛けました。春のジャケットを着て出掛けたのに何と暑いこと!ジャケットなんかかなぐり捨ててセーターだけの人も多く見ましたが、T-シャツだけの人だって勿論いました。
スーパーマーケットの駐車場は大して混んでいませんでしたが、出口に近い出易い場所が開いていたので其処に停め、シメシメ。
の心算でしたが、今日の買い物はちょっと重く、じゃが芋は10ポンドの袋、ということは約5キロ、加えて1.2キロの赤いパプリカと1.3キロの青いリンゴ。カートを返し車まで手で運べる重さではありません。つまり買い物を車に積んだらカートを返しに又戻らなければならないのです。
「ヤレヤレ。。」
こういう時「君はここで待っていて、」と夫は一人で車を取りに行ったものでした。私は荷物と一緒に待っていればよかったのです。一緒に車まで歩く時は荷物を積むのも彼で、カートを返しに歩くのも彼でした。ウロウロしていると「中に座ってて!」とどやされたり。。
もっとも晩年は私がカートを返しに行くことを買って出ても「ありがとう」と素直に承諾していましたが。
この強い風の中カートを押しながら、二人の方がやっぱり良かったな、と思いちょっとばかり腹が立ってきました。
先日、読み終わったからと日本語の本を送ってくれたK子さんは私よりも半年ばかり遅くご主人を亡くされた人ですが、彼の声が(自分の心の中で)聞こえるそうです。
私は夫の声を聞くことはありませんが姿は何時も見ています。今日も私と一緒に居るのです、何にもしないで。
テレビなどで見るホーンテッド・ハウスの亡霊たちだと物を動かしたり楽器を鳴らしたり出来るのに、我が夫の亡霊は何もしません。ただ一緒にいるだけです。
じゃが芋の袋くらい持ってくれたらなぁ、先に死んじゃったこと大目に見るよ。


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異常なのは本人だけか?

2008-03-30 09:29:59 | 雑  記

ナイアガラ・オンザ・レークにある風見の帆船

今朝ブログの編集ページを開いたら異常なタイトルのニュースに気付きました。開いてみたら。。。
バスで携帯、注意され死なす=10分間暴行、乗客30人止めず-三重・松阪(時事通信) - goo ニュース
競馬場近くの臨時バスとなれば乗客の種類も大方見当付くというもの。幼い子供とかヨボヨボの爺婆とかは乗ってはいなかったと思うのです。記事では30人もの乗客が止めもしなかったと書いてありますが、運転手はどうなんですか???バスを臨時停車して止めに入るなり事態によっては警察を呼んでも良かったのではないかと思うのです。
過去に私の乗ったバスで起ったことですが、ラジオの音を高くして聞いていた若者に運転手が運転席から注意したことがありました。それでも音は低くならないので運転手は高速道路でバスを停め、若者の席まで立って行き再度注意していました。
これ以上続けるなら降りて貰います、というものです。他の乗客の迷惑を考えての運転手の行為でした。
今日の写真は昨日ナイアガラ・オンザ・レークまでドライヴした時に撮った風見の帆船です。春めいた空を背景にいいなぁと思って撮ったのですが。
運転手も含め風の向きばかり見ていた人々のお陰で一人の人の命があっけなく失われたことが遺憾です。運転手には業務上の責任などはないのでしょうか?


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