今朝ブログの編集ページを開いたら異常なタイトルのニュースに気付きました。開いてみたら。。。
バスで携帯、注意され死なす=10分間暴行、乗客30人止めず-三重・松阪(時事通信) - goo ニュース
競馬場近くの臨時バスとなれば乗客の種類も大方見当付くというもの。幼い子供とかヨボヨボの爺婆とかは乗ってはいなかったと思うのです。記事では30人もの乗客が止めもしなかったと書いてありますが、運転手はどうなんですか???バスを臨時停車して止めに入るなり事態によっては警察を呼んでも良かったのではないかと思うのです。
過去に私の乗ったバスで起ったことですが、ラジオの音を高くして聞いていた若者に運転手が運転席から注意したことがありました。それでも音は低くならないので運転手は高速道路でバスを停め、若者の席まで立って行き再度注意していました。
これ以上続けるなら降りて貰います、というものです。他の乗客の迷惑を考えての運転手の行為でした。
今日の写真は昨日ナイアガラ・オンザ・レークまでドライヴした時に撮った風見の帆船です。春めいた空を背景にいいなぁと思って撮ったのですが。
運転手も含め風の向きばかり見ていた人々のお陰で一人の人の命があっけなく失われたことが遺憾です。運転手には業務上の責任などはないのでしょうか?
数ヶ月前の判決でしたが、量刑については忘れましたが、走る新幹線内で見ず知らずの女性の服を脱がせ暴行した男のことを読みました。乗り合わせた乗客は皆知らんふりをしていたそうです。
また、若者による無差別な殺人事件が増えています。先日もエスペラントの学習をそっちのけで子ども育て方のどこが間違っているかと友人と話し合いました。彼女は今登校拒否でようやく学校に来るようになったものの教室に入れいない子どもたちの世話をしているものですから。
万引きを見付けた店長が犯人を追いかけて、相手が振り向きザマにブスリとナイフと一突き。心臓をです。もちろん死亡。進学の希望を無くした青年が、刑務所に入りたいからと考えて、プラットホームで会社帰りの青年の背中を押して転落させ殺す!社会は病んでいます。この社会のゆがみを正さすことが喫緊の課題となっています。
そのような社会であればなおのこと、バスの運転手はバスを停め、警察を呼ぶべきではなかったか。。というのが私の言いたいところです。
こういうことを記事に書く人間も居なくなったらもう終わりでしょうが、まだ書く人間が居り、人々の関心を呼ぼうとしています。
政治家、教育者達からして腐っているような社会で、それが大目に見られているという印象を受けていますが、みな麻痺してしまっているのでしょうか。
これでは日本人としての誇り云々は「何のこと?」ですね。
運転手は終点で、乗客を降し、二人から事情を聴いていたとも書いてありました。
その聴取しているときに、ひとりが突然倒れたということです。持病で倒れたかと思ったとも書いてあったので、打撲の跡とかの外傷はなかったのかも知れません。普段から酔客や、ヤケクソで絡む客もいるのかも知れません。
運転手さんの責任はゼロとは思いません。大人の喧嘩が後部で行われていて、その責任までとれとは、どうかなとも思います。安全運転を怠ったケースとは違うと思うのですが・・・。
なんだかんだで、今の世の中は「力無き正義は無力なり、正義無き力は暴力なり」な訳で…。
他人の迷惑行為を止めるのなら、最低でも、特殊警棒なり、催涙スプレーなり、安全靴なりで武装しなきゃ駄目なんじゃないか…と思います。