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★ Serena ★

カナダ暮らしのエスペランチスト、自然愛好家。
エスペラントやカナダの野草、ネーチャークラブの活動など思いつくままに。

空 洞

2009-11-14 19:35:13 | 雑  記


昨日の午後息子をハミルトン空港まで送っていきました。この便一本だけの日なので、乗れなかったら翌日になりますから、私は座席を貰うまでその辺で待つと言う段取りです。
便は半分以上空席だとかですぐ貰えましたから、そのまま帰りました。
空港を去るころはまだ明るかったのに釣る瓶落としの秋の空ですからあっという間に暗くなりました。対向車線が結構忙しく向こうから来る車のヘッドライトが眩しくて、やっぱり夜は嫌いだなぁと思いながら。。。多少オーヴァースピードで一時間二十分で帰宅です。行きは息子が運転し高速道路で一時間でした。途中???というほど混んでやはり高速道路は嫌いです。特に飛行機に間に合うかどうかなどといらいらするのは精神衛生上良くありません。
帰宅して気がついたのは猫が寂しがっているらしいことでした。
夜遅くまで起きている息子は何かと猫の相手をしていたようで、それを期待していたらしいのです。


今日も晴れて日差しが暑いくらいの日でした。
猫はもう息子のことは忘れたようですが、家の中が空洞なのを私が感じています。
息子は特ににぎやかな性格でもないのですが、誰かがそこに居るだけで空間は埋まっているものなのだと気づきました。
彼が残していった洗濯物だけは片付けましたが何となく拍子抜けして雑用は放ったらかしです。
また、自分を励まし励まし書類の整理などにも取り掛からなければ。。。
うんざりと机上の紙類を眺めています。
ああ、魔法の杖でもあればなぁ!

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コンピューターの大掃除

2009-11-10 08:36:10 | 雑  記

長い間には色々なプログラムやファイルが溜まってしまいますが、中にはまるで使っていないのもあれば、誰がこんなものを入れたの?と言うようなものまであります。その上写真も膨大な量になり、息子が滞在中に大掃除をしてくれることになりました。
必要なファイルは約二日掛かりでハードデスクに移動させたので今朝、と言っても彼が起きてくるのは昼近くなるのですが、大掃除に取り掛かると言っています。
恐らく二日くらいはコンピューターは使えないかもしれません。
その間等閑にしていた他の雑用に心を向けようと思っていますが。。。果たして?
それをする気にならなかったら暫らくお休みしていた読書に戻りましょう。

息子は約一週間の滞在中私には出来ないことや困難なことを片付けてくれます。リストを作って置くようにといつも言われ、作るのですが書き忘れているのもあり、「ナニはいいの?」と催促されることもしばしば。
この、コンピューターの掃除は私が考えていたものではありません。息子があまりの煩雑ぶりに思いついてくれたものです。コンピューターの中身は私には丸でチンプンカンプンですから、天の恵みと思っています。

と言うわけで暫らくお休みです。
Ĝis revido!

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肉 屋 で 。 。

2009-11-07 09:00:50 | 雑  記
Cow Mailbox
ハミルトン空港への途中で出会う農家の郵便受け

土曜日に(つまり、今日)息子が来ると言うので肉屋に行きました。
普段あまり肉を食べない私がこれもあれもと買うので肉屋のドンはちょっと驚いたようでした。
「息子が来るのよ」
「そんなことだろうと思った」
などとおしゃべりしていたら小柄な、背中の曲がったおばさんが元気な声で挨拶しながら入ってきました。
「ハーィ、ドニー(ドンちゃん)!」
ご機嫌如何?と言うドンの挨拶に
「元気よゥ、」そして「Lovely(素晴らしく)」とさえ付け加えました。
笑顔こそ明るいのですが、私の目には何となく弱々しく何かの病気と共存していそうな人です。
彼女は私の脇に立って笑顔で私を見上げ
「I lie a lot(私しょっちゅう嘘吐くのよ)」
思ったとおりです。
「解るわ、その気持ち」
続けて彼女が言いました。
「そうしないと自分が滅入っちゃうから、惨めでしょ」
時々こういう人に会うことで、私たちは明日に立ち向かう元気を貰うような気がします。
大きなローストビーフの塊を指差して
「懐かしいわね、あんなのを焼いた日もあったのよ。一人ではちょっと大き過ぎる」と
また彼女は私に笑いかけます。
「遠い昔の話ね」
「懐かしい思い出だわ」
世の中には自分を励まし励まし生きている人が一杯いるのだと改めて思ったことでした。
今日は正午過ぎにハミルトン空港に到着する息子を迎えに、私も自分を励まし励まし出かけます。幸い天候は穏やかなようだし。。。

写真は農家の郵便受け、ユーモラスなホルスタイン種。何時もここで笑顔を貰います。右手に翻る旗はオンタリオ州々旗。

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早朝に。。

2009-11-06 21:03:18 | 雑  記
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朝食後ふと窓の外を見たら瀧の水煙が朝日に映えて昇っているのが見えました。
まだ顔も洗っていないのだけれど急いで着替えて突進。さて車をどこに停めようか。
早朝ならお巡りさんもまだ活発ではないし、川べりに停めるのは数分ならなんとか逃げられるけれど落着いて写真なんか撮っていられません。
そこで手っ取り早く古い方のカシノに車を停めることにしました。
時間は刻々と過ぎて、もはや私が窓から見た茜色に縁取られた水煙は姿を消していましたが、早朝の人気も殆ど無い静かな光景はものにしました。
国境の橋のたもとの駐車場からオークス・ガーデンを越えて眺めた瀧。裏写真は未だ低い朝日を受けて長い影を落とすオークス・ガーデンの柵と輝く菊の花です。

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減 量

2009-11-04 22:20:23 | 雑  記
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霜で凍ったセント・ジョーンズ・ワートと紅輪タンポポ

日本食品店へ行きました。
大型バスが隣接の和食レストランの前に停まっていたので、日本人観光団体が入っているのかなと思いましたが、時間的に半端な午後二時頃。
店の中に入ると奥の方に立っていた若い男性が私に会釈しました。「ボクのこと憶えているかな?」と言う遠慮勝ちな会釈です。咄嗟に大型バスとのコネクションがクリック。
ツアーガイドやドライバーガイドをしていたのがある日、丁度日本からの団体が減り始めた頃大型バスのドライバーに転向した人です。「快挙」と私たち年長は褒めたものでした。
日本語しか使えないために転職もままならない人から見たら羨ましいものでしょう。
「見たことがあるような。。。 Fさん?」
笑顔が頷いています。
「痩せたの?」
「25キロ減らしました」
「どうやって?」
「減食と、後は飛んでました」
「飛ぶって?」
「こうやって。。」
と彼はジャンピング・ジャックを実演、「毎日400回」と付け加えました。
太っていたといってもデブと言うほどではなかったし、もともと大柄な彼は痩せても小さくはなりませんから、スリムになったと言う程度の変化です。昔は可愛い感じだったけれど今は落着いて立派になった気がしました。
減食はリバウンドすると聞いたから、普通に食べて、つまり食べ過ぎないようにしていたということですが、それとジャンピング・ジャックだけで25キロも痩せられる?
何ヶ月?何週間?それは聞き漏らしましたが、あの若さだから出来るのかな、と思ったり。彼は四十代です。まだ新陳代謝が活発かと思うのです。
ジャンピングジャックなんて簡単なことだし試してみようかと言う気が無くも無いのですが、問題は「食べ過ぎない」にあります。「これっポッチ残してもしょうがない、食べちゃォ」が毎食時の常用句では。。。

きょうの写真は霜で透き通るように凍った花。アルゴンキンへ行った時のものです。

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車窓から。。。

2009-11-03 22:15:51 | 雑  記
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秋の色が美しい農園風景

トロント行きは午後の列車だったので、周囲の景色を楽しむことが出来ました。
「汽車の通路にトリリアムが一杯咲いているところがあったよ。いつかそこへ行ってみようよ」と夫が言ったことがありましたが、一度もその場所を探した事がありません。一つには線路脇では危険なこと、恐らく路も無い所だろうし、それにわざわざその場所を見つけなくても一面にトリリアムが咲く場所は沢山あるからです。
「汽車に乗ってトロントへ行きたい」とも言っていました。
カナダに移住したばかりの頃の棲家がどんな様子か見たいというものです。ボローニャとピーナツバターばかり食べて暮らした数ヶ月は辛かったなりに懐かしかったのでしょうが、「行ってくれば?」と言う私にいつも彼の返事は何となくハッキリしなくて、今思うと漠然と夢を見ていたのでしょう。その辛かった日々も若い日だったのですから。

ガッタンゴットンという汽車の音は少女時代にも連れて行ってくれました。
汽車通学だった高校生時代、寝坊の私は毎朝滑り込みで汽車に間に合うのですが、遠くから走っている私に「ガンバレ頑張れ」と手を振ってくれていた機関士さん。乗り込むや否やの発車で、これが殆ど毎朝のことでした。

バスで行く時と殆ど同じ所を通るのですが、やはり多少ずれているので車窓から見える景色も新鮮です。遠くへ行くわけでもないのに、なにか遠くへの旅に出たような。。。
たまには汽車も良いものです。

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人 に 酔 う

2009-11-02 09:28:52 | 雑  記
空飛ぶ魔法使い
ポーランドの空で見つけた魔法使い雲

今週末はトロントへ一泊旅行でした。
前から判っていたことでもあるので列車の切符はインターネットで買い、全て準備は整っていたのに、時間の計算を間違えてギリギリに家を出た上、切符と電話を家において出たことに気付き。。。。(焦りと汗)
幸い一ブロック先で気付いたのであまり時間の消耗は無かったのですが、墓地の近くまで来たらお葬式の列が墓地に入って行くところで、何台かの車が入り終わるまで待たされてしまいました。結論は滑り込み。座席に座って一分と経たずに発車でした。
トロントでは友人宅に泊めてもらい積もる話に花を咲かせ。と言う夜でしたが、この土曜日は夏時間が正規の時間に戻る夜でしたから一時間余分な時間がありおしゃべりもそれに従って長いわけです。その間彼女は私にお土産に持たせようと煮物を作ってくれていました。本職並みの味付けで美味しいのです。

翌日曜日はハイキング・ツアーのデブリーフィングを兼ねたブランチを楽しみ、和英両語で喋るのでロレツが廻らなくなったりもして賑やかでした。
午後はボスの一家が所属する水彩画家の集団の25周年記念で、しかも彼女のお母さんの作品がグランプリを獲得したという特別な展示会にも出かけました。
この作品はお母さんの病気が酷くなる少し前の物で、今後描ける可能性は無かろうという、いわば「Swan song」ですから、私たちも出席したことは彼女にとってとても大きな感動だったのです。

みんなに別れ、地下鉄でユニオン駅に着いたら人、人、人。私はすっかり月曜日の退社時間にぶつかったと思い込んでしまった程で、田舎暮らしの私には Too much です。私の母が良く「人に酔った」という表現を使っていましたが、正に酔うという感じがしました。

二日間留守番をさせられたツィツカは寂しかったらしく私の帰宅の物音に出迎えに現われました。
彼女の食事は?
お皿はすっかり綺麗になっていました。あまり好物ではないドライフードの方も半分近く無くなっていて、私の計算は正確だったようです。

何時もとは違った刺激の楽しい週末でした。

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今夜はハロウィーン

2009-10-31 09:03:43 | 雑  記
Jack-o-lantern
今朝は、気温は15℃。
風はちょっと強いけれど、ハローウィーンの日にしては温かです。
ウィニペッグ住まいの息子は昨日カルガリーに飛びました。新品の甥を未だ見ていないので、そのお祝いも兼ねてハロウィーンを一緒に楽しもうかという魂胆でしょう。
勿論赤ん坊はまだ六ヶ月未満ですから眠っていなければ泣いているのがオチですが。

子供達の小さかった頃は私たちもハロウィーンのために精力を注ぎましたが、子供達の成長に伴いそのような行事は卒業しました。
せっせと仮想用の衣装を縫ったのもその頃です。子供達の「Trick-o'-treat!」にもお供して歩いたものでしたし。
雪が降るほどに寒い時もあって、折角の仮装衣装が外套で隠れてしまうのを悔しがる子供の気持ちは解るけれど、風邪を引いてもらいたくない親の気持ちも子供達に判って欲しかったものです。

日本でハロウィーンが行事の一つに数えられるようになったのは何時頃からなのでしょうね。何でも受け入れる国、日本って不思議な国です。
写真は街角のキャンデー屋さんの招き人形。

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びっくり パンプキン

2009-10-30 08:47:39 | 雑  記
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この夏四歳になったちゃんの芸術作品?です。
一般にハロウィーンのカボチャ提灯は目を三角にしますが、母親が手本を見せても、目の三角な人なんて納得が行かなかったらしく出来上がりは実に「オリジナル」です。
下にその過程を示しました。画像はマウスオーヴァーです。
<>紙にデッサン
<>カボチャそのものにデッサン
<>
そして本格的に彫る

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ヴォランテァの仕事

2009-10-29 13:35:59 | 雑  記
Katido sur Hamokoその包みは先週配達されたもので「Open immediately(Malfermu tuj)」の文字が大きく読めました。中味は判っているので慌てず騒がず、、、と言いたいところですが、気が進まず、忘れないように目の前に置いて、毎日眺めていたのです。
昨年から始めた「多発性硬化症」協会のためのヴォランテァ、募金を身近な人たちに懇願する手紙を発送する仕事です。
たとえ自分用ではないにしろお金を人にねだるのは気分の良いものではありません。それに昨年の成果は惨めで、四分の一も反応がありませんでしたし。

いつまでも放置は出来ないし、我が身に鞭打ってやっと昨日封筒書きだけは終えました。手紙は既に印刷されたものなのですが、これに短い自筆の一言を副えた方が良い、と言うお達しなのでそれも書きました。
募金は私宛に送ってもらい、それを纏めて協会に送る仕組みですが、集りがマチマチなこともあるし、二度手間でもあるし、今年は協会に直接送金してもらうことにしました。
そのもう一つの理由は誰が送ってくれなかったか知りたくないからでもあります。他の慈善事業に寄付しているのでこちらにはしない、と言う人も居ますから全ての人を当てにするのは間違いですし、協会の方もそれは心得ていて三分の一も反応があれば御の字位の考えですから私が躍起になることはないのですけれど。
直接送ってもらうためには返信用の封筒にも住所を書かなければなりません。たった二十通程度ですが、年賀状も書かない私にとっては大仕事です。
切手代の負担は夫の集めていた未使用の古い切手が、先日整理した時に出てきたので、これを使いましたが、細かい切手を巧く並べて郵便料金が不足無いようにしなければなりません。
その仕事を今朝終えました。投函もしました。
同じヴォランテァの仕事でも野山を歩き回って花や木調べて歩く方がずっと楽だし楽しいです。

自分へのご褒美は何にしようか考えているところです。

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カルガリーから発信

2009-08-21 20:53:25 | 雑  記

涼しいカルガリーからです。
ようやく日本語を書けるようにしてもらえたので試し打ちってところ。

東部の暑さは異常ともいえるもので、私が出発する前日、お向かいのゴルドンさんが南向きの窓のブラインドを下ろし一度も外に出なかったのです。30℃程度の暑さにひるむ人ではありませんし、何かしら外の仕事をしていなと気が済まないような人ですから、これには私も驚きました。
人伝えに聞いた昨日のニュースではトロントのすぐ北の町に竜巻が着陸、被害もかなり大きかったようでした。夏が来ない、夏が来ないとぶつくさ言っていたのにこの暑さには「悪いけど過剰だ」と不平を言っている人だっているでしょうね。
そのことを思うと涼しいカルガリーで一週間を過ごすのが申し訳ない気がしなくもないです。
涼しいといっても日向はじりじりと夏の暑さです。でも木陰に入れば爽やかな緑の風を感じられるのです。昔はオンタリオ南部だってこんな気候だったなぁと過去を懐かしんだりしていました。

ポーランドから帰国して気付いたことですが、急に当ブログの閲覧者数というのが増えたことです。3~4倍に急に増えたのには目を見張りましたが、ポーランドに関心を持っている人たちなのか、エスペラントに関心があるのかそこまでは知る由もないのですけれど、楽しみに待ってくれている人たちがいるというのは嬉しいですね。ご期待にそえる努力をしなければ。。。

報告はまだ終わっていませんので楽しみにしていてください。

発信時間はカルガリー時間です。

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原爆記念日によせて

2009-08-07 12:09:02 | 雑  記

もう八月に入っているという実感が無いままにカレンダーを見ればもう七日。
そうか、原爆記念日は昨日だった。。。
その日であったかどうかは判らないけれど、八月の暑い夜、玄関のコンクリートに布団を敷いて家族が横たわった時のことが思い出される。一番のお気に入りの余所行き着を着せられて。
息苦しくて喘ぐ魚のように頭を持ち上げると反対側にいる父の手が伸びて私の頭を布団の中に押し込んだ。玄関のガラス戸は開け放たれ、低空飛行するB-29から放射される鋭い光が私たちを照らす度、恐怖を感じ、でも苦しい。
ピカドンという言葉を始めて聞いたのはそれから間も無くだったと思う。ピカドンの意味も良く判らないままにそれは本能的に恐怖を意味した。

今回のポーランド旅行で、ユダヤ人墓地を訪ねたとき、子供達の墓も訪れた。この子供たちの恐怖は私が玄関の布団の中で感じた恐怖とは比べものにならないだろうけれど、そして私たちはナチスの対象にはまだなっていなかったし(ナチスがあの時点で滅びなかったら、私たち黄色人種も同じ運命にあっただろうと私は思う)、両親と一緒だったけれど、家族とは離れ離れのままで死の恐怖の中に消えた子も居ただろうことを思う。

ピカドンの意味が具体的に判ってきたのはそれからずっと後だった。その残酷さがもっとはっきりしてきたのはもっともっと後である。今なおその苦痛の中に生きている人が居ることを思う時、そして今なお地上のあちこちで殺し合いが続いていることを思う時、我が身の微力さがもどかしい。
だからと言って平和を望む心を人々が捨ててしまったら?
努力だけは続けていかなければならない、何時かその日が来ることを信じて。

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マネー、マネー、マネー作戦

2009-07-07 08:51:05 | 雑  記
Moneywort

ユーロを買いに行きました。
銀行では注文しなければならないので両替所へ行きました。
レートは両替所が5%位の手数料を加算してあるから高いのですが、クレジットカードで払おうとしたら
「クレジットカード会社が利息を付けますよ」
という忠告でした。
最近クレジットカードの利息が高すぎると問題になり、下げざるを得なくなったためその挽回策として考え出したことらしいのです。
デビットカードには充分なお金は入っていたのですが、ちょっと考える必要を感じたので、お金を移動させなければならないから後日又来ますということでその場を去りました。
そして私が考えたこと。。。

最近のクレジットカードは大方何かしらの「ご褒美ポイント」がついていますが、私のカードとて同じことです。
どっちみち旅行に出る前にすべて清算する(これも無駄な利息を払わないための作戦)心算だし、カードに前払いしてしまうことを思いつきました。
既に払い込まれてある金額を使うのだからカード会社は利息を付けられませんし、私の払う金額は同じだし、ご褒美ポイントは間違いなく頂く。。。
使うお金が50ドル、100ドルではないから付くポイントもバカに出来ないのだし、これは妙案とホクホクです。早速お金を移動しました。

今日の写真は「マネーワート」です。

英語名:Moneywort
学名:Lysimachia nummularia
和名:ミヤマコナスビの類
エスペラント名:不明

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母と子と

2009-07-06 07:34:30 | 雑  記
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トロントから友人達が「お昼を一緒に。。」と来てくれました。
彼女達の乗ったバスを待つ間ぼんやりと噴水の方を見ていたら。。
こんな風景が目に入りました。まだ少女っぽい雰囲気の抜けない若いお母さんと疲れたのか、「ダッコ」のおねだりでもしていそうな幼い女の子。
今しがた白い風船を振り回して遊んでいたのに、もう風船なんかいらない、という顔です。
ガラス窓の向こうだし、当然二人の会話は聞こえませんが、お母さんの穏やかな笑顔が可愛くシャッターを押しました。背景の噴水の形も面白いでしょう?
ムムム、火星人? イヤイヤ水のお化け入道です。

平和です。

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友 あ り 、 、 、

2009-06-18 09:40:36 | 雑  記


久し振りの友人の便り、「元気で、なんとかやっていますか?」というヘンテコリンな表現。「私自身がそうだから、あなたもそうだと勝手に決め込んで。。。」とある。
それでいてスポーツクラブの卓球の仲間に入れてもらって毎週充分に汗を流し、孫娘たちの世話その他にも忙しく暮らしている。
「元気で、生きていることはなんて素晴らしいことなのでしょう」と言う彼女の言葉は私の胸に痛い。30年の歳月は人生を素晴らしいと考えられるまでに癒やしてくれるのだ。
幼い子供達を残して夫君が急逝した時私は既にカナダで暮らしていたので駆けつけられなかったけれど、翌年訪ねた折に見た彼女はしっかり自分の人生を歩んでいた。自分の職業を持っていた人だけに経済的な苦労は無かったとは言え、感情的な辛さはずっと彼女を苦しめていたに違いないのだ。仕事があること、子供達が居ることが大きな支えであったことは疑う余地もないが。
その間の彼女の辛さを理解できたのは私自身が同じ立場に立った時だった。
私にも「人生は素晴らしい」と言える日が30年も経てば来るということなのか。
そんなに長く生きて居たくないナ、が私の本心ではあるのだけれど。

手紙を書くことが億劫なこの頃、インターネットのない姉にもスカイプで電話できるのだから、彼女にも電話してみようと考えていた矢先だった。
一時はコンピューターを取り付けインターネットも使っていたのに何故かやめてしまった彼女にE-メールも送れなくて不自由だと苦情を言ったけれど通じない。

友だちは直ぐに出来るが、親友が出来るには長い年月が必要である。
最近冷やかしに登録してみた「無料の英語」の勉強というのがある。案の定毎日一つ短い文章を送ってくれるが、前置きが長く、「XXを知りたければ、こちらをクリック」式でDVDや本などを売ろうとしているので、取り消そうかと思ったけれど、ある意味ではエスペラントの勉強にも役立つアイデアがあったりするので暫らく送らせることにしているのだが、その中に「私の親友になってください」というのがあって抵抗を感じた。
「友達になってください」なら納得なのだが、いきなり親友になって、と言うのはどういう神経なのだろうと。

便りが間遠になっても心が通じる友、お世辞や諂いなしに付き合える友、何かしら褒めるに価する良さを持っている友、二人の人間の出会いがそこまで発展するにはやはり長い時間が必要だと思う。
半世紀を越える長い時間、細々と続いてきた友情は新緑の瑞々しさに似た美しさがある。
「一緒に駒ケ岳に登りたいね」といったのは十年も前、その時赤ちゃんだった彼女の孫娘がもう六年生。私の足腰が許せば、来年駒ケ岳登山の可能性も出てきた気配を感じている。駒ケ岳登山は私たちがセーラー服の少女だった頃の大イヴェントだった。

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