このお姿は会津中央病院前のコクブ薬局前にお立ちあそばして中央病院での診察を終えてコクブ薬局に出入りする人を温かく迎え微笑んで送り迎えして下さる大事なお地蔵さんなんです。たくさんの人の悲喜こもごもを優しく受けて下さる地蔵尊のお姿なんです。2021年1月6日、94歳になったばかりの私は3ヶ月ごとの「心筋梗塞の定期検診」を中央病院の循環器科で受けました。
血液検査・尿検査・心臓のエコー検査を受けての主治医の菅家先生の診断は「すべてに良好、」「元気にがんばりましょう」でした。終わってコクブ薬局に入る前にこの地蔵尊を拝すると優しい微笑みと温かい大きな御心で「さんたろうよかったね」と優しく私を受け入れて下さいました。
このお地蔵さんは私の22年間の長い間の闘病生活を優しく支え励まして下さっていらしゃるんです。
私が72歳の時でした。当時元気だった私の11月のある日ばばちゃんは朝から集まりがあって出かけて 留守でしたけど、お昼ころ激しくはないんですけどなんか異常に重い感じの腹痛を覚え町の消化器科の医院の診察を受けました。先生はあす精密検査しますので来院して下さいとのことでした。でもばばちゃんが帰った午後6時頃は38度を越える発熱状態になっていました。ばばちゃんは驚いて息子たちを呼んで救急車で病院に行くと言うんです。その頃元気だった私は「我慢していれば治る、明日は医院で精密検診もある」と救急車をよぶのに反対していたんですけど、そのうち39度近い発熱で意識が混濁してしまい救急車で会津中央病院に運ばれました。意識が混濁していましたけど何人も先生の必死の治療を受け特別治療室のベットに横たわったことをかすかに記憶しております。
特別治療室で数日生死の境をさまよいようやく看護師室(当時は頭に真っ白なナウス帽をつけた看護婦さんばかりでした)のすぐ隣の特別病室に移されました。すぐ隣のベトに重病の方がいっらして苦しみの声をあげるのを聞きながら「俺は耐えて頑張るぞ」と思ってがん張っていました。点滴で食事なし、排尿排便はベットの上でした、看護婦さんのお世話になりながらもう恥もな外聞ない私でした。
何日かしてようやく自力でトイレにいけるようになって一般病室に移ることが出来ました。でもどうしても特別食でしたけど気持ち悪くて食べることが何日も出来ませんでした。点滴だけで生きていたんです。私に優しく親切だけど厳しい看護婦さんがいて「食べなかったら死んでしまうよ」と何度もいわれようやく野菜の一切れを食べたことがきっかけで食欲も少しずつ出てきて元気になってきました。
病名は胆管炎でした。当時の治療が今とはずいぶん違っていました。抗生物質の点滴と胆管の補助の為に細いプラスチックの管を肝臓に差し込んで胆液をボトルに受ける治療が主でした。黒い胆液が薄い色になったら病気は完治と言われてしまいました。
でもその管を肝臓につける手術が恐怖の手術でした、肝臓は麻酔を受け付けないということで麻酔なしで腹部に穴をあけ肝臓にパイプを通すのです。ウムを言わせない厳しい手術で「いたーいちょっと休んでー」と叫ぶんですけど強引に手術は進むんです。
そんな治療を受けながらの3ヶ月半ほどの治療で退院できました。同室の病友は8人でした。みなおなじような病気でしたけど退院できたのは私ともひとりの二人だけでした。当時の胆管炎の完治率はそんな厳しいものでした。
胆管炎は重い病気で退院しても2年に一度は再発して入退院を繰り返していました。
完治したのは私が89歳の時です。
胆管炎が再発しで入院しました。そのときお若い先生がさらりと「胆管のバイパスをつける手術をしましょうね」とおっしゃるんです。長い胆管炎とのつきあいでやけくそになっていた私です、すぐに「お願いします」というと手術室にはこばれて手術台に横になるとなんか激しく強い臭いをかがされて意識を失いました。次の日の朝目覚めるといままでにないない爽やかな気分になっていたんです。そして先生の笑顔がありました。バイパスがついたよと先生がレントゲン写真を見せてくださいました。しっかりと体内のバイパスの姿が見えました。内視鏡での手術が終わったのです。
快適な自分が嬉しくて「先生は神様です」と御礼を延べると「ぼくは神様なんぞではない人間だよ」と笑っていらっしゃいました。
これで私の20数年に渡る胆管炎は完治しました。そして4年後の94歳の私は歳を感じない元気な爺いになってこんなブログ投稿を書いているんです。
この長い胆管炎の治療のほかに86歳の頃もう一つ大きな病気をしているんです「心筋梗塞(しんきんこうそく)」です。
86歳のある日消化器科の定期診断治療を受けて病院を出て駐車場の自分の車へいこうとしたとき道路脇の縁石に躓いて激しく転倒しました。金曜日の午後でした。たれも見てはいませんでしたのでなんの心配もなく帰宅しました。ところが朝起きたとき背中が異常に痛むのです。土曜日でしたのでそのうち治ると我慢していたんですけど、次の日は日曜日、でも痛みは治まらず異常に重い感じの痛みで不安な思いがしていました。次の日の月曜日は私一人で町の総合病医院に行って内科の診察を受けました。診察は特に異常はないけれど念の為かかりつけの中央病院の診察を受けるようにと中央病院に連絡をして下さいました。当時は車に乗っていましたからすぐに中央病院の消化器科の診察を受けました、CTやMRIなどの検査も受けましたけどなんの異常もありませんでした。
なんだなんでもないんだと安心して無謀にもこんな痛み鍛えて治すんだと廊下は急ぎ足、エレベーターは使わず階段を走って上下しました。消化器科の先生はそれでも念のため循環器科の診断を受けるよう手配してくだささいました。なにほどのことやあると一人循環器科をあるっておとずれました。その日は重大な患者さんの治療もあり診察は明日と言われました。私はわがままにも馴染んでいる消化器科の先生に頼んで強引にしかも平然とその循環器科の菅家先生の診察を受けることが出来ました。ところがたいへんなことになりました。「心筋梗塞である」と言われ車椅子で特別治療室に運ばれ体に物々しい機械のパイプや点滴がつながれ鼻には酸素吸入こがつけられベットで絶対安静を命じられました。さっそく自宅に連絡がなされ息子たち二人が 呼ばれていろいろと説明を受けている声が聞こえてきました。でも絶対安静の私にはなんの話もありませんでした。息子たち二人はただ安静にしていれば大丈夫だからと私に告げて帰っていきまいた。
それが特別治療室での絶対安静の一ヶ月、それに一般病棟での一ヶ月あわせて二ヶ月の苦しい心筋梗塞の闘病生活が始まりで奇跡的に命は取り留めることが出来ました。退院後は3ヶ月おきの定期診察をうけるようになって心筋梗塞の治療は今に続いているのです。
退院した時は30mほどの距離のお隣の家に留守中の御礼に行くのがやっとの体力になっていました。でも気の弱い私ですけど少しずつ鍛えて89歳で車を止めるまでには山の尾根道に野草や蝶や蛾をたづねお師匠さんの会津マッちゃんさんのご指導をうけながら愉しむまでに回復して今の私があるのです。
というようなわけで中央病院で診察をうけコクブ薬局をおとずれるたびこのお地蔵さんを拝して励ましや喜びの声を頂いているんです。私にとってはすごく大事な地蔵尊のお姿なんですよ。神様などにあまり深い信心などない私なんですけど私の有り難いお地蔵さんんですよ。
一気に書き上げました。誤字脱字いっぱいの乱文で。お読みくださった方がいらしゃったら深くお詫び申しあげます。ありがとうございました。