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さんたろう日記

95歳、会津坂下町に住む「山太郎」さんたろうです。コンデジで楽しみながら残りの日々静かに生きようと思っています。

注連縄考(Ⅱ)

2020-07-14 | 日記

興味があったので注連縄(しめなわ)についてネットで調べてみました。

注連縄は天照大神(あまてらすおおみかみ)が天岩戸(あめのいわと)から出た際、二度と天岩戸に入れないよう太玉命(ふとだまのみこと)が「尻久米縄」(しりくめなわ)で天岩戸の入り口を塞いだのが起源とされるとWikipediaにありました。

天岩戸「あめのいわと)の物語は80年程前私が小学校の児童だった頃どこかで教えていただいた「高天原(たかまがはら)」での神様たちの物語です

古事記のいう神世の時代は 天照大神(あまてらすおおみかみ)と言う女性の神様が八百万(やおよろず)の神々の上に君臨して神々の世界を豊かに明るく照らしていました。

    どなたさんかのお言葉に「原始女性は太陽であった」というのが思い浮かびます。

ところが天照大神は荒ぶる神速須佐之男命(すさのうのみこと天照大神の弟の)の乱暴狼藉を悲しみお怒りになって天岩戸(あまのいわと)という岩のほら穴に入ってしまい岩の戸を閉めてしまいました。

さあ大変です神々の世界から光が消えてしまって暗闇になってしまいたくさんの災いごとが起こりました。そこで八百万(やおよろず)の神々がみな天岩戸(あまのいわと)の前に集まってどのようにすればよいかを話し合いました。

そのとき美しい天采女の尊(あまのうねめのみこと)が神がかりして見事な踊りを見せました。

八百万の神々はその美しさに見ほれどよめきました。

そのどよめきを怪しんだ天照大神がそっと岩の戸をすこし開けて私が身を隠し世は暗闇になっているはずなのになぜそのように楽しげにどようめくのか?とつぶやきました。すると岩戸の脇に身を隠していた手力男尊(たぢからおのみこと)が鏡をさしだし天照大神を写して見せ、このようにあなた以上の美しい神がお出でになったので皆が喜んでいるのですと申しあげました。天照大神はそれではその神に挨拶しなければと少し身を乗り出されたのを手力男尊が天照大神の手を引いて岩戸からお連れだしなされ、もうここにお入りになってはいけませんとあまの岩戸に尻久米縄(しりくめなわ)を張りました。

天照大神が岩戸をお出ましになったので世はふたたび明るい光に照らされるようになりました。

 天岩戸(あまのいわと)の物語はそんな物語だったように記憶しています。

 小学校の頃興味深く聞いたお話は意外としっかりと記憶されているもんですね。

 

それで、49歳の若さで亡くなった父から譲りうけた「古事記新講」というい古書を思いだしました

この書籍は私にはレベルが高すぎて一度も開いたことがないのです。でもこの際ですので「天岩戸」のところだけ読んでみることにしました。

 

天照大神が天岩戸(あまのいわと)にこもられた要因を古事記では次のように記されています。

荒ぶる須佐之男命(すさのうのみこと)が天照大神の田んぼの畦や堀を壊し、御殿の庭に糞尿をまき散らすのを見ても天照大神はおいかりにならず、須佐之男命が田んぼを荒らすのは田んぼを新しくするための所為であり糞尿をまき散らすのではなくて酒に酔って吐いたのであろうとおっしゃっていましたが・・・

須佐之男命が天照大神の機織りの御殿の屋根をこわして

「天斑馬(あめのふちうま)をさかはぎにはぎて落し入るる時に天衣織女(あまのいおりめ)見驚きて梭(ひ)に陰上(ほと)を衝きて死にうせにき」
 「」内は原文のままです

これをごらんになった天照大神はいかり悲しみ天岩戸にお籠もりになってしまわれたのです。

 

また天采女の尊(あめのうずめのみこと)が神がかりして踊る様子を古事記では次ぎのように書き表しています。

「天宇受売命(あめのうずめのみこと)天香山(あまのかぐやまの)天の日影(あまのひかげ 蔓草のひかげかつら)をたすきにかけて、天之真正木(あまのまさき つるくさ?)を鬘(かつら)として天香山の小竹葉(ささは)を手草に結いて天の岩屋戸(あまのいわややと)にうけ伏せてふみとどろかし神懸りして胸乳をかきいだして裳緒(もひも)を番登(ほと)におし垂れき、爾(かれ)高天原(たかまがはら)動りて(ゆすりて)八百万(やおよろず)神共に笑いき。

古事記の文章にある部分を原文に近い表現で書き写したのは万葉かなで書かれた古事記の神話がいまでは優しくたれにでも読みとられるようになっていることと、その表現がおおらかなことを確認したかったからなんです。

古事記の天照大神の天岩戸(あまのいわと)の記述は先に記した私が小学校の頃聞いた内容とほとんど同じなんです。 

古事記では天照大神が天岩戸からお出ましになったとき布刀玉命(ふとたまのみこと)がここよりお入りくださいますなと天岩戸に張った縄は「尻久米縄(しりくめなわ)」とあって注連縄ではありません。なんか締め縄みたいに感じますけど、細い縄が現世と幽界をしっかりと分ける境界のシンボルの力を持っているように思いました。              

私は小学校1年から5年まで福島県の尾瀬登山口の檜枝岐村の隣の集落の小立岩に住んでいました。檜枝岐には山人(やもうどクマなどの動物を狩ったり山菜やキノコとったりする仲間)の掟(おきて)があるとNHKの新日本紀行奥会津檜枝岐で知りました。

山採りでよいきのこなどを見つけたときそのきのこがまだ若くて数日おいてから採ろうと思ったときは、すぐ近くの草とか蔓を結んでおくんです。それはこのキノコを私が見つけて占めたというしるしなんだそうです。そのしるしの草の結びがあればほかのやもうどはたれも手をださないんだそうです。

また私の 住んでいた小立岩の子供達の間には「しめた」のおきてがありました。80年も昔の僻村です。こどもたちのおやつは野や山を仲間で歩きながら野葡萄やアケビや栗などの野の幸を求めて食べていました。仲間のたれかがたとえば美味しい野葡萄などをみつけたときはゆびさして「しめっ」と叫ぶのです。するとその野葡萄はその叫んだ者の物になるんです。年齢の違いや力の強弱は関係のない「しめ」のおきてでした。

注連縄とは関係はないとは思うんですけどもふとそんなことを思い浮かんだりするんですよ。

なんか自分だけが楽しんでくだくだ書きましたけどもし読んでいだだけたなら嬉しいです。