関東で記録的大雨
とまりぎ
新聞によると、8月26日午後、関東地方を中心に雷を伴う大雨となった。
東京都によると、板橋区で住宅の床上浸水が12件、床下浸水が11件発生し、18ヶ所の道路が冠水した。
床上浸水は新宿区で4件、中野区で4件、北区で3件とのことだ。
横浜市では境川の水位が上昇し、瀬谷区の約6千世帯に避難を勧告、一部住民が近くの小中学校へ避難した。
東京都北区の石神井川も一時、水位が避難判断水位に達した。
似たようなことは、妙正寺川、神田川、善福寺川でも起こり得る。
昔、台風のとき、渋谷川の氾濫で床下浸水した体験があって、状況がよく理解できる。
渋谷川は新宿御苑の池から流れ出し、原宿の低いところを通り、渋谷駅の下までは地下を通っている。
排水処理能力が大きくなったのか、最近では氾濫したような話はなかった。
桜ヶ丘から原峰公園
とまりぎ
京王線の聖蹟桜ヶ丘駅から桜ヶ丘二丁目行きのバスに乗ると、小高い丘の上へ右へ左へカーブしながら登っていく。
十数分ほどで着いた終点の桜ヶ丘二丁目は住宅地で、あたりは道路と住宅しか見当たらないが、ちょっと離れたところに別の住宅街の塔が見える。
停留所で二つ分戻ったところにロータリーがあって、商店街がある。
地理的には、このあたりが一番高いところのようだ。
天ぷら、蕎麦、八百屋、洋菓子などがあるから、日常の買い物はここで済む。
ここで買えないものは、バスで聖蹟桜ヶ丘まで出て行く。
住宅街を降りていくと階段があって、その下に空き地と農地が見える。
これをさらに先へ行く。
道のすぐそばにサトイモらしい大きな葉が伸びている。
田んぼの稲はまだのようだが、サトイモは「きぬかつぎ」がうまそうだ。
田んぼの先に見える森は、原峰公園だ。
今回は公園には入らないで降りる。
道の脇に流れる水。
里山風景がここにもあった。
車の通る道へ出た。
左側が旧鎌倉街道だ。右の坂の上には多摩市役所がある。
街道に面して、倉が見える。
表通りを歩いていると見えないが、 昔の農村風景に突然入り込む。
まるで宮崎駿監督のアニメのようだ。
道の駅三芳村
とまりぎ
千葉の館山道終点まで行き、三芳村へ入る。
花も農作物もあって、客は多い。
裏から広がる田畑へ向って出る。
まず目に入るのがコスモスだ。
道の駅の食事ができるところで、けっこう広い。
足湯がある。
温泉ではないが。
稲は色もいいし、実って頭をたれている。
収穫はもうすぐだ。
おいてあるパンフレットを見ると、このあたりの案内図が出ていて、ハイキングができるようだ。
低い山の中へ入ることになって、けっこうおもしろそうだ。
道の駅とみやまから水仙の咲く山の中へ入ったことがあったのを思い出す。
また、富山へ登って東京湾反対側の三浦半島と城ヶ島を眺めたあと、道の駅とみやまへ歩いたこともあった。
このあたりは山がそう高くないから、ハイキングには最適だ。
南房総には牧場あり、みずうみあり、山あり、谷あり、田畑ありで、一昔前の里山の風景を堪能することができる。
話をすると、あんがいな人懐っこさと素朴さと無邪気な感じがあることもいいのかもしれない。
比較的近くで、気分転換できるいいところだ。
世田谷の農地
とまりぎ
京王線と小田急線の間にはよく探すと畑が残っている。
栗畑になっているのか、まだ色の変らないイガグリができている。
すぐとなりにはミカンができている。
世田谷区農地の看板が立っている。
そこからちょっと離れたところにある庭木を植えてあって、網で囲った中に鶏がたくさん。
網に近寄ると餌をくれると思ってか、足早に寄ってきた。
卵を販売しているが、売り切れだ。
環八のすぐ近くでは、林檎ができている。
葡萄ができて、売っている農家もある。
まだまだ残ってがんばっている。
農地がだんだん無くなっていくのは相続税制度がその主因だ。
相続財産価値の半分が相続税額だから、財産を売って税金を払うということになる。
その財産を手に入れたときには、不動産なら不動産取得税を払っているわけだから、時期と税金名目を変えて二度支払うことになる。
一般に農地は広いから半分残るが、住宅の場合は形状が細切れにしにくい土地もあって、結局全体を売って移転していく人も多い。
だんだん歯抜けになっていくわけだ。
烏山寺町
とまりぎ
京王線千歳烏山駅の北、バスが通っているくらいだから徒歩20分は覚悟のところに、寺がたくさん集っていて寺町と呼んでいる。
大正時代の関東大震災で被害を受けた下町の寺が移ったとのことだ。
現在、26の寺院がある。
檀家も最初は下町だったのだろうが事情によっては郊外へ移転したとすれば、ここまで来るのに時間がかかっている人も多いのだろう。
実際に、むかし人形町に住んでいた人が東武線越谷へ移られて、はるばると電車を乗り継いで来られている。
仏教と一口に言っても、宗派がとても多い。ここには日蓮宗、真言宗豊山派、真宗大谷派、浄土真宗西本願寺派、浄土真宗本願寺派、浄土宗、法華宗、臨済宗とあるが、天台宗、曹洞宗などが26寺院のうちにはない。
寺町通りの一番北にある高源院には弁天池があって、ここへ入る。
池には浮御堂があって、ここから見ると睡蓮とコウホネが水面を覆っている。
鴨が休憩所のように横たわった木の上にいる。
よく見ると亀も一緒だ。
水の中には鯉が泳いでいる。
この池は絵を描く人たちが時々来ている。
故遠藤博(伯)先生も趣味の絵画でここへ来ていたのを、遺作の中から発見したことがあった。
石積みの間から出ているのは、つい最近も別の場所で見たことがある。
シダ類のカタヒバ(片檜葉)のようだ。
むかしイワヒバ(岩檜葉)をイワマツと名づけ、「とまりぎ」仲間は育てたことがあったが、水遣りを忘れて枯らせてしまった。これと近い種のようだ。
高源院近くの専光寺には、浮世絵師喜多川歌麿の墓がある。
稱往院には、俳人宝井其角の墓がある。
永隆寺には、人間国宝 落語家 三遊亭圓生の墓がある。
寺町通りより一本西の通りの妙善寺には、江戸の人情作家為永春水の墓がある。
一番南にある妙高寺には、尊皇の先覚者藤井右門、日本画の速水御舟、今村紫紅、小村雪岱、漆芸家川之辺一朝の墓がある。
多くの寺があるが、高源院の池のようなところは他にはない。
佐竹商店街
とまりぎ
江東区森下で「とまりぎ」会の暑気払いがあるので、大江戸線新御徒町駅で途中下車。
筑波エキスプレスの駅もあるので便利になったが、都電がなくなってからこのあたりへ行くことが少なくなった。
JR御徒町駅にも東京メトロ銀座線稲荷町駅にも近い台東区なのだが。
やはり、交通手段がなくなると寂れるようだ。
上を見ると樋口一葉や夏目漱石が、この近くに住んでいたことが書いてある。
TV番組で紹介された、カステラの中村洋菓子店、帆布バックの工房HOSONOがある。
ゼイタク煎餅の重盛では人形焼が並んでいる。人形町の店と同じ名前だ。
コーヒーショップのラ・カフェは、コーヒーが安い。
商店街としては珍しい、韓国物産品の韓日プラザができている。
佐竹商店街振興組合事務所もあるので、聴けば教えてくれる。
南へ抜けると左へ曲って、清洲橋通りの向こう側には「おかず横丁」が続いている。
おかず横丁は鳥越神社近くまでずっと続いているが、ここも寂しくなった。
佐竹商店街にはアーケードがしっかり作られているので、雨のときも傘がいらない。
江戸時代、秋田の佐竹藩江戸屋敷があったので、佐竹商店街という名前になったようだ。
でもなんとなく暗い雰囲気なのは、明るい部分が狭いからかもしれない。
商店街としての歴史は古い。
本栖湖
とまりぎ
東名高速御殿場で降りようとしたところ出口渋滞で、一つ先の裾野で降りる。
上り側で事故があって、東京方面へは行くことができないのが原因のようだ。
真直ぐ富士山方面へ上り、富士山を右回りに朝霧高原を通り過ぎ本栖湖まで来た。
小雨が降っていて、ボートの客はいないようだ。
小屋の中では手持ち無沙汰に客を待っているが、ちょっとこの天候では来ないだろう。
天候で景色が変わって見える。
対岸も霞んでいるが、遠くに白い帆が見えるのはウインド・サーフィンだろうか。
しばらくしたら潜水艦型遊覧船が出港した。
こちらには客がいたようだ。
見ていた子供たちが、「潜水しないの。」と聴いているのが聞こえる。
確かに、潜水艦に見える。
親は黙っている。「どうしてだろう。」と思っているのかもしれない。
親子のちょっとした会話だったが、本当の潜水艦に見えないこともない。
東名高速は混んでいるだろうと、中央高速河口湖へ向う。
同じ考えの人たちが多いのか渋滞だったが、極端な遅れはなく無事高井戸で降りた。