思い出すのは、I君のことだ。
国語教員として、都立高校の採用試験に合格した。
そうすると採用する高校から求人案内が遅られてくる。
最初に来たのが三宅高校だった。
彼はこれに応募した。
結局合格後、三宅島へ赴任した。
ところが、ちょっと遅れてこの豊多摩高校からも求人書類が来たのだった。
そんなことを聴いたのは、かなり後のことだ。
たまの法事でしか会うことがないから、普段は忘れている。
会ったときに、ふっと思い出す出来事だ。
今も時々行くことがある、堀ノ内の妙法寺門前でのことだ。
聖橋の印象が大きい。
E氏が話のわからない人だったことが、きっかけだった。
だから決断が早かったとも言える。
その後、E氏とは偶然会うことが何回かあった。
いつも通りがかりのことで、話す時間がほとんどなかったことは、まことに残念である。
潮さんとは、昨年も二回ほど会った。
中学のときに野球部で怪我をしたのが運悪く、一年留年したそうだ。
そのときに飲んでいた薬の効果か、風もひかずに今日まで生きてきた。
昨年タイへ出張したときに、鼻血が二日続けてとまらず、原因不明だがおさまったとのこと。
不思議なことがあるものだ。
もうひとつ昨年の出来事で、妹さんが亡くなったそうだ。
その話をしたかったようだ。
初夏の旅
とまりぎ
5月も末になってしまったが、博さんが幹事の会の旅行はすでに休みと決っている。
重さんが幹事の会は、奥多摩方面一泊の計画だ。
剛さん幹事の会は、都内での散策ということになっている。
皆さんの都合がそろうのは早くて4月、遅くても7月の間に集中する。
それぞれの会の趣が変っていて、けっこうおもしろい。
さあ、どんな旅になるのか楽しみなことだ。
同窓の集り
とまりぎ
6月に同窓で6人集ることになっているが、その前に3人で一杯ということになった。
新宿の指定された店へ行くと、ほぼ同時刻に店の近くで揃った。
タイ料理の店だ。
店の窓からは沈みかけの夕日を反射した向い側のビルの窓ガラスが光るのが見え、明るい雰囲気の中でタイビールで乾杯のあと、赤ワインで料理を楽しむ。
コリアンダー、レモングラスなどの強い香りと味が、10年近く前に行ったタイとベトナムでの料理を思い出させる。
しばらくぶりでの再会であったが、6月の集りに来られない人がいることに話が及んだ。
理由がわからないので何とも話が先へすすまず、場所を変えることにした。
小田急ハルクの地下、ハルチカへ入る。
空いている席があったのは韓国料理の店で、キムチチヂミ、プゴクを頼む。
さて、話の続きで、自分たちの余命の話になった。
昔、大先輩が友人たちが亡くなっていくのを送り生き残っていたが、「長く生きるのがいいのかどうか」ともらしたことがあった。
ある程度の長寿になると仲間が次々にいなくなって、自分の体も自由に動くことができなくなってくると執着がなくなってくるものらしい。
その大先輩は92歳という長寿で亡くなられたのだが、杖を頼りの歩行も遠くへは難しくなり、それまで時々電話が来たものだったが、それもなくなった。
半年ほど連絡なく過ぎたある日、亡くなったとの知らせが入った。
そんなことを思い出していた。
目の前の二人は旅行に行こうということで、とりあえず話が落ち着いた。
こちらの人たちは、あたりまえのことだが生きることに執着があるようだ。
今年になって、一周忌が多かった。
今年も訃報が多い年だった。
誕生の話の方が少ないから、人口減少につながっているのかもしれない。
長い間の疑問解決
とまりぎ
昔々親に連れられて、従弟が遊びに来たことがあった。
午後の半日ほどしかいなかったのだが、おそろしく活発な子で、驚くことばかりだった。
その後、こちらから出掛けて行って、一泊させてもらった。
朝、叔父さんと一緒に近所の寺へ行った時のこと。
門前でいきなり「仁王さんこんにちは」と言ったのだった。
そんな思い出があるものだから、大人になってから会うとなんだかおとなしい。
子供の時の雰囲気が少しでも出てこないかと期待していたのだが、まったく静かだ。
それで考えた、この変化は何だろうと。
たどりついたのは、久しぶりに変った環境で、一種の興奮状態だったのだろうということだ。
子供にはよくあることで、そう考えれば納得だ。
本当に、長い間の疑問だった。