旅路 とまりぎ

いくつかのグループでのできごと(主に旅)

大垂水峠

2012年06月30日 | 

     大垂水峠

                           とまりぎ

 八王子から相模湖へ国道20号線で行くと、山の中の坂道を登りきったところで大垂水峠を越える。

 この道を歩いたこともあったし、自転車で登れずに押して上ったこともあった。

 むかしの山梨県の高校には、学校から新宿まで国道20号線を走る競技があったそうだ。平坦な道でもかなりの道のりだが、笹子峠があり、この大垂水峠がありときつい登りが多いルートだ。不屈の精神力を養うためだろうが。

 今回は車で越える。越えて少し下がったところで、車を停める。

         

 木の間から下を見ると、相模原市の相模川に近いあたりが見える。

             

 目の前の国道20号にはけっこう車が通っている。

 中央高速道から、高尾山をトンネルで抜けて国道20号へ出ることができるようになって、この大垂水峠を通る車が増えるかもしれない。

 

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都電

2012年06月29日 | 鉄道

   都電

                     とまりぎ

 山の手線大塚駅で交差する都電の姿を写す。

   

       

 早稲田行き、三ノ輪橋行きのほかに途中の荒川車庫行きや大塚駅前行きがある。

 三ノ輪橋には昔からの商店街があって、砂場という蕎麦屋がその中ほどにある。ここが数ある砂場系列店であることを知ったのは、かなり以前のことだ。

 

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蘆花恒春園

2012年06月28日 | 公園

     蘆花恒春園

                              とまりぎ

 置いてある説明書きによると、『徳富蘆花は明治40年2月27日、当時の東京市青山から東京府北多摩郡千歳村粕谷に移り住み、ここを恒春園と名づけ、自ら「美的百姓」と称して晴耕雨読の生活を送りました。昭和2年9月18日に蘆花は療養先の群馬県伊香保で亡くなりました。

 その遺骸は恒春園に帰り、村人総出でクヌギ林の一角に手厚く埋葬されています。蘆花没後10周年に際し、蘆花夫人愛子さんは東京市(東京都)に、園内の土地、建物、蘆花の遺品一切を蘆花を偲ぶ公園として公開して欲しいと寄付されました。市では直ちに整備のうえ、昭和13年2月27日東京市蘆花恒春園として開園しました。昭和22年2月20日、愛子夫人は熱海で亡くなり、恒春園に蘆花と一緒に埋葬されています。

 昭和61年3月10日には、恒春園区域(負債の墓地を含む)約1.38ヘクタールが東京都指定史跡「徳富蘆花旧宅」として指定されました。武蔵野の面影を残す恒春園区域は、蘆花が暮らした当時の生活を偲ぶ貴重な文化遺産です。

 さらに恒春園区域に隣接する開放公園区域、花の丘区域、草地広場、ドッグランなどが開園しています。』とある。

       

 南にある花の丘にある花たち。あじさいの種類でアナベルが毎年咲く。

                

 恒春園区域の母屋へ入り、裏の愛子夫人居宅を覗く。

        

 母屋と梅花書屋、秋水書院は長い廊下で繋がっていて、この廊下に特色がある。

          

 梅花書屋に架かる「梅花書屋」の書と説明書き。

 書についてはあまりうまくない。

               

 廊下には板と板の隙間から下の地面がいたるところで見えるから、家の中ではあるが、外と同じような温度だったことだろう。冬の寒さを、並んだ多くの火鉢が物語っている。

 

 

 

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馬事公苑

2012年06月27日 | 公園

      馬事公苑

                       とまりぎ

 東京農大の展示館でクリオネを観てから、馬事公苑へ入る。

            

 競走馬が走るコースだが、競技のない日には車が入っていたりする。

           

 別の競技場を見ると、走らずに歩いている。

           

 各大学の選手が出場しているようだ。

 

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うかい鳥山のほたる

2012年06月26日 | 

   うかい鳥山のほたる

                           とまりぎ

 宴会の途中で照明を全て消して、辺りを真っ暗にする時間がある。全員が窓や廊下から外を見る。

 明るいときには見えなかったが、闇の中にゆっくりと動く小さな光が見える。ほたるだ。

 ひとりの人が近くへ来たほたるを一所懸命に捕まえようとしている。「身体を掴まえておいてちょうだい」と言っている。縁側の下の方、池の上の草にほたるがいるようだ。

 しばらくしたら、「とった」と云った。どうも捕まえてしまったらしい。

 指に乗せて、「指輪だ」なんて云っている。

                

 照明の下だからほたるの光が良くわからないが、たしかに光っている。「カメラ持っていたら撮って」といわれる。

 意外に女性には残酷なことをする人がいるようだ。

 説明によると、ほたるの生息にはカワニナが必要なのだが、大雨が降ると流されてしまい、ここでは育たないのだそうだ。

 八王子市も蛍の育成に力を入れているようだが。

 

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カラクリドール

2012年06月25日 | 集まり

     カラクリドール

                        とまりぎ

 司会者が「カラクリドール」と云って紹介されて出てきた小太りの人が、手品師であるとは知らなかった。

 TVで見たことはあったが、それ以上は知らなかった。

      

     

 ところが、手品を次々に披露してくれる合い間のシャベリがいい。手際のよさが目立つ。うかい鳥山での余興に出演を頼んでいたようだ。

 7月8日午後7時からのTV番組に出演するそうだ。短い時間だそうだが。

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高尾のうかい鳥山

2012年06月24日 | 

   高尾のうかい鳥山

                          とまりぎ

 知り合いの会社が創立30周年の祝いを、「うかい鳥山」でやることになった。過去にも数回来たところだが、特にとまりぎの先生が亡くなってからの三回忌が記憶に残っている。春と秋の旅行のほかに、ひと月遅れの新年会や暑気払いの会などでよく会っていたからだ。

                                       

 そこを会場にするというものだから、喜んで参加させてもらった。

                    

 白川郷から移築したという急角度の屋根を見ながら入口の門をくぐると、水車が廻っている。

              

 奥の方をのぞくと、建物が続いている。

         

 道に従って奥へ奥へと進む。雨上がりで湿度が多く、しっとりとした感じだ。

    

 山が壁になっていて、外界とは閉ざされた空間だ。

 

 池には鯉が泳いでいる。

 さらに奥には水芭蕉の庭園があるのだが、この日は残念なことに大雨が降ったあとで、工事中の無情な表示が奥への進入を拒んでいる。止むを得ない。

       

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新宿の天龍寺

2012年06月23日 | 神社仏閣

    新宿の天龍寺

                         とまりぎ

 雨の中、新宿三丁目から北参道へ向う途中、雨宿りで明治通り沿いの天龍寺へ入った。

 明治通りには三門があるが、夕方のことで閉っているから、脇から入る。三門を寺の中側から見る。

 ここを通る時にはいつも目につく寺だった。

                        

 本堂の正面には達筆の天龍寺の文字がかかっている。葵の紋もある。

 曹洞宗の寺だ。

                 

 江戸時代には時刻を知らせた、時の鐘がある。これが時代物だ。

 すぐ近くまでビルが迫っていて、窮屈そうな印象だ。

 明治通りのすぐ近くには高島屋があって、副都新線新宿三丁目駅の入口がそばにある。

 江戸時代の境内はもっと広かったのだろうが、明治通りができたり近隣にビルが出来たりで現在の広さになったのだろう。

 

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横浜線古淵駅から

2012年06月22日 | 仲間

   横浜線古淵駅から

                                 とまりぎ

 歩くと20分と書いてあるので、駅前からタクシーへ乗る。乗ったとたんにタクシーの窓をたたく人がいる。従妹のひとりだった。

 どうぞと一緒に車中のひと。近況など話すうちに葬祭場に着く。午後6時からの通夜に間に合うようにぎりぎりに着いたからか、後から来る人はほとんどいなかった。

 喪主の叔父は、いつになく神妙に椅子に座っているが、長患いの末に亡くなったつれあいとの長い長い看病生活を思い出しているのだろう。

 坊さんの読経の途中焼香があって、その焼香の煙が途絶えてもなお読経が続き、小一時間も経って別の部屋へ促される。ビールを少々のむ。

 つい先日の一周忌で会った親族のほかに久しぶりで見る顔もなつかしい。翌日の告別式だけ出席の人は見えないから、全体では40人ほどだったのだろう。

 親族が会うのは、こんな時しかなくなった。

 先日の集合写真をプリントして人数分もって行ったから、半数程度は渡すことができたが、翌日しか来られない人には、明日も出席という人に託して、車で来た人に便乗して帰路に着く。

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浜離宮恩賜庭園

2012年06月21日 | 公園

    浜離宮恩賜庭園

                           とまりぎ

 まだ菖蒲が咲いているはずだと、浜離宮へ入った。

                   

 海と通じている水の道が、干潮であることを示している。

      

 菖蒲が所々に咲いている。

            

 汐入り池の端に立って、隅田川方面を見る。

      

 中ノ島茶屋では抹茶と和菓子を用意している。外人観光客はこんなところが観光の目玉になっているのか、抹茶を飲んでいる団体の人たちが居る。

          

 赤い毛氈と、赤い傘が美しい。

 ゆったりと抹茶を楽しんで、外へ出る。時折降る小雨の中を歩く。

 

 新東京丸という船。東京都のマークがついている。

             

 浮草で緑色になった奥の池が見える。その先には東京タワーがみえる。スカイツリーができたが、東京タワーの人気は衰えない。

             

 萩が咲いている。ちょっと早い開花だが。

 

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城南島の海と船

2012年06月20日 | 

     城南島の海と船

                       とまりぎ

 目の前の海には、杭の上に鵜がいる。

 

 遠くには、海ほたるへ向う地下道の「風の塔」が見える。真中あたりが光っているのは、太陽を反射しているからか。

        

 東京湾を通る船。

  

 こちらへ向ってくる客船。

 

 港へ向っていく。竹芝桟橋へ行くのかな。

 伊豆七島との連絡船は、毎日運航している。昔、三宅島へ行ったことがあった。大島沖へ着いたのが早朝で、明るくなるまで沖で停泊している時間は、エンジンが止っていてゆっくりとした波に揺られて船酔いになったことがあった。

 三宅島は大島経由だったから、三宅島へ着いたのは午前中だったが昼近かった。夏の暑い時期のことだった。

 

 

 

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城南島からの飛行機

2012年06月19日 | 

    城南島からの飛行機

                          とまりぎ  

 大田区の城南島へ行く。

          

 羽田空港から公園の上を通り抜けていく飛行機。

         

 羽田空港の東の方から東京湾の北方向へ飛び立つ、D滑走路からの飛行機。

             

 目の前には管制塔と、停まっている飛行機たち。

 

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蕨で法事

2012年06月18日 | 集まり

     蕨で法事

                       とまりぎ

 叔母の一周忌の案内をいただき、京浜東北線蕨駅で降りる。小雨が時々降ってくる中を東へ向って歩く。

  

 以前来たのはもう随分昔のことだから場所を覚えていないが、書かれた地図がしっかりしているので間違えずにたどりつけそうだ。

      

 猫橋という橋の名前が、そのまま地名になっている。

              

 法事の終ったところで、マイクロバスで木曽路へ連れて行かれる。

                    

 紫陽花の季節だ。

 もう一人の叔母が昨日亡くなったとの連絡が入った。ひとの寿命はわからないものだ。

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核融合発電について

2012年06月17日 | 

       核融合発電について

                               とまりぎ

 人類は石炭、石油、天然ガスというエネルギー源の次に、核分裂エネルギーによる原子力発電を実用化した。ところがこの核分裂は、放射線という生命にはやっかいなものを放出する危険性を抱えている。

 そこで登場してくるのが、自然界に存在する重水素を原料とする核融合という技術だ。日本の原研で研究が始まっておよそ50年になるが、実験は続いている。世界では日米欧露中韓印が加盟する国際条約(イーター協定)の下に、南仏カダラッシュにITERサイトが建設される。

 この核融合研究を行っている、独立行政法人日本原子力研究開発機構の那珂核融合研究所を見学に行くことになった。

 新宿集合でプラザ62の参加者13名が集ったのは、予定の午前10時前。揃ったところでマイクロバスが発車した。常磐道を北上し、途中休憩で千代田パーキングへ寄る。

          

 昼食はレストランキャロッツ。

         

 裏門へ行ったが開いてなく正門を探し、ようやく午後1時半には研究所へ入った。

       

 核融合炉の一部、断面が見える。

                

 制御室にある中央パネル。前に神棚と達磨があるのは、おもしろいことだ。

 実用化はおよそ40年後という、遠大な計画だ。

 何ヶ所も設備を見させていただき、午後4時帰路に着いた。

 

 

 

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東京下町、範囲どこまで

2012年06月16日 | 

   東京下町、範囲どこまで

                            とまりぎ

 東京スカイツリーができて、東京の下町に人出が多くなった。

 下町に定義はない。17世紀に下町という言葉が表れ、文字通り低地という意味で、下町には町人、高台の山の手には武士が住んでいた。

 19世紀の文政期には、町人が「将軍さまのお膝元との思いが下町の誇りになった」ようだ。江戸城の東側、隅田川まで。北は神田川、南は新橋までだった。ということはほとんど中央区だ。

 明治時代には、台東区の下谷、浅草も下町になった。

 大正時代の関東大震災で、墨田区や江東区に移り住む人が多くなると、荒川の流れまでのこの二区までが下町と呼ばれた。

 戦後、古くからの下町がオフィス街になると人はさらに東へ移り、葛飾区、荒川区、足立区、江戸川区、もうひとつ大田区も下町と呼ばれるようになった。おおよそ、京浜東北線の東側だ。(日経新聞による)もっと知るには、江戸東京博物館の常設展示がおすすめとある。

 ーーーー直感で使ってきた「下町」だが、おおよそ合っていた。最近の北区や品川区は一部が入ると思うが、違わないだろう。

 利根川、江戸川、荒川、隅田川と自然の川も運河によってつなげて、江戸まで水運による物流の大動脈だった。低地を流れる川があるところは、関東平野のかなり奥までが物資の移動範囲だったと思われる。

 

 

 

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