ぶらっと散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

宇佐市の院内で石橋探しを満喫 

2022年05月19日 | 大分県

                 
                この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製・加工したものである。
         院内(いんない)は北流する駅館(やっかん)川の支流である恵良川流域と、その支谷に沿って
        山間に細長い河岸平野を形成している。地名の由来は、安心院(あじむ)の内の意か。
         JR中津駅前から大分交通安心院支所行き約1時間、「道の駅いんない」で下車するこ
        とは可能だが、橋のある地が広範囲で徒歩での散策は不可能である。レンタサイクルも用
        意されているが、ポイントには駐車地もあるようなので車で訪れる。


        
         道の駅「いんない」近くにある荒瀬橋は、1913(大正2)年に架設された。長い橋脚と
        美しい2連のアーチを描くこの橋は、橋高(18.3m)が院内地域の中で最高の高さを誇る。
        石工松田新之助が県の工事を請け負ったが、負債が大きかったため、しばらくは有料とさ
        れた。これは大分県内の有料橋としては第1号である。(説明より)

        
         趣のあるトタン屋根。

        
         水雲(すのり)橋は国登録有形文化財だが、石橋付近から橋を見ることができない。(JA
        おおいた院内SS先の空地に駐車)

        
         水雲橋は、1927(昭和2)年に架設されたもので、橋脚の高さが17.2mで、院内で
        は2番目に高いとされる。(下流の大橋から)

        
         久地(きゅうち)橋へは国道筋の原口公民館に駐車して、国道500号線を進むと道標があ
        る。

        
        
         日岳川に架かる久地橋は、明治初期の架設とされ、両端に大きな桁石を2本並べ、その
        上に重厚な板石16枚を並べた珍しい橋である。

        
         富士見橋は、橋上から豊後富士(由布岳)が遠くに見えることからこの名が付けられた。

        
         細く長い橋脚を持つ荒瀬橋や鳥居橋とは異なり、太い橋脚から重厚感を醸し出している。
        1924(大正13)年工事半ばに崩落したそうで、翌年、石工の松田新之助が意地と信念に
        より、私財を投じて完成させている。

            
        
         旧県道に架かる鷹岩橋は、院内で最も長い27mの径間を持つ橋で、架設以来、日出生
        台演習台に続く道として活躍した。(国登録有形文化財・駐車地あり)

        
         国道筋の人家にある鏝絵。

        
         分寺(ふじ)橋は大正期に架設されたが、1945(昭和20)年に改修された3連のアーチ橋。
        戦争中に改修されたにも関わらず、均整に彫刻された石が丁寧に積み上げられている。

        
         両合(りょうあい)棚田の広がるのどかな風景にとけ込んだ両合川橋は、小平と滝貞の谷川
        が合流する地にある。1925(大正14)年10月に架設される。(国登録有形文化財)

                
         「道の駅いんない」まで戻って県道664号線(円座中津線)線に通じる道に入る。「い
        んない石橋マップ」はイラストマップのため、土地勘がないものにとっては宝探しをして
        いるような感覚になる。        

        
        
         高並川に架かる橋詰水路橋は、江戸末期頃に水路橋として架けられたといわれている。
        水路橋と道路を兼ねており、拱環石は少し加工されているものの、側壁は自然石を使用し
        ており、町内に
7基の水路橋があるそうだが、その1つである。(県道664号沿いに駐
        車地あり。国登録有形文化財)

        
         県道664号沿いにある永原橋。

        
         打上橋は、1863(文久3)年に架設された宇佐市に現存するものでは最古の石橋。この
        橋の下に昭和初期に架設された水路が架かっている。(展望所があり駐車可)

        
         国道387号の旧道に架かる櫛野橋は、1923(大正12)年日出生台演習場に向かう軍
        の車両が通行できる石橋に架け替えられたといわれる。(国登録有形文化財。近くの路肩に
        駐車)

        
         櫛野橋の東詰めに「櫛野城」に関する案内板と石碑がある。天文年中(1532-1554)に櫛野
        茂晴によって、平地に塀をめぐらした平城が築かれたが、1589(天正17)年豊臣時代と
        なり、豊前国主・黒田長政により城は破却されたとある。

        
         一対の狛犬が設置されているが、古代オリエントに起源を有する狛犬は、その原型はラ
        イオンであると云われ、長い歳月を経てインドから中国に伝わり、王権や皇帝を守護する
        霊獣として定着する。日本には平安末期、中国から朝鮮半島を経て伝わり狛犬になったと
        いわれる。

        
         香下(こうした)神社の由緒によると、奈良期の719年法連和尚が化生山で修行したとき、
        妙見山上に主祭神の輝く尊い姿を感じたので山上にお祀りして、この山を妙見山と名付け、
        それからは女人禁制とされた。その後、山の中腹に移し祀られたと記す。ここに神橋が3
        つあるとされるが、見つけ出すことができず。 

        
         鳥居橋入口に両川(ふたかわ)小学校の校門と蒸気機関車の車輪が置かれている。学校は現
        在の高速道路出入口付近にあったようだが、1987(昭和62)年高並小学校と統合して院
        内北部小学校となる。

        
        
         鳥居橋は、1916(大正5)年に架設されたが、優雅な橋脚から「石橋の貴婦人」と呼ば
        れ、院内を代表する石橋である。橋名はこの地区の小字の鳥居原から採られている。
         1951(昭和26)年10月、町内242戸の家屋を全壊流失させたルース台風をはじめ、
        幾度にわたる洪水に耐えた石橋である。(橋の東詰に駐車地)

        
        
         一の橋は山神社への参道で、北山川に架かる石橋。規模は小さいが側壁に自然石を使用
        している。(路肩に駐車可能)

        
         石橋と町の花だったシャクナゲがデザインされた旧院内町のマンホール蓋。

        
        
         御沓(みくつ)橋は橋の長さが59mもあり、町内最長を誇る3連アーチ橋は、1925
        (大正14)年に架設された。

        
         福厳寺羅漢橋は本堂右側に十王石像や羅漢像を祀る閣魔堂があり、その参道として架け
        られた橋。長さ3mと小さいものである。(これ以降は2010年撮影)


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