ぶらっと散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

長門市の渋木・真木は深川川沿いの山村集落 

2022年08月29日 | 山口県長門市

        
               この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製・加工したものである。
         渋木は深川川の上流域と同支流の大地川流域、背後には長門山地を構成する主峰・花尾
        山を中心とする花尾山地をひかえた扇状地に位置する。
         1889(明治22)年の町村制施行により、真木・渋木・東および西深川・深川湯本の5
        ヶ村が合併して深川(ふかわ)村が発足する。昭和の大合併で長門市となり今日に至っている。
         (歩行約3.5㎞)

        
         JR渋木駅は、1924(大正13)年美祢線の於福駅~正明市駅(現・長門市駅)間の延伸
        により開業する。

        
         「渋停建第12號 本屋」とあるので木造駅舎は開業当時のものと思われ、「停」なの
        で貨物は扱わず旅客のみであったようだ。
         渋木は美祢線を利用しての散歩は可能であるが、真木は約4.5㎞の距離にあるので徒歩
                で訪れるのは難しい。デマンド交通が運行されているが、登録制で事前予約が必要なため
        
車での対応となる。(駅に駐車)

        
         駅舎側に保線用の引込線と、広い空地は保線用資材置き場だったと思われるが、給水塔
        のようなものが残されている。

        
         深川川左岸に渋木の中心地。

        
         右岸の山裾には石州瓦で彩られた民家が並ぶ。(美祢線山小根踏切あり)

        
         長門市農村婦人の家の先は国道316号線の渋木交差点。

        
         中央に花尾山と思われる山とゲンジボタル、周囲には尻を光らせているホタルが描かれ
        た農業集落排水用のマンホール蓋。

        
         国道は右に大きく湾曲して南下しているが、旧道は山裾に沿いながらトンネル手前で合
        わす。

        
         右手に訂心寺(ていしんじ)参道の石段。

        
         訂心寺(曹洞宗)は、周布家によって石州長浜(現・浜田市)に建立されたが、石州から長
        州に移り、周布吉兵衛長次が慶安の頃(1648-1652)知行地であったこの地に移したと伝える。

        
         右手は理容「まえだ」には、9月の営業は3回と貼紙がしてある。採算面なのか高齢の
        ためか不明だが、理美容もこの地で生活する者にとって必要不可欠なものである。

        
         理容「まえだ」の先で畦道を利用して国道に出る。大地川に架かる瀬戸橋付近から瀬戸
        集落。

        
         トタン屋根も1軒のみだった。

        
         県道豊田三隅線の真木川橋梁を列車が走り去るが、背後の森が渋木八幡宮の社地である。

        
         石段を上り鳥居を潜ると長い参道が延びているが、近年は車での参拝によるものか少々
        荒れ気味である。

        
         渋木八幡宮の社伝によると、往古、鎌倉の鶴岡八幡宮から勧請したという。慶安年中(1
        648-1652)の頃、村内に切支丹宗徒の三輪某・三井五郎左衛門なる者が住み、神社・仏堂を
        焼き討ちにしたという受難の伝承がある。その際に縁起などが焼失してしまったので、勧
        請年代を知ることはできないという。

        
         深川川沿いに設けられた小道を利用して駅に戻る。

        
         浄土寺へは距離があるので車で訪れる。

        
         浄土寺(真宗)は、大内氏の家臣であった俗名・萩原次郎宗時が、大内義隆が自刃した後
        に主君の菩提を弔うため、当地に来て小庵を構えた。室町期の永正年中(1504-1521)に本山
        に上がり、1637(寛永14)年2世の代に本仏・寺号が免与された。
         本堂は元和年中(1615-1624)に建立されたが、宝永年中(1704-1711)に焼失する。その後、
        老朽化や再度の火災で再建を繰り返し、1832(天保3)年に9間4面のものが再々建され
        る。 

        
         大地川左岸の家並み。

        
         渋木駅から約1.3㎞の大畑地区に大畑小学校と深川中学校大畑分校があったが、小学校
        は2010(平成22)年に125年の学び舎を閉じ、分校は2006(平成18)年に閉校し、
        屋内運動場のみが残されている。

        
         さらに深川川を奥に詰めると市の尾集落。「延喜式」にみえる古代の陰陽連絡路は、深
        川川沿いに開かれ、渋木から真木の市尾を経て美祢郡嘉万(現・美祢市秋芳町嘉万)に出た
        といわれている。
         ここは花尾山登山口でバス停の待合所もあるが、すでに廃止されて長門市のコマンド交
        通の停留所になっている。

        
         真木は深川川の支流である大谷本浴と奥畑川の流域に位置する。地名の由来は、「延喜
        式」の長門国宇養馬牧のマキからとする説もあるが、槙の繁茂に起源をもつとみるのが適
        当か。(歩行約1.9㎞)

        
         学校風の大きな建物は真木公民館。(ここに駐車)

        
         公民館の傍に真木バス停と火の見櫓。 

        
         公民館の奥谷川沿いにあるのは、JA山口真木出張所だそうだが使用されていないよう
        だ。

        
         願生寺(真宗)は、往古、真言宗の東福寺という古跡があったのを、寛永年間(1624-164
        4)の頃、西念という僧が再興して真宗に改宗する。西念が死去して後住がなく中絶して古
                跡となっていたのを、三隅の豊原にある宗善寺5世が相続したい旨を願い出て、1688
          (貞亨5)年に今の寺号に改めたと伝える。

        
         秋芳町から仙崎港に石灰石を運ぶ住友セメントベルトコンベアが横切る。

        

        
        
         真木は、元来、渋木から独立した村であり、氏神は渋木八幡宮であるが、大歳神を信仰
        の中心にしてきたものと思われるが、いつ頃創建されたかは定かでないという。

        
        
         神社からは実りの秋を感じながら公会堂に戻る。