ぶらっと散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

長門市油谷の伊上は油谷湾に面する農村集落

2022年08月27日 | 山口県長門市

        
               この地図は、国土地理院の2万5千分の1地形図を複製・加工したものである。
         伊上(いがみ)は泉川流域に位置し、北は油谷湾に面する。地名の由来は、往古、新別名に
        最明寺という寺があり、その付近に古い井戸があったため近在の村すべてが井上(いがみ)
        称していた。しかし、いつの間にか当村だけが井上と称するようなり、文化年間(1804-18
        18)に代官の佐藤権兵衛の命により、井上では「いのうえ」と誤りやすいので伊上と書くよ
        うになったという。
         1889(明治22)年の町村制施行により、久富村(ひ)、新別名村(し)、河原村(か)、伊上
        村(い)が合併し、各1字をもって「菱海村」となる。その後、昭和の合併で油谷町、平成の
        合併で長門市油谷となる。(歩行約2.5㎞、🚻なし)

        
         1930(昭和5)年に開業したJR伊上駅。

        
         西光寺(真宗)に駐車させていただいて伊上集落を散歩する。

        
         石段を上がって行くと左手に椎の木の巨樹が並ぶ。樹齢は不明のようだが13本が群生
        しているとか。

        
         西光寺(真宗)は、往古、現在地に真言宗か天台宗があった。大内氏の家臣・三井十蔵が
        大内氏滅亡後、本願寺において僧となって帰国し、この地に一宇を創建して開基する。
         この年代は諸説あって、寺院沿革史は室町後期の天文年中(1532-1555)としているが、大
        内義隆の自刃が1551(天文20)年なので天文末期となる。風土注進案は安土・桃山期の
        1573(天正元)年創建としている。

        
         西光寺前で道は分岐するが、この旧道が赤間関街道と思っていたが、宮の馬場付近から
        JR山陰本線の山手側を通っていたようだ。

        
         Sセメント工場を左に見ながら直線道を進む。

        
         新旧の民家が入り混じる。

        
         学校の校門らしい石柱を見て、立入禁止の表示もないので入ってみると、旧伊上小学校
        の敷地内であった。

        
         1879(明治12)年伊上小学校が創立されるが、のちに河原小学校の分校、尋常小学校、
        国民学校と校名変更し、1947(昭和22)年伊上小学校と改称したが、児童数減少により、
        2010(平成22)年廃校となる。

        
         旧小学校付近からやや下り坂だが、周囲に見るべきものはない。

        
         泉川の新泉橋を渡り、ふれあい通りに入ると様相が変わる。(街道筋)
        
         建築年代はわからないがこのような建物が数軒見られる。

        
         塀の一部をくり抜いて地蔵尊が祀られている。 

        
         伊上八幡宮は距離もありそうなので、上里野(あがりの)踏切を確認して車で参拝する。 

        
         この看板に誘われて狭隘な道に入ってしまう。

        
         長安寺(浄土宗)は、1873(明治6)年新別名の大願寺跡に移って現在に至るが、市指定
        の木造阿弥陀如来像が安置されているようだが、施錠されて拝見することができなかった。

        
        
         伊上八幡宮の由来によると、勧請された年月は不明。伝承では左衛門という漁師が漁を
        しているとき、波間に一羽の鴨が浮き沈みしているのを見つけ、鉾で捕まえようとしたと
        ころ急に姿が消えてしまい、近くの大岩に鏡が現われ、その神々しさにうたれて拝んでし
        まう。夢の中で八幡神であるとお告げがあったので、鴨野の小高い丘に祠を建てて祀った
        のが始まりという。
         1697(元禄10)年頃現在地に遷座し、享保年間(1716-1736)頃に再建されたと伝える。