ぶらっと散歩

訪れた町や集落を再度訪ね歩いています。

長門市日置の黄波戸はカンカン部隊で知られた地

2019年04月18日 | 山口県長門市

           
         この地図は、国土地理院長の承認を得て、同院発行の2万5千分1地形図を複製したものである。(承認番号 平30情複
第467号)
         黄波戸(きわど)は深川湾に面した漁業地域で、南部を国道191号線が走り、集落は県道
                66号線(長門油谷線)とJR山陰本線に挟まれる形で細長く形成された中に民家が密集す
        る。(歩行約3.5㎞)

           
         集落の東端にあるJR黄波戸駅は、1928(昭和3)年に美祢線の終着駅として開業し、
        後に山陰本線に編入された。駅舎はなく待合室のみで閑散としている。

           
         戦後は漁港に水揚げされた鮮魚をブリキ缶に氷を入れて、当駅から北九州などへ行商に
        出かける「カンカン部隊」などで賑わった時期もあった。

           
         日置八幡宮に関係する碑付近から古い町並み。

           
         駅から碑までの民家は区画された中に建てられているが、その先は旧道に沿って軒を連
        ねている。

           
         1899 (明治32)年に建立された厳島神社の鳥居。

           
         厳島神社から見るメイン通り。

           
         鳥居の先から大きな家が目立つようになる。

           
         山側には高い階段を要する家もある。

           
         漆喰塗込めの蔵には屋号(上野)の鏝絵が見られる。

           
         妻飾りが見られる。

           
         1872(明治5)年創業の大津醤油には煉瓦造の煙突。

           
         通りに面して大津醤油(三輪家)の店舗兼住宅。店舗としては使用されていないとのこと。

           
         リフォームされた築100年以上の民家。

            
         小畑への道を上がって行くと、右手には漆喰塗込めの上野酒舗がある。

           
         上野酒舗の山手側にある古民家。

           
         最奥部の古民家は石州瓦で広い庭を備えている。

           
         路地に戻ると厨子二階の壁には意匠が施されている。
 
           
         幅員が狭まると石橋。

           
         赤いポスト状の消防器具と共同井戸。

        
                              左手の石段を上がり海岸寺前に出ると、黄波戸の町と遠く長門市内などが一望できる。

           
         かつてのメイン通りである北詰め付近は空家が目立つ。

           
         海岸線から黄波戸の町並み。

           
         1864(元治元)年6月7日アメリカ商船(蒸気船)1隻が箱館から長崎へ航行中、燃料補
        給のため寄港し停泊する。薪の調達が不可能なことを伝え、退去を求めたが出航しなった
        ため、瀬戸崎から運んだ野戦砲を撃ち込むと、船は沖合から黄波戸浦へ砲撃し、11軒の
        民家が破壊されたという。

           
         道路上に駅への案内があり、黄波戸駅(12:25)より長門市駅へ戻ることができる。