この地図は、国土地理院の承認を得て、2万5千分1地形図を複製加工したものである。
黄波戸(きわど)は深川湾に面した漁業地域で、南部を国道191号線が走り、集落は県道
66号線(長門油谷線)とJR山陰本線に挟まれる形で細長く形成された中に民家が密集す
る。(歩行約3.5㎞)
集落の東端にあるJR黄波戸駅は、1928(昭和3)年に美祢線の終着駅として開業し、
後に山陰本線に編入された。駅舎はなく待合室のみで閑散としている。
戦後は漁港に水揚げされた鮮魚をブリキ缶に氷を入れて、当駅から北九州などへ行商に
出かける「カンカン部隊」などで賑わった時期もあった。
日置八幡宮に関係する碑付近から古い町並み。
駅から碑までの民家は区画された中に建てられているが、その先は旧道に沿って軒を連
ねている。
1899 (明治32)年に建立された厳島神社の鳥居。
厳島神社から見るメイン通り。
鳥居の先から大きな家が目立つようになる。
山側には高い階段を要する家もある。
漆喰塗込めの蔵には屋号(上野)の鏝絵が見られる。
妻飾りが見られる。
1872(明治5)年創業の大津醤油には煉瓦造の煙突。
通りに面して大津醤油(三輪家)の店舗兼住宅。店舗としては使用されていないとのこと。
リフォームされた築100年以上の民家。
小畑への道を上がって行くと、右手には漆喰塗込めの上野酒舗がある。
上野酒舗の山手側にある古民家。
最奥部の古民家は石州瓦で広い庭を備えている。
路地に戻ると厨子二階の壁には意匠が施されている。
幅員が狭まると石橋。
赤いポスト状の消防器具と共同井戸。
左手の石段を上がり海岸寺前に出ると、黄波戸の町と遠く長門市内などが一望できる。
かつてのメイン通りである北詰め付近は空家が目立つ。
海岸線から黄波戸の町並み。
1864(元治元)年6月7日アメリカ商船(蒸気船)1隻が箱館から長崎へ航行中、燃料補
給のため寄港し停泊する。薪の調達が不可能なことを伝え、退去を求めたが出航しなった
ため、瀬戸崎から運んだ野戦砲を撃ち込むと、船は沖合から黄波戸浦へ砲撃し、11軒の
民家が破壊されたという。
道路上に駅への案内があり、黄波戸駅(12:25)より長門市駅へ戻ることができる。