いわき・うぶすな広場だより

セカンドライフの生き方を書いています。

世界遺産・マチュピチュ村に村を創った日本人・・・野内与吉さん

2017-03-15 08:02:15 | いわきの講演会

「世界遺産・マチュピチュ村に村を創った日本人
のお話を聞く。
講演は孫の野内セサル好郎さん。


人口は3.000万人で面積は日本の3.5倍だそうです。
言語はスペイン語です。


代表的な世界遺産になっています。


世界遺産が11もあるのですね。


ナスカの地上絵もすごいですね。


一度は訪れたい遺跡です。
ワクワクする古代文明。いちどは忘れられていたのです。


熱帯地方の自然も魅力の国です。


気候の差が激しいので衣装にも反映されています。


お料理は?


飲み物は?
向かって左のむらさきはトウモロコシだそうです。


舞踏と音楽は?


約120年前、日清戦争後のころから、南米へ、国策として奨励された。
亡き母も、
子供時代には同級生一家が南米に渡ったことを話していました。


農園で成功された方が
その後、こうしたお店を出しました。
第2次大戦では、日本人たちは敵国人として苦労されました。


野内与吉さんの肖像です。


大玉村とマチュピチュ村の友好都市が締結されました。
2015年10月26日。

先日
いわきPITにて
世界遺産・マチュピチュ村に村を創った日本人
・・・野内与吉さん

のお話を
孫の野内セサル好郎氏から
お聞きしました。
大勢の方々が参加されていました。

野内与吉さんは大玉村にお生まれになり
1917年に契約移民としてペルーにわたり
大農園(アシエンダ)での労働に従事。
その後、クスコ=マチュピチュ間の鉄道建設にたづさわり
そのまま、マチュピチュ遺跡ふもとに住み着き、家族を持った。
第2次大戦時にはペルーは連合国でしたので大変な目に。
村ではホテル業や地域の環境整備に力を注ぎ、
住民の信頼を得て、マチュピチュ村の村長になった方です。
その生き方を
孫の野内セサル好郎さんが熱く語って
参加者の共感を呼びました。

ペルーについてはあまり知らないので
画像の一部分を
ランダムに載せてみましたので
ペルーとはどんな国なのか
感じてみてください。

日めくりカレンダーより
☆おかあさん、心の中、
 時計の音がするよ!
   岐阜県 主婦の方

温かい感覚の表現ですね。

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