
将軍国書(家茂)・・・文久元年三月二十三日(1861年)
老中久世大和守・安藤対馬守のアメリカ合衆国外国事務大臣宛て書簡
文久元年三月二十三日(1861年)
坂下門外の変(水府の浪士阪下に閣老を襲撃の図)
神奈川県立歴史博物館蔵
桜田門外の変
江水散花雪・・・茨城県立図書館蔵
シンポジウム風景から
磐城高校生の発表から
以下、福岡先生の講演から
福地源一郎について
久世・安藤政権下の内政と外交
田辺太一について
安藤信正公の外交交渉・・・条約締結問題
安藤信正公の外交交渉・・・開港・開市延期問題
開港開市延期問題とプロイセン条約問題の結合
ヒュースケン殺害事件
今日・11月16日
文化センターにて開催
安藤信正公生誕200年記念事業
「記念シンポジウム」に参加。
一部 :磐城高等学校・史学部の研究発表
二部:老中安藤信正の外交交渉~外圧と攘夷の狭間で~
福岡万里子先生(国立歴史民俗博物館 研究部准教授)講演
三部:パネルディスカッション
福岡万里子先生・松村耕三先生(平安会会長)・夏井芳徳先生
福岡先生はレジメP3と資料P9で
安藤信正公の
外国掛老中だった期間のお話を
わかりやすく説明いただき、
幕末の混沌とした時代における外交に注力した
内容を理解できました。
講演内容
1.安藤公が外国掛老中だった頃(1860年~62年)・・・時代背景のお話
内:桜田門外の変後の事態の収拾
外:激変する対外関係への対応
↓
いづれも内外の要求が真っ向からぶつかり合い矛盾し合うディレンマ的状況の時代と。
田辺太一(書簡掛)の証言
福地源一郎(通詞)の証言
を基にまとめられました。
2.安藤信正の外交交渉
①新規条約締結問題・・・プロイセン使節団への対応
②開港開市延期問題・・・外交手段を総動員
③外国人襲撃殺害事件
(ヒュースケン殺害事件=1861年)への対応を例にして説明されました。
3.まとめとして安藤信正公の為人を考える
・「時務に精励」・・・下僚たちと共に
・「才(人を動かす)を持て自ら持ゆるの癖」・・・信頼形成を通じた外交
・「ただ自己の聡明をもて、当然の情と理とし照らして、
これが応答をなし、加ふるに機敏の才、応変に妙なりしかば、
一時外国公使も称賛して措かず」
・其剛毅にして果敢なると、其機敏にして神速なるには、
各国公使も感服して畏敬をあらわしたりき
とまとめられました。
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