いわき・うぶすな広場だより

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元文一揆前の内藤磐城平藩の財政について・・・いわきヒューマンカレッジから

2013-10-01 07:15:43 | いわきの歴史

いわき市生涯学習プラザに飾られていました生け花。


季節を感じさせます。


以下、森先生のレジメ6枚。
「寛文十年(1671年)から延享二年(1745年)までの
年貢諸役(籾・大豆・金)の変遷」が
わかる史料です。


いろいろ変遷があり
今日の史料のもとになりました膨大な「内藤家文書」は現在
明治大学が所有しています。
その関係もあり
森先生のお話になったと思われます。


そのいくつかの現物を
パワーポイントで見せていただきました。


貴重な史料が
いわきから離れたことは残念だが。


こうして散逸しないで
明治大学に所蔵されてよかった。

困難な藩財政状況に役人達は如何に立ち向かったのか
~元文一揆前後の内藤磐城平藩の財政状況と本〆役の役割~

講師は
森 朋久先生(明治大学博物館 研究調査員)


1)元文三年一機前後の財政状況

  ①寛文十年(1671年)から延享二年(1745年)までの
   年貢諸役(籾・大豆・金)の変遷

  ② 一揆直前の年貢諸役の変遷

  ③ 町方・郷役金仕法と一揆
    →内藤家文書の一部(享保十五年「御用勘定よりご勘定ニ付万覚書」より)

2)元文五年財政改革→一揆後の版財政立て直し

  ①一揆の代償と役人の不正・・・農民に譲歩→財政がさらに悪化。
    →「正徳元卯七月 諸品覚書」より

  ② 倹約令の発令

  ③ 人的な組織の確立

  ④ 磐城役所での改革

  ⑤ 江戸役所での改革

  ⑥ 改革の成果(グラフ参照)
    一揆の影響のために財政赤字を領内に転嫁できなかったので、
    各役所諸向の倹約と各役所下級役人や
    諸手当削減、諸役所における勘定事務の厳密化により
       元文以降の財政赤字を目指した。
       →元文五年以降収入は安定的に
      ・・・・改革は役立ったと!!

3)本〆役の新設
   ①一揆直後の人事刷新
 ②本〆役の職務
 ③元文五年改革での本〆役の役割

4)本〆役の系譜 本〆役設置以前の財政運営者
  ①藩財政前期の版財政運営
  ②本〆就任者・・・1、松賀正元
  ③本〆就任者・・・2、松賀伊織
  ④本〆就任者・・・3、島田理助

5)最後に

磐城から延岡へ転封まで
目立ったことはなく

天文五年以降は
それなりの成功を収めたと考えられると。

ですから
転封は幕府領との関係ではないのかと森先生は結論されました。

森先生
丁寧なレジメによる
貴重なお話ありがとうございました。

 

ファイナンス研究会
ITサポーターいわき
と今日は大忙し。

いわきは現在
大雨になりました。




 

 

 

 

 

 

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