goo blog サービス終了のお知らせ 

いわき・うぶすな広場だより

セカンドライフの生き方を書いています。

いわき・甲塚古墳と周辺の古墳群を探る!!

2010-12-09 09:28:11 | いわきの歴史

「甲塚」の今です。


右奥がバイパスです。
この工事で発掘がおこなわれました。

トンネルの左側から、
6C後半の11個の円墳が見つかりました。


写真右奥から、
もっとも古い4Cの円墳が一つだけ見つかりました。


最後に大國魂神社を参拝しました。
禰宜の山名先生からお話を聴きました。


「甲塚」の測量図・明治15年前後の条理復元図等です。


左から平→四倉方面です。
平よりに4Cの円墳が一つ
真ん中には8C頃から10C初めごろの掘っ立て柱が100棟以上見つかりました。
右には6Cの円墳が11個見つかっています。
赤の部分は豪族の館跡と考えられます。


砂畑遺跡から出土された埴輪や土器です。

先日
いわき市の夏井公民館講座の
「歴史探訪夏井再発見」の
「甲塚古墳とその周辺の古墳群を探る」
に参加しました。

講師は
矢島 敬之先生(いわき市生涯学習 主査)でした。

1)甲塚古墳(国指定史跡)
・・・大正十二年(1923年)
  大國魂神社神社の東方200mの水田の中にある
  古墳時代の墳丘墓です。
   従来は円墳といわれていたのですが、上記の写真のように円墳ではないようです。
   高さ8,2m、直径27mですが発掘はまだです。
  この甲塚を中心に荒田目条里遺跡・砂畑遺跡などに
  20基前後の古墳群が形成されていたと考えられています。
  当時の人々には
 すごい光景だったのではないでしょうか!!

2)砂畑遺跡
・・・約4500年前に形成が開始された最奥部の浜堤上に立地されています。
    平成元年から七年の発掘で縄文時代から幕末までの遺構、遺物が見つかり、
   いわき市最大級の複合遺跡とされています。
    海上交通で、人々が東国進出をうかがう物も出土もされており、
  また、円墳が11基が見つかり、甲塚古墳を含めた大規模群集墳と考えられます。
  また、古代磐城郡の8Cから平安時代の豪族の館跡が見つかったことなどから、
  古代の根岸官衙遺跡との関連に興味がそそられる遺跡です。

3)荒田目条里遺跡・・・現在の「阿武隈鶏卵」さんのところです。(昔はハス畑でした。)
  平成5年に発掘。(常磐バイパスに関連して。)
  全国を驚かす木簡が出土。
   遺構には古墳時代の竪穴式住居跡や古代の河川跡から木簡・木製品が発見されました。
  木簡36点は保存がよく文字もわかり
  「里刀自」「立屋津長伴部福麿」に宛てた木簡が全国から注目されました。

今回遺跡群を歩いて・・・本当に隣接する遺跡です。

これだけの古墳群に囲まれて
8Cごろから住居が建てられ、
10C(平安時代)以降は古墳もなくされてしまった!!
すなわち
古墳を壊して住居にしてしまった!!
これはすごい!!

古墳時代の考えは忘れ去られ、
新しい時代の考え方が芽生えたのですね。

矢島先生ありがとうございました。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 小山卓治(おやまたくじ)の... | トップ | いわき・そばを打つ・・・豊... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

いわきの歴史」カテゴリの最新記事