いわき・うぶすな広場だより

セカンドライフの生き方を書いています。

いわきの延喜式内七社・・・・内藤家の功績・・・いわき学・いん軒講座より

2013-02-22 09:14:28 | いわき学

大須賀筠軒著「磐城誌料歳時民俗記」
の18回目でした。


今回の四月七日続きから。

おとといの夏井先生の
「いわき学・筠軒講座」も18回目となり
四月七日の続きを。

今回は見逃せない内容が。
いわきの延喜式内七社について。

大須賀筠軒は
寛文六年(1669年)のころに
葛山為篤が書いた磐城風土記にある
延喜式内七社のうち

菅波の大國魂神社
湯本村の温泉神社
住吉村の住吉神社
上矢田村の鹿島神社
が四つあって

二股神社
佐麻久嶺神社
子鍬倉神社
の三つは
どれが神社かはっきりしていなかったので、
内藤義概(義泰)・義孝が
その隠滅を嘆き役人に命じてどこにあるか探させたと。

二俣神社
天和(1681~1683)のころ小川にあり
夏井川の二又に流れているので二俣と号されたと。

佐麻久嶺神社
祭神が分からなかったが
五十猛命(いそたけるのみこと)・・・林業・造船をまつる。
をまつることがわかった。

子鍬倉神社
桜町(現・桜が丘高校あたり)にあったがそこから遺跡が出てきたので確認できた。
その後、現在の揚(あげ)土台に移された。
平の町の氏神様として発展。

大須賀筠軒は
内藤義概(義泰)・義孝と義概の父・忠興
の三人の藩主が
神社を調べた功績は偉大だとほめたたえています。

現在の政治家の皆さんはいかがでしょうか。

記録の大事さがわかる講義でした。
夏井先生
ありがとうございました。

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