大須賀筠軒著「磐城誌料歳時民俗記」
の18回目でした。
今回の四月七日続きから。
おとといの夏井先生の
「いわき学・筠軒講座」も18回目となり
四月七日の続きを。
今回は見逃せない内容が。
いわきの延喜式内七社について。
大須賀筠軒は
寛文六年(1669年)のころに
葛山為篤が書いた磐城風土記にある
延喜式内七社のうち
菅波の大國魂神社
湯本村の温泉神社
住吉村の住吉神社
上矢田村の鹿島神社
が四つあって
二股神社
佐麻久嶺神社
子鍬倉神社
の三つは
どれが神社かはっきりしていなかったので、
内藤義概(義泰)・義孝が
その隠滅を嘆き役人に命じてどこにあるか探させたと。
二俣神社は
天和(1681~1683)のころ小川にあり
夏井川の二又に流れているので二俣と号されたと。
佐麻久嶺神社は
祭神が分からなかったが
五十猛命(いそたけるのみこと)・・・林業・造船をまつる。
をまつることがわかった。
子鍬倉神社は
桜町(現・桜が丘高校あたり)にあったがそこから遺跡が出てきたので確認できた。
その後、現在の揚(あげ)土台に移された。
平の町の氏神様として発展。
大須賀筠軒は
内藤義概(義泰)・義孝と義概の父・忠興の三人の藩主が
神社を調べた功績は偉大だとほめたたえています。
現在の政治家の皆さんはいかがでしょうか。
記録の大事さがわかる講義でした。
夏井先生
ありがとうございました。
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