いわき・うぶすな広場だより

セカンドライフの生き方を書いています。

「500年後にわかる画家・牧島如鳩」の図録が届く・・・足利市立美術館より

2017-10-15 10:37:38 | いわきの講演会

牧島如鳩の代表作の一つと思われます。
「龍ヶ澤大辨才天像」1951年(昭和26年)
いわき市常磐水野谷町竜ケ崎にある
龍ヶ澤大辨才天社に納められた作品です。


先日10月9日の当ブログにて
下記のこと書きました。
再録してみます。

いわき市市ヒューマンカレッジ講座で
牧島如鳩の絵画
~小名浜の奇妙な守り神~
講師は
佐々木吉晴先生
(いわき市立美術館館長兼宇都宮美術館長)でした。

いわき市小名浜に一時在住したすごい画家
牧島如鳩(にょきゅう)という画家の名前は知っていたのですが、
絵は観たこともないし
経歴も知れなかったので、
今回の講演会には大いに期待していました。
期待通りの良い講演会でした。
ぜひ、
栃木県の足立市立美術館で観たいですね。

1 序 「魚籃観音」顛末
    ・・・現在は小名浜漁協から足立市立美術館館所蔵になったいきさつのお話。

2 牧島如鳩(にょきゅう)という画家
 1)生い立ち
 2)ハリスト協会入信
 3)イコンとイコノビーセツ(聖像画家)
 4)山下りんとの出会い
 5)神田ニコライ堂と「青筍社」、そして馬上幸男の入社
 6)小名浜の日々
   ・・・いわき市小名浜時代のことについて
       生活および絵のことを詳しくお話しされました。
      よく牧島如鳩のことをよく理解できました。

3 牧島如鳩の宗教絵画
  ”神””仏”習合、”東””西”融合の先にー

も紹介されました。

☆略式も また本式も心あれば、 茶にかかわりなし気遣いもなし
☆われ死なば シャカ・キリストや観音の 御使いたちが骨ひらうらん
☆北海は 桜も梅も桃栗も みんな一緒に 君を迎えん
              牧島純編如鳩歌集第1集から

500年後にわかると豪語した
いわき市小名浜に住んだことのある栃木県足利市出身の
画家・牧島如鳩(にょきゅう)

今回の佐々木先生の講演で、
よく理解できました。

今後
絵を観に行きたいと思います。

佐々木先生
いわきにいてよく知らなかった貴重な講演
ありがとうございました。

重要な絵は小名浜を離れ
生まれ故郷の美術館にありますので本人はよかったと。

それにしても
500年後にわかるとは。

と書きました。
それから
ネットでは絵を観ましたが、
足利美術館で約10年前に展覧会をされていて、
佐々木先生も図録が残っているのでは言われていましたので、
問い合わせて、まだ残数がありましたので取り寄せ
昨日届きました。

その中から、
小名浜時代の作品のいくつかを載せてみます。
観ずらいですが、感じだけを。


一番の代表作と言われています。
小名浜漁業協同組合から、
現在は生まれ故郷の足利市立美術館所蔵になっています。

いわき市民としては残念ですが。
図録には小名浜漁業協同組合所蔵と書かれています。
「魚籃観音像」…1952年(昭和27年)


「慈母観音像」…1948年(昭和23年)


「三聖図」・・・1947年(昭和22年)


「蓬莱山図(小名浜風景)」・・・1948年(昭和23年)


「金棺出現」・・・1961年(昭和36年)
教安寺(川崎市)
イコンと仏画の融合と思われる。


上下とも「観音来迎」・・・1961年(昭和36年)
教安寺(川崎市)
イコンと仏画の融合と思われる。


画面左は
「大自在千手観音菩薩」・・・1964年(昭和39年)
願行寺(文京区)
イコンと仏画の融合と思われる。

画面右は

「帰妙」…1963年(昭和38年)
願行寺(文京区)


小名浜時代とイコンと仏画の融合を少し載せました。

牧島如鳩の宗教絵画の目指した

”神””仏”習合
”東””西”融合
の先とは何なのか!!

図録を観ながら考えてみます。

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