いわき市生涯学習プラザフェイスティバルの生け花から少しUPで。
新島襄が書き残したもう一つの磐城平城の人柱の話を
夏井先生から学びました。
人柱のお話は
2つあったのですね!!
新島襄「函楯紀行」…1864年(元治元年)三月七日から五月二十二まで
人柱がたつ工事の背景を
俳諧師・西山宗因・・・松尾芭蕉の先生でもあります
「奥州紀行」・・・1663年(寛文三年)春成立
先日
いわきの歴史探求講座
激動のいわき(戦国時代と江戸時代の初め)
講師は
夏井芳徳先生
2回講座で
江戸時代のはじめ
徳川家康の命を受け、
鳥居忠政が築いた磐城平城。
その築城は難工事で
人柱が立てられたと言われています。
前回1回目では
普通一般に知られています
「人柱」の話を学びましたが
「人柱」の話はもう一つがあったと!
夏井先生は
お話されました。
どこに書かれているの?
新島襄「函楯紀行」・・・1864年(元治元年)三月七日から五月二十二まで
に書かれていると。
その背景を
俳諧師・西山宗因・・・松尾芭蕉の先生でもあります
「奥州紀行」・・・1663年(寛文三年)春成立
を解説しながら
もうひとつの「人柱」のお話を学びました。
どちらが正しいのか
工事が2つあり
「人柱」が2つ立てられたのか?
歴史を学ぶことはおもしろい!!
夏井先生
新しい「人柱」のお話
ありがとうございました。
日めくりカレンダーより
☆おじいちゃんは
宇宙に旅行
静岡県 主婦の方
ご主人がなくなられて
気が沈んでいた時、
3歳のお孫さんの一言でした。
気持ちが明るくなったと。