もしかしたらこの記事は投稿を拒否されるかもしれません。gooブログは1件の記事について1万字(実数で)投稿できると謳っていますが、真っ赤なうそです。現に私はgooブログに6千字くらいの記事を2回投稿し、投稿したとたん記事は消失されてしまいました。1回目のときはメールでgoo事務局に抗議し、私が投稿した記事を復元しちゃんと読めるようにしてほしい旨を申し入れましたが、gooからはメールで「迷惑メールと判定し、受信を拒否します」と返事が返ってきただけで、記事は消失したまま復元されませんでした。そこで再度、今度は批判的な書き方はやめて、「お願い」口調でメールを送信しましたが、やはりgooからの返信メールは「迷惑メールと判定し受信を拒否します」でした。
このgooのアンフェアな対応から、私の記事投稿はこれから以降すべて拒否される可能性が強いと判断し、いったんgooブログから退会し、別のIDとパスワードで再入会し、3本の記事を無事投稿することができました。そして4本目の記事を約6千字くらい書いた時点で、ほかのパソコン作業をするため「下書き・投稿」しましたが、その瞬間記事は消滅されてしまいました。今度は一切批判的な表現は使わず「投稿の完了をお願いします」とのメールを送りましたが、3日待っても返信メールさえ届きませんでした。
そういうわけで、もう一度「ジャーナリストはなぜ歴史認識を間違えるのか」というタイトルの記事を、数回に分けてそれぞれ「完了・投稿」することにします。gooのサーバーが何文字くらいならちゃんと処理してくれるかわかりませんので安全性を考えて1回の投稿を3000文字前後にします。
このテーマに取り組むことにしたのは、ジャーナリストたちが「あの戦争」(「日中戦争」「太平洋戦争」「アジア太平洋戦争」「大東亜戦争」などいろいろな言い方がありますが、私は「あの戦争」としか言いようがないと考えています)だけが日本が行った侵略戦争だったという誤った歴史認識をしているからです。そして中学・高校の歴史教科書もすべてジャーナリストたちと同じ歴史認識で書かれています。
読売と朝日は南京事件・慰安婦問題・沖縄の集団自決などについて異なった歴史認識をしており、これらの事件についての教科書の記述をそれぞれの立場から批判したり支持したりしていますが、両紙は「あの戦争」の前に日本が行った3つの侵略戦争(日清・日露・日英同盟を口実にして参戦した第1次世界大戦)について中学・高校の歴史教科書がどういう記述をしているか、関心を払ったことさえありません。「あの戦争」を含めた4つの戦争についてフェアな(つまりいわゆる「自虐史観」でもなければ「自衛のためのやむを得ざる戦争だった」といった歴史観でもない、論理的に反論の余地を与えないだけのフェアな歴史認識を構築することが、この記事の目的です。
ただしお断りしておきますが、私の歴史についての知識はせいぜい高校生レベルです。私がこの記事を書くために手元に用意している資料は1972年に発行された山川出版社の『日本史小年表』だけです。この本は当然何年何月何日にどういう事件があったかを極めて簡潔に記述しているだけです。つまり個々の歴史学者の恣意的な解釈はすべて排除されています。この年表を手がかりに、事件の内容を詳しく知る必要が生じたときだけ図書館に行って歴史書を参照するかインターネットで調べることにします。その場合の私のスタンスは事件について年表ではわからない詳細な事実を調べることだけに徹します。参照する歴史書やインターネットに書いた歴史学者の「事件についての解釈」は一切無視します。したがって私が構築していく歴史認識の方法論は弁証法をベースにした純論理的思考力と、これも可能な限りフェアな解釈をすることだけです。それが私には可能なことはこれまで書いてきた3本の記事、とりわけ朝日がガソリン税についての主張を4月24日に一変させたことを見抜いた眼力、読売が総力をあげて提言した「年金改革案」が荒唐無稽な絵空事でしかないことを小中学生レベルの計算方法で証明したことからもご納得いただけると思います。ではこのプロローグをこの辺で終わりにしたいと思います。
このgooのアンフェアな対応から、私の記事投稿はこれから以降すべて拒否される可能性が強いと判断し、いったんgooブログから退会し、別のIDとパスワードで再入会し、3本の記事を無事投稿することができました。そして4本目の記事を約6千字くらい書いた時点で、ほかのパソコン作業をするため「下書き・投稿」しましたが、その瞬間記事は消滅されてしまいました。今度は一切批判的な表現は使わず「投稿の完了をお願いします」とのメールを送りましたが、3日待っても返信メールさえ届きませんでした。
そういうわけで、もう一度「ジャーナリストはなぜ歴史認識を間違えるのか」というタイトルの記事を、数回に分けてそれぞれ「完了・投稿」することにします。gooのサーバーが何文字くらいならちゃんと処理してくれるかわかりませんので安全性を考えて1回の投稿を3000文字前後にします。
このテーマに取り組むことにしたのは、ジャーナリストたちが「あの戦争」(「日中戦争」「太平洋戦争」「アジア太平洋戦争」「大東亜戦争」などいろいろな言い方がありますが、私は「あの戦争」としか言いようがないと考えています)だけが日本が行った侵略戦争だったという誤った歴史認識をしているからです。そして中学・高校の歴史教科書もすべてジャーナリストたちと同じ歴史認識で書かれています。
読売と朝日は南京事件・慰安婦問題・沖縄の集団自決などについて異なった歴史認識をしており、これらの事件についての教科書の記述をそれぞれの立場から批判したり支持したりしていますが、両紙は「あの戦争」の前に日本が行った3つの侵略戦争(日清・日露・日英同盟を口実にして参戦した第1次世界大戦)について中学・高校の歴史教科書がどういう記述をしているか、関心を払ったことさえありません。「あの戦争」を含めた4つの戦争についてフェアな(つまりいわゆる「自虐史観」でもなければ「自衛のためのやむを得ざる戦争だった」といった歴史観でもない、論理的に反論の余地を与えないだけのフェアな歴史認識を構築することが、この記事の目的です。
ただしお断りしておきますが、私の歴史についての知識はせいぜい高校生レベルです。私がこの記事を書くために手元に用意している資料は1972年に発行された山川出版社の『日本史小年表』だけです。この本は当然何年何月何日にどういう事件があったかを極めて簡潔に記述しているだけです。つまり個々の歴史学者の恣意的な解釈はすべて排除されています。この年表を手がかりに、事件の内容を詳しく知る必要が生じたときだけ図書館に行って歴史書を参照するかインターネットで調べることにします。その場合の私のスタンスは事件について年表ではわからない詳細な事実を調べることだけに徹します。参照する歴史書やインターネットに書いた歴史学者の「事件についての解釈」は一切無視します。したがって私が構築していく歴史認識の方法論は弁証法をベースにした純論理的思考力と、これも可能な限りフェアな解釈をすることだけです。それが私には可能なことはこれまで書いてきた3本の記事、とりわけ朝日がガソリン税についての主張を4月24日に一変させたことを見抜いた眼力、読売が総力をあげて提言した「年金改革案」が荒唐無稽な絵空事でしかないことを小中学生レベルの計算方法で証明したことからもご納得いただけると思います。ではこのプロローグをこの辺で終わりにしたいと思います。
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