朝日新聞社がまだ真実を何とかごまかそうとしている。朝日新聞によると、吉田調書に関する記事の間違いはこうだったという。
「命令違反で撤退」という表現に誤りがありました。
この「表現の誤り」の責任をとって来月、朝日新聞社は臨時株主総会を開催して木村社長が引責辞任するという。
ちょっと待ってよ、と言いたい。
9月11日午後7時30分から木村社長が緊急記者会見を開いて事実上の引責辞任を表明したときには、理由をいろいろごちゃごちゃ言っていた。東電事故での福島第1原発の所員の9割、約650人が第2原発に移動した件については「社内の調査の結果、吉田調書を読み解く過程で評価を誤り、多くの東電社員がその場から逃げ出したような印象を与え、間違った記事だと判断した」と述べた(この木村発言は1字1句正確に文字化しただけ)。
そのほかにも、慰安婦報道や池上彰氏の原稿掲載拒否問題なども言っていたから、多くのメディアが混乱した。とくに週刊文春や新潮が朝日新聞に対して「売国紙」キャンペーンを猛烈に始めた。故吉田清治のねつ造ノンフィクション『私の戦争犯罪』(1983年上梓)が、ねつ造つまりフィクションであることは彼自身が12年後の1995年に告白した。そんなことは彼が告白するまでもなく済州島が韓国最大の観光地であり、200人もの慰安婦を必要とするような大部隊を日本が駐留させていたということ自体ありえない話だと、なぜ吉田がねつ造ノンフィクションを発表した時点でメディアは疑問に思わなかったのか。
吉田の『私の戦争犯罪』がねつ造であることが判明したのちも、朝日新聞が吉田の著作を根拠に旧日本軍批判を続けたというなら、朝日新聞が8月5,6の2日にわたって慰安婦報道の検証記事を掲載したことをきっかけに、メディアが朝日新聞批判を始めてもおかしくはないが、朝日新聞は誤報と分かって以降は慰安婦問題に関しては「黙して語らず」の姿勢を一貫してとってきた。
吉田がねつ造ノンフィクションを発表したときは、朝日新聞だけでなくすべてのメディアが「勇気ある告白者」と吉田を持ち上げたし、日本のメディアはいつまで「戦後」を引きずり続けるのかと私は思っていた。読売新聞や産経新聞は誤報であることをいち早く明らかにしたが、それは朝日新聞と読売新聞や産経新聞の立ち位置が異なっていたからにすぎない。当時すでに朝日新聞や毎日新聞は「左寄り」、読売新聞と産経新聞は「右寄り」と見られており、慰安婦報道で改めてメディアの立ち位置が明らかになったというだけの話である。
確かに朝日新聞自身による誤報の検証が遅きに失したというそしりは免れないだろう。
が、誤報なんかは毎日のようにある。それをいちいち訂正し、そのたびに社長が責任をとっていたら、だれも新聞社の社長になどなれなくなる。8月5日は朝日新聞お客様オフィスにはまったく電話がつながらず、翌6日になってようやくつながったが、私が問題にしたのは「なぜ今ごろになって誤報の検証記事を掲載したのか。社内の権力闘争の表れか」ということだった。朝日新聞の担当者はこう答えた。
「内部に意見の対立がないメディアのほうが怖いんじゃないですか」
私にとってはその一言で十分だった。ただ前に読売新聞読者センターとの問題があったので、その時点ではブログにお客様オフィスの対応は書かなかった。その後週刊文春が朝日新聞社内の内部抗争を記事にしたから、もう書いてもいいだろうと思って書くことにしただけだ。
ただ恐るべき朝日新聞の傲慢さは、朝日新聞の慰安婦報道が国際社会にどんな影響を与えたかを第3者委員会で検証させるとしたことだ。木村社長が事実上の引責辞任を表明したとき、二つの第3者検証委員会を発足させ、検証結果を待って「身の処し方を決める」と明言した。
一つは「吉田調書をなぜ読み誤ったか」であり、もう一つは「朝日新聞の慰安婦報道が国際社会にどのような影響を及ぼしたのか」である。その検証結果は、二つともまだ出ていない。なのに、木村社長は早々と12月の引責辞任を社内で明らかにした。なぜか。その説明責任を、木村社長は果たすつもりはないのか。(続く)
「命令違反で撤退」という表現に誤りがありました。
この「表現の誤り」の責任をとって来月、朝日新聞社は臨時株主総会を開催して木村社長が引責辞任するという。
ちょっと待ってよ、と言いたい。
9月11日午後7時30分から木村社長が緊急記者会見を開いて事実上の引責辞任を表明したときには、理由をいろいろごちゃごちゃ言っていた。東電事故での福島第1原発の所員の9割、約650人が第2原発に移動した件については「社内の調査の結果、吉田調書を読み解く過程で評価を誤り、多くの東電社員がその場から逃げ出したような印象を与え、間違った記事だと判断した」と述べた(この木村発言は1字1句正確に文字化しただけ)。
そのほかにも、慰安婦報道や池上彰氏の原稿掲載拒否問題なども言っていたから、多くのメディアが混乱した。とくに週刊文春や新潮が朝日新聞に対して「売国紙」キャンペーンを猛烈に始めた。故吉田清治のねつ造ノンフィクション『私の戦争犯罪』(1983年上梓)が、ねつ造つまりフィクションであることは彼自身が12年後の1995年に告白した。そんなことは彼が告白するまでもなく済州島が韓国最大の観光地であり、200人もの慰安婦を必要とするような大部隊を日本が駐留させていたということ自体ありえない話だと、なぜ吉田がねつ造ノンフィクションを発表した時点でメディアは疑問に思わなかったのか。
吉田の『私の戦争犯罪』がねつ造であることが判明したのちも、朝日新聞が吉田の著作を根拠に旧日本軍批判を続けたというなら、朝日新聞が8月5,6の2日にわたって慰安婦報道の検証記事を掲載したことをきっかけに、メディアが朝日新聞批判を始めてもおかしくはないが、朝日新聞は誤報と分かって以降は慰安婦問題に関しては「黙して語らず」の姿勢を一貫してとってきた。
吉田がねつ造ノンフィクションを発表したときは、朝日新聞だけでなくすべてのメディアが「勇気ある告白者」と吉田を持ち上げたし、日本のメディアはいつまで「戦後」を引きずり続けるのかと私は思っていた。読売新聞や産経新聞は誤報であることをいち早く明らかにしたが、それは朝日新聞と読売新聞や産経新聞の立ち位置が異なっていたからにすぎない。当時すでに朝日新聞や毎日新聞は「左寄り」、読売新聞と産経新聞は「右寄り」と見られており、慰安婦報道で改めてメディアの立ち位置が明らかになったというだけの話である。
確かに朝日新聞自身による誤報の検証が遅きに失したというそしりは免れないだろう。
が、誤報なんかは毎日のようにある。それをいちいち訂正し、そのたびに社長が責任をとっていたら、だれも新聞社の社長になどなれなくなる。8月5日は朝日新聞お客様オフィスにはまったく電話がつながらず、翌6日になってようやくつながったが、私が問題にしたのは「なぜ今ごろになって誤報の検証記事を掲載したのか。社内の権力闘争の表れか」ということだった。朝日新聞の担当者はこう答えた。
「内部に意見の対立がないメディアのほうが怖いんじゃないですか」
私にとってはその一言で十分だった。ただ前に読売新聞読者センターとの問題があったので、その時点ではブログにお客様オフィスの対応は書かなかった。その後週刊文春が朝日新聞社内の内部抗争を記事にしたから、もう書いてもいいだろうと思って書くことにしただけだ。
ただ恐るべき朝日新聞の傲慢さは、朝日新聞の慰安婦報道が国際社会にどんな影響を与えたかを第3者委員会で検証させるとしたことだ。木村社長が事実上の引責辞任を表明したとき、二つの第3者検証委員会を発足させ、検証結果を待って「身の処し方を決める」と明言した。
一つは「吉田調書をなぜ読み誤ったか」であり、もう一つは「朝日新聞の慰安婦報道が国際社会にどのような影響を及ぼしたのか」である。その検証結果は、二つともまだ出ていない。なのに、木村社長は早々と12月の引責辞任を社内で明らかにした。なぜか。その説明責任を、木村社長は果たすつもりはないのか。(続く)
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