前回のブログ記事の最後で、次は「小沢問題」について書きます、という約束をした。しかし今日私のブログ記事一覧を見た結果、すでに「小沢問題」について言うべきことは言いつくしており、付け加えることがなかったので「小沢問題」を蒸し返す必要がないことを確認したうえで約束を撤回する。申し訳ありませんでした。
私は今年7月でちょうど70歳になる。「年はとりたくないものだ」という老人の気持ちが痛いほど理解できる年齢に私も近付きつつあることを、正直認めざるを得ない。
私は子供のころから左脳が異常に発達し、その代わりに右脳が著しく後退してきた。「小沢問題」についてすでに書いていながらすっかり忘れていたことがその証左でもある。
で、今回のブログは私のブログ記事の、たぶん最大の読者と思われる方から寄せられたコメントに限りなくフェアでかつ論理的整合性を満たした回答をしたい。まずその方から寄せられたコメントを無断で転記する。
びっくりだな。電車内の携帯電話の制限に疑問を持つような人が、女性専用車両には論理的思考をしたことがないのか?
なんぼ携帯電話を制限することに論理的誤りがあったとしても、たった3秒の携帯の電源を消す手間でむやみに物議を醸さずに自分の居場所を自由に選べるのに、女性専用車両には性別っつう生まれつきもってきて換えがたいもんでどうにもできないまま居場所を不自由にされるんだぞ。そっちのほうが深刻だと思わないのか?
是非とも女性専用車両の正当性について論理的思考を求めたい。
この方が私のブログ記事を真剣にかつできるだけフェアに受け止めされようとされていることは私も感謝ししている。が、そういう善意の読者であってもこの方の思考方法が混乱していることは指摘せざるを得ない。
この方にご指摘したいことは論理的思考の結果として電車内での携帯電話の使用規制は間違っているということを明確にしたことと、しかし元運輸省(現国土交通省)が電鉄事業者各社に優先席付近での携帯電話の電源を切らせろという通達(行政指導)が、いまだ撤回されていない状況の中で現実的に可能な解決策を提案することとはまったく別の次元の問題だというご理解をしていただきたい。
論理的整合性を最重視するならば公共交通機関内での携帯電話使用規制はすべて撤去すべきだと私は考えている。その理由はこのシリーズで述べてきたので今更再証明する必要はない。不信があればもう一度このシリーズの①からすべてを読み直していただきたい。
この方はなぜ通勤時間帯に限って女性専用車両を設けたのかご存じではないようだ。実は女性が痴漢の被害に会う可能性は通勤時間帯が圧倒的に多い。そのため通勤時間帯に限って女性専用車両を設けたという経緯がある。だから通勤時間帯を外れた時間帯(日中など)は女性専用は解除されている。通勤時間帯に限って女性専用車両を設けたのは論理的思考とは全く関係がない。通勤時間帯に女性が痴漢の被害を受けないように設けられた車両だったのである。もしこの問題を論理的整合性を基準に考えるならば、一応通勤時間帯の乗客が男女同数だとしたら、1両置きに男性専用車と女性専用車両を設けるべきなのである(ただし夫婦や親子、恋人同士、友人関係などが別の車両に乗車しなければならないとなると問題なので、そういう方たちのための車両を別途設けるべきだろう)。これが論理的整合性をベースにした思考方法である。
つまりこの方の主張は全く論理的思考力を欠いた私への批判だということがこれで明らかにになったはずである。
私は心臓ペースメーカーを体内に埋め込まれている方が1本の電車に何人乗られるのかは分からない。その実態を調べる責任は国土交通省と総務省にあると考えている。ただ私の勘としてどの車両でもいいが1車両の優先席を心臓ペースメーカー専用席にしたらすべての携帯電話問題は解決すると考えている。そしてそのことをすべての乗客に理解していただく最も有効な方法は女性専用車を通勤時間帯だけでなく全日女性専用車にして、その車両の優先席をペースメーカー専用にするしか解決方法がないと主張した。なぜなら女性専用車は電車の最後尾に設置されており、車掌の目が常に行き届いているからペースメーカーを付けた男性が痴漢行為など絶対にできないからである。
私がなぜ前回のこのシリーズの3回目で、絶対に実現不可能な暦の論理的非整合性を書いたのか、私の文章の行間から読み取ってほしい。現在のいろいろなシステムや約束事は、極端にいえばすべて論理的整合性を欠いている。その中であらゆる事象に対して幼児のごとき素直さで疑問を持ち、動かしがたい現実のシステムの中で極力論理的整合性のあるシステムに変えていくことが現実的な方法である。論理的思考力を身につけていく場合、やむを得ざる妥協は覚悟しなければならないことは、前回のブログで書いた暦の矛盾についての記述で分かったほしい。これで私への批判をされた方への回答を終える。批判はどんどんしていただきたい。手厳しい反論を受けても、そのことによって私への批判をした方の論理的思考力は高まっていくはずだし、私にとってもさらに論理的思考力に磨きをかける契機になるからだ。最後に私への批判をされた方に感謝の念を捧げたい。
私は今年7月でちょうど70歳になる。「年はとりたくないものだ」という老人の気持ちが痛いほど理解できる年齢に私も近付きつつあることを、正直認めざるを得ない。
私は子供のころから左脳が異常に発達し、その代わりに右脳が著しく後退してきた。「小沢問題」についてすでに書いていながらすっかり忘れていたことがその証左でもある。
で、今回のブログは私のブログ記事の、たぶん最大の読者と思われる方から寄せられたコメントに限りなくフェアでかつ論理的整合性を満たした回答をしたい。まずその方から寄せられたコメントを無断で転記する。
びっくりだな。電車内の携帯電話の制限に疑問を持つような人が、女性専用車両には論理的思考をしたことがないのか?
なんぼ携帯電話を制限することに論理的誤りがあったとしても、たった3秒の携帯の電源を消す手間でむやみに物議を醸さずに自分の居場所を自由に選べるのに、女性専用車両には性別っつう生まれつきもってきて換えがたいもんでどうにもできないまま居場所を不自由にされるんだぞ。そっちのほうが深刻だと思わないのか?
是非とも女性専用車両の正当性について論理的思考を求めたい。
この方が私のブログ記事を真剣にかつできるだけフェアに受け止めされようとされていることは私も感謝ししている。が、そういう善意の読者であってもこの方の思考方法が混乱していることは指摘せざるを得ない。
この方にご指摘したいことは論理的思考の結果として電車内での携帯電話の使用規制は間違っているということを明確にしたことと、しかし元運輸省(現国土交通省)が電鉄事業者各社に優先席付近での携帯電話の電源を切らせろという通達(行政指導)が、いまだ撤回されていない状況の中で現実的に可能な解決策を提案することとはまったく別の次元の問題だというご理解をしていただきたい。
論理的整合性を最重視するならば公共交通機関内での携帯電話使用規制はすべて撤去すべきだと私は考えている。その理由はこのシリーズで述べてきたので今更再証明する必要はない。不信があればもう一度このシリーズの①からすべてを読み直していただきたい。
この方はなぜ通勤時間帯に限って女性専用車両を設けたのかご存じではないようだ。実は女性が痴漢の被害に会う可能性は通勤時間帯が圧倒的に多い。そのため通勤時間帯に限って女性専用車両を設けたという経緯がある。だから通勤時間帯を外れた時間帯(日中など)は女性専用は解除されている。通勤時間帯に限って女性専用車両を設けたのは論理的思考とは全く関係がない。通勤時間帯に女性が痴漢の被害を受けないように設けられた車両だったのである。もしこの問題を論理的整合性を基準に考えるならば、一応通勤時間帯の乗客が男女同数だとしたら、1両置きに男性専用車と女性専用車両を設けるべきなのである(ただし夫婦や親子、恋人同士、友人関係などが別の車両に乗車しなければならないとなると問題なので、そういう方たちのための車両を別途設けるべきだろう)。これが論理的整合性をベースにした思考方法である。
つまりこの方の主張は全く論理的思考力を欠いた私への批判だということがこれで明らかにになったはずである。
私は心臓ペースメーカーを体内に埋め込まれている方が1本の電車に何人乗られるのかは分からない。その実態を調べる責任は国土交通省と総務省にあると考えている。ただ私の勘としてどの車両でもいいが1車両の優先席を心臓ペースメーカー専用席にしたらすべての携帯電話問題は解決すると考えている。そしてそのことをすべての乗客に理解していただく最も有効な方法は女性専用車を通勤時間帯だけでなく全日女性専用車にして、その車両の優先席をペースメーカー専用にするしか解決方法がないと主張した。なぜなら女性専用車は電車の最後尾に設置されており、車掌の目が常に行き届いているからペースメーカーを付けた男性が痴漢行為など絶対にできないからである。
私がなぜ前回のこのシリーズの3回目で、絶対に実現不可能な暦の論理的非整合性を書いたのか、私の文章の行間から読み取ってほしい。現在のいろいろなシステムや約束事は、極端にいえばすべて論理的整合性を欠いている。その中であらゆる事象に対して幼児のごとき素直さで疑問を持ち、動かしがたい現実のシステムの中で極力論理的整合性のあるシステムに変えていくことが現実的な方法である。論理的思考力を身につけていく場合、やむを得ざる妥協は覚悟しなければならないことは、前回のブログで書いた暦の矛盾についての記述で分かったほしい。これで私への批判をされた方への回答を終える。批判はどんどんしていただきたい。手厳しい反論を受けても、そのことによって私への批判をした方の論理的思考力は高まっていくはずだし、私にとってもさらに論理的思考力に磨きをかける契機になるからだ。最後に私への批判をされた方に感謝の念を捧げたい。
良識ある貴殿の意見を聞いてみたいと思いました。