小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

「東名あおり運転事故」――東京高裁は1審の危険運転致死傷罪での判決を認めながら、なぜ横浜地裁に差し戻したのか?

2019-12-07 04:07:46 | Weblog
 6日、東京高裁で「東名あおり事故」の二審判決が下された。東名あおり事故は今更説明するまでもないが、神奈川県の東名高速道路のパーキングエリアで違反駐車していた石橋和歩被告に対して注意した被害者の車を執拗にあおり運転をしながら付きまとい、挙句の果てに追い越し車線で被害者の車の直前で停車して被害者の車を停止させ、後走のトラックが被害者の車に衝突し、被害者夫婦が死亡、その子供2人も障害を受けるという大事故を生じた石橋被告の罪を問う裁判である。
 1審は横浜地裁で行われたが、最初から難航した。世論の憤激もあって検察は石橋被告を危険運転致死罪で起訴したかったのだが、危険運転致死罪の適用には高いハードルがあった。この事故に関して危険運転に該当するか否かに疑問が持たれたのである。実際、この事故に該当すると考えられる危険運転の要件は以下のとおりである。

人又は車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の直前に進入し、その他通行中の人又は車に著しく接近し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為。

 が、石橋被告は追い越し車線で車を停車し、被害者の車えお停止させた。つまり走行中の事故ではないのである。そのため検察は当初、2段構えで起訴しようと考えていた。もちろん危険運転致死傷罪での起訴が最優先目的だったが、裁判所がその罪名での起訴を受けるか否かに自信がなかった。そのため暴行・監禁致死傷罪で起訴するということも考慮に入れた2段構えの体制で臨んだのである。そのこと自体には問題はない。
 が、その後、この裁判は裁判員裁判であったにもかかわらず、横浜地裁は裁判員をはずして検察と被告弁護士の3者だけで暴行・監禁致死傷の罪名で起訴させることに決めた。起訴する場合の罪名を、とりあえず「入り口」とする。
 ところが、裁判の過程で事故に至る経緯が明らかになってきた。確かに事故が起きた時点では被告の車は走行しておらず、道路上での停車は、その目的を問わず、危険運転としては認定していない。が、事故の直前まで被告は被害者の車に執拗にあおり運転を繰り返しており、その流れの中で事故を誘発する行為に至ったという判断が裁判員も含めて次第に強くなっていったのではないだろうか。また石橋被告に対して危険運転致死傷罪での重い量刑を求めた世論の反発も大きかったと思う。その結果、横浜地裁は予定を変更して被告を危険運転致死傷罪による懲役18年という判決を下した。どういうプロセスで暴行・監禁致死傷という起訴罪名が、いつの間にか当初退けられたはずの危険運転致死傷罪に変わったのか。この判決を、一応「出口」と位置付けよう。
 つまり、「入り口」の起訴罪名と、「出口」の判決罪名が異なるという、裁判史上異例の裁判になったのである。そのため東京高裁は6日、危険運転致死傷罪を適用した裁判の正当性は認めつつも、裁判進行のプロセスに問題があったと判断し、横浜地裁に差し戻して裁判のやり直しを命じた。
 実はテレビの報道でこの裁判結果を知って、私は危険運転致死傷罪の要件を確認した上で警察庁の広報に電話をして、「そもそも交通法規と、違反で事故を起こした場合の処罰の在り方に問題があるのでは…」と意見を申し入れた。「交通法規は交通事故を防止するため、運転手には安全運転を常に心がけてもらうことが目的でつくられているのではないか。だとしたら、危険運転致死傷罪とか過失運転致死傷罪とか、いちいちそれに該当する違反行為を限定することにどんな意味があるのか。交通法規上の罰則(違反点数とそれに連動した罰金、免許停止や取り消しなど)と、違反行為によって生じた重大事故(致死傷などの人身事故)は連動させるべきではない。いちいち該当する違反行為と刑事罰を1対1的に対応させるのではなく、たとえ些細に思える交通違反であっても、重大の事故を起こした場合は“未必の故意”を適用して危険運転致死傷罪に問えるようにすべきではないか」と強く申し入れた。
 運転者が違反を起こした時の取り締まりも大切だが、運転手に違反を起こさせないようにすることの方がはるかに重要だ。取り締まりの目的が罰金稼ぎならいざ知らず、事故を防ぐことを最重要課題と考えるなら、運転手に「ちょっとした違反でも人身事故を起こしたら必ず懲役になる」という思いで運転してもらうことの方がはるかに重要ではないだろうか。
 ついでに、この裁判についてメディアは「横浜地裁の訴訟手続きに問題があった」という認識でとらえているようだ。確かに私が書いたように、「入り口」での起訴罪名と「出口」での判決罪名が異なるという異例の裁判ではあったが、横浜地裁は東京地裁、大阪地裁と並ぶ最高クラスの地方裁判所だ。裁判官もエリートクラスが配属されているはずだ。なぜそれほどの横浜地裁でそんなチョンボが生じたのか。裁判の過程で起訴罪名を変更することができないほど日本の裁判制度は硬直しているのか。横浜地裁が下した判決文を知らないので、裁判官がどういう理由で、またいかなる手続きで「入り口」とは違う「出口」を設けたのか、その検証が必要になる。

【追記】このブログを書いたのは6日の夕方である。私が警察庁の広報に電話したのは午後3時ごろだったと思う。このブログをすぐアップしなかったのは日付が変わってからにするためだった。だから当日(6日)に警察庁であおり運転の罰則を道交法に明記することを決めたことは知らなかった。また警察庁の広報も、教えてくれなかった。私はすでに道交法で罰則が定められた(スマホ)「ながら運転」について、「ながら運転は危険運転の対象にならないのか?」と尋ねたが、「こちらは意見を聞く部署で、質問に答えることはできません」とつれない返事しか返ってこなかった。
 なお今朝(7日)の新聞報道によれば、警察庁はあおり運転について道交法で罰則を明記することにしたようだが、罰則は暴行法(2年以下の懲役もしくは30万円以下の罰金など)や強要罪(3年以下の懲役)を参考に検討しているという。結局、あおり運転もながら運転も危険運転致死傷罪の対象にならないことになり、したがって横浜地裁1審の危険運転致死傷罪の適用も、2審の東京高裁の「危険運転致死傷罪の適用は認める」という判断も間違っていると言わざるを得ない。
 言っておくが、飲酒運転やスピード違反、ながら運転など悪質な道交法違反行為であっても、事故を起こした場合、被害者に特定の悪意があっての行為ではない(つまり故意犯ではない)。が、あおり運転は被害者に対する紛れもない悪意のある恐喝的運転であり、かつ飲酒や薬物による制御不能状態での運転ではない。むしろかなりの運転技術があり、かつ正常な意識の下で行われた、悪質極まりない行為である(つまり故意犯)。運転能力が未熟な、例えば初心者に石橋被告のような極めて高度なあおり運転ができるはずがない。警察庁官僚は、そうした悪質な運転の故意性を考慮しなかったのだろうか。あっ、そうか。警察庁の官僚は知的未熟集団だったのか。ちなみに私は行政や外交など政府の方針に疑問を持った時はしばしば担当省庁の担当部署に電話をして聞くが、「意見は聞くが、質問には答えない」という省庁は警察庁だけである。つまり質問に答えられるレベルの人材がいないということか。

【追記2】臨時国会は明日(9日)閉会する。結局、今回の臨時国会は貴重な税金を使って何を決めたのか。メディアの一部には野党が「桜を見る会」問題に固執して、他の重要法案の審議に応じなかったと批判しているが、それはとんでもない言いがかりだ。私に言わせれば、与党(自公政権)が野党の追及を「桜を見る会」問題に集中させることで、他の重要法案を国会での審議を十分尽くさずに成立させることに終始したのではないか。公職選挙法慰安の疑いを受けて2人の閣僚が辞任し、それだけでなく辞任した閣僚と新人参院議員が国会を欠席し続けている事態の異常さに、臨時国会閉会で幕引きを図ろうという意図が見え見えだ。こういう事態が許されるということになると、国会議員の報酬や政務活動費はすべて日当制にするしかない、というのが常識ある有権者の判断だろう。そもそも「桜を見る会」の名簿が電子データとしても保存されていないなどということ自体、もし本当ならば政府の危機管理体制は民間企業以下だと言わざるを得ない。おりしもNHKは約1週間にわたって首都直下型地震についての特集番組を組んだ。専門家によれば首都直下型地震が生じる可能性は30年以内に70%だという。私は地震研究者ではないが、東日本大震災で太平洋のプレート構造はかなり変化しているはずなので、素人考えで首都直下型地震のリスクは多少軽減されたのではないかと思うが、少なくとも東京に本社を置いている民間の大企業(特に金融機関)はデータのバックアップシステムを東京からかなり離れた、活断層がないと考えられている場所に設置している。つまり、東京のバックアップシステムが自然災害によって機能不全になったとしても、データが損なわれないような対策を講じている。政府が二重三重のバックアップシステムを構築していないとしたら、もはや日本政府の危機管理システムは先進国どころか未発展未途上国並み(つまり原始人並み)としか言いようがない。
 また仮に政府が管理すべきデータが失われたとしても、国民からこれだけ疑惑を持たれている安倍総理や夫人の招待者については、少なくとも安倍事務所には内閣府に提出したときの原本データが残っているはずだ。野党やメディアが、その原本データの開示を要求できる法的根拠はたぶんないと思うが、国民からこれだけ疑惑を持たれ、また3か月にわたる臨時国会を空転させた責任はひとえに安倍総理にある。だとしたら、肝心の責任者として、自ら国会に安倍事務所には必ずあるはずの招待者リストを開示して疑念を晴らしたらどうか。それができないから、ますます国民の疑惑が増幅しているのだ。
 ただ昨日今日に急浮上した野党合流案には、私は疑問がある。先の衆院選で立憲民主党を立ち上げた枝野氏は、その後一貫して「数合わせには与しない」と政治家としての矜持を誇示してきた。その初心はどこに行ったのか。有権者が納得するだろうか。私は疑問に思う。数合わせが必ずしも悪いとは言わないが、少なくとも枝野氏には説明責任があるはずだ。

【追記3】警察庁の無能さを書いて、どうにもムカついて仕方がないことがあるので追記する。おそらく自動車を運転している人(私のように免許を返上した人も含めて)は、同様の被害にあったことがあると思う。
 もうだいぶ前になることだが、私は当時東横線の元住吉近辺に住んでいた時期がある。東横線に沿って綱島街道(神奈川県道。多摩川を越えた丸子橋交差点までは東京都道の中原街道となっており、地元の人でもしばしば間違える)が通っており、元住吉と日吉の間に矢上川がある。その川の両側に市道があり、それぞれ一方通行になっていた(今でも変わらないと思う)。綱島街道は片側2車線の道路で国道並みだ。ある時私は家族を乗せて日吉方面から綱島街道を走り、矢上川の一方通行の市道に左折で入った。日吉方面から帰宅するには一番近道だから、いともそうしていた。ところが、左折して10メートルくらい走ったところで中原警察署の「ネズミ捕り」に引っかかった。前日から「左折禁止」になったということだ。
 いきなり警察官から「標識を見なかったのか」と詰問された。車を運転している人は、交差点を通るたびに標識が今日も変わっていないかどうかなど確認しない。理由を聞いたら、「近隣の住民から要望があった」ということだが、私のところにはそうした情報は一切なかった。おそらく近隣地域に市議会議員が住んでいたから、市議会議員からの圧力があったからだと思うが、警察官いわく。「あなたの場合は左折通行許可書を発行できますから申請してください」。が、当日の左折禁止違反は取り消せないという。
 前日に左折禁止にしたのなら、その交差点で運転者が道交法違反しないように、左折しようとする車を指導するのが警察の務めではないか。左折させておいて、「あなた標識を見ませんでしたね」は、いくら何でもないだろう。もともと左折禁止の道路を、道交法違反で近道のために左折したのであれば、それは取り締まるべきだと私も思う。あるいは飲酒運転やスピード違反を取り締まるための「ネズミ捕り」なら、私もあえて「罰金稼ぎのためだろう」とは言わない。が、理由がどうであろうと、ある日突然左折禁止にして、標識を立てたから「ネズミ捕り」は公平な取り締まりだとは、だれが納得するか。交通違反を誘発するための行為としか、私には思えない。
 これだけ書けば、警察は私を目の敵にするだろうが、どうぞご自由に。後ろめたいことは何もしてないから。私は現役時代、同業者から「少しは汚れないと、敵ばかり作るよ」と何度かアドバイスされたが、汚れたことがないので。(9日記)



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