小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

政府の産業競争力会議と厚労省の対立は、頭が悪いもの同士の意地の突っ張り合いにすぎない。

2014-05-29 07:55:19 | Weblog
 厚労省が政府方針に逆らった。国の行政機関(省庁)の長は大臣、つまり政府の要職に在り、省庁に政府の方針を伝え、政府方針に従った行政を指導する、ことになっている。
 が、いちおう日本は、司法・行政・立法の三権分立の国である。国の立法府は国会であり、国会議員の多数派が政府を構成する。三権分立とは言いつつ、政府が行政を牛耳ることが多い。が、安倍内閣の方針は行政との軋轢をしばしば生じている。農協改革方針もそうだし(この問題は近いうちに取り上げる)、混合診療容認方針もそうだ(混合医療問題については昨年4月8日に投稿した『アメリカは勝手すぎないか。日本はTPP交渉を新しい国造りのチャンスにせよ』で書いた)。農協改革問題は農林水産省が、混合医療問題は厚労省が、それぞれ業界の利益を擁護する立場に立って抵抗している。
 安倍総理が議長を務める政府の「産業競争力会議」の方針が明らかになったのは4月22日。サラリーマンやOLの賃金を、労働時間にかかわらず一定にする賃金制度(残業代ゼロ)を導入するというのだ。当然連合をはじめ労働団体は一斉に反発した。長時間労働や過労死が増える、というのが反対の理由だ。
 私は安倍総理の方針に何でも反対というわけではない。ただやり方がすべて中途半端で、論理的整合性に欠けると指摘してきた。集団的自衛権行使問題も、安倍総理の頭にはアメリカしかなく、日本が国際社会に占めている現在の状況下で、国際社会とくに環太平洋の平和と安全を守るために日本が果たさなければならない義務と責任は、現行憲法下では不可能だと主張してきた。公明党が、支持母体の創価学会と亀裂を生じながら現行憲法の解釈変更による集団的自衛権行使の限定容認についての議論の場についたことに、創価学会が「憲法改正で対応すべきだ」と、宗教法人として異例のコメントを出したのは、「憲法改正の議論なら前向きに応じるよ」というサインなのに、それすら気づかない総理の鈍感さに、私は呆れているだけだ。
 政府の産業競争力会議(以下「会議」と略す)の方針については5月21~23日の3回にわたり、私は『「残業代ゼロ」政策(成果主義賃金)は米欧型「同一労働同一賃金」の雇用形態に結びつけることができるか』と題するブログで書いた。同会議の方針は労働時間を基準に賃金を支払うのではなく、成果に応じて賃金を支払う仕組みに変えることを提案した。その提案に対して厚労省が「待った」をかけたのである。
 厚労省も、連合と同じスタンスで反対したのではない。一応「成果主義賃金」制度を受け入れながら、対象を絞り込んだ。

 まず年収の基準だが、会議が「なし」としたのに対し、厚労省は「数千万以上」とした。
 対象職種についても、会議が「一定の責任ある業務・職責を持つリーダー、
経営計画・全社事業計画策定リーダー、新商品企画・開発やブランド戦略リーダー、IT・金融ビジネス関連コンサルタント、資産運用担当者、経済アナリスト」と幅広くしながら、リーダーの位置付けについては曖昧な要素を残したままなのに対し、厚労省は「為替リーダー、資産運用担当者、経済アナリスト」と、企業経営に直結する業務に限定している。
 また適用対象者の条件については、会議が「労使の合意、本人の同意」としたのに対し、厚労省は「未定」としている。

 この厚労省の会議への反発は意味がない。触手を限定するまでもなく、年収基準が数千万円としたことで、すでにその対象者は労働時間にかかわらず事実上「残業代ゼロ」になっているはずだ。いちおう安倍総理がじきじき議長を務める会議が出した方針に、一定の配慮を示したということだろう。
 労働基準法(以下「労基法」と略す)によれば、1日の労働時間が8時間を超えれば「残業代」(時間外労働割増賃金)が自動的に生じることに一応なっている。が、管理職にはこの時間外割増賃金制度が適用されず、外食チェーンの店長に「管理職」という名目で割増賃金を支払わない外食会社を相手取って店長たちが訴訟を起こし(店長の反乱)、会社側が敗訴したという経緯もあった。
 似たようなケースでコンビニの店長(事実上の店舗経営者)が、賞味期限切れの商品の廃棄をコンビニ本社から強制されているケースで、賞味期限切れ直前の商品を割引販売できる自由裁量権を求めた訴訟を起こし、やはり会社側が敗訴した。
 日本の管理職は「割に合わない」と、私が若かったころから言われてきた。管理職に昇格したときに付く役職手当が少なすぎて、それまでは支給されていた時間外手当がなくなるため、事実上「減収」になるという理由からだった。また営業職の場合は、最初から労働に対する時間規制が困難ということで時間外賃金を支払わない代わりに、一定以上の営業成績を上げた営業職に従事する社員には、営業成績に比例した割増賃金が支払われている。その結果、営業成績が優秀な社員を年齢や勤続年数、学歴などにとらわれず早めに管理職に登用するといった傾向があり、そうした会社の人事に抵抗して管理職への登用を拒否する営業職員が続出するといった事態も生じた。
 このように、日本の雇用システムや、個人経営者との契約関係が、大きな曲がり角に来ていることは間違いない。安倍総理が目指しているのは、アメリカ型の雇用システムであろうことは想像に難くない。アメリカでは、早くから「同一労働同一賃金」制度が確立しており、性別はもちろん年齢・勤続年数・学歴は一切賃金に反映されていない、ことに一応はなっている。が、人種差別は、昔に比べれば少なくなったとはいえ、南部諸州では依然として残っており、黒人労働者が管理職に就くのは至難とされている。
 日本の場合、戦後、アメリカから持ち込まれた民主主義の考え方、が奇妙な「平等主義」と理解され、社会に定着されてきた。連合(旧総評が簿た)は「労働者の味方」と自負しているが、はっきり言ってしまえば「無能な労働者にも、有能な労働者と同等の処遇を要求する」団体なのである。そういう社会が平等だと連合は考えている。だから労組の組織率が低下している現状の分析が、怖くてできないし、無能なジャーナリスト集団のメディアも労組の組織率低下の実態に迫ろうとしない。従業員の労組離れの実態を調査して見ればすぐに分かることだが、有能な社員ほど労組離れの傾向が強く、無能な、はっきり言えば会社にとって足手纏いな社員ほど労組にしがみついて既得権益を労組に守ってもらおうとしている実態が浮かび上がってくるはずだ。
 いま世界の産業界は第二の産業革命の時代を迎えている。いや、もうとっくに入っているのだが、時代の境目は後世にならなければわからないという側面もあり、ただ時代の境目には必ず様々な分野で若いリーダーが突出し始めるという現象に気づく人たちがどれだけいるかということによって、時代の流れが速くなるか遅滞するかの差が出てくるだけだということである。
 たとえば、戦国時代の幕開けを象徴した織田信長や豊臣秀吉、徳川家康、NHKの大河ドラマの主人公の黒田官兵衛なども、若くして頭角を現し、当時の時代の先駆者となった。明治維新の立役者たちも高杉晋作や坂本龍馬、西郷隆盛などの改革派だけでなく、幕府側でも若い勝海舟が身分の低さにもかかわらず元老たちをしり目に幕政を取り仕切った。
 私は、いま第二の産業革命の時代を迎えていると書いた。「IT革命」と言い換えてもいい。IT技術は世界のあらゆる既成のシステムを崩壊しつつ、新しい時代を切り開きつつある。
 中国や北朝鮮など共産主義を標榜する国にとって、情報の流通手段がアナログ媒体しかなかった時代は、反政府運動を抑え込むことはそれほど困難なことではなかった。たとえば1989年6月4日に生じた天安門事件を想起してみよう。
 この事件は1986年に当時の中国共産党総書記だった胡耀邦氏が「百花斉放・百家争鳴」を提唱して言論の自由化を推進したことが、そもそもの発端だった。これに呼応して中国国内には一時的に「プラハの春」(チェコスロヴァキアで実現した言論などの自由化時代。ただしソ連軍の軍事介入によって壊滅した)のような様相を呈し始めた。が、その3年後に胡耀邦氏が死去、中国政府の実権は保守派が掌握、民主化を求めて天安門広場に自然発生的に集結した学生や一般市民に向かって中国人民解放軍が無差別発砲や装甲車でデモ隊に突っ込むなどの弾圧で多くの死傷者を出した事件である。
 天安門事件については中国政府が言論統制を強め、のちに上海などの大都市で小規模なデモが起きたが、政府を震撼させるような事態にはなっていない。が、もし天安門事件が今日生じたらどうなっているか。間違いなく中国共産党政権は崩壊する。言論統制は、情報の流通手段がアナログに限られていた時代には有効だったが、パソコンや携帯、スマホなどのデジタル・メディアが主流になりつつある時代には、一党独裁の政権といえど、完全に言論の自由を封殺することは不可能である。そういう時代に天安門事件が再発したら、反政府運動は燎原の火のごとく中国全土に広がり、一夜にして共産党政権は崩壊する。またそういう時期には、必ず政権内部から「勝ち馬に乗ろう」という動きが出てくるものだ。それが政治の世界の宿命でもある。

 IT時代においては、労働者の労働の質も大きく変化する。アメリカ型「同一労働同一賃金」は、基本的に肉体労働が産業の基盤労働力だった時代に確立されたルールである。IT時代における労働の質をどうやって評価したらいいか、私も分からない。大企業のトップも分からないから、新しいIT技術の開発に成功したり、新しいITビジネスのアイディアを思いついた若い人たちがどんどんIT起業家になって、会社と飛び出している。
 そうした時代の変化を先取りした「成果主義賃金制度」であれば、それなりに説明はつくのだが、会議も厚労省もそうは考えていないようだ。
 前回のブログでは、現在の残業代の算定基準そのものが労働基準法に違反しており、9年ぶりに復活したベースアップも「有能であろうと無能であろうと、また会社への貢献度も不問にした」ベース賃金の引き上げであり、そうしたベースアップを大企業に要請した安倍総理が、ベース賃金(いわゆる「基本給」)を今度は否定する成果主義を主張するというのは、はっきり言って頭が悪すぎるとしか言いようがない。頭が悪い人は自己矛盾に気づかない人である。

 念のため、基本給は年齢・勤続年数・学歴によって自動的に決まる賃金であり、労働基準法が定めている基準外賃金(扶養家族手当・住宅手当・通勤手当など職務職能と無関係な要素の賃金)に相当し、本来時間外労働に対する割増賃金の算定基準になりようがないはずの賃金である。

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