小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

石原派の「分党」? 維新と結いは新党結成に際し野合政党の轍を踏むな。 拉致問題へのオバマの反応は?

2014-05-30 05:56:36 | Weblog
 日本維新の会が分裂した。共同代表の一人、石原慎太郎氏が「自主憲法」の制定を主張して譲らず、「憲法改正」で結いの党との合流を目指す橋下徹氏率いる多数派とたもとを分かつことにしたのだ。
 28日午後、二人は名古屋市のホテルで20分話し合って結論を出したという。わずか20分という短時間だから、話し合う前から結論は双方とも出していたのだろう。翌29日、石原氏は国会内で記者会見し、維新を「分党」する意向を明らかにした。分党?――意味不明な表現だ。なお、この記者会見で石原氏は「憲法を変えて…」と発言した。「憲法を変える」のであれば、現行憲法の否定ではなく、現行憲法の改正を意味する言葉のはずだが…。石原氏は文学者でもあるから、言葉の用法については厳密であるはずだ。ますます分からん。

 もともと日本維新の会は2010年4月に大阪都構想実現のための地域政党として発足した「大阪維新の会」を母体に、自民・民主・みんなから離党した国会議員らを加えて2012年9月に設立された政党である。設立直後に日本創新党が、11月にはたちあがれ日本と太陽の党が合流して今日に至った。その際、太陽の党の石原氏が代表に就任し、橋下氏は代表代行に退いた。翌12年12月に行われた総選挙では54議席を獲得する「維新旋風」が巻き起こり、国政で自民、民主に次ぐ第3党に躍進した。13年1月以降は共同代表制に移行してきた。
 橋下氏はよく知られているようにタレント弁護士の出身。タレント活動で抜群になった知名度を武器に2008年1月の大阪府知事選に出馬し、大差で当選した。その後、橋下知事は大阪府の財政再建に辣腕をふるう。ハコモノ行政に大ナタを振るう一方、府職員の天下り先事業に対する補助金も大幅カット、自らの給与や退職金も大幅カット、上級職だけでなく一般職員の給与や退職金、共済年金も財政再建のための俎上に載せる大改革を断行、府議会や府職員組合と真っ向から対立しながら信念を貫く姿勢を崩さなかった。
 さらに橋下氏は2011年12月、前年に大阪府と大阪市の二重行政を解消するため設立した大阪維新の会をバックに、府知事から格下の大阪市長に「転職」。橋下人気は一気に全国区に広がった。その橋下人気にあやかろとしたのが太陽の党の石原氏。石原氏が国政からいったん距離を置いて都知事になって以降、周辺では「石原新党」立ち上げへの憶測や期待が高まっていった。それをホンモノ、と錯覚したのが石原氏。神輿に担ぎ上げられて新党・太陽の党を設立したが、騒いでいたのは無責任な週刊誌だけで、自民党からの合流はまるでなし。石原氏自身も発起人に名を連ねたたちあがれ日本の平沼赳夫代表を口説いて設立直後の日本維新の会に合流することにした。その結果が衆院選での大躍進であった。
 が、国民の人気は移ろいやすい。日本維新の会への支持率は急降下。石原氏のおひざ元のはずの都議選(13年6月)でも日本維新の会は選挙前の3議席に対して34人の公認候補を立てたが、結果は2議席の獲得にとどまり「惨敗、完敗」を喫した。
 29日のNHKのニュースによれば石原新党に移るとみられている国会議員は15人前後、結いの党との合流が確実になった日本維新の会に残るのは30人前後、残りは去就定まらずといったところのようだ。
 現在の小選挙区比例代表制が導入実施されたのは1996年の衆院選から。導入の理由として上げられた大義名分は政権交代可能な2大政党政治の実現と派閥政治の解消だった。確かに小選挙区効果で自民党政治が幕を閉じた時期もあった。細川内閣と民主党内閣の誕生である。が、細川内閣は野合政権であり、民主党は野合政党だった。先の大戦時における中国の「国共合作」と同じで、政権をとるまでは足並みを揃えるが、政権を握った途端主導権争いによって内部崩壊するのはいやというほど歴史が証明している。
 太陽の党やたちあがれ日本が合流して大躍進を遂げた日本維新の会も、大躍進がとん挫した途端主導権争いが始まった。もともと水と油のような野合政党になったのだから、遠心分離器にかけたらきれいに分離するのは当然と言えば当然だった。
 野党が一致できる点で政策合意して共同戦線を組み、自公連立政権に立ち向かうことを、私は否定しているわけではない。が、橋下氏率いることになった日本維新の会と江田憲司氏がみんなの党から分かれて独立した結いの党がどこまで政策的に歩み寄れるのかが問われている。実は政党の分裂は、些細な政策での対立に端を発することが多い。些細な対立であっても、それが主導権争いに発展すると、歴史のない政党は求心力に欠ける要素が大きいため、抜き差しならない対立に至ってしまう。
 その点自民党はそれなりの歴史を積み重ねてきただけあって、派閥は温存されたが、いったん党から離れたグループも復帰するなど、求心力の高さを維持してきた。日本維新の会と結いの党が一緒になって、どんな党名にするか、そこから主導権争いは始まる。そこは、日本維新の会が数に頼らず、結いの党に歩み寄るくらいの度量がないと、「結婚」はうまくいかない。さらに、新党に期待したいのは、議会での採決で絶対に党議拘束をかけないこと。議員が自分自身の良心に従った投票を行う権利を認めること。そうすれば些細な対立が党分裂に至るようなこともなく、むしろ党の求心力が高まる。まだ政治家としてはうぶな橋下氏と江田氏が、うぶなまま新党のかじ取りをすることを望みたい。
 そのうえで比較的緩やかな綱領を作り、民主党議員たちに呼びかければ、連合の影響で政策もままならないと感じている議員たちも新天地を求める動きに出る可能性も生じる。自民からの合流議員が出る可能性もある。そうなれば、右から左まで幅広い自民党のような政党になれる可能性はある。自民党の派閥は、弊害ばかりメディアは取り上げるが、派閥公認のおかげで総裁の独裁政治が阻止され、自由な議論ができる風土が醸成されてきた。そういう自民党的風土を醸成しつつ、アメリカの民主党や共和党のように、採決に際して党議拘束をかけないことを綱領に掲げるべきだ。党首脳部が、論理で説得できなかったら、その責任は首脳部にあり、党議拘束で所属議員が自らの良心に従った投票の権利を奪うべきでない。政党助成金は、所属議員を拘束するためにあるのではない。

 なお、北朝鮮が拉致したと思われる被害者の調査を行うことが明らかになった。単なる口約束ではなく文書で明記し、テレビ放送でも公表した。日本人の一人として喜ばしいことではあるが、多少の懸念もある。北朝鮮の放送が「すべての制裁を解除」としたことだ。早くも日朝の温度差が表面化した。はたしてメディアが気付いただろうか。期待は持てないがね。
 また、安倍内閣が、米オバマ大統領の逆鱗に触れるだろうことも懸念される。安倍総理は、日本の総理でありながら、日本の国益よりどちらかというとアメリカの国益を重視してきたきらいがある。 
 集団的自衛権行使問題もそうだが、最たるはウクライナ問題でオバマ大統領の恫喝に屈して対ロ制裁に踏み切ったことだ。昨日のブログでも書いたが、とうとうロシアのプーチン大統領からカードを切られてしまった。「驚いた」などという言葉はどうでもいい。読売新聞が敢えて無視した「北方領土問題も中断するのだろうか」というカードだ。
 ウクライナ情勢は、どう転ぼうと日本にとってはどうでもいいことだ。だから安倍内閣も当初は静観していた。が、突然、対ロ制裁に踏み切った。日本の国益を犠牲にしてまで。
 当然、北朝鮮が核を諦めるまで国際的孤立政策を強めつつあったオバマ大統領にとっては、拉致問題の調査と引きかえに日本が対北朝鮮制裁の手綱を緩めることは、日本の「宗主国」アメリカの大統領として耐え難いことであろう。オバマ大統領も、人権問題がからんでいるだけに表立った安倍総理への恫喝はできないだろうが、安倍総理が「ご主人様」のご機嫌を損ねたことだけは間違いない。
 だが、どうせオバマ大統領の「信頼」を裏切ったのなら、集団的自衛権問題やウクライナ問題でも、日本の国益を最優先してみたらどうか。アメリカだって、在日米軍基地の存在を恩着せがましく言ってはいるが、少なくとも沖縄の米軍基地は日本防衛のためではなく、アメリカの力による均衡を維持するのが目的だから、「どうぞ、出て行って下さい」と日本から言われて「はい、そうですか」と簡単に腰を上げるわけにはいかないことくらい、分かりきった話だ。
 実際、有事の際、アメリカが本当に頼りになるのか、安倍総理が一番わかっている。だから安倍総理は、オバマ大統領に土下座までして「アメリカを頼りにしてまっせ」と媚びへつらっているのだ。国際政治力学とは、そういうものだということを、メディアもそろそろ分かってもいいころだと思うのだが…。

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