お約束の「なぜ円安が止まらないのか」について書く。このテーマについて書くことはすでに9月23日には決めていた。というより、前回のブログ原稿のこの個所は23日には書き終えていた。
政府・日銀が22日、急落する円を買い支えるために為替介入することを発表、米財務省がすぐ反応し「日本の行動は理解するが、アメリカは協調介入しない」とコメントした。私はヤフコメ(ヤフーが提供するニュースへのコメント)でこう書いた。
「為替介入という「伝家の宝刀」が竹光ではね~ 一時的に円は高騰したが、すでに反落が始まっている。 今週中には「元の木阿弥」に戻る。 為替介入は、投資ファンドに金儲けの「千載一遇のチャンス」を提供しただけ。なぜなら、為替市場で動いているカネは、日本の国家予算をはるかに上回る規模。日銀に、投資ファンドに逆らえるだけの資金力はない」(※「元の木阿弥」に戻ったのは翌週だったが…)。
さらに24日、ヤフーニュースで立憲・蓮舫氏が「為替介入するならアベノミクスの見直しが必要」と主張したことを知り、ヤフコメにこう書いた。
「いま、マクロ経済学の有効性が問われています。 アメリカはFRBのパウエル議長がインフレ退治のために金利を上昇させていますが、金利政策には逆効果もあります。 パウエルの期待は、金利の上昇によって需要を抑え、需給関係を供給過多にすることです。つまりデフレ政策です。 が、金利を上昇させればメーカーや流通業者のコストが跳ね上がります。そのコスト増を価格に反映したらインフレが加速します。 アベノミクスのデフレ対策は金融緩和によるインフレ政策ですが、消費が伸びなければ効果は半減します。「老後生活2000万円必要」論などもあって、消費者の買い控えがかえって進み、金融緩和効果が生じていません。アベノミクスではデフレを退治できませんでした。 皮肉なことに、その結果、日本のインフレ率は欧米に比して少ないのです。マクロ経済学の「け」の字も知らない連邦氏の「一言いいたい」姿勢の失態です」
米FRBはウクライナ戦争による急速なインフレを抑え込むために、政策金利(日本の「公定歩合」)の0.75%アップを3回立て続けに行った。計2.25%ものアップだ。この記事を書いている25日現在、このパウエル・バズーカ砲でインフレ退治ができるかどうかはまだわからないが、私は難しいと思っている。(なお、この記事をアップする時点で私の予測が外れても、この部分は修正しない。もし外れた場合は、米経済は深刻な大不況に陥るはずだ)。
- 「失われた30年」の検証
実は日本は金融政策で大失態を演じた。バブル退治のための金融政策のことだ。後で検証するが、日本は1980年代半ばから80年代末まで急激な資産バブル(不動産・株式・ゴルフ会員権・絵画など)を経験した。
その結果、庶民には「持ち家」がはるかかなた手が届かないほど高騰し、中間所得層を中心に政府への不満が沸騰した。バブル景気を演出したのは日銀・澄田総裁の超低金利策(金融緩和)と、金儲けのためには節操など全く無視した金融機関による不動産関連融資の拡大だった。バブル景気が最高潮に達したのは89年末で、この年の東証大納会での日経平均は史上最高値の38,915円で引けた。
さすがに行き過ぎた株価高騰に投資家たちが警戒感を抱き始め、株価は90年初頭から下落し始め、10月1日には日経平均が一時2万円割れになった。わずか9か月で半値近くに暴落したのである。ただし資産バブルが一気に崩壊したわけではなく、またバブル崩壊の時期については諸説ある。
遅まきながら大蔵省(現財務省)が不動産高騰対策に乗り出したのは1990年3月。銀行など金融機関に対して不動産関連融資抑制の行政指導に乗り出したのだ。「総量規制」がそれで、金融機関に対して融資総額に占める不動産関連融資の比率に上限を設けたのだ。その結果、金融機関や不動産関連企業の株が一気に暴落をはじめ、金融機関は生き残りのために不動産関連融資の引き締めどころか超優良融資先以外の融資先には「貸し渋り」「貸し剝がし」(融資金額の一括返済を迫ること)に血道を上げだした。銀行など金融機関はしばしば「晴れているときに傘を貸し迫り、雨が降り出したら傘を取り上げる」と言われるが、まさに「ユダヤの商法」そこのけの真骨頂をこの時期なりふり構わず発揮した。
さらに89年12月、澄田の後継総裁の地位についた三重野は、就任前3.75%だった公定歩合を4.25%に引き上げ、その後も90年3月5.25%、8月6%と、わずか9か月の間に2.25%もアップした。
大蔵省による「総量規制」と日銀による金融政策のダブル・パンチを受けてバブルは一気に弾け、日本経済は「失われた30年」の時代に突入する(なお、今後も政府が経済成長を目指す政策を続ける限り「失われる期間」はさらに長期化する)。この三重野を「平成の鬼平」と高く評価したのが今やまったく時めいていない自称「経済評論家」の佐高信。佐高は大学卒業後、郷里で高校教師をした後、総会屋系経済紙の『現代ビジョン』で記者・編集長を務め、内橋克人氏に師事して売り出すことに成功した人物だ。彼が「経済評論家」を自称するのは勝手だが、経済理論をどのくらい勉強しているのかは疑問。彼の人物評論にしても、価値基準が「好き嫌い」でしかないようにしか思えない。
三重野が行き過ぎた金融引き締めによって日本経済の息の根を止めたことに、日銀がようやく気づいたのは最後の公定歩合引き上げから1年も経った91年7月。公定歩合を5.5%に引き下げ、さらに11月5%、12月4.5%、92年4月3.75%、7月3.25%、93年2月2.5%、9月1.75%と下げ続けたが、日本経済が息を吹き返すことは二度となかった。なお、佐高は三重野の金融政策転換については何も語っていない。「語っていない」のではなく、語れないのだろう。
経済は生き物と同じ、と私は考えている。がんも早期発見して早期に治療すれば大事に至らずに済むが、全身に転移してから治療を始めても取り返しがつかない。経済動向変化の初期兆候を見抜くためには直近の経済指数ばかり近視眼的に重視していてはだめだ。コロナ・パンデミックとかウクライナ戦争とかの予期し得ない事態は交通事故と同じで初期対策の取りようがないが、世界経済の大きな潮流は気候変動と同様、注意していればわかるはず。
この記事を書いている25日のNHK『日曜討論』は地球温暖化対策について専門家(学者)たちのディスカッション番組だったが、専門分野での知識や見解には耳を傾ける要素があったが、何か「隔靴掻痒」の感じがぬぐえなかった。NHKには感想を電話したが、私が感じた違和感はこういうことだ。
言うまでもなく、地球温暖化対策は喫緊の課題ではある。その大きな要因として化石燃料による二酸化炭素の排出をいかに抑えるかは、全世界的テーマであることは否定しない。が、二酸化炭素が突然一気に急増したとは考えにくいし、地球温暖化も一気に加速することもありえない。だから、今年の全世界的規模の異常気象の要因を二酸化炭素の排出だけ減らせばいいという短絡的結論にはなりえないはずと、私は視聴していて疑問を持った。SDGs(持続可能な開発目標)への取り組みの重要性を否定するつもりは毛頭ないが、今年の異常気象の要因は地球温暖化だけということは論理的にあり得ない。何がいま地球で生じているのか、その変化を見ないと「樹を見て森を語る」議論で終わりかねない。
実はそういった要素が経済動向にもあるのだ。私はとっくの昔から指摘しているのだが(私のアベノミクス批判の原点でもある)、地球的規模で進行している「少子高齢化現象」によって、もはや先進国の先端工業製品輸出中心主義の経済成長時代は終焉した、と私は考えている。そのことを前提に、これからの経済政策を考えないといけないと思う。(25日記す)
- バブル景気を牽引し演出した金融機関の「お行儀」
日本がバブル退治に失敗したのは、経済の動向を見据え時間をかけて軟着陸すべきことを、「胴体着陸」のような強硬手段で短期間にバブルを退治しようとしたことが最大の要因である。言うなら「角を矯めて牛を殺してしまった」のが、当時の大蔵省の「総量規制」と日銀の「金融引き締め」政策だったのだ。
バブル景気華やかな頃は、当時のメガ銀行が不動産関連事業に無節操な融資競争を行っただけでなく、大手デベロッパーの営業すら肩代わりした。
これは私自身が経験したことだが、私の友人から誘われて某メガ銀行主催の仙台1泊旅行に行ったことがある(10人ほどの小規模「団体旅行」だった)。交通費・宿泊代は銀行持ちで支店長自ら案内役を務めた。某銀行が大蔵官僚を接待して社会的に大問題になった「ノーパンしゃぶしゃぶ事件」のような派手な接待はなかったし、ホテルでの夕食後に仙台の繁華街に繰り出してのどんちゃん騒ぎの「二次会」「三次会」といったこともなかった(二次会はホテル内でのカラオケ)。問題は銀行接待の仙台旅行の目的だ(たぶん費用は大手デベロッパーが負担したと思う)。
当時仙台では、市営地下鉄の計画が進んでいて、沿線予定各駅の周辺では大手デベロッパーによる開発競争が激化していた。その分譲土地の販売営業マンを、銀行支店長が自ら買って出たのが「仙台旅行」の目的だった。市内で1泊した翌日の午前中に該当分譲地を案内した支店長は、その分譲地が投資先としていかに有望かを一生懸命にトークし、「その分譲地を担保に全額融資します」という破格の条件で購入を勧めた。私は仙台に土地勘がなかったし、借金してまでと思ったので、この話には乗らなかったが、支店長の口車に乗って大損した人も何人かいたようだ)。
バブル時代、新金融産業(「産業」と呼べるほどの規模にはならなかったが)が生まれた(バブル崩壊後、消滅したが)。雨後の筍のように誕生した「抵当証券企業」である。不動産の持ち主や買い手に不動産担保の融資を行い、担保にした不動産を有価証券化して投資家に売るという新金融事業で、このアイデアは日本生まれである。バブル崩壊で抵当証券会社はすべて倒産したが、実はこの新アイデアを利用して世界的大事業にしたのがアメリカの「サブプライムローン企業」や「リーマン・ブラザース」だった。
アメリカはバブル期、地域密着型小規模金融機関(日本の「信用金庫」のような規模と思われる)が、信用度が小さい低所得層を対象に融資して担保設定した不動産を有価証券化して投資家に販売したのがサブプライム企業。日本のバブル崩壊の影響を受けてアメリカでも不動産価値が暴落し、その証券を大量に抱えていた証券大手のリーマン・ブラザースが一手に「抵当証券事業」を引き受けて不動産価格暴落を防止、抱えこんだ「抵当証券」を世界中の金融機関などに転売、一時は大儲けしたが、所詮「厚化粧」事業に過ぎず経営破綻して世界中に金融破綻を引き起こしたのが、いわゆる「リーマン・ショック」である。
現在も、優良融資先を失った銀行がサラ金を傘下に収めたり、一流企業の正規社員を対象に「カードローン」競争を繰り広げているが、「カードローン事業」を発案したのも日本。バブル期に日本で最初に不動産を担保に融資枠を設定し、その枠内でキャッシングや返済を自由に行える金融事業で、毎月の返済額や返済期間が決まっている通常の「住宅ローン」や「自動車ローン」、クレジットカードのリボ払い」とは異質の融資事業である(現在のカードローンとは仕組みが違う)。
この事業を日本で最初に始めたのが、大蔵事務次官経験者の頭取指定席とされていた地方銀行の雄・横浜銀行で、当時小田急線・新百合ヶ丘近くの戸建て住宅に住んでいた私にも百合丘支店長自ら営業に来たことを記憶している。
手を変え品を変えて、信用度が高い(と当時は思われていた)不動産所有者に多額の融資を行った。融資先に対して「晴れの日には傘の貸し出し競争に明け暮れ、雨が降り出すと取り上げる」という銀行の習性は今も昔も変わらない。
「住銀の天皇」「住銀中興の祖」と呼ばれ、世界的権威がある「バンカー・オブ・ザ・イヤー」にも選ばれた住友銀行の磯田一郎頭取にインタビューしたとき、私が「向こう傷は問わない、と積極的営業をモットーにされていますが、利益を上げるためなら何をしてもいいというわけではないでしょう。許容できる向こう傷の限界を教えてください」と質問し、同席していた広報室長が焦りまくったことを覚えている。磯田氏の答えはほとんど記憶にないが、「うまく逃げられた」という思いだけは残っている。まだジャーナリストとして未熟だったと
も反省している。が、さすがにメガ銀行の「天皇」と呼ばれるほどの人物、その貫禄には圧倒されたことを、いまも強烈な印象として記憶している。
いずれにせよ、泡として生まれ、泡として消えた「バブル景気」を演出し牽引したのは、日本でもアメリカでも金融機関であった。そうなった経緯を、日本について簡単に検証しておく。(26日記す)
- 明治維新のパラドックスが、日本の輸出産業最優先の経済政策と軍国主義への傾斜を招いた
周知のように、明治維新の原動力となった革命運動の合言葉は「尊王攘夷」である。倒幕後、明治新政府は一応「尊王政権」(王政復古あるいは大政奉還とも)は成立したが、もう一つの旗印であった「攘夷」のたてまえは煙のように消えた。なぜか。
私は明治維新を実現した真の革命エネルギーは「王政復古」ではなく、「攘夷運動」だったと思っている。徳川幕府時代末期、アジア諸国は欧米列強による「植民地化」競争の刈り取り場になった。「眠れる獅子」の中国は、さすがに列強による植民地化は免れたが、列強に相当浸食された。
日本にとって幸いだったのは四方を海に囲まれて大陸とは陸続きでなかったこと、そのため列強の触手が日本に及んだときは1国だけでなく列強がほぼ横一線に並び、互いにけん制しあって「一抜けた」ができなかったこと、さらに言えば日本には列強が手傷を負ってまで植民地化したがるほどの優良な資源がなかったこと、などの好条件がそろったためと私は考えている。
そのうえ、「一抜けた作戦」を強行したアメリカが、あえて日本を植民地化しようとはせずに、アメリカにとって有利な通商関係を日本と結ぶことを対日政策の基本方針にしたことが大きかった。そのため、アメリカに続いた列強も日本を植民地化するという野望を捨てて、有利な通商関係を日本と結ぶ政策方針をとらざるを得なくなったと思われる。
日本にとっては「僥倖」ともいえるこの状況が、徳川幕府にとっては命取りになる。徳川政権は歴代、鎖国政策をとってきた。「開国」が逃れられない世界の潮流ではあったが、列強の軍事的威圧下で幕府が不利な通商条約を結んだことで、日本中に燎原の火のごとく広がったのが「攘夷運動」。
しかも当時の朝廷内で、徳川政権の「弱腰外交」を非難する勢力が台頭する。この状況を「好機」ととらえたのが、「関が原の戦い」敗北以降、幕府への怨念を抱き続けてきた長州藩。「これ幸い」と朝廷の攘夷派公卿たちを取り込み、討幕運動を始めた。ただ、長州藩の「闘士」たちは私怨を旗印に倒幕運動を展開できるほどの戦力は持っていない。討幕の「同志」を募るためには、大義名分になりうる旗印を立てる必要があった。で、長州藩の「闘士」たちが利用したのが当時の「攘夷」ブームだったというわけ。
が、攘夷運動のリーダーになるには、攘夷の実績を作る必要があった。そのための「攘夷」行動が、1963年5月に田浦港に停泊していた非武装の米商船ペングローブ号に対する一方的な砲撃だった。ペングローブ号は逃げて無傷だったが、これを戦果と喧伝して意気を高めた討幕派藩士たちは、続いて仏キャンシャン号、蘭メデューサ号にも砲撃、さらに下関海峡を閉鎖した。徳川幕府は長州藩を叱責したが、それではことは収まらず、英が米仏蘭に働きかけて四国連合艦隊を結成、長州軍を攻撃して撃破、倒幕闘士たちはいったん下野する。
下関戦争には敗れたが、この戦いで一躍長州藩は「攘夷運動」のリーダー的地位の確立には成功した。長州藩の倒幕闘士たちが、ホンモノの「攘夷派」だったとは、私は思っていない。
実は「攘夷運動」ではなかったが、下関戦争の前に薩摩藩が生麦事件をきっかけにイギリスと戦争して大敗している。が、薩摩藩は薩英戦争を契機に、逆にイギリスと友好関係を構築して若手藩士をイギリスに留学させるなど、近代産業育成と軍事近代化政策を進めた「開国派」だった。政権構想については「王政復古」(尊王)ではなく「公武合体」主義だった。実際、薩摩藩の実権を当時握っていた「公武合体派」は、攘夷派藩士を京都・寺田屋で襲撃している(寺田屋事件)。
政権構想で相反する立ち位置にあった薩長間を調停して同盟関係に導いたのは坂本龍馬だというのが司馬遼太郎説だが、その詮索はこの稿ではしない。
もともと「ホンモノ」攘夷派ではなかった長州の討幕派だったから、薩摩と同盟関係を結ぶについて、倒幕の旗印にしていた「攘夷」を放棄し、一方、「攘夷」を放棄した長州に配慮して「公武合体」の旗印を降ろして「尊王」に藩政方針を転換したのが薩摩、というのが私の論理的結論。私は歴史学者ではないので、この説を唱える歴史学者がいるか否かは知らないが、おそらく「新説」ではないかと自負している。
少なくとも、そういう歴史認識に立たないと、明治維新が実現した途端、維新実現の最大のエネルギーだった「攘夷」が煙のように消えた合理的理由が説明できないはずだ。そして成立した新政府が最大の国家政策として掲げた「殖産興業・富国強兵」政策が、その後の日本の運命を左右することになった経緯も理解できない。
ただ、明治新政府が「開国&産業・軍事の近代化」政策を進め、徳川幕府が列強と締結した不平等条約を改定しうる、列強に伍する近代化を進めるための資金力は、新政府の実権を握った薩長にはなかった。で、国民から広く浅く資金を集める必要があった。
NHKの大河ドラマ『青天を衝け』は、その役割を担ったのが渋沢栄一だと解釈したようだが、彼が創設した「国立第一銀行」ははっきり言えば詐称である。もし、渋沢が銀行を現在の東京都国立(くにたち)市で創業したのであれば、「こくりつ」ではなく「くにたち」銀行であるべきだが、事実は違う。
渋沢が日本の産業近代化に貢献したことまでは否定しないが、そのための資金集めをした「国立第一銀行」は実際には「こくりつ」ではなく、私企業(株式会社)である。ただ、信用力に乏しい私企業の金融機関に「命の次に(人によっては命より)大切なカネ」を預けるもの好きはそうはいない。で、「国立」の名を冠して箔付けしたというのが真実。実際に政府の手足となって近代化政策を進めるための資金集めに最大の功績があったのは「日本資本主義の父」渋沢ではなく、日本全国に郵便局のネットワークを構築し、郵便貯金で庶民から広く浅く資金を集めた「日本郵便の父」前島密である。
ま、『青天を衝け』はドラマだから史実に必ずしも正確でなくてもいいと思うが、史実をドラマ化する場合、ちょっといかがかと思った次第。
この際、私的憤りを書かせていただくと、駒澤大学の名誉教授が始めた小さなズーム勉強会に私も誘われたことがある(今は脱会した)。その会で私が日本の金融機関が果たしてきた役割(正も負も)をお話ししたとき、「面白いから電子出版しないか。印税収入はそんなに期待できないが、電子出版社を知っているから書いてみないか」とのお誘いを受けたことがある。で、かなりの日数を割いて3万字に及ぶ原稿を書いてメール送信したが、なしのつぶて。ズーム勉強会のとき、「どうなっているか」と尋ねたところ、「お金はいくら出せる?」と言う。「金まで出して電子出版するつもりはない」というと、氏はダメダメと手を横に振って「小林さんは何十冊も書いているから名前を売り出す必要はないよね」ときた。それだけでなく、他のメンバーに対しても「お金を用意できるなら、電子出版してあげるよ」と誘っていた。旧統一教会ほどのあこぎさとまでは言わないが、ビジネスの悪質性としては五十歩百歩だ。せちがらい世の中になったものだ。
いずれにせよ、明治政府が徳川幕府の「負のレガシー」である列強との不平等条約の解消・改定を目指さざるを得なかったことが、その後の日本がたどった軍国主義への道の露払いをすることになった。具体的には、欧米列強に侵食されながらも、近代化への道を歩もうとしなかった「弱体大国」清との戦争、さらに日清戦争で獲得した利権防衛のために始めた強国ロシアとの戦争での「勝利」に酔ってしまったことが「神国神話」の国民への浸透につながり、ついには無謀な「先の大戦」に突き進む結果を生んだと考えている。
こういう歴史認識を論理的思考の基準に据えないと、「歴史は二度繰り返す」ことになりかねない。いまの世論の動向を見るとき、私はそういう危惧を持たざるを得ない。(27日記す)
- プラザ合意で円は2年で倍に高騰したのに日本経済が失速しなかった
私の自称代表作である『忠臣蔵と西部劇 日米経済摩擦を解決するカギ』(1992年刊。なお売れたという意味ではない)に詳しいが、1985年9月、ニューヨークのプラザホテルに日米独英仏の主要5か国の財務大臣・中央銀行総裁が集まり(日本からは竹下蔵相と澄田日銀総裁が出席)、「円買いドル売り、マルク買いドル売り」への協調介入を決めた。
その背景は、82年に発足した米レーガン政権が、前大統領カーターの「負のレガシー」であるインフレ抑制のために行った経済政策「レーガノミクス」(超高金利20%台)によってインフレは終息させ
たが、振り子の針が振れすぎて深刻なデフレ不況に突入したため為替市場でドル高が急速に進んで膨大な貿易赤字に苦しむ。かくして米産業界の国際競争力が低下したことが、レーガンが他の主要国に為替操作の協調介入を求めた最大の理由。ちなみにレーガンの高金利政策になぞらえて真逆の超低金利政策でデフレ不況からの脱却を目指したアベノミクスが、なぜ「レーガノミクス」と比喩されたのか、私には理解できない。
アメリカ産業界がこの時期疲弊した理由はもう一つある。レーガンは、「強いアメリカの再生」をスローガンに大統領選で大勝利を収めたのだが、その公約を実現するために旧ソ連に対して猛烈な軍拡競争を仕掛けた。その結果、ソ連邦は崩壊し西側の勝利をもたらしたのだが、アメリカは軍拡競争による財政赤字に陥り(85年、アメリカは史上初めて債務超過国に転落した)、アメリカは「財政赤字と貿易赤字の双子の赤字」に陥る。
「自分が勝手にまいた種」といえなくもないが、ソ連邦を崩壊させたレーガン政策に他の主要国が負い目を感じたのか、プラザ合意でドル売りの協調介入が決まった。ドル売りの対象通貨は当時アメリカの貿易赤字に「寄与」した日本とドイツの法定通貨である。つまり「円買いドル売り」「マルク買いドル売り」の流れが為替市場を覆う。その結果、2年後の87年には円は85年当時の240円台から2倍の120円台へと一気に高騰した。
常識的に考えれば、輸出産業で稼ぎまくっていた日本産業界は大打撃を受けて失速するはずだが、そうはならなかった。「円が強いことは良いことだ」というバカげた経済論をぶつエコノミストも続出したが、その後も日本経済は成長を続けてバブル景気に突入し、さらにアメリカを怒らせて89年9月から翌90年6月にかけてのロングラン交渉「日米構造協議」になだれ込む。バブル景気を崩壊させた一因でもある。
ウクライナ戦争が始まって以降、エネルギー源の石油や天然ガスの供給不足による価格高騰、ヨーロッパの「穀倉」ウクライナの小麦の輸出減や世界的気候変動による食料品の高騰をきっかけに世界中でのインフレ促進と、主要国のインフレ対策としての金融引き締めにもかかわらず、かたくなに金融緩和政策を続ける日銀アベノミクス継続で生じた「円安不況」を、プラザ合意の危機を乗り越えた日本がなぜ乗り越えることが不可能なのかの検証を行う。
- NHK特集『世界の中の日本――アメリカからの警告』が与えたショック
プラザ合意で円が2年で2倍に高騰するということは、いまだったらおよそ想像を絶するほどの事態だ。かなり知的レベルが高い私のブログ読者なら、とっくにご承知のはずだが、単純に考えれば円が倍になれば輸出競争力は半減し、一方輸入品価格は半値になるはず。実は、この為替のからくりが、円高騰の中で日本経済の成長力が衰えなかった要因の一つである。
実際には日本の自動車や電機など輸出産業は、この円高で悲鳴を上げた時期もあった(短期間ではあったが)。が、その後の「日米経済摩擦の最大の原因」になり、米産業界から猛烈な「ジャパン・バッシング」を受けることになるのだが、日本の自動車や電機メーカーはどうやってこの苦境を乗り越えたのか~
ダンピング輸出によって輸出量(つまり生産量も)を維持しようとしたのだ。
プラザ合意の翌年、86年4月26日(土)から3日間、ゴールデンウィークの幕開けにNHKは連続で、しかもゴールデンタイムに通常の放送時間枠の1回45分をはるかに超える26日1時間45分、27日1時間30分、28日にはNH9をはさむ2部構成で2時間45分の3夜で計5時間25分という空前絶後のドキュメント番組を『NHK特集』(現NHKスペシャル)として放送したことがある。このコンテンツのタイトルは『世界の中の日本――アメリカからの警告』で、キャスターはのちに都知事選に立候補した磯村尚徳氏が務めた。ゴールデンウィークのゴールデンタイムでの長時間ドキュメント番組は、『N特』スタッフにも予想外の視聴率を稼ぎ、強烈な反響があったという。
この番組について書いた『NHK特集を読む』(88年刊)での冒頭で私はこう書いている。
放送の最終回、視聴者の反応として「経済大国というが一体どこの国の話だ、私たち庶民には豊かさの実感がない」「アメリカ人に勝手なことを言わせるな」「働きすぎだから休めというが、そうはいかないよ、給料も減るからねぇ」「NHKともあろうものが、こんな屈辱的番組を作るとは何事か」といった声が上がったことを率直に伝えたほどである。が、一方では「日本の現実をよく見ている」「アメリカが日本にこれほど怒っているとは知らなかった、認識を新たにした」といった反応が、3夜合わせて1000件を超えた電話の多数を占めた。
このコンテンツの制作動機は、ピューリッツァ賞を受賞した米ジャーナリズム界の大物、セオドア・ホワイトがニューヨーク・タイムズ『日曜版』のカバー・ストーリーに書いた「日本からの危機」にあった。
「第2次世界大戦後45年を経た今日、日本はアメリカの産業を解体しつつ、再び史上で最も果敢な貿易攻勢を行っている。彼らがただの抜け目のない人種に過ぎないのか、それともアメリカ人より賢くなるべきことをついに学んだかは、今後10年以内に立証されよう。その時になって初めて第2次世界大戦の究極の勝者が誰であったのかを、アメリカ人は知るであろう」
このホワイト論文に衝撃を受けたのは日本経済界の重鎮たちだった。当時すでに米議会では過激な日本批判をする議員も少なくなかったし、デトロイトの自動車メーカーの従業員が日本車をハンマーで叩き壊すシーンをテレビ局が放映したり、円高にもかかわらず日本製品がアメリカ市場を席巻する状況にいら立ちを募らせるアメリカ人が少なくないことは日本でも知る人ぞ知る状況だったが、良識的で、かつ親日家としても知られていたホワイトまでもが、こうした日本に対する警戒心を強めるようになったことが、日本の財界人に与えた衝撃は大きかった。「いったい日本の何が、そこまでアメリカを怒らせたのか」という問題意識を深堀したいというのが、この大型番組制作の動機だった。
この番組が大方の高い評価を得たことは認めつつも、私は違和感も抱いた。磯村氏の判断だったのか、プロジューサー、ディレクターなど制作スタッフの思い込みだったかは知らないが、自動車、電機などの輸出メーカーは被害者だという認識が背景に濃厚にあったと思わざるを得なかったからだ。
実は同書の執筆の少し前、私は総合雑誌の編集長にトヨタか松下(現パナソニック)のトップへのインタビューを依頼し、応じてくれた松下・谷井社長とのインタビュー記事を発表していた。私の餌食になった谷井氏には気の毒だったが、私が追及した質問のさわりを引用する。
「円はこの3年近くの間(※プラザ合意以降の)ほぼ倍になりました。本来ならアメリカでの日本製品の販売価格は倍になっていなければおかしいのですが、自動車が20~25%アップ、電気製品に至っては10~15%しか値上がりしていません。
どうして10%や20%の値上げに抑えることができたのかと聞くと、メーカーは合理化努力の結果だと主張する。もしそうなら、日本での生産コストは半分近くに下がっていることになる。だったら、どうして日本の消費者はその恩恵を受けることができないのか、という点です。アメリカ人だけが、日本メーカーの合理化努力の恩恵を受けて、日本人は受けていないのです」
「(昭和)60年秋のG5で各国首脳がドル安基調に合意(※「プラザ合意」)した目的は、疲弊しつつあるアメリカ産業界の競争力の回復にあったはずです。
議論としては、「アメリカが勝手にこけたんじゃないか」という言い分も成り立ちます。それなら堂々と“正論”を主張して、アメリカ経済が壊滅するのをニヤニヤ笑って眺めていればいい。しかし、それでは日本経済は成り立たないわけです」
「アメリカの主張が自分勝手であるとないとを問わず、ここまで弱ってきたアメリカ経済の回復に日本の企業も手を貸してやる必要があるのではないか。具体的には、円が高くなったら、その分アメリカの販売価格をアップして、アメリカ製品の競争力を回復させてやることです。どっちみち、アメリカだって日本製品を一切輸入せずにやっていけるわけはないんですから。
それなのに、“合理化努力”によって円高効果を灰にしてしまったのが日本メーカー。しかも日本国内では値下げしていないんですから、アメリカがダンピング輸出だと怒るのは当たり前です」
私は輸出メーカーが円高の加害者になった最大の理由はシェア至上主義的体質にあると考えているが、この体質を脱皮しない限り、日本の企業の国際化はホンモノにならないであろう。そうした視点が、これまでの「世界の中の日本」シリーズには残念ながら欠落していることだけを指摘しておこう。
私のやり玉の標的にされた谷井氏には気の毒だったが、同書はメディアの「書評」欄で高く評価していただいた。同書はベストセラーになるほどではなかったが、3版まで重ねた。天下の松下電器のトップに、これだけ手厳しい批判を浴びせる矜持のあるジャーナリストが、今いるだろうか。
ただ総合雑誌は新聞と同様、収入源の多くを広告収入に依存している。10ページに及ぶこのインタビュー記事を、手を一切入れずに掲載してくれた編集長は気の毒に左遷された。申し訳なかったという思いは、いまも残っている。が、私がロイアリティを抱く対象は、取材対象でもなければ編集者でもない。著書にせよ雑誌記事にせよ、私の駄文を熱心に読んでくださる読者である。その姿勢だけは、ブログ執筆でも貫いている。(28日記す)
- 「プラザ合意」ショックを日本が乗り切れた本当の理由
谷井氏へのインタビューのさわりは『忠臣蔵と西部劇』にも転載したが、この時点では超円高危機を日本企業が乗り越えられた本当の理由には私はまだ気づいていなかった。そのことへの理解が及んだのは、日産自動車が最高経営者にブラジル出身の「経営再建請負人」のカルロス・ゴーンを招いて血も涙もない大リストラでスリム化を実現したこと、また液晶テレビへの過剰設備投資が失敗して世界最大の製造業受託業の鴻海(ほんはい)精密工業(台湾)に会社ごと身売りして経営再建を成し遂げたこと、さらにはアベノミクスと称するデフレ脱却経済政策が失敗することの分析・解明による。
実はコロナ前、サービス業を中心に日本企業は空前の人手不足にあえいでいた。当時はまだバブル崩壊後の「失われた20年」時代で、アベノミクスへの期待も大きかった。アベノミクスの失敗が鮮明になるにつれ、失われた期間は20年から30年に延び、さらに40年、50年と続くのではないかと懸念されている。なぜか。実は日本特有の正規社員に対する「雇用形態」が、バブル崩壊後の経済停滞の根本的原因なのだ。
日本企業の伝統的雇用形態は、言うまでもなく「年功序列・終身雇用」である。高度経済成長期以降、日本では長く、転職はマイナス要因とされてきた。犯罪やカバーできないほどの不利益を会社に与えない限り、身分や給与は年功序列でアップし、会社が倒産でもしない限り職を失うことはない、と企業も従業員も信じ込んできた。その「思い込み」がいとも簡単に崩れ去ったのは、バブル崩壊とリーマン・ショックによる長い経済停滞期に日本が突入した結果である。企業は正規社員の新規採用を手控えるようになり、派遣や非正規雇用が急増した。正規社員も「年功序列・終身雇用」に胡坐をかいていられない状況になった。
現パナソニックが「従来の給与体系を望むか、それとも退職金の前払いで初任給アップを希望するか」の選択を新卒社員にゆだねたところ、「退職金前払い」を要求する新卒社員が圧倒的多数を占め、この制度をすぐ撤回したことがある。
高度経済成長期時代、日本企業の会社に対する社員のロイヤリティの高さがアメリカ企業でもうらやましがられて、『エクセレント・カンパニー』と題した、日本型経営に似た雇用形態を採用していた大企業(IBMやGM、ゼロックスなど)の経営を紹介した本がアメリカでも日本でもベストセラーになって話題を呼んだことがあったが、私は『忠臣蔵と西部劇』で日本とアメリカでは「ロイヤリティの対象が違うだけ」と書いたことがある。
日本では人事権を人事部が掌握しているのに対して、アメリカ企業には日本のような人事制度はなく、部下の採用や待遇、馘首の権限まで「ボス」が掌握している。人事部が人事権を掌握している日本企業の場合は社員のロイヤリティの対象は会社という組織になるが、「ボス」が人事権を掌握しているアメリカでは部下のロイヤリティの対象が直属の上司になるのは当たり前の話。『エクセレント・カンパニー』が取り上げた大企業の場合、成長を遂げていたため結果として年功序列的に見える状況が生まれていただけだ。
なお、日ハムの新庄監督が就任時、選手やメディアに「ビッグボス」と呼ぶことを強要したのは、MLBの経験がある新庄は、アメリカでは監督が現場の絶対的権限を行使できることから、日ハムでもそうした権限を要求した結果だ。
シャープや日産の場合、経営再建の手段として日本型雇用形態に縛られない外国企業に会社ごと身売りしたり、外国人経営者に経営権をゆだねる手法で血も涙もない大リストラに踏み切るため。社員の大リストラを避けようとして自力再建を目指している東芝が、ますます苦境に陥っているのはそのせいだ。
つまりバブル崩壊以降、日本企業が正規社員の雇用を手控え、どうしても必要な業務には非正規雇用や派遣社員を充てるようにしたのも、「年功序列・終身雇用」の束縛から逃れるためだ。そうした時代を反映して経団連などが、正規社員の身分保障を強く定めた労基法の改正を求め、「日本型雇用形態の終焉」を声高に言い出しているのも、そうした事情による。
はっきり書く。日本経済が成長を続けていた時代は、消費者の需要が供給量を上回る需給関係が継続し、需要の増加に対応すべく企業も設備投資に積極的だった。が、医療技術の進歩や食生活の向上、核家族化による高齢者の健康志向などによる高齢化社会の進行、さらには女性の高学歴化とそれに伴う女性の自立志向の高まりなどによる少子化によって、需要層が激減したのがデフレ不況の原因だ。これは日本だけの特異な現象ではなく、世界中の先進国や発展途上国(所得水準が比較的高い国)に共通した現象であり、アベノミクスによる円安誘導で輸出競争力を高めても海外の需要増に直結しなかったというわけ
そのうえ日本企業には年功序列型「昇進昇給制度」は徐々に崩壊しつつあるが、正規社員保護を重視した「終身雇用」制度は維持されたまま。いいか悪いかは別にして、この制度が企業の手かせ足かせになって、目先の需要増に応えるための設備投資活発化はかえってリスクの増大を意味するため、円高時のダンピング輸出とは正反対の理由に基づく輸出量維持のために輸出先価格を据え置いて為替差益を増加させたのが今の日本企業経営の実態。アベノミクスによる輸出製品の競争力アップにもかかわらず企業がなかなか設備投資に踏み切らなかったのはそのせい。
いま自動車産業界では設備投資ラッシュになっているが、これはアベノミクス効果によるのではなく、たまたま地球温暖化対策SDGsの潮流で電気自動車が人気化しつつあり、他業界からの参入も相次ぐ状況下での設備投資ラッシュに過ぎない。裾野が広い自動車産業は、日本でも基幹産業のため景気のけん引力は大きいが、それでも景気回復への機関車的役割を期待するのは困難。
実際、国土が広く人口が分散していて自動車が生活必需品であるアメリカでも、トランプ前大統領が米自動車産業再建のために自動車及び関連製品などに高率関税を課して自動車産業を保護しようとしたが、米最大手のGMが国内4工場を閉鎖してトランプを激怒させた。が、GM側は、「輸入原材料や部品の価格が高騰し、コストアップ分を製品価格に反映させたらアメリカ国民の購買力の限界を超える。苦渋の決断だが、工場を閉鎖して供給量を抑えるしかない」と猛反発した。こうした大リストラが、日本の正規社員に対する保護政策のために日本では不可能。安倍元総理がいくら笛を吹いても、メーカーが踊ろうとしなかったのは、そのせい。
翻って日米経済摩擦が激化していた時期、日本企業が円高分を輸出価格に反映しようとせず、ダンピング輸出せざるを得なかった根本的理由も、社員のリストラを伴う生産量の削減が不可能で、赤字輸出のツケを国内消費者に付け回したのが真相。たまたま、その時期は国内消費がまだ活発で、赤字輸出による減益分を国内消費でカバーできたからだ
日銀が超円安状況化にもかかわらず、金融引き締めに政策転換できない理由の一つは、円安に歯止めをかけたところで国内消費が回復しそうにないと見極めているためだ。
そしてもう一つの要因は、金融引き締めで金利を上昇させると、MMT理論を信奉し続けた「リフレ派」の主導による国債乱発のツケの、次世代への先送りが不可能になり、下手をするとギリシャのように国家財政が破綻しかねないからだ。(29日記す)
- 超円安下でMMT理論が破綻した理由
簡単に経済用語について説明しておく。この稿の小見出しに使った「MMT」とは、独自通貨を発行している国はいくら国債を発行しても、過度のインフレにならない限り財政破綻することはない、という積極財政論。比較的最近(といっても、第2次安倍政権初期のころ)米経済学者が言い出しっぺの経済政策で、アベノミクスの経済政策を「成功例」と持ち上げたことがある。
1種の「ねずみ講(無限連鎖)」とも言えなくはない経済理論で、発行済みの国債の償還期限が来たら、償還分に相当する新規国債をまた発行すれば財政破綻することはないという「自転車操業経済政策」。国家財政がギリシャのように破綻しなければ、理論上は成り立つが…。
赤字国債を「国民財産の増加」と、バカげた解釈をする自称「経済学者」もいるが、国債は返済義務を負う国(政府)の借金。「借金がなぜ財産なのか」そういう解釈をする人の頭を疑う。「財産」は自分の所有物であり、返済義務はない。返済義務を伴わない借金ができるなら、自己破産する人は皆無になる。もっとも個々人に通貨発行権利はないけど、しかしそれに近い金融資産として流通しているのが「仮想通貨(暗号資産)」で、少なくとも日本では商取引の決済手段としてはほぼ使えない。ま、ネット上で売買されている、ポケモンなどネットゲームのアイテムのようなものと理解するのが正解。
アベノミクスの効果については賛否いろいろあるので、この稿であまり立ち入るつもりはないが、一時株価が上昇したことは確かだが、そもそも「株価上昇」がアベノミクスの目的ではない。デフレ脱却による消費者物価2%上昇が目的で、目標達成はウクライナ戦争による超インフレ到来まで全くなかった。MMTを提唱した米経済学者は、何を根拠に日本を成功例にしたのか、摩訶不思議。まさか、株投資家の儲けを根拠にしたわけではないと思うが…。
このMMTを信奉したのが「リフレ派」といわれる日銀・黒田総裁一派。「無制限に国債買い入れ」を公言し、「ゼロ金利政策」を、今も続けている。リフレ派とは、金融緩和政策によって適度なインフレを生じさせるという経済論を重視する人たちのこと。「適度」のインフレ率の数値(消費者物価上昇率)は時代背景によって異なるが、ウクライナ紛争が始まる以前は米FRB パウエル議長も日銀・黒田総裁も2%上昇を目標数値にしていた。トランプ時代、アメリカはほぼ目標数値を達成していたが、トランプはさらなるインフレにしたかったようで、パウエルに金融緩和圧力をかけ続けていた。
ここで私が提起したいのは、近代マクロ経済学の「常識」がもはや通用しない時代を、人類は迎えているのではないかという問題意識である。ケインズも、またケインズに続くマクロ経済学者たちも、先進国や発展途上中の経済成長を遂げつつある国も、「少子化」(合計特殊出生率が減少すること)時代が全世界的規模で進行することなど、まったく想定すらしていなかったのだ。
言うまでもなく、インフレによる経済成長が可能になるのは、人口が増え続けることによる需給関係が逼迫することを前提に構築された理論である。「少子化」とほぼ同時に進行している「高齢化」によって、これまでは人口減少はそれほど目立たなかったが、ついに死亡率が出生率を上回る時代に突入し、人口減が誰の目にも明らかになるようになった。
この事態に私が警鐘を鳴らしだしたのは、結果が明らかになりつつある昨今ではない。アベノミクスに対する批判、MMTが日本でも話題になりだした時期にブログで書いている。だから「結果論」で書いているのではない。私自身の名誉のために書いておく。
さらに言うまでもなく、消費者物価は需給関係によって上下する。この大原則だけは少子高齢化社会になっても変わらない。需給関係は、需要の増減と供給の増減をもろに反映する。たとえ人口が減少しなくても、消費量が少なくなる高齢者が増え、消費需要の中核である若い人たちや現役世代の人口が減少すれば、消費市場は減少しデフレが進行する。また格差拡大が進み、人口減にならなくても、消費したくてもできない低所得層の占める割合が増大したら消費市場は縮小してデフレになる。
こんな基本的なことを理解できないのが、いまの「リフレ派」なのだ。日本も含めて、先進国や経済成長を続けている発展途上国は、「少子化」による人口減と格差拡大による消費市場の縮小というダブル・パンチを受けているさなかだ。そういう時期にいくら金融緩和しても、少子化に歯止めがかかるわけがないし、低所得層は金融緩和の恩恵とは永遠に無縁だ。金融緩和によって消費市場が回復するという幻想が、「夢のまた夢」でしかないことが、さすがに「リフレ派」の方たちにもご理解いただけたのでは…。
需要を拡大して消費者物価を「適度」な水準に引き上げるには、消費市場を拡大するしかない。消費市場を拡大する方法は、これまた合計特殊出生率の向上と、格差是正以外に打つ手はない。
また長い記事になった。書くほうも疲れたが、読んでいただいた方たちもお疲れになったと思う。
私に批判や反論があれば、どしどし「コメント」をお寄せいただきたい。罵詈雑言の類以外は削除しないし、私も誠意をもってお答えする。(30日記す)
【追記】 10月2日(日)のNHK『日曜討論』は、翌日10月3日から始まる臨時国会に向けて「旧統一教会と政治の関係」「インフレ対策の経済政策」「安全保障」の3つをテーマにした与野党の政調会長クラスによる議論だった。あえて無意味だったとは言わないが、米中覇権争いが激化しつつある今日、「日中国交回復50周年」を迎えて日本の対中外交政策が問われているにもかかわらず、その問題はパス。あいも変わらず、与野党議員の「対策」は対症療法に終始した。私はNHKに抗議したが、問題は与野党議員の無能さではなく、討論を仕切ったNHKの司会者(キャスター)の無能さにある。
ただ順繰りに発言機会を与野党議員に割り振ることしか考えていないキャスター。旧統一教会問題の「悩ましさ」や、「敵の味方は相手国から敵視され、かえって安全保障上のリスクを高めるだけ」という私の問題意識は既にブログで提起したので、あえて触れないが、討論の大半の時間を割いた「経済対策」についての議論を深めるべきキャスターの資質を、私は厳しくNHKに電話で批判した。その要点は以下の通り。
インフレ対策は賞味期限切れのマクロ経済理論では克服できない。インフレかデフレかの経済状況は言うまでもなく「需給関係」のバランスが崩れた結果である。
従来のケインズ以降の「マクロ経済理論」は、金融政策によって需給バランスの回復を図ることを重視している。が、この理論の限界は需要人口の減少という事態を全く想定していないことに基づく。いま生じているのは、本文でも書いたように、世界的規模での「需要層人口の減少」という事態だ。
その原因は二つある。一つは「少子高齢化」。女性の高学歴化に伴う「社会が女性の能力の活用を求めるようになったこと」また「女性の価値観も、家庭や子育てより社会での自己実現を重視する自立に重点を移しつつあること」に原因があり、はっきり言えば合計特殊出生率を政策によって回復することは不可能という現実を踏まえ、その中で需要減少による需給バランスの崩れをいかに軟着陸させるかが重要な課題。
少子化現象によって需要人口の減少は避けようもなく、一方高齢化現象によって人口減はあまり目立たなかったが、高齢者の消費活動は年齢とともに減少する。にもかかわらず、金融庁が「年金生活維持のためには定年時2000万円の金融資産が必要」といったバカげた試算を発表したため、現役世代も消費より貯蓄を重視するようになったことが消費活動の停滞を招いている。
私はかつて金融庁に「2000万円必要の計算方法」を質問したことがあり、その内容は既にブログで書いたが、「夫65歳、専業主婦60歳で定年生活に入り、その後30年生きるとして、厚生年金だけでは不足する生活費を算出した」ということだった。確かに定年退職直後は、現役時代の付き合いも多少継続するし、夫婦での旅行や外食機会も増えるので、年金収入だけでは赤字になるだろうが、そういう生活が30年間続くという発想が官僚らしいと言えば言えなくもないが、そんなことはあり得ない。私自身の生活体験からすると、たぶん70年代に入れば支出は大幅に減少し、70年代半ば以降は「黒字生活」に入る(大病でもした場合は別)。定年退職時に2000万円の金融資産があれば、30年後にはかなりの金融資産が残るはず。そのことを金融庁の担当者に指摘したら「ご指摘の通りだと思います」と言ったが、試算の見直しや訂正はしていない。メディアも金融庁のアホな試算に気づいていない。
したがって、近代マクロ経済理論が前提としてきた「人口減はあり得ない」という状況が崩れてきたという認識で新たなマクロ経済理論を構築する必要があるのだが、そういう問題意識が『日曜討論』の司会キャスターには皆無だったことが一つ。
もう一つは、格差の拡大が進んでいることが需給バランスの崩壊につながっているという認識の欠如。
高度経済成長時代、日本人の大半が「中流」意識を持っていた。欲しいものがたくさんあり、消費意欲が高まって経済が活発だった時代のことだ。3C(カー・クラー・カラーテレビ)が日本経済の機関車的役割を果たした時代のこと。いま消費意欲を掻き立てるものは何もない。かつ、消費活動の中核をなす現役世代の可処分所得は30年間増えていない。
そういう時代に「経済成長至上主義」の経済政策を志向したのが「アベノミクス」。だから失敗するのは当たり前。消費活動が停滞すればデフレ経済になるのは、それも当たり前。この難問に向き合うには、「経済成長至上主義」を捨てて、いかに軟着陸させるかに経済政策の重点を置かなければならない。そして軟着陸させるには、中間所得層人口の減少に歯止めをかけ、かつ中間所得層の可処分所得を増やすしかない。そのためには、大胆な税制改革が必要になる。
大企業の内部留保が増加している理由については本文で書いたが、内部留保は法人所得税を納めた後に残った資産。それに課税しろという乱暴な主張も垣間見るが、私たち個人が納税後の貯蓄に課税しろというに等しい乱暴な考え。そんなことができるわけがない。
方法は一つしかない。法人税をアップして、「税金で持っていかれるくらいなら有能な人材の給与を増やして将来に備えたほうが得」という空気を経済界に作ること。もう一つは日本の高度経済成長を支えた超累進課税制度の復活によって可処分所得を高額所得層から中間所得層に移すこと。消費税導入前の最高税率80%というシャウプ税制まで戻せとまではさすがに言わないが、せめて今の最高税率(住民税を含む)を50%から60-65%程度まで引き上げても罰は当たらない。
そういう問題意識をもって、経済対策を与野党議員に問うのがキャスターの資格条件。が、そんな認識のかけらすらないのが高給取りのNHK高級職員。私を『日曜討論』の司会キャスターにしろ~ (10月2日記す)
【緊急追記】 4日午前7時22分頃、北朝鮮が津軽海峡上空を通過する弾道ミサイル(ICBM)を発射、太平洋上に落下したようだ、と報道された。
メディアや政府にとって衝撃だったのは、ミサイル発射の兆候をキャッチできなかったことらしいが、「核実験準備」については韓国が情報を出していたので、ミサイル発射の兆候をアメリカも韓国も日本もキャッチできなかったというのは問題ではある。
日本上空を通過した北朝鮮のミサイル発射は2017年以来だが、この時は「モリカケ疑惑」が浮上して安倍内閣支持率が急降下したときの、北朝鮮による安倍内閣への棚ボタ的「援護射撃」になった。
実際、安倍総理(当時)は総理の専権である衆院解散を行い、「国難突破」を掲げて選挙で大勝した。いま自民党と旧統一教会の「腐れ縁」の根深さが洗い出されて内閣支持率が急降下している岸田内閣だが、安倍氏の手法を繰り返すことは難しい。
もちろん、北朝鮮の挑発行為は断じて許すことはできないし、これまで繰り返してきた「遺憾の意」表明で済まされる事態ではないことを前提に、北の挑発を誘導したのは日本でもなければ韓国でもなく、アメリカだという事実も冷静に見ておく必要がある。
米レーガン政権時代、前大統領のカーターの経済政策(超金融緩和)の副作用である超インフレ対策としての金融引き締め策(レーガノミクス)が有名だが、本稿で指摘したように旧ソ連に対する軍拡競争で旧ソ連を解体したとき、北朝鮮にも過度の敵視政策を発動して「悪の枢軸」「テロ支援国家」と根拠がない糾弾を行って北を挑発し続けたことが、北の挑発行動の口実を与えたことも私たちは忘れてはならない。
いま現にロシア・プーチンによって、核を持たない国が核の脅威にさらされているという現実を目の前にしている時、「核の傘」の保護下にない北が自国防衛のための核ミサイル開発・実験に血道を上げている状況を作り出したのはアメリカだという事実も直視する必要がある。日本が、そういうアメリカの「核の傘」に守られているという幻想を問うことは置いておくが、東側の「核の脅威」をいたずらに煽って、日本が「抑止力強化」に奔走する危険性だけは改めて指摘しておきたい。
日本が軍事予算をGDP比2%に引き上げても、北朝鮮への「抑止力」はともかく、中国やロシアに対する「抑止力」には到底なりえない。「抑止力」は仮想敵国の軍事力に対抗できるだけの軍事力がなければ意味をなさないし、中ロに対抗できる軍事力を日本が有するためには、GDPのすべてを注ぎ込むくらい軍事力強化に狂奔しなければ不可能。そんなことを国民が容認するような状況には日本はない。
何度も繰り返し書いてきたが、日本という国が置かれている地政学的ポジションからも、最高の安全保障策は対立軸の片方に軸足を置き続けるのではなく、外交努力によって「敵国」を作らないことだ。
その点、「外交の賢さ」に私自身、日本は学ぶべきと思っているのがインド。「八方美人」的360度外交で、「敵を作らず、あらゆる体制の国との友好関係」を構築している。
日本にとって最大の友好国がアメリカであることまでもは私も否定しないが、アメリカの覇権政策に日本が肩入れするのはリスクの増大しか意味しない。「敵の敵は味方」だが、同時に「敵の味方は敵」でもあり、万が一米中、米北が軍事衝突に及んだ時、旗色を鮮明にしすぎていると火の粉を被る。「アメリカとの心中なら本望」などと考えている政治家もいるようだが、私たち庶民には「有難迷惑」にもならない。
繰り返す。日本にとって最高の安全保障策は「敵国を作らないこと」である。(4日記す)