赤木雅子さんの執念がとうとう実りそうだ。言うまでもなく、森友学園問題について、財務省の上層部から公文書の改ざんを命じられ、国家公務員としての自責の念に駆られながら改ざんプロセスを記録し、無念の自死を遂げた赤木俊夫・近畿財務局職員が残した、いわゆる「赤木ファイル」が陽の目を見る可能性が生じたのだ。雅子さんは俊夫氏の妻。国などに対して損害賠償を求めて大阪地裁に提訴し、「赤木ファイル」の開示を求めていた。
が、財務省側はファイルの存否も含めて明らかにせず、その一方ファイルの存在を前提にして「原告の訴えの原因にファイルの内容は関係しない」と提出を拒み、国会でも野党の開示要求に対しては「裁判に影響する」と支離滅裂な対応を続けてきた。
が、財務省が「赤木ファイル」の存在をとうとう認め、6月23日には大阪地裁にファイルを任意提出することにしたというのである。ただし、ファイルの全文を開示するわけではなく、一部をマスキング処理(黒塗り)したうえで開示するという。果たして裁判でどこまで真実に迫れるか、早くも懸念と疑問の声が出ている。
●売却から賃貸へ、さらに大幅値下げで売却へ
森友学園問題は、政治家がらみのスキャンダルとしては奇妙な事件ではある。ふつう政治家のスキャンダルは、利権が絡み金銭を収賄する構造がほとんどと言っていい。が、このスキャンダルは、森友学園の経営者である籠池泰典氏が、便宜を図らってもらいながら、かつ政治家から「お祝い」として100万円を授受したという(籠池証言)、異例のプロセスをたどった。
森友学園問題とともに社会問題になった加計学園問題においても、政治家が金銭を授受したという疑惑は持たれていない。
「モリカケ問題」の中心人物である、当時の総理大臣が絡んだスキャンダルだが、肝心の総理大臣が直接指示したこともないようだし、しかも受益者から金銭を収賄するどころか、逆に「お祝い金」を差し上げているという話なのだ。奇妙といえば、これほど奇妙なスキャンダルは聞いたことがない。ざっと経緯を振り返っておこう。
森友学園に払い下げられた国有地は1974年、伊丹空港周辺の騒音対策区域として国が土地所有者から買い上げ、大阪航空局が管轄する「使い道のない」土地となっていた。が、関西空港の開港によって騒音問題が解消したことで民間への払い下げが決定し、財務省近畿理財局が売却を担当することになった。
2011年には大阪音楽大学が約7億円で購入を近畿理財局に申し入れたが、鑑定価格の9億5600万円に達しなかったため交渉は不調に終わっている。
その後、近畿理財局は13年6月、公募による売却を決定、森友学園が応募して同学園への払い下げが決まった。が、購入資金の手当てができなかったためか、売却交渉の過程で森友学園は近畿理財局に対して賃貸への変更を申し込む。このときの近畿理財局長は枝廣直幹氏だが、のちに枝廣氏はこの案件については「自分は知らない。担当者レベルのやり取りではないか」と頬かむりの証言をしている。森友学園側との交渉に当たったのが赤木氏だったか否かは、「赤木ファイル」に記録されているはずだ。ただし、売却から賃貸への変更という重要な案件の決済が担当者レベルで行われていたとしたら、近畿財務局のガバナンスはどうなっていたのか。なお枝廣氏は翌14年に退官し、後任には武内良樹氏が就いている。
国有地の払い下げに関して売却から賃貸への変更は通常、そんなに簡単ではない。が、なぜか15年5月、森友学園と国との間で10年間の定期借地契約が締結された。12年12月に第2次安倍政権がスタートして2年半後である。
その後、16年3月1日に森友学園・籠池理事長が財務省理財局の国有財産審理室長と面会し「新たにごみが見つかった」としてごみの撤去を要請する。その直後の24日、学園側は賃貸から売却への再変更を申し入れている。
本来、新たに見つかったごみの処理を要求するのであれば、それまで交渉してきた近畿理財局が相手であるはずなのだが、その記録は明らかにされていない。その経緯も「赤木ファイル」に記録されている可能性がある。
16年6月17日、財務省理財局長に佐川宣寿氏が就任し、20日には国と森友学園の間で代金1億3400万円とする売買契約が締結された。鑑定価格との差額は8億2200万円(名目はごみの撤去費用)となり、その不自然さが国会で問題になった。
●森友学園問題スクープの裏事情
2017年2月9日、朝日新聞がこの「事件」を1面トップでスクープ報道し、森友学園問題はいっきに政界を揺るがす大問題になった。が、朝日に情報を提供したのは、当時NHK大阪放送局司法キャップだった相澤冬樹氏ではないかと言われている。
相澤氏はこの「払下げ問題」をいち早くキャッチし、NHKでスクープ報道しようとしたが、安倍官邸の逆鱗に触れることを恐れた上層部によって阻止され、あまつさえ記者職を解かれて考査部という閑職に異動になる。相澤氏は18年8月、NHKを退職し、大阪日日新聞に記者兼編集局長として再就職、赤木氏の自死後も雅子さんの相談相手になりながら裁判を取材し続けているという。
私自身のジャーナリストとしての現役時代の経験から推測するのだが、スクープ報道の大半は内部告発である。ただ、メディアにとって報道しづらいケースの場合(例えば大クライアントのスキャンダル事件など)、他媒体の友人記者に情報を提供することがしばしばある。
スクープというのは、犬棒つまり「犬も歩けば棒に当たる」ような偶然性でネタをつかめるケースはそんなに多くはない。しばしば「文春砲」が民放メディアでも話題になるが、文春だけが特別な取材ルートを持っているわけではなく、また大新聞社より多くの記者を抱えているわけでもない。「文春砲」の多くは他社の記者から自社媒体では取り上げにくい情報の提供を受けたり、いまでは「文春砲」の強力さが多くの人の知るところとなって内部告発(たれ込み)の有力媒体先になったことによる。
いずれにせよ、朝日の報道がきっかけになって政界に大激震が奔った。2月17日の衆院予算委員会で野党の追及を受けた安倍総理が国会史上、空前絶後の答弁を行ったのだ。
「私や妻が関係していたということになれば、首相も国会議員も辞める」
おそらく安倍総理は妻の昭恵夫人が籠池氏夫妻と極めて密接な関係にあることを知らなかったのかも。政治家にとって命取りになるスキャンダルは、誰かのために便宜を計らい、その謝礼として金銭をもらう収賄事件や、選挙で票を買収するといったケースがほとんどである。
森友学園問題や加計学園問題の場合は、安倍総理や昭恵夫人が友人のために便宜を図らったとしても、その見返りに金銭を授受したり、また籠池氏や加計孝太郎氏は安倍氏の選挙区の人たちではないから、スキャンダルにはなりえないという認識があったのではないかと思われる。まして、森友学園に小学校設立の許可が下りたことで、昭恵夫人が「これは主人から」とお祝い金100万円を包んだくらいだから(籠池氏の証言)、自分の利益のためではないという確信があったのかもしれない。が、自分の利益のためではなかったとしても、わきの甘さは総理大臣としての品位に著しく欠けると言わざるを得ない。
●根っこは「政治主導」の名の下での官邸による官僚人事権の掌握
が、この総理答弁が官邸を激震させた。絶対にスキャンダル化を防がなければならないという空気が官邸を支配した。そうした空気が一気に官邸を支配したのには、それなりの事情もあった。
第2次安倍内閣が発足したのは12年12月だが、安倍氏が自民党総裁に就任したのは12年9月。当時の党則では自民党総裁任期は2期6年までだった。つまり1年半後には安倍総裁は退任することになっており、党執行部内の水面下では総裁任期延長論がささやかれ始めていた。そうした状況もあって、森友学園問題をスキャンダル化させてはならないというのが官邸の至上課題になったというわけだ。
そういう意味では当時、理財局長の地位にあった佐川氏が「火中の栗」を拾わなければならない立場に立たされたという解釈もできなくはない。そう解釈した場合、佐川氏も官邸の被害者と言えるかもしれない。
なぜ官邸がそこまで力を持つようになったのか。森友学園問題の根っこには、ある問題が横たわっていることを、まず明らかにしておく必要がある。
かつて日本の官僚システムは世界一優れている、と海外から高く評価されていた。実際、私の年代で官僚になった人たちは、すべてとまでは言わないが「国のために、国民のために」という強い自負心を持っていた。その反面「省益優先」「省益あって国益なし」と厳しい批判を浴びるような事態も「官僚主導」の政治で生じたことも事実である。例えば金融機関の大蔵官僚に対する非常識な接待攻勢「ノーパンしゃぶしゃぶ」事件も、そうした状況下で官僚のおごりが背景にあったことは否定できない。
こうした状況を改革すべく旧民主党が政権を担ったとき、旧民主党は「政治主導」を強く打ち出した。もちろん政治家とりわけ省庁の担当大臣の政治家が、担当する分野についての高い見識と知識を持って官僚を指揮するのであれば、永田町と霞が関は互いに協力し合える「二人三脚」の関係を築けるのだが、自公が政権を奪還したことで、歪んだ「政治主導」の世界が構築された。
第2次安倍政権下の2014年5月30日、内閣官房に内閣人事局が新設され、官僚たちの人事権を官邸が掌握することになったのである。初代の局長は菅総理の片腕、現官房長官の加藤勝信氏。このとき、実は初代局長には警察官僚の杉田和博氏が内定していたのだが、直前に菅官房長官(当時)がひっくり返したと言われている。その後、杉田氏は菅総理の懐刀として菅政権に刃向かいそうな人物の動向に目を光らせているようだ。
こうして官僚の人事権を官邸が掌握したことによって、官僚とりわけ事務方責任者の局長クラスは政権スキャンダルをもみ消す任務を担わされることになる。森友学園への国有地払い下げにまったくタッチしたこともない佐川氏が理財局長の座に就いたことで、安倍総理の「私や妻が関係していたということになれば、首相も国会議員も辞める」という国会答弁を何としても守り抜かざるを得ない立場に追い込まれたというわけだ。佐川氏が国と森本学園との交渉過程を記録した公文書から、昭恵夫人の関与を記した個所を消し去るための改ざん処理を近畿財務局に命じたのも、そういう事情が背景にあったと思われる。
そして実務として、改ざんを命じられたのが赤木氏であり、上から命じられたとおりに昭恵夫人の関与を消去する作業を強いられ、良心の呵責に耐えかねてうつ病を発し自死に至った。が、赤木氏は森友学園への国有地払い下げの経緯を記した個所のどこを改ざんしたかの記録を残していた。それが「赤木ファイル」である。
赤木氏はおそらく、のちに改ざんが問題になったとき、自分の意志ではなく、上から命じられたとおりに改ざん作業をしただけという自身の防衛手段として記録を残したと思われる。それだけに、おそらく「赤木ファイル」は精緻を極めていると思われ、それゆえ財務省はファイルの存在そのものをひた隠しに隠してきたのであろう。
●「赤木ファイル」の法廷提出の裏事情は?
では、なぜ今になって財務省は「赤木ファイル」の一部をマスキング処理(黒塗り)して法廷に提出することにしたのか。「勘ぐりすぎ」と言われるかもしれないが、最近、安倍復権待望論が自民党内部で勢いを強めだしてきたことと無関係ではないと私は考えている。
自民党で安倍復権待望論が勢いづいたのは「4・25ショック」と言われる国政補充選挙で自民が3連敗したことによる。次期総選挙の前哨戦とされた衆院北海道2区、参院長野選挙区、参院広島選挙区で自民候補が全敗、「菅体制では次の総選挙を戦えない」という「菅おろし」の声が、自民党内部で広がりつつあるようだ。
安倍前総理自身は表向き「菅支持」を表明しているが、カモフラージュに過ぎないという見方もある。中途半端なコロナ感染対策の失敗でコロナ禍は広がる一方、オリンピック優先と見えるコロナ対策などで、発足時は未曽有の高支持率を誇った菅内閣だが、直近の世論調査はほぼ全メディアで不支持率が支持率を上回る状態だ。世論調査では最も信頼性が高いとみられているNHKの5月7~9日の全国世論調査の結果でも、菅内閣の支持率は発足以来最低の35%を記録し、不支持率は43%に上っている。政治評論家の中には「三木降ろしの時と同じような状況だ」と指摘する声もある。
安倍氏自身、「いい薬が手に入った」と健康状態に自信を示し、実際、全国を遊説で飛び回っている。「菅支持」の発言も自民党内の反応を見るための観測アドバルーンと言えなくもない。
言わば四面楚歌状態に見える菅総理だが、9月の総裁選で勝利するためには安倍復権の芽を摘んでおく必要がある。安倍復権の芽を今のうちに摘んでおくためには、「赤木ファイル」はガースーにとって最高の武器になる。今やガースーの懐刀となっている元警察官僚の杉田氏が、財務省に圧力をかけたのではないかという読みもできる。ガースーにとって「赤木ファイル」は、原爆にも匹敵する安倍殺しの威力を持ちうるというわけだ。
だとすれば、財務省が法廷に提出する「赤木ファイル」のマスキング人物も容易に特定できる、いわばアリバイ作りのためのマスキングである可能性も十分考えられる。
私の読みが当たるか外れるかは、6月23日には明らかになる。ただ官邸は私のブログ記事をかなりチェックしている可能性があり、このブログを安倍陣営が読んだ場合、思い切った巻き返しに出る可能性はある。
いま私は身の危険を感じているわけではないが、私のブログは何者かによってサイバー攻撃を受けている。
私の名前でネット検索した場合、私のブログ記事はかつてはどの検索エンジンでもトップに出ていた。が、いまは違う。検索数も激減しているし、訪問者数・閲覧者数も大幅に減少している。検索エンジンが私のブログ記事をどのように扱っているか、私にとってはきわめてリスキーではあるが、明らかにしてしまう。
グーグル 検索数:4,470件 ブログ記事:3ページ目(29件目)
ヤフー 検索数:4,470件 ブログ記事:3ページ目(31件目)
エッジ 検索数:185,000件 ブログ記事 :1ページ目(トップ)
このデータは5月10日現在である。グーグルやヤフーでは私のブログ記事より上位を、過去上梓した著作の販売宣伝が大半を占めている。私の過去の著作がそんなに売れているわけがなく、アマゾンや楽天が私の著作を売るために宣伝費をかけるはずもない。だいいちグーグルとヤフーの検索数がまったく同じということもあり得ない(5月10日だけではないから)。
私は最近、毎週月曜日にブログを更新している。それを今回1日ずらしたのは、サイバー攻撃を可能な限り回避するためである。
なお、私は横浜IR誘致問題について書いたブログで、ブログの閲覧者は私が横浜市の住民であることは容易に察知できたと思う。が、ある検索エンジンには私の住所区まで記載されている。私の住所は家族と現在の友人以外には誰にも教えていない。現役時代の出版社の編集者とも、いまはまったく付き合いがない。現在の私の住所区を知り得るものは、住所を完全に把握していることを意味する。相当の有名人でも、住所をネット検索はできない。私の住所を区まで特定して明らかにしているのは、私に対する何らかの警告なのか。
【別件】急加速し始めた憲法改正の動きについて
コロナ禍が拡大するにつれて国会で憲法改正の動きが急加速しだした。私に言わせれば「案の定」といった感じだ。
憲法の制約によってロックダウンのような強制手段が取れないことを奇貨として憲法改正の動きが活発化するだろうことは、私はすでに見抜いていた。4月26日にアップしたブログ『緊急事態宣言より集団免疫状況をつくるワクチン接種を!!』で、こう書いている。
日本がロックダウン政策をとらない理由について、当時の安倍総理は昨年4月1日の参院決算委で「日本ではロックダウンはできない」と述べただけで、その根拠は示さなかった。野党議員のだれも、その理由を質さなかった。野党議員も聞くまでもなく、「私権の制限」を意味するロックダウンは、憲法の制約によって実施できないと理解したのだろう。
確かに現行憲法には非常事態での「私権の一時停止」を可能にする条項がない。先の戦争への反省から国家権力の発動を厳しく規制したと思われる。それは現行憲法がコロナパンデミックのような異常事態が発生する可能性を考慮に入れていなかった欠陥と言えなくもない。
が、特措法を改正して、コロナ禍を封じ込めるための、ある程度の強制力を持てるようにすることは可能だったし、現に今年に入って一定程度の強制力を有する特措法改正も行われた。
そう考えると、なぜ安倍氏は特措法の改正をしようとしなかったのか、が疑問として残る。「うがちすぎ」と言われるかもしれないが、国民を犠牲にしてコロナウイルスに日本中を蹂躙させ、「ほら見たことか」と憲法改正への機運を高めようと考えていたのではないか。
安倍氏は自衛隊を憲法9条に書き込むための憲法改正をいきなり行うことはさすがに無理と分かり、とりあえず非常時における私権の制限と憲法の一時停止を可能にする非常事態条項を憲法に追加することで、憲法改正への道筋を付けようと考えていたのではないか。
そう考えると、安倍氏の唐突な総理辞任も、コロナパンデミックが終息した後、後継者の菅総理にコロナ禍による経済混乱などの責任を取らせて辞任させ、三度総理の座に返り咲いて自らの手で憲法改正を断行しようと考えたのではないかという疑念が生じる。それが杞憂で済めばいいのだが…。
が、財務省側はファイルの存否も含めて明らかにせず、その一方ファイルの存在を前提にして「原告の訴えの原因にファイルの内容は関係しない」と提出を拒み、国会でも野党の開示要求に対しては「裁判に影響する」と支離滅裂な対応を続けてきた。
が、財務省が「赤木ファイル」の存在をとうとう認め、6月23日には大阪地裁にファイルを任意提出することにしたというのである。ただし、ファイルの全文を開示するわけではなく、一部をマスキング処理(黒塗り)したうえで開示するという。果たして裁判でどこまで真実に迫れるか、早くも懸念と疑問の声が出ている。
●売却から賃貸へ、さらに大幅値下げで売却へ
森友学園問題は、政治家がらみのスキャンダルとしては奇妙な事件ではある。ふつう政治家のスキャンダルは、利権が絡み金銭を収賄する構造がほとんどと言っていい。が、このスキャンダルは、森友学園の経営者である籠池泰典氏が、便宜を図らってもらいながら、かつ政治家から「お祝い」として100万円を授受したという(籠池証言)、異例のプロセスをたどった。
森友学園問題とともに社会問題になった加計学園問題においても、政治家が金銭を授受したという疑惑は持たれていない。
「モリカケ問題」の中心人物である、当時の総理大臣が絡んだスキャンダルだが、肝心の総理大臣が直接指示したこともないようだし、しかも受益者から金銭を収賄するどころか、逆に「お祝い金」を差し上げているという話なのだ。奇妙といえば、これほど奇妙なスキャンダルは聞いたことがない。ざっと経緯を振り返っておこう。
森友学園に払い下げられた国有地は1974年、伊丹空港周辺の騒音対策区域として国が土地所有者から買い上げ、大阪航空局が管轄する「使い道のない」土地となっていた。が、関西空港の開港によって騒音問題が解消したことで民間への払い下げが決定し、財務省近畿理財局が売却を担当することになった。
2011年には大阪音楽大学が約7億円で購入を近畿理財局に申し入れたが、鑑定価格の9億5600万円に達しなかったため交渉は不調に終わっている。
その後、近畿理財局は13年6月、公募による売却を決定、森友学園が応募して同学園への払い下げが決まった。が、購入資金の手当てができなかったためか、売却交渉の過程で森友学園は近畿理財局に対して賃貸への変更を申し込む。このときの近畿理財局長は枝廣直幹氏だが、のちに枝廣氏はこの案件については「自分は知らない。担当者レベルのやり取りではないか」と頬かむりの証言をしている。森友学園側との交渉に当たったのが赤木氏だったか否かは、「赤木ファイル」に記録されているはずだ。ただし、売却から賃貸への変更という重要な案件の決済が担当者レベルで行われていたとしたら、近畿財務局のガバナンスはどうなっていたのか。なお枝廣氏は翌14年に退官し、後任には武内良樹氏が就いている。
国有地の払い下げに関して売却から賃貸への変更は通常、そんなに簡単ではない。が、なぜか15年5月、森友学園と国との間で10年間の定期借地契約が締結された。12年12月に第2次安倍政権がスタートして2年半後である。
その後、16年3月1日に森友学園・籠池理事長が財務省理財局の国有財産審理室長と面会し「新たにごみが見つかった」としてごみの撤去を要請する。その直後の24日、学園側は賃貸から売却への再変更を申し入れている。
本来、新たに見つかったごみの処理を要求するのであれば、それまで交渉してきた近畿理財局が相手であるはずなのだが、その記録は明らかにされていない。その経緯も「赤木ファイル」に記録されている可能性がある。
16年6月17日、財務省理財局長に佐川宣寿氏が就任し、20日には国と森友学園の間で代金1億3400万円とする売買契約が締結された。鑑定価格との差額は8億2200万円(名目はごみの撤去費用)となり、その不自然さが国会で問題になった。
●森友学園問題スクープの裏事情
2017年2月9日、朝日新聞がこの「事件」を1面トップでスクープ報道し、森友学園問題はいっきに政界を揺るがす大問題になった。が、朝日に情報を提供したのは、当時NHK大阪放送局司法キャップだった相澤冬樹氏ではないかと言われている。
相澤氏はこの「払下げ問題」をいち早くキャッチし、NHKでスクープ報道しようとしたが、安倍官邸の逆鱗に触れることを恐れた上層部によって阻止され、あまつさえ記者職を解かれて考査部という閑職に異動になる。相澤氏は18年8月、NHKを退職し、大阪日日新聞に記者兼編集局長として再就職、赤木氏の自死後も雅子さんの相談相手になりながら裁判を取材し続けているという。
私自身のジャーナリストとしての現役時代の経験から推測するのだが、スクープ報道の大半は内部告発である。ただ、メディアにとって報道しづらいケースの場合(例えば大クライアントのスキャンダル事件など)、他媒体の友人記者に情報を提供することがしばしばある。
スクープというのは、犬棒つまり「犬も歩けば棒に当たる」ような偶然性でネタをつかめるケースはそんなに多くはない。しばしば「文春砲」が民放メディアでも話題になるが、文春だけが特別な取材ルートを持っているわけではなく、また大新聞社より多くの記者を抱えているわけでもない。「文春砲」の多くは他社の記者から自社媒体では取り上げにくい情報の提供を受けたり、いまでは「文春砲」の強力さが多くの人の知るところとなって内部告発(たれ込み)の有力媒体先になったことによる。
いずれにせよ、朝日の報道がきっかけになって政界に大激震が奔った。2月17日の衆院予算委員会で野党の追及を受けた安倍総理が国会史上、空前絶後の答弁を行ったのだ。
「私や妻が関係していたということになれば、首相も国会議員も辞める」
おそらく安倍総理は妻の昭恵夫人が籠池氏夫妻と極めて密接な関係にあることを知らなかったのかも。政治家にとって命取りになるスキャンダルは、誰かのために便宜を計らい、その謝礼として金銭をもらう収賄事件や、選挙で票を買収するといったケースがほとんどである。
森友学園問題や加計学園問題の場合は、安倍総理や昭恵夫人が友人のために便宜を図らったとしても、その見返りに金銭を授受したり、また籠池氏や加計孝太郎氏は安倍氏の選挙区の人たちではないから、スキャンダルにはなりえないという認識があったのではないかと思われる。まして、森友学園に小学校設立の許可が下りたことで、昭恵夫人が「これは主人から」とお祝い金100万円を包んだくらいだから(籠池氏の証言)、自分の利益のためではないという確信があったのかもしれない。が、自分の利益のためではなかったとしても、わきの甘さは総理大臣としての品位に著しく欠けると言わざるを得ない。
●根っこは「政治主導」の名の下での官邸による官僚人事権の掌握
が、この総理答弁が官邸を激震させた。絶対にスキャンダル化を防がなければならないという空気が官邸を支配した。そうした空気が一気に官邸を支配したのには、それなりの事情もあった。
第2次安倍内閣が発足したのは12年12月だが、安倍氏が自民党総裁に就任したのは12年9月。当時の党則では自民党総裁任期は2期6年までだった。つまり1年半後には安倍総裁は退任することになっており、党執行部内の水面下では総裁任期延長論がささやかれ始めていた。そうした状況もあって、森友学園問題をスキャンダル化させてはならないというのが官邸の至上課題になったというわけだ。
そういう意味では当時、理財局長の地位にあった佐川氏が「火中の栗」を拾わなければならない立場に立たされたという解釈もできなくはない。そう解釈した場合、佐川氏も官邸の被害者と言えるかもしれない。
なぜ官邸がそこまで力を持つようになったのか。森友学園問題の根っこには、ある問題が横たわっていることを、まず明らかにしておく必要がある。
かつて日本の官僚システムは世界一優れている、と海外から高く評価されていた。実際、私の年代で官僚になった人たちは、すべてとまでは言わないが「国のために、国民のために」という強い自負心を持っていた。その反面「省益優先」「省益あって国益なし」と厳しい批判を浴びるような事態も「官僚主導」の政治で生じたことも事実である。例えば金融機関の大蔵官僚に対する非常識な接待攻勢「ノーパンしゃぶしゃぶ」事件も、そうした状況下で官僚のおごりが背景にあったことは否定できない。
こうした状況を改革すべく旧民主党が政権を担ったとき、旧民主党は「政治主導」を強く打ち出した。もちろん政治家とりわけ省庁の担当大臣の政治家が、担当する分野についての高い見識と知識を持って官僚を指揮するのであれば、永田町と霞が関は互いに協力し合える「二人三脚」の関係を築けるのだが、自公が政権を奪還したことで、歪んだ「政治主導」の世界が構築された。
第2次安倍政権下の2014年5月30日、内閣官房に内閣人事局が新設され、官僚たちの人事権を官邸が掌握することになったのである。初代の局長は菅総理の片腕、現官房長官の加藤勝信氏。このとき、実は初代局長には警察官僚の杉田和博氏が内定していたのだが、直前に菅官房長官(当時)がひっくり返したと言われている。その後、杉田氏は菅総理の懐刀として菅政権に刃向かいそうな人物の動向に目を光らせているようだ。
こうして官僚の人事権を官邸が掌握したことによって、官僚とりわけ事務方責任者の局長クラスは政権スキャンダルをもみ消す任務を担わされることになる。森友学園への国有地払い下げにまったくタッチしたこともない佐川氏が理財局長の座に就いたことで、安倍総理の「私や妻が関係していたということになれば、首相も国会議員も辞める」という国会答弁を何としても守り抜かざるを得ない立場に追い込まれたというわけだ。佐川氏が国と森本学園との交渉過程を記録した公文書から、昭恵夫人の関与を記した個所を消し去るための改ざん処理を近畿財務局に命じたのも、そういう事情が背景にあったと思われる。
そして実務として、改ざんを命じられたのが赤木氏であり、上から命じられたとおりに昭恵夫人の関与を消去する作業を強いられ、良心の呵責に耐えかねてうつ病を発し自死に至った。が、赤木氏は森友学園への国有地払い下げの経緯を記した個所のどこを改ざんしたかの記録を残していた。それが「赤木ファイル」である。
赤木氏はおそらく、のちに改ざんが問題になったとき、自分の意志ではなく、上から命じられたとおりに改ざん作業をしただけという自身の防衛手段として記録を残したと思われる。それだけに、おそらく「赤木ファイル」は精緻を極めていると思われ、それゆえ財務省はファイルの存在そのものをひた隠しに隠してきたのであろう。
●「赤木ファイル」の法廷提出の裏事情は?
では、なぜ今になって財務省は「赤木ファイル」の一部をマスキング処理(黒塗り)して法廷に提出することにしたのか。「勘ぐりすぎ」と言われるかもしれないが、最近、安倍復権待望論が自民党内部で勢いを強めだしてきたことと無関係ではないと私は考えている。
自民党で安倍復権待望論が勢いづいたのは「4・25ショック」と言われる国政補充選挙で自民が3連敗したことによる。次期総選挙の前哨戦とされた衆院北海道2区、参院長野選挙区、参院広島選挙区で自民候補が全敗、「菅体制では次の総選挙を戦えない」という「菅おろし」の声が、自民党内部で広がりつつあるようだ。
安倍前総理自身は表向き「菅支持」を表明しているが、カモフラージュに過ぎないという見方もある。中途半端なコロナ感染対策の失敗でコロナ禍は広がる一方、オリンピック優先と見えるコロナ対策などで、発足時は未曽有の高支持率を誇った菅内閣だが、直近の世論調査はほぼ全メディアで不支持率が支持率を上回る状態だ。世論調査では最も信頼性が高いとみられているNHKの5月7~9日の全国世論調査の結果でも、菅内閣の支持率は発足以来最低の35%を記録し、不支持率は43%に上っている。政治評論家の中には「三木降ろしの時と同じような状況だ」と指摘する声もある。
安倍氏自身、「いい薬が手に入った」と健康状態に自信を示し、実際、全国を遊説で飛び回っている。「菅支持」の発言も自民党内の反応を見るための観測アドバルーンと言えなくもない。
言わば四面楚歌状態に見える菅総理だが、9月の総裁選で勝利するためには安倍復権の芽を摘んでおく必要がある。安倍復権の芽を今のうちに摘んでおくためには、「赤木ファイル」はガースーにとって最高の武器になる。今やガースーの懐刀となっている元警察官僚の杉田氏が、財務省に圧力をかけたのではないかという読みもできる。ガースーにとって「赤木ファイル」は、原爆にも匹敵する安倍殺しの威力を持ちうるというわけだ。
だとすれば、財務省が法廷に提出する「赤木ファイル」のマスキング人物も容易に特定できる、いわばアリバイ作りのためのマスキングである可能性も十分考えられる。
私の読みが当たるか外れるかは、6月23日には明らかになる。ただ官邸は私のブログ記事をかなりチェックしている可能性があり、このブログを安倍陣営が読んだ場合、思い切った巻き返しに出る可能性はある。
いま私は身の危険を感じているわけではないが、私のブログは何者かによってサイバー攻撃を受けている。
私の名前でネット検索した場合、私のブログ記事はかつてはどの検索エンジンでもトップに出ていた。が、いまは違う。検索数も激減しているし、訪問者数・閲覧者数も大幅に減少している。検索エンジンが私のブログ記事をどのように扱っているか、私にとってはきわめてリスキーではあるが、明らかにしてしまう。
グーグル 検索数:4,470件 ブログ記事:3ページ目(29件目)
ヤフー 検索数:4,470件 ブログ記事:3ページ目(31件目)
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このデータは5月10日現在である。グーグルやヤフーでは私のブログ記事より上位を、過去上梓した著作の販売宣伝が大半を占めている。私の過去の著作がそんなに売れているわけがなく、アマゾンや楽天が私の著作を売るために宣伝費をかけるはずもない。だいいちグーグルとヤフーの検索数がまったく同じということもあり得ない(5月10日だけではないから)。
私は最近、毎週月曜日にブログを更新している。それを今回1日ずらしたのは、サイバー攻撃を可能な限り回避するためである。
なお、私は横浜IR誘致問題について書いたブログで、ブログの閲覧者は私が横浜市の住民であることは容易に察知できたと思う。が、ある検索エンジンには私の住所区まで記載されている。私の住所は家族と現在の友人以外には誰にも教えていない。現役時代の出版社の編集者とも、いまはまったく付き合いがない。現在の私の住所区を知り得るものは、住所を完全に把握していることを意味する。相当の有名人でも、住所をネット検索はできない。私の住所を区まで特定して明らかにしているのは、私に対する何らかの警告なのか。
【別件】急加速し始めた憲法改正の動きについて
コロナ禍が拡大するにつれて国会で憲法改正の動きが急加速しだした。私に言わせれば「案の定」といった感じだ。
憲法の制約によってロックダウンのような強制手段が取れないことを奇貨として憲法改正の動きが活発化するだろうことは、私はすでに見抜いていた。4月26日にアップしたブログ『緊急事態宣言より集団免疫状況をつくるワクチン接種を!!』で、こう書いている。
日本がロックダウン政策をとらない理由について、当時の安倍総理は昨年4月1日の参院決算委で「日本ではロックダウンはできない」と述べただけで、その根拠は示さなかった。野党議員のだれも、その理由を質さなかった。野党議員も聞くまでもなく、「私権の制限」を意味するロックダウンは、憲法の制約によって実施できないと理解したのだろう。
確かに現行憲法には非常事態での「私権の一時停止」を可能にする条項がない。先の戦争への反省から国家権力の発動を厳しく規制したと思われる。それは現行憲法がコロナパンデミックのような異常事態が発生する可能性を考慮に入れていなかった欠陥と言えなくもない。
が、特措法を改正して、コロナ禍を封じ込めるための、ある程度の強制力を持てるようにすることは可能だったし、現に今年に入って一定程度の強制力を有する特措法改正も行われた。
そう考えると、なぜ安倍氏は特措法の改正をしようとしなかったのか、が疑問として残る。「うがちすぎ」と言われるかもしれないが、国民を犠牲にしてコロナウイルスに日本中を蹂躙させ、「ほら見たことか」と憲法改正への機運を高めようと考えていたのではないか。
安倍氏は自衛隊を憲法9条に書き込むための憲法改正をいきなり行うことはさすがに無理と分かり、とりあえず非常時における私権の制限と憲法の一時停止を可能にする非常事態条項を憲法に追加することで、憲法改正への道筋を付けようと考えていたのではないか。
そう考えると、安倍氏の唐突な総理辞任も、コロナパンデミックが終息した後、後継者の菅総理にコロナ禍による経済混乱などの責任を取らせて辞任させ、三度総理の座に返り咲いて自らの手で憲法改正を断行しようと考えたのではないかという疑念が生じる。それが杞憂で済めばいいのだが…。