【緊急】今日(4月29日)のNHKニュース7で重大な報道があった。米海軍第7艦隊が4か月連続で台湾海峡を通過したというニュースだ。私はこれまで、何度も「なぜ沖縄に米軍基地を集中させる必要があるのか」という問題提起をしてきた。これまで政府は細川内閣や民主党政権時代も含めて、この問題を頬かむりしてきた。いま安倍内閣は普天間基地の辺野古移設について「日本の安全保障のため、これ以外の選択肢はない」と言い続けている。沖縄を攻撃する国がどこにあるのか。そんなことは考えられない。まさか、中国が沖縄を軍事力で支配するとでも思っているのか。が、アメリカが沖縄を重視する理由が今日やっとわかった。台湾を中国から守るためだというのがその理由だ。それ以外にアメリカが沖縄を重視する理由はない。
私はNHKふれあいセンターのスーパーバイザーに、その視点で「米軍基地問題」の報道特集番組をつくってほしいと要請した。スーパーバイザーは「報道部門に伝えます」と確約してくれたが、いまのNHKの報道姿勢から考えて、かなり難しいだろうと思う。とりあえず、この問題を緊急提起しておく。
同一労働同一賃金の問題を検証する前に17日付の朝日新聞が掲載した記事について触れておきたい。記事の見出しは『異端の経済理論、日米で論争「日本の債務、全く過大でない」ニューヨーク州立大・ケルトン教授』。数年前、フランスの経済学者、トマ・ピケティ氏が『21世紀の資本』という600ページを超える本(日本版)を出版し、世界中で大ベストセラーになった。ピケティ理論とは、かいつまんで言うと「高度に発達した資本主義社会では貧富の差が必ず拡大する」という説で、膨大な資料を駆使して自論の正当性を主張したが、資料の扱い方に問題があったようで、いつの間にか話題にもならなくなった。
ピケティ理論は、これもかいつまんで書くと「高度に発達した資本主義社会では、富裕層は余裕資金を株や債券、不動産などに投資するが、投資によって得られる資産の増加率は常に給与所得層の賃金上昇率を上回り、かくして富める者と一般労働者の貧富の差は拡大の一途をたどる。ゆえに格差を是正するには富裕層への累進課税を強化すべきだ」という説である。確かに日本のバブル景気時のように景気の浮揚期にはピケティ理論は当てはまるが、景気の後退局面では富裕層が受ける打撃のほうが大きく、一般論としての妥当性に欠ける。気持ちはわからないことはないし、私もピケティ氏とは別の視点で、少なくとも日本では富裕層への課税強化を行うべきだと考えてはいる。
さて朝日新聞が取り上げた『異端の経済理論』とはMMT(現代金融理論)というもので、ステファニー・ケルトン氏が提唱しているという。MMTは「Modern Monetary Theory」の略で、朝日新聞の解説によると、「独自の通貨をもつ国の政府は、通貨を限りなく発行できるため、財政赤字が大きくなっても問題はない」という考え方が中核で、政府が財政を拡大しすぎることは財政破綻を招きかねないとされてきたが、インフレ率が一定の水準に達するまでは財政支出をしてもかまわないという。ケルトン氏は「巨額債務を抱えるのにインフレも金利上昇も起きない日本がいい例だ」と主張しているらしい。私に言わせれば「赤字国債依存症」患者の日本政府にとってはありがたい味方があらわれたと言えるかもしれない。朝日の記者が「財政赤字を出して何をするのか」と質問したのに対してケルトン氏はこう答えている。
「米国も日本も、人材や資源をフル活用できておらず、私たちは実力よりもだいぶ低い生活水準に甘んじています。財政支出を増やせば失業者が経済活動に戻り、生産量も増えます」。さらに日本については「国内総生産(GDP)比の公的債務は米国の3倍もあるのに、超インフレや金利高騰といった危機は起きていない。自国通貨建ての債務は返済不能にならないと、市場が理解しているからだ」という。アホとちゃうか、この経済学者。
日本の平成30年度の財政状況を見てみよう(財務省による)。歳出総額は98兆円で、内訳は社会保障33兆、地方交付金16兆、公共事業6兆、防衛5兆、教育4兆、その他11兆、借金の返済と利息23兆である。当然歳出に見合う歳入を図る必要があるが、歳入98兆円の内訳は所得税19兆、消費税18兆、法人税12兆、酒税・たばこ税など10兆、新たな借金(赤字国債)34兆である。単純計算すれば、返した借金23兆円に対して新たな借金が34兆円で、差し引き借金が11兆円増えたことを意味する。
財務省のホームページによれば「普通国債」(実態は赤字国債)という名の借金総額は平成30年度末で883兆円に上る見込みで、この額は税収15年分に相当するという。実際には私が手元の電卓で計算したところ、平成30年度の税収総額は64兆円だから、883÷64=13.8年である(私の計算は利息を含んでいないので、利息を含めると財務省が試算したように返済に15年かかるのかもしれない)。言っておくが、この計算は税収をすべて返済に回したとしての話で、歳出はゼロという前提である。例えば家計を借金で賄っていた場合、お金を1円も使わない原始人的生活をしたとしても借金の返済に13.8年かかるという意味だ。身の毛がよだつ様な話ではないか。
ケルトン氏がアホなのは、「財政出動すれば生産が増え、失業率も改善して税収が増えるから、いずれ借金は返せる」と錯覚しているからだ。確かに日本はいま空前の低失業率で有効求人倍率はほぼすべての都道府県で対前年比プラスだ。ではその結果、借金が減ったかというと、かえって11兆も増えている。さあ、ケルトンさんよ、この日本財政の実態をどう説明する?
借金を減らす方法は二つしかない。一つは税収を増やし、歳出を削減することだが、そのためには国民総所得が増大しなければならない。厚労省のバカな役人がデータをねつ造して労働人口の平均賃金が上昇しているかのような報告書を書いて国会で問題になっているが、確かに外国人労働力に頼らなければならないほど、いまの日本は人手不足状態が続いているが、実質平均賃金は減少の一途をたどっている。増えた雇用は平均賃金を押し下げる「効果」をもたらす非正規雇用や主婦のパート、定年退職者の再雇用などで、これらの労働人口の賃金は正規社員の賃金を大幅に下回るため、雇用は増えても平均賃金は下がる。しかし、データのねつ造問題は別としても、労働人口の総所得は増大しているのに、それが消費に回っていない。少子化と高齢化で、将来に不安を持つ人たちが多いため、増えた所得が消費には回らず、貯蓄に回ってしまうからだ。その結果、国民金融総資産だけは増え続け銀行を困らせている。豊富な資金を運用したくても、優良な貸出先が見つからず、不動産関連融資と消費者金融事業を収益を上げるための二本柱にせざるを得なくなっているのが銀行経営の現状だ。マイナス金利で銀行をいじめておきながら、自分の責任を棚に上げて日銀は、いま銀行の不動産関連融資の増大に警鐘を鳴らしている。銀行の穴(けつ)の穴(あな)くらい、日銀が拭いてやれよ。
だから税収を増やす方法は通常の経済活動の活性化に頼るのではなく、ピケティ氏が提唱したように富裕層への課税強化を行う以外方法はない。またロシアとの交渉で、北方領土問題とのセットをやめて平和条約締結を先行し、日本の安全保障環境を改善して防衛予算を大幅に削減することだ。アメリカのご機嫌は損なうだろうが、ロシアと平和友好関係を構築すれば、日本は「アメリカの核の傘」神話に頼らなくても安全保障環境は劇的に改善する。
だが、税収増と歳出減だけでは、気が遠くなるような借金の返済は困難を極める。その場合の最終的手段はケルトン氏がハチャメチャな理論を展開したように、通貨発行量をべらぼうに増やして通貨の価値を下落させ、見かけ上の借金額の実質的負担を大幅に減らしてしまうことだが、そんなことをやれば日本の国際的信用は地に落ちる。そもそも政治に哲学がないから、借金を重ねても何とかなると、日本の政治家はホントに思い込んでいるようだ。アベノミクスが日本を地獄の底に陥れようとしている実態は、そういうことを意味している。お分かりかな、この論理。
さて「働き方改革」の柱ともいえる「同一労働同一賃金」問題の検証に移る。前回のブログで、高度プロフェショナル制度の前身は、5年ほど前に政府が導入を進めてきた「成果主義賃金制度」にあることは書いた。そして私は14年5月21日から23日まで3日連続で『「残業代ゼロ」政策(成果主義賃金)は米欧型「同一労働同一賃金」の雇用形態に結び付けることができるか』と題したブログを書いた。このブログを読み返してみて、我ながら、ここまでよく考察したなと自分で感心している(年寄りの自画自賛)。ウソだと思うなら、「記事一覧」で探して読んでみてほしい。ただ、この時点では気づいていなかった視点がある。それは「働き方改革」の最大の柱となる同一労働同一賃金には社会主義型と資本主義型(欧米型)の2種類があり、私は欧米型を前提として書いているが、実は表面的な文字の羅列を見る限り、社会主義型と資本主義型は全く同じなのである。というのは、近代資本主義社会がまだ黎明期だった時代の1875年5月にカール・マルクスが自著『ゴータ綱領批判』のなかで、社会主義社会と共産主義社会における生産と分配の関係について、こう主張しているからだ。
社会主義の段階では「各人は能力に応じて働き、労働に応じて受け取る」が、共産主義の段階になると「各人は能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」ようになると、マルクスは定義している。この定義の、とくに社会主義段階での「各人は能力に応じて働き、労働に応じて受け取る」という生産と分配の関係については、ケインズ学派の経済学者も否定しないだろう。ただ、かつての日本や現代の韓国のように学歴社会の国では「各人は学歴に応じて働き、職位に応じて受け取る」という傾向が強くみられるが、終身雇用年功序列型賃金体系が「親方日の丸」企業を除いて徐々に崩壊しつつある日本では、『ゴータ綱領批判』でのマルクスの社会主義の段階での生産と分配の関係を、言葉の上では否定する人はいないと思う(※)。ただ、社会主義の国と欧米型資本主義の国とでは、この定義の前半の部分は共通の理解があると考えてもいいが、後半の部分「労働に応じて受け取る」の解釈が大きく異なる。少なくともスターリンが支配した旧ソ連や毛沢東時代の中国では「労働=働いた時間」という基準認識が強く、またGHQが進めた戦後の日本社会の民主化にも、実は社会主義的「生産と分配」の考え方が強く反映された。高度経済成長時代を経て日本がGDPでアメリカに次ぐ世界2位の位置に昇り詰めていく過程では、「日本は世界で最も成功した社会主義国家」という評価が世界的に定着し、大企業でも経営トップと新入社員の給料格差は驚くほど少なかった。当時の日本は、おそらく世界一格差が少ない社会だったと思う。この格差の少なさが国内での国民共通の夢「三種の神器」や「3C」需要を生み、その結果、国内市場が短期間に大きく広がり、日本の急ピッチの高度経済成長を支えてきた。
(※ 実際19日、経団連の中西会長が首相官邸で記者団に対して、大学側との議論の結果を踏まえ「日本の企業は今後、終身雇用を継続することは困難」という認識を示した。だが、肝心の年功序列型賃金体系については言及せず、そのことへの記者団からの追求もなかったようだ。日本のメディアに対する国際的評価が低いのも宜なるかな?)
なお、ウィキペディアは『ゴータ綱領批判』の解説で、「資本主義社会から社会主義社会への過渡期における国家をプロレタリア独裁とした」としているが、その記述はうそ。プロレタリア独裁を社会主義への過渡期として位置づけたのはレーニンで、「プロレタリア独裁=共産党独裁」としたのはスターリンや毛沢東であり、まさに共産党独裁政権を維持するためのご都合主義まる出しの解釈である。日本共産党の主張にはしばしば同感することも多いが、「党名から共産をはずせ」という声が共産党支持者の間でも多いのは、「共産党が政権をとると、旧ソ連や今の中国のように、独裁政権を目指すのではないか」という危惧が少なくないからでもある。
話が横道にそれるが、先の参院選で民主党(当時)は大敗したが、共産党は躍進した。日本共産党は「選挙協力が国民から支持された結果だ」と自画自賛の評価をしたが、先の衆院選で議席数が半減するという大敗をしたことについても「選挙協力した結果だ」と、勝った参院選と同じ論理で言い訳した。本来民主主義政党は、選挙の結果責任を執行部が取らなければならない。自民党も55年体制時代の社会党も、選挙で負けたら執行部は責任を取って退陣してきた。議席数を半分も失うという歴史的大敗を喫しながら、執行部だけはのほほんと責任を回避し、衆院選で負けた理由付けを「選挙協力」に求めたため、今夏の参院選での選挙協力が難しくなった。政治思想に哲学がなく、ご都合主義なのは自民党だけでなく、共産党も同じだと断罪せざるを得ない。そうした体質を変えない限り、いまの共産党の一見正論に見える主張も、実は「赤ずきんちゃん」に出てくるおばあさんの仮面をかぶった狼ではないかという疑問を払しょくできないのは、私だけだろうか。
今回のブログも、またかなりの長文になりそうなので本筋に戻る。
アベノミクスの新しい柱として14年6月に閣議決定した成長戦略には、「成果主義賃金制度」が大きな柱として盛り込まれた。連合などの労働側や野党、メディアも「残業代ゼロ」政策だと批判したが、私は先の3回連載のブログで「成果主義賃金制度を日本に定着させるためには欧米型同一労働同一賃金の雇用形態に変えないと無理だ」と主張した。この時点では政府には「同一労働同一賃金」の考えは、頭の片隅にもなかったはずだ。だから、「働き方改革」の最大の柱に「同一労働同一賃金」の導入を据えても、それがどういう結果を生むことになるか、政府もメディアも全く想定していない。私は14年5月の連載ブログ1回目の最後にこう書いた。
「ここで読者に理解していただきたいことは『同一労働』の意味である。アメリカにおける『同一労働』の意味は労働の結果としての成果、つまり会社への貢献度が基準になっているということだ。つまりAさんが10時間働いて生み出した成果と、Bさんが5時間働いて生み出した成果がまったく同じならば、時間当たりの賃金はBさんはAさんの2倍になるということなのである」
さて政府は「同一労働同一賃金制度」をどう考えているか。厚労省のホームページには、こういう記載がある。
「同一企業内において正規雇用労働者と非正規雇用労働者の間で、基本給や賞与などの個々の待遇ごとに、不合理な待遇差を設けることが禁止されます」
なお、正規社員と同じ勤務形態でありながら賃金格差が大きかった非正規社員だけでなく、ここでいう「非正規雇用労働者」の範疇には、パート社員(有期パートも含む)や外国人労働者も含まれる。限りなく欧米型「同一労働同一賃金」の形態に近づくことになる。が、政府は欧米型「同一労働同一賃金制度」導入の、本来なら足かせになるはずの労働基準法を改正しようとはしていない。
実は、成果主義賃金制度の導入を目指していた14年、安倍総理は経済界トプに強く申し入れ、この年大企業は9年ぶりにベースアップを行った。このベースアップについて、私は連載ブログの2回目にこう書いた。
「(ベースアップに)メディアもそろって好感を示した。『憲法違反の賃上げ』だということを知りながら、その指摘さえ行わずに諸手を挙げて支持した。『お前らアホか』と言いたい。『憲法違反の賃上げ』ということを知らなかったとしたら、もっとアホと言わなければならない。
憲法に違反している法律は、言うまでもなく労働基準法である。労働基準法では、賃金の形態を『基準内賃金』と『基準外賃金』に分類している。
基準外賃金のほうから説明しよう。その方がわかりやすいからだ。
労働基準法で基準外賃金の対象とされているのは、主に三つだ。扶養家族手当、住宅手当、通勤手当、である。すべて『属人的要素』つまり個々の従業員の個人的な諸事情に対して支給されている手当で、会社で仕事をした労働力に対する対価として支給される賃金ではない。そういう意味では年齢・学歴・勤続年数を基準にした基本給は、本来『基準外賃金』である。これらの要素は『職務遂行に要する労働力の価値』とは無関係だからだ」
転載があまり長くなると読者が退屈するだろうから、以下要点に絞って書く。おそらく欧米の賃金形態にはこの三つの「基準外賃金」もなければ、年齢・学歴・勤続年数を基準にした基本給などという、時間外労働に対する割増賃金の基準給与はないと思う。実はこの時期、NHKをはじめ大手メディアに私は、欧米の賃金体系と残業代やボーナス、退職金の基準となる給与にはどういう要素が含まれているか調べて報道してほしいと要請していたのだが、どのメディアも私の要請に応じてくれなかった。自分たちにとって都合が悪いからだろうと私は思っている。
だから「働き方改革」で同一労働同一賃金を日本に定着させるには、労働基準法の根本的改正を伴わないと無理なのだ。文言的には厚労省が行政指導しているように、正規・非正規の賃金格差を解消することには私も大賛成だが、そのためには労働基準法の大改正が避けられないし、労働基準法に手を付けずに形式的な正規・非正規の賃金格差の是正を企業に要求しても、企業側は実際の運用に困惑するばかりだろう。
さらに、もっと深刻な事態も想定できる。いくら法律で義務付けても、企業が支払える賃金支給の総額が自動的に増えるわけではない。非正規の賃金を正規並みに引き上げれば、どこかにしわ寄せしなければ企業は給与倒産してしまう。そのしわ寄せがどこに行くか。二つのケースが考えられる。
一つは厚労省が正規・非正規の賃金格差を禁止しているのは「同一企業内」である。子会社や関連企業は別会社だから、親会社の給与形態に縛られる必要がない。そうなると、例えば非正規従業員は子会社や関連会社に移してしまえば、非正規従業員の賃金は親会社の縛りを受けずに済む。いまのところ、おそらく大半の大企業が行うだろう対策は、人材派遣会社を作って、非正規はその人材派遣会社に移す、また新たな採用は親会社ではなく人材派遣会社で行うようにするだろうということだ。大企業がそういう対策をとれば、実質的に賃金格差は解消できない。
もしそういう対策をとらずに、非正規の賃金を正規並みに引き上げる場合、企業はどういう対策をとるか。役立たずの、年功だけで高い給与を支給されている中間管理職が地獄を見ることになる。
かつて、まだ日本経済が「失われた20年」に突入する前の好景気時代に流行語になった言葉がある。「窓際族」だ。ネットで調べると、言葉としては1980年前後の高度経済成長時代からあったようだが、本格的に流行したのはバブル景気の頃だったと思う。まだ終身雇用年功序列が定着していた時代に、役立たずとみなされた中高年社員に対する冷遇扱いの言葉で、要するに窓際にポツンと机だけ置いて仕事は何も与えず、いたたまれなくなって自主退職するのを気長に待つという人事方針の犠牲者を意味した言葉だ。
役立たずの中高年社員でも、その時代の企業には仕事を与えずに年功による高額給与を支給できる余裕があったが、その余裕は若年社員の低賃金によって支えられていた。が、同一労働同一賃金が本格的に導入されると、年功など意味を持たなくなる。おそらく「基本給」という賃金も消滅する。年功だけで高額給与の権利に胡坐をかいていた中高年社員に対して、企業が同一労働同一賃金を厳密に適用するようになれば、彼らの給与は一気に下がる。企業としては有能な若手社員に対して、彼らが企業に提供する労働価値にふさわしい給与を支給して、さらに企業への貢献度を高めるための給与体系にするだろう。企業が支給できる賃金の総額に限界がある以上、有能な若手社員を厚遇するには、そういう賃金体系を導入せざるを得なくなる。そういう時代に突入してから「想定外だった」とほざいても、政治の責任は免れ得ない。政治に哲学がないことによる悲劇が、もうすぐやってくる。
※ 今週末から大型連休に突入するため、次のブログは5月13日に更新する。テーマは若い母子が死亡した痛ましい池袋事故についてである。私自身は70歳になった時点で運転免許を更新しなかった。この事故の全責任は、運転していた87歳の男性にあるのではなく、2年前に免許を更新させた警察機構にある。検察が起訴すべきは警察庁長官だ。尼崎事故ではJR西日本のトップが責任を取って辞任した。民間企業ではトップが責任を取らされるのに、官僚機構ではなぜトップが直接関与していないと責任問題が生じないのか。忖度社会の温存は、そうした実態に根拠がある。
【追記】無事に皇位継承の儀式は粛々と行われた。渋谷をはじめ繁華街には多くに人たちが繰り出し、カウントダウンに参加した。私も自宅で祝杯を挙げながら一人静かにカウントダウンに参加した。
思えば平成の30年間、日本がなんとか平和を維持できたのは、別に平成天皇・皇后のおかげだけでは必ずしもなかったが、皇室外交が昭和の時代での、かつて日本と戦火を交えた国々の日本に対する敵意を少なからず緩和してくれたことは間違いない。そういう意味で、多くの国民とともに、私も平成天皇・皇后に感謝の気持ちを捧げたい。
翻って平成天皇は上皇になられるという。もう、いいではないか。もちろん平成天皇・皇后のお体はこれからも安全のための警護を欠かすべきではないと思うが、皇室からは離脱させてあげてはいかがかと思う。残り、そう長くはないと考えられる平成天皇・皇后は一般人としてもっと自由にこれからの残された人生を楽しんでいただきたいと思う。メディアも、平成天皇・皇后の日常をこれまでのように一挙手一投足を追いかけて報道したりせず、そっとしてあげてほしい。見知らぬ国民と一緒に歩行者天国の街中を散歩されてもいいし、やはり見知らぬ国民と温泉宿の大風呂で裸の会話を楽しまれてもいいのではないか。そんな一般国民と同じ生活の楽しみを、味わうことができるようにしてあげたいと思う。本当にありがとうございました。(5月1日記す)
私はNHKふれあいセンターのスーパーバイザーに、その視点で「米軍基地問題」の報道特集番組をつくってほしいと要請した。スーパーバイザーは「報道部門に伝えます」と確約してくれたが、いまのNHKの報道姿勢から考えて、かなり難しいだろうと思う。とりあえず、この問題を緊急提起しておく。
同一労働同一賃金の問題を検証する前に17日付の朝日新聞が掲載した記事について触れておきたい。記事の見出しは『異端の経済理論、日米で論争「日本の債務、全く過大でない」ニューヨーク州立大・ケルトン教授』。数年前、フランスの経済学者、トマ・ピケティ氏が『21世紀の資本』という600ページを超える本(日本版)を出版し、世界中で大ベストセラーになった。ピケティ理論とは、かいつまんで言うと「高度に発達した資本主義社会では貧富の差が必ず拡大する」という説で、膨大な資料を駆使して自論の正当性を主張したが、資料の扱い方に問題があったようで、いつの間にか話題にもならなくなった。
ピケティ理論は、これもかいつまんで書くと「高度に発達した資本主義社会では、富裕層は余裕資金を株や債券、不動産などに投資するが、投資によって得られる資産の増加率は常に給与所得層の賃金上昇率を上回り、かくして富める者と一般労働者の貧富の差は拡大の一途をたどる。ゆえに格差を是正するには富裕層への累進課税を強化すべきだ」という説である。確かに日本のバブル景気時のように景気の浮揚期にはピケティ理論は当てはまるが、景気の後退局面では富裕層が受ける打撃のほうが大きく、一般論としての妥当性に欠ける。気持ちはわからないことはないし、私もピケティ氏とは別の視点で、少なくとも日本では富裕層への課税強化を行うべきだと考えてはいる。
さて朝日新聞が取り上げた『異端の経済理論』とはMMT(現代金融理論)というもので、ステファニー・ケルトン氏が提唱しているという。MMTは「Modern Monetary Theory」の略で、朝日新聞の解説によると、「独自の通貨をもつ国の政府は、通貨を限りなく発行できるため、財政赤字が大きくなっても問題はない」という考え方が中核で、政府が財政を拡大しすぎることは財政破綻を招きかねないとされてきたが、インフレ率が一定の水準に達するまでは財政支出をしてもかまわないという。ケルトン氏は「巨額債務を抱えるのにインフレも金利上昇も起きない日本がいい例だ」と主張しているらしい。私に言わせれば「赤字国債依存症」患者の日本政府にとってはありがたい味方があらわれたと言えるかもしれない。朝日の記者が「財政赤字を出して何をするのか」と質問したのに対してケルトン氏はこう答えている。
「米国も日本も、人材や資源をフル活用できておらず、私たちは実力よりもだいぶ低い生活水準に甘んじています。財政支出を増やせば失業者が経済活動に戻り、生産量も増えます」。さらに日本については「国内総生産(GDP)比の公的債務は米国の3倍もあるのに、超インフレや金利高騰といった危機は起きていない。自国通貨建ての債務は返済不能にならないと、市場が理解しているからだ」という。アホとちゃうか、この経済学者。
日本の平成30年度の財政状況を見てみよう(財務省による)。歳出総額は98兆円で、内訳は社会保障33兆、地方交付金16兆、公共事業6兆、防衛5兆、教育4兆、その他11兆、借金の返済と利息23兆である。当然歳出に見合う歳入を図る必要があるが、歳入98兆円の内訳は所得税19兆、消費税18兆、法人税12兆、酒税・たばこ税など10兆、新たな借金(赤字国債)34兆である。単純計算すれば、返した借金23兆円に対して新たな借金が34兆円で、差し引き借金が11兆円増えたことを意味する。
財務省のホームページによれば「普通国債」(実態は赤字国債)という名の借金総額は平成30年度末で883兆円に上る見込みで、この額は税収15年分に相当するという。実際には私が手元の電卓で計算したところ、平成30年度の税収総額は64兆円だから、883÷64=13.8年である(私の計算は利息を含んでいないので、利息を含めると財務省が試算したように返済に15年かかるのかもしれない)。言っておくが、この計算は税収をすべて返済に回したとしての話で、歳出はゼロという前提である。例えば家計を借金で賄っていた場合、お金を1円も使わない原始人的生活をしたとしても借金の返済に13.8年かかるという意味だ。身の毛がよだつ様な話ではないか。
ケルトン氏がアホなのは、「財政出動すれば生産が増え、失業率も改善して税収が増えるから、いずれ借金は返せる」と錯覚しているからだ。確かに日本はいま空前の低失業率で有効求人倍率はほぼすべての都道府県で対前年比プラスだ。ではその結果、借金が減ったかというと、かえって11兆も増えている。さあ、ケルトンさんよ、この日本財政の実態をどう説明する?
借金を減らす方法は二つしかない。一つは税収を増やし、歳出を削減することだが、そのためには国民総所得が増大しなければならない。厚労省のバカな役人がデータをねつ造して労働人口の平均賃金が上昇しているかのような報告書を書いて国会で問題になっているが、確かに外国人労働力に頼らなければならないほど、いまの日本は人手不足状態が続いているが、実質平均賃金は減少の一途をたどっている。増えた雇用は平均賃金を押し下げる「効果」をもたらす非正規雇用や主婦のパート、定年退職者の再雇用などで、これらの労働人口の賃金は正規社員の賃金を大幅に下回るため、雇用は増えても平均賃金は下がる。しかし、データのねつ造問題は別としても、労働人口の総所得は増大しているのに、それが消費に回っていない。少子化と高齢化で、将来に不安を持つ人たちが多いため、増えた所得が消費には回らず、貯蓄に回ってしまうからだ。その結果、国民金融総資産だけは増え続け銀行を困らせている。豊富な資金を運用したくても、優良な貸出先が見つからず、不動産関連融資と消費者金融事業を収益を上げるための二本柱にせざるを得なくなっているのが銀行経営の現状だ。マイナス金利で銀行をいじめておきながら、自分の責任を棚に上げて日銀は、いま銀行の不動産関連融資の増大に警鐘を鳴らしている。銀行の穴(けつ)の穴(あな)くらい、日銀が拭いてやれよ。
だから税収を増やす方法は通常の経済活動の活性化に頼るのではなく、ピケティ氏が提唱したように富裕層への課税強化を行う以外方法はない。またロシアとの交渉で、北方領土問題とのセットをやめて平和条約締結を先行し、日本の安全保障環境を改善して防衛予算を大幅に削減することだ。アメリカのご機嫌は損なうだろうが、ロシアと平和友好関係を構築すれば、日本は「アメリカの核の傘」神話に頼らなくても安全保障環境は劇的に改善する。
だが、税収増と歳出減だけでは、気が遠くなるような借金の返済は困難を極める。その場合の最終的手段はケルトン氏がハチャメチャな理論を展開したように、通貨発行量をべらぼうに増やして通貨の価値を下落させ、見かけ上の借金額の実質的負担を大幅に減らしてしまうことだが、そんなことをやれば日本の国際的信用は地に落ちる。そもそも政治に哲学がないから、借金を重ねても何とかなると、日本の政治家はホントに思い込んでいるようだ。アベノミクスが日本を地獄の底に陥れようとしている実態は、そういうことを意味している。お分かりかな、この論理。
さて「働き方改革」の柱ともいえる「同一労働同一賃金」問題の検証に移る。前回のブログで、高度プロフェショナル制度の前身は、5年ほど前に政府が導入を進めてきた「成果主義賃金制度」にあることは書いた。そして私は14年5月21日から23日まで3日連続で『「残業代ゼロ」政策(成果主義賃金)は米欧型「同一労働同一賃金」の雇用形態に結び付けることができるか』と題したブログを書いた。このブログを読み返してみて、我ながら、ここまでよく考察したなと自分で感心している(年寄りの自画自賛)。ウソだと思うなら、「記事一覧」で探して読んでみてほしい。ただ、この時点では気づいていなかった視点がある。それは「働き方改革」の最大の柱となる同一労働同一賃金には社会主義型と資本主義型(欧米型)の2種類があり、私は欧米型を前提として書いているが、実は表面的な文字の羅列を見る限り、社会主義型と資本主義型は全く同じなのである。というのは、近代資本主義社会がまだ黎明期だった時代の1875年5月にカール・マルクスが自著『ゴータ綱領批判』のなかで、社会主義社会と共産主義社会における生産と分配の関係について、こう主張しているからだ。
社会主義の段階では「各人は能力に応じて働き、労働に応じて受け取る」が、共産主義の段階になると「各人は能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」ようになると、マルクスは定義している。この定義の、とくに社会主義段階での「各人は能力に応じて働き、労働に応じて受け取る」という生産と分配の関係については、ケインズ学派の経済学者も否定しないだろう。ただ、かつての日本や現代の韓国のように学歴社会の国では「各人は学歴に応じて働き、職位に応じて受け取る」という傾向が強くみられるが、終身雇用年功序列型賃金体系が「親方日の丸」企業を除いて徐々に崩壊しつつある日本では、『ゴータ綱領批判』でのマルクスの社会主義の段階での生産と分配の関係を、言葉の上では否定する人はいないと思う(※)。ただ、社会主義の国と欧米型資本主義の国とでは、この定義の前半の部分は共通の理解があると考えてもいいが、後半の部分「労働に応じて受け取る」の解釈が大きく異なる。少なくともスターリンが支配した旧ソ連や毛沢東時代の中国では「労働=働いた時間」という基準認識が強く、またGHQが進めた戦後の日本社会の民主化にも、実は社会主義的「生産と分配」の考え方が強く反映された。高度経済成長時代を経て日本がGDPでアメリカに次ぐ世界2位の位置に昇り詰めていく過程では、「日本は世界で最も成功した社会主義国家」という評価が世界的に定着し、大企業でも経営トップと新入社員の給料格差は驚くほど少なかった。当時の日本は、おそらく世界一格差が少ない社会だったと思う。この格差の少なさが国内での国民共通の夢「三種の神器」や「3C」需要を生み、その結果、国内市場が短期間に大きく広がり、日本の急ピッチの高度経済成長を支えてきた。
(※ 実際19日、経団連の中西会長が首相官邸で記者団に対して、大学側との議論の結果を踏まえ「日本の企業は今後、終身雇用を継続することは困難」という認識を示した。だが、肝心の年功序列型賃金体系については言及せず、そのことへの記者団からの追求もなかったようだ。日本のメディアに対する国際的評価が低いのも宜なるかな?)
なお、ウィキペディアは『ゴータ綱領批判』の解説で、「資本主義社会から社会主義社会への過渡期における国家をプロレタリア独裁とした」としているが、その記述はうそ。プロレタリア独裁を社会主義への過渡期として位置づけたのはレーニンで、「プロレタリア独裁=共産党独裁」としたのはスターリンや毛沢東であり、まさに共産党独裁政権を維持するためのご都合主義まる出しの解釈である。日本共産党の主張にはしばしば同感することも多いが、「党名から共産をはずせ」という声が共産党支持者の間でも多いのは、「共産党が政権をとると、旧ソ連や今の中国のように、独裁政権を目指すのではないか」という危惧が少なくないからでもある。
話が横道にそれるが、先の参院選で民主党(当時)は大敗したが、共産党は躍進した。日本共産党は「選挙協力が国民から支持された結果だ」と自画自賛の評価をしたが、先の衆院選で議席数が半減するという大敗をしたことについても「選挙協力した結果だ」と、勝った参院選と同じ論理で言い訳した。本来民主主義政党は、選挙の結果責任を執行部が取らなければならない。自民党も55年体制時代の社会党も、選挙で負けたら執行部は責任を取って退陣してきた。議席数を半分も失うという歴史的大敗を喫しながら、執行部だけはのほほんと責任を回避し、衆院選で負けた理由付けを「選挙協力」に求めたため、今夏の参院選での選挙協力が難しくなった。政治思想に哲学がなく、ご都合主義なのは自民党だけでなく、共産党も同じだと断罪せざるを得ない。そうした体質を変えない限り、いまの共産党の一見正論に見える主張も、実は「赤ずきんちゃん」に出てくるおばあさんの仮面をかぶった狼ではないかという疑問を払しょくできないのは、私だけだろうか。
今回のブログも、またかなりの長文になりそうなので本筋に戻る。
アベノミクスの新しい柱として14年6月に閣議決定した成長戦略には、「成果主義賃金制度」が大きな柱として盛り込まれた。連合などの労働側や野党、メディアも「残業代ゼロ」政策だと批判したが、私は先の3回連載のブログで「成果主義賃金制度を日本に定着させるためには欧米型同一労働同一賃金の雇用形態に変えないと無理だ」と主張した。この時点では政府には「同一労働同一賃金」の考えは、頭の片隅にもなかったはずだ。だから、「働き方改革」の最大の柱に「同一労働同一賃金」の導入を据えても、それがどういう結果を生むことになるか、政府もメディアも全く想定していない。私は14年5月の連載ブログ1回目の最後にこう書いた。
「ここで読者に理解していただきたいことは『同一労働』の意味である。アメリカにおける『同一労働』の意味は労働の結果としての成果、つまり会社への貢献度が基準になっているということだ。つまりAさんが10時間働いて生み出した成果と、Bさんが5時間働いて生み出した成果がまったく同じならば、時間当たりの賃金はBさんはAさんの2倍になるということなのである」
さて政府は「同一労働同一賃金制度」をどう考えているか。厚労省のホームページには、こういう記載がある。
「同一企業内において正規雇用労働者と非正規雇用労働者の間で、基本給や賞与などの個々の待遇ごとに、不合理な待遇差を設けることが禁止されます」
なお、正規社員と同じ勤務形態でありながら賃金格差が大きかった非正規社員だけでなく、ここでいう「非正規雇用労働者」の範疇には、パート社員(有期パートも含む)や外国人労働者も含まれる。限りなく欧米型「同一労働同一賃金」の形態に近づくことになる。が、政府は欧米型「同一労働同一賃金制度」導入の、本来なら足かせになるはずの労働基準法を改正しようとはしていない。
実は、成果主義賃金制度の導入を目指していた14年、安倍総理は経済界トプに強く申し入れ、この年大企業は9年ぶりにベースアップを行った。このベースアップについて、私は連載ブログの2回目にこう書いた。
「(ベースアップに)メディアもそろって好感を示した。『憲法違反の賃上げ』だということを知りながら、その指摘さえ行わずに諸手を挙げて支持した。『お前らアホか』と言いたい。『憲法違反の賃上げ』ということを知らなかったとしたら、もっとアホと言わなければならない。
憲法に違反している法律は、言うまでもなく労働基準法である。労働基準法では、賃金の形態を『基準内賃金』と『基準外賃金』に分類している。
基準外賃金のほうから説明しよう。その方がわかりやすいからだ。
労働基準法で基準外賃金の対象とされているのは、主に三つだ。扶養家族手当、住宅手当、通勤手当、である。すべて『属人的要素』つまり個々の従業員の個人的な諸事情に対して支給されている手当で、会社で仕事をした労働力に対する対価として支給される賃金ではない。そういう意味では年齢・学歴・勤続年数を基準にした基本給は、本来『基準外賃金』である。これらの要素は『職務遂行に要する労働力の価値』とは無関係だからだ」
転載があまり長くなると読者が退屈するだろうから、以下要点に絞って書く。おそらく欧米の賃金形態にはこの三つの「基準外賃金」もなければ、年齢・学歴・勤続年数を基準にした基本給などという、時間外労働に対する割増賃金の基準給与はないと思う。実はこの時期、NHKをはじめ大手メディアに私は、欧米の賃金体系と残業代やボーナス、退職金の基準となる給与にはどういう要素が含まれているか調べて報道してほしいと要請していたのだが、どのメディアも私の要請に応じてくれなかった。自分たちにとって都合が悪いからだろうと私は思っている。
だから「働き方改革」で同一労働同一賃金を日本に定着させるには、労働基準法の根本的改正を伴わないと無理なのだ。文言的には厚労省が行政指導しているように、正規・非正規の賃金格差を解消することには私も大賛成だが、そのためには労働基準法の大改正が避けられないし、労働基準法に手を付けずに形式的な正規・非正規の賃金格差の是正を企業に要求しても、企業側は実際の運用に困惑するばかりだろう。
さらに、もっと深刻な事態も想定できる。いくら法律で義務付けても、企業が支払える賃金支給の総額が自動的に増えるわけではない。非正規の賃金を正規並みに引き上げれば、どこかにしわ寄せしなければ企業は給与倒産してしまう。そのしわ寄せがどこに行くか。二つのケースが考えられる。
一つは厚労省が正規・非正規の賃金格差を禁止しているのは「同一企業内」である。子会社や関連企業は別会社だから、親会社の給与形態に縛られる必要がない。そうなると、例えば非正規従業員は子会社や関連会社に移してしまえば、非正規従業員の賃金は親会社の縛りを受けずに済む。いまのところ、おそらく大半の大企業が行うだろう対策は、人材派遣会社を作って、非正規はその人材派遣会社に移す、また新たな採用は親会社ではなく人材派遣会社で行うようにするだろうということだ。大企業がそういう対策をとれば、実質的に賃金格差は解消できない。
もしそういう対策をとらずに、非正規の賃金を正規並みに引き上げる場合、企業はどういう対策をとるか。役立たずの、年功だけで高い給与を支給されている中間管理職が地獄を見ることになる。
かつて、まだ日本経済が「失われた20年」に突入する前の好景気時代に流行語になった言葉がある。「窓際族」だ。ネットで調べると、言葉としては1980年前後の高度経済成長時代からあったようだが、本格的に流行したのはバブル景気の頃だったと思う。まだ終身雇用年功序列が定着していた時代に、役立たずとみなされた中高年社員に対する冷遇扱いの言葉で、要するに窓際にポツンと机だけ置いて仕事は何も与えず、いたたまれなくなって自主退職するのを気長に待つという人事方針の犠牲者を意味した言葉だ。
役立たずの中高年社員でも、その時代の企業には仕事を与えずに年功による高額給与を支給できる余裕があったが、その余裕は若年社員の低賃金によって支えられていた。が、同一労働同一賃金が本格的に導入されると、年功など意味を持たなくなる。おそらく「基本給」という賃金も消滅する。年功だけで高額給与の権利に胡坐をかいていた中高年社員に対して、企業が同一労働同一賃金を厳密に適用するようになれば、彼らの給与は一気に下がる。企業としては有能な若手社員に対して、彼らが企業に提供する労働価値にふさわしい給与を支給して、さらに企業への貢献度を高めるための給与体系にするだろう。企業が支給できる賃金の総額に限界がある以上、有能な若手社員を厚遇するには、そういう賃金体系を導入せざるを得なくなる。そういう時代に突入してから「想定外だった」とほざいても、政治の責任は免れ得ない。政治に哲学がないことによる悲劇が、もうすぐやってくる。
※ 今週末から大型連休に突入するため、次のブログは5月13日に更新する。テーマは若い母子が死亡した痛ましい池袋事故についてである。私自身は70歳になった時点で運転免許を更新しなかった。この事故の全責任は、運転していた87歳の男性にあるのではなく、2年前に免許を更新させた警察機構にある。検察が起訴すべきは警察庁長官だ。尼崎事故ではJR西日本のトップが責任を取って辞任した。民間企業ではトップが責任を取らされるのに、官僚機構ではなぜトップが直接関与していないと責任問題が生じないのか。忖度社会の温存は、そうした実態に根拠がある。
【追記】無事に皇位継承の儀式は粛々と行われた。渋谷をはじめ繁華街には多くに人たちが繰り出し、カウントダウンに参加した。私も自宅で祝杯を挙げながら一人静かにカウントダウンに参加した。
思えば平成の30年間、日本がなんとか平和を維持できたのは、別に平成天皇・皇后のおかげだけでは必ずしもなかったが、皇室外交が昭和の時代での、かつて日本と戦火を交えた国々の日本に対する敵意を少なからず緩和してくれたことは間違いない。そういう意味で、多くの国民とともに、私も平成天皇・皇后に感謝の気持ちを捧げたい。
翻って平成天皇は上皇になられるという。もう、いいではないか。もちろん平成天皇・皇后のお体はこれからも安全のための警護を欠かすべきではないと思うが、皇室からは離脱させてあげてはいかがかと思う。残り、そう長くはないと考えられる平成天皇・皇后は一般人としてもっと自由にこれからの残された人生を楽しんでいただきたいと思う。メディアも、平成天皇・皇后の日常をこれまでのように一挙手一投足を追いかけて報道したりせず、そっとしてあげてほしい。見知らぬ国民と一緒に歩行者天国の街中を散歩されてもいいし、やはり見知らぬ国民と温泉宿の大風呂で裸の会話を楽しまれてもいいのではないか。そんな一般国民と同じ生活の楽しみを、味わうことができるようにしてあげたいと思う。本当にありがとうございました。(5月1日記す)