小林紀興の「マスコミに物申す」

第三の権力と言われるマスコミは政治家や官僚と違い、読者や視聴者の批判は一切無視、村社会の中でぬくぬくと… それを許せるか

石田純一はなぜ都知事選から降りた。 「不倫は文化」で「戦争は文化ではない」という彼の思考法では勝てるわけがない。

2016-07-12 01:29:38 | Weblog
 俳優の石田純一氏が都知事立候補を断念した。
 立候補するのも辞めるのも、誰かに強制されたのでなければ自由である。石田氏は立候補の条件として、「野党4党の統一候補になれれば」と虫のいい条件を付けた。もっともその条件は立候補する意思があると述べたときに最初からつけた条件ではなかった。途中から「後出しジャンケン」でつけた条件だった。
 石田氏より、最初から泡沫立候補した人もたくさんいたから、石田氏が「後出しジャンケン」で立候補し、石田氏が後出しで出したジャンケンの後いろいろなジャンケンが飛び出して、結局最後の「後出し」にならなかったため立候補しても勝ち目がないと判断したのだろう。賢明な判断だったと言えなくもない。
 が、ちょっと引っかかることがあった。石田氏は1年ほど前国会周辺を取り囲んだ安保法制反対のデモに参加して、演説カーの壇上でこう叫んだ。
「戦争は文化ではない」と。
 彼が前夫人と婚姻中に不倫が発覚してマスコミから追及されたとき「不倫は文化だ」とうそぶいた。タレントの居直り発言としては歴史に残る「迷言」だったが、「不倫は文化」と居直った石田氏にはマスコミから猛烈な反発が生じた。が、石田氏はこの発言についてこう弁明した。「人に感動を与える小説や映画などの文化のテーマの多くは不倫だ。別に不倫がいいと言っているわけではない」。
 石田氏のこの言い訳と安保法制反対のときに叫んだ「戦争は文化ではない」を対比してみよう。
 実は人に与える小説や映画などの文化のテーマは、不倫と戦争の悲劇とどちらが多いか。不倫小説で世界的に有名なのは「チャタレー夫人」だが、小説や映画の世界で人類に大きな衝撃を与えてきたのは不倫よりはるかに悲惨な戦争の実態を描いた作品だ。
「不倫は文化だが、戦争は文化ではない」とはどういう価値観を分岐点にしているのか。アホはアホでしかない、という歴然たる証拠だ。
 第一、石田氏は「野党4党の統一候補」を途中から都知事選立候補の条件に付けたが、参院選で野党4党が32の1人区で統一候補を立て、統一の条件として「安保法制の廃絶」を掲げたことから、安保法制の運動に参加したことで都知事選の統一候補になる資格が生じたと思ったようだ。
 が、バカも休み休み言え。都知事選で安保法制が争点になるわけがないではないか。安保法制は国の政策であり、安保法制を廃絶したかったら参院選に立候補すべきだった。仮に石田氏が都知事になれたとしても、都議会決議で安保法制を廃止することが出来るとでも思っていたのか。今年から選挙権を得た18歳以上の若者でも、そんな荒唐無稽なことは考えもしない。
 都知事選はまだ立候補者も決まっていない状況で、石田氏が「何が何でも安保法制を潰したい」という気持ちは私も分からないではない。かく言う私自身がこれまでブログで何回も(おそらく10回以上)安保法制に反対の意見を述べてきた。
 が、安保法制は都議会で採決・成立した法案ではない。都は、都として抱えている大きな問題が山積みしている。オリンピックを誘致したため、都のインフラ整備に膨大なカネがかかる。自公内閣は都心への一極集中を避けべきと地方創成を掲げながら、実際には東京都への一極集中を促進する政策を行っている。今次参院選で大勝した安倍内閣は「アベノミクスの成果の地方への波及」を主張し始めたが、一方で東京集中の政策を行いながら、どうやって地方の再生をやるのか。
 石田氏が都知事に立候補したことにケチをつけるつもりはない。が東京が抱えている問題は安保法制ではない。東京都への一極集中によって生み出される地方との格差。高齢者や若者たちが生活の利便性を求めて東京に一極集中したことで生じる老人介護や子育て問題の負担をどうやって解決するのか。また現役世代が東京に一極集中することによって、ますます生じる正規・不正規労働者の格差問題。かつて安倍内閣が格差問題を解決しようとして出来なかった「成果主義賃金制度」と名前だけ変えた「同一労働・同一賃金」――年功序列賃金体制を温存したままで格差是正が可能なのか。
 少なくとも野党統一候補として石田純一氏が都知事を目指すなら、安保法制よりアベノミクスが生んだ都市と地方の格差、正規・不正規労働者の格差の解消、高齢者福祉と子育て支援という二兎を追うごとき政策の矛盾をどうやって解決するかを訴えていれば、都民は石田氏の知名度ではなく、彼の都政に対する真摯な思いを受け止めていただろう。そうすれば、石田氏が自ら野党4党に支援を依頼しなくても、石田氏を支援しない野党は都民から見捨てられるという危機感から、黙っていても野党の統一候補になれていただろう。単純な「熱い思い」だけで都政を変えられるものではない。