さんでんじです。

ブログで思いのまま、自分なりの感想も含めて、発信します。

1月25日 高知の宿、三翆園にて。

2007-01-31 19:17:23 | Weblog
ちょっと時間を潰して4時前、宿に戻る。すぐに風呂へ。妻と、外で落ち合う時間を50分後に設定して、それぞれの風呂場に向かう。私は、男湯ののれんをくぐる。今日は賑やかだ。

浴室に入り、掛け湯をしながら見渡すと、もう7~8人がいた。しばらくすると、どんどん人が増えて、30人近くになった。60代を過ぎた方が、ほとんどだった。皆さん、お水はしっかり飲みましたか。まさかビールなど、入浴前のアルコールは絶対禁物ですよ。と、心配になるお年の方ばかり。しかし30分も経つと、ほとんどが出ていった。事故もなくて、よかった。その隙をみて、誰もいない外の風呂場で、腕立て伏せ。なんとかノルマをこなす。

風呂から出て、待ち合わせのホールに行くと、すでに妻はマッサージ機に身を任せていた。かなり疲れた様子。ここは缶ビールの自動販売機があります。うれしいです。ただし、アサヒのスーパードライだけだけど。キリンビールの営業マンの方、もっと旅館に一番搾りを売り込んでください。ひとくち、飲んで、渡す。妻も、ごくり。風呂上がりの一杯は、どのビールでもおいしいんだけどね。ご年配のおばさん達が独特の賑やかで、10数人通り過ぎていった。どうりて。

今日は刺身がメインだったので、今日は土佐牛のステーキがメインということだった。口に運んだ妻が、ひとこと。冷めてる。でも冷めていても、おいしいもん。寿司に、照り焼きに、あら煮、てんぷら。どれもこれも、おいしゅうございました。高知の味が、十分に堪能できました。お酒飲みながら、ご飯もけっこうお代わりしたもの。

就寝前の、入浴を、妻は辞退した。今日の風呂の混み具合が、よほど嫌だったらしい。私は、さっと済ませ、缶ビールを買って、部屋へ戻る。明日は、帰途につくのだから。

1月25日 高知市内の散策。

2007-01-30 20:40:07 | Weblog
朝8時過ぎに、朝食の会場へと行ったが、広いホールは閑散としていた。昨日の風呂場を考えれば平日だし、そんなに客はいないのか。ひじきの煮物、スクランブルエッグ、ベーコン、鮭の切り身、温泉卵、サラダ、納豆などなど、別にこれだけ揃っていれば文句はない。妻は、温泉卵、つまり半熟卵のぐにゅっというのがキライだ。むろん納豆にも手を付けない。痩せるのにね。捏造発覚があったばかりか。でもカラダにいいんですよ、納豆は。

部屋へ戻ってテレビを見ながらくつろいでいると、ノックがあった。何時頃に出られますかと。連泊だからゆっくりさせてよ、と言いたかったが、10分後にと告げた。いろいろ掃除や片づけの手順があるのだろう。とりあえず宿を出て、すぐそばの木曜市の場所へと向かう。

簡易屋台の中に、色とりどりの野菜や果物、惣菜に、切り花。さすが南国土佐。見ているだけでも楽しい、とりわけ色彩が鮮やかだ。この市は、曜日ごとに場所を変えて、ほとんど毎日開催しているらしい。土曜日だけは、なかったっけ。なかでも日曜市は結構な賑わいを見せるらしい。買物客と店の主人との会話の様子から察すると、暮らしに根ざし、しっかりと台所を支えている雰囲気だ。スーパー、コンビニなんかより、風情があるし、何よりも人情、人と人の心が通い合っている。妻が品定めをする真剣な目を見れば、わかるもの。本当に、買いたそう。

さて歩き出すと、どこという当てもないが、見上げれば城が見える。あそこへ、行こ。ぶらりぶらりと歩きながら、本屋に立ち寄った。高知県の地図を買う。でも、私はとにかく、トイレに行きたい。城への門をくぐると、やはりあった。ほっとする。

階段嫌いの妻も、少しずつゆっくり昇る。途中城壁の工事現場がある。解体した壁の岩を、またはめることになるはずだ。パズルのようで、さぞ楽しかろ。なんてね。ほぼ一番上まで来た。まるで天上の小さな公園。天気も良く、風も吹かない。心地よい。この下の層を見やると、体操する初老の人がいる。またひとり、そんな年代の人が走りながら昇ってきた。コースだ。ここはジョギングには最適ですね。さて、まだ天守閣があるが、ここはパス。

城からの景色をひとしきり堪能して降りる。文学館がある。りっぱだ。造りも城とマッチしている。駒場東大そばの世田谷文学館なんか木造で、歩くとぎしぎし音が鳴ったもの。続いて図書館に入る。高知市街の探索マップをゲット。図書館って、お持ち帰りできるパンフレットなんかが結構あって、重宝します。

その地図をたよりにアーケード街へと向かう。ひろめ市場。なんだろう、入ってみる。まるで室内屋台みたいになっていて、いろいろな店が定食やら、ドリンクやらを出している。定食、安い。のどが渇いた妻は、ペットボトルのドリンクを買った。でもよく見ると、ビールを飲んでいる人もいる。ちょうど飯時の後半。ま、いいのか。酔いつぶれの高知だもんね。

はりまや橋へ行き、広い公園に出る。ちょっと休む。すぐ向こうに将棋をする人がいる。まさか象牙ではないだろうが、おそらく白っぽいプラスチックの駒だ。城の麓の公園でも、そんな人たちが多かったが、縁台将棋ならぬ、公園将棋、いいですね。初老の人たちが多かったけど、頭を使うことはボケ防止、いえ認知症防止にいいことです。2、3、見ただけだけど、居飛車ばかりだった。三間、四間、中飛車、まして向飛車。高知の人は気をてらう戦法をとらないのかも。私は社会人になってから2年後に、将棋も麻雀も葬り去った。しかし、このように顔を突き合わせて、おなじ局盤を見ながら頭を絞る。もう一度、やってみようかななどと。これがニンテンドーDSだったら、風情もなにもかもぶち壊しだよね。駒を手で動かし、お互いの息遣いの伝わるアナログ、絶対いいかも。

こんな光景は大分では、見かけなかったもの。高知では、人それぞれに着々と力を蓄えている、そんな気がした。でも、がんばれ大分。城下かれい、ふぐ、関さば、関あじ、以外にもおいしいもの、いっぱいあるんだからね。温泉、あるんだから。高知は、寂れる一方と土地の人はいうけれど、今も日々、力を蓄えて、鍛えている。

1月24日 高知の宿へ向かう。

2007-01-30 15:06:15 | Weblog
地図で旅館までは距離があるので、タクシーを利用する。私たちは乗り込んで、先に書かれた住所を言い、最後に旅館の名前、三翆園の名前を告げた。

そこやったら名前だけでも、わかります。有名ですから。と、運転手は言った。高知市内で唯一の温泉のあるところだから、やっぱり。もうひとつの旅館の名前も言って、ここは天皇陛下も泊まらはるところやからと。つまり高知で一二を競うところらしい。そして、さらに言った。

高知はさびれる一方ですわ、と。あそこは西武百貨店があったところですわ。さらに、市電が行き交いする交差点を右折すると、オリエンタルホテルは撤退しましたわ、と。その場所は、塀に囲まれている。ビル工事の気配もない。かつてあったものがなくなり、ただの空間だけとは本当に虚しいものだ。

タクシーは宿に到着した。古い木の門が横にあり、近代的な建物とは対照的だ。入ると、女の子のキャラクターが。ちよちゃん。武士のキャラクターには、かずとよくん。ん、ん、ん。功名が辻。山内一豊が、土佐の城主だったとは、考えもしなかった。じゃー大河ドラマ、終わったばかりだし、高知は賑わっているだろうに。

部屋はゆったりの洋室。食事はソファーのテーブルに部屋出ししてくれる。妻は内心、ホッとした。もう余計な話し声は聞こえない。洋室だから、食事も正座をすることはない。前に琴平へ旅したときは、1日2度の正座が2日間、音を上げたもの。ただし朝食は7時から8時30分までのバイキング形式。ま、いいか。早速、風呂入って、別府のようにかけ流しとはいかないけど、ここは温泉。そして食事へと。ここの大浴場でも飲み水を用意していた。さすが、ここは混んでいる。団体さんが多いらしい。

食事は、さすが高知と言うものだった。妻とともに、これはなに、これはあれ、などと話が弾んだ。なかでも、うつぼのたたきがあるなんて、知らなかった。もちろん、かつおも、まぐろもある。煮物、焼きもの、大満足。鮭なんて、出なかったから。熱燗2本がちょうど良かった。1本7勺位らしいけど。食った食ったで、2時間経って再び温泉へ。夜の12時まで、というのが残念だけど。妻は、星がきれいだったと言った。あちらは上の階で、屋根無しの露天風呂だものね。ちょっと残念。でも、満足してくれればそれでいい。

1月24日 別府から、高知へ。その2

2007-01-30 10:04:19 | Weblog
フェリーは宿毛に着岸。ここからくろしお鉄道の宿毛駅まで、歩くつもりだった。バス停横のトイレに入る。外から妻の話し声が、聞こえる。バスの発車時刻は過ぎたのだが、船の到着も遅れたこともあり、私を待ってくれるらしい。杵築でも、発車間際におばあさんがもう出ますか、と運転手に聞いたとき、ああいいよ、としばらく待っていた。都会なら、フンと発車してしまうのに。こんなゆとり、やさしさがうれしい。

バスは宿毛駅に到着。だだっ広い場所に、デーンと駅舎がある。きれいな駅舎だ。中に入ると、野菜や鮮魚が並んでいる。さっそく妻は品定め。旅行じゃなく、家が近くだったら絶対買う、魚や野菜が安いよ、と。どれもこれもが輝いてみずみずしいものばかり。地元の人が、うらやましい。

改札のアナウンスがあって、ホームへ昇る。うん、なんともない、跡もない。かつて、この駅では列車が激突して、運転手が亡くなった事故があったはずなのだが、そのことは妻には黙っておいた。ホームの電車、なんとアンパンマン列車。子供なら喜びそうだけど、私たちには、ちょっと恥ずかしい。

その列車に乗り込んで、別府で買い求めたカボスドリンクを飲む。カボス特有の強い香りが漂い、ちょっと酸味が効いているが、それをはちみつがやわらかく包んでいる、ほんのり甘くおいしい。妻は、これが3本目だった。東京にあれば、私もきっと買っている。やみつきになりそうな味わいだ。

そのアンパンマン列車は、宿毛14時48分発L特急南風24号岡山行。高知の到着予定は16時55分。2時間ちょっとの旅。駅舎の周囲では、土地の造成をしているのだろうか、道路工事が行われている。列車は、駅舎を出て、すぐにトンネルに入った。まさか、もうないと思うけど、無事に走ってね。

途中の窪川駅停車中に、妻が窓の外を見ていった。アンパンマン列車を見に来ているんだ、と。そっちを見ると、線路向こうの住宅道路沿いに男女5人くらいがこちらを見ている。みんな大人。子供は見当たらない。まさかね。しばらくして車が1台、その家族の直ぐそばで停車した。2人ほど出てきて、また並んだ。そうか、見送りなんだ。まだ列車は停車している。彼らは所在なさそうに話し合ったり、ふざけたり。その内、お年寄りの方も出てきて総勢10人ぐらいになった。列車が動き出す。私たちの後方に向かって、みんなが一斉に手を振りはじめた。元気で。からだに気を付けて。はちきれない笑顔がそう言っている。どこまでいくのだろうか、こんなに温かい故郷を離れて。

ここも単線。山あいを抜け、川を越え、海をチラリと見ながら、ただただ列車は走る。そのうち列車は時間をおかずに停車するようになった、高知が近づく。線路の横に高架がズラリと並びだした。ここも大分と同じで、線路を上に揚げるらしい。完成間近かの様子。列車はするりと高架の柱を抜けて駅に滑り込む。高知、到着。

1月24日 別府から、高知へ。その1

2007-01-29 19:54:49 | Weblog
昨日、3度目の夕食、数々出される料理のひとつに、小さな鍋ものだが、やっとだんご汁が登場した。初日はチゲ鍋。二日目はすき焼。素朴で決して贅沢な味わいではないが旨かった。これが初日に出ていたら、もっと印象は変わったろうに。仲居さんが、あまりお話をなさらないのですね、と言っていたけど、土地らしさが感じられなくて言葉がなかったから。それと今日の朝食の味噌汁はおいしかった。具に肉厚のしいたけが入っていて、香りが深く、味わいもどっしり。大分のしいたけは旨い。これも天ぷらに加えて欲しかったな。温泉も十分に堪能したし、概ね満足。妻も、同じ意見だった。

別府8時50分発のにちりん宮崎空港行きに乗車する。喫煙できる自由席に。30分に駅に入ったが、もうすでに列車は到着している。この駅が始発だったのだ。どうりて車内はガラン。私たちだけ。空いているんですね、と車掌さんに話しかけると、大分と延岡から混み出しますから、と。気さくそうな人。土地の人には何故か優しさ、親しみやすさを感じるから不思議。私たちは、佐伯で降り、そこからフェリーで宿毛に渡る。発車する頃には、5~6人が乗り込んでいた。

大分を過ぎ、市街地を抜けると日豊本線は単線となる。山あいを抜けて臼杵に到着。妻が窓の先を指さす。前はここから鉄道があったのかしら、と。その方向の駅の案内表示に、JR○○線の○○に白い紙が貼られている。廃線か。赤字路線の切り捨てで、また不便が生じて、人が去っていくのだろうか。その廃線跡を歩いてみたい気持ちになった。

津久見を過ぎて10時5分、佐伯に到着。フェリーの出航は11時。時間あるけど、どうする、と妻に言ったけど、結局は港に向かうことにする。フェリー乗り場も閑散としていた。それほど乗客は多くない。乗車待ちの自動車も5~6台だったから。やがて乗車の案内が出て、船に乗り込む。30数年前にこのフェリーで、宿毛から佐伯に渡ったことがある。学生時代だった。

汽笛が鳴り、窓からの風景が少しずつ動き出す。いよいよ出航、宿毛には14時に到着予定、3時間の船旅だ。南側の海は輝いている。黄金の海だ。かつて学生時代、須磨から垂水に向かう列車から、海沿いを見たときを思い出した。輝く海面の中で、小さな黒い影が揺らいでいる。漁に向かう漁船なのか。ここではその輝きを遮るものがない。ただただ、美しい。

しばらくして二人で甲板に出る。風はあるが寒くはない。いい天気だ。陸地から連なる半島が見える。漁船がフェリーを追い越していく。少しは揺れるが海は穏やかだ。九州がだんだんと遠ざかっていく。おいしかったよ。でも、もっとがんばれ別府温泉。がんばれ大分。いいところ、いっぱいあるんだから、もっとアピールしなきゃだめじゃん。

船室に戻りごろっと横になると、私たちはしばしの眠りについた。

1月23日 素敵でした、坂道の城下町。

2007-01-29 13:40:32 | Weblog
昨年の大分を訪れたときに、杵築の城下町、行ってみるといいですよ、と聞かされていたので、行くことにする。10時49分発の特急で杵築までひと駅。

駅舎前の木製の燈籠から、案内パンフレットを取り出し、杵築バスターミナル行のバスに乗り込む。料金190円。JR杵築駅付近ではまばらだった民家も、市街地に入ると住宅は密集している。駅と市の中心部は、結構離れているのだ。バスは、杵築地場の野菜、特産品、海産物などを販売している、ふるさと産業館近くのターミナルに到着。

妻と一緒に、パンフレットのイラスト地図をたよりに歩き出す。城山公園に差し掛かる。杵築城があるらしい。奥ははっきりと見えないが、おそらく階段があって城まで昇ることになるのだろう。妻は、私、行かないからね。と。階段が苦手なのだ。歩けばダイエットになるのに。

またしばらく歩くと、右手に白い土塀に挟まれた石畳の階段が見えた。勘定場の坂、とマップには書いてある。土壁の瓦屋根の向こうで梅がほころんでいる。他に観光客は、初老の夫婦が歩いているだけだ。静かだ。門の向こうに茅葺き屋根の屋敷が見える。落ち着いたたたずまい。妻は、この光景が気に入ったのか、この坂道にも文句は言わなかった。

しばらくそんな通りを歩いて、縁台が置いてある広場に出た。ここで座ってしばらく休憩。寒くもなく陽が降り注ぐ気持ちのいい観光日和だ。ここから遙か下まで石畳の階段が続き、道路が横切り、その向こうにも登りの坂が見える。向こうも高さはこちらと同じぐらいか。地図では、こちらが酢屋の坂。向こうは、志保屋の坂。この場所はいい景色が望める絶好の高台だ。地元の人だろうか。女性がゆっくりゆっくりと昇ってくる。こんにちわ、と軽く挨拶をかわすと子供たちの声のする方に行った。幼稚園があるのだ。こんな場所に。送り迎えは大変だな。

その酢屋の坂を降りる。妻は言う。下からだったら絶対昇ってないからね。でも、なんだかんだでこの高さにいるのだから。素敵な場所は、苦痛を吹き飛ばしてくれるらしい。坂の煙突の突き出た屋敷は、味噌屋だった。きっと、いい味噌だろうな。道路は整備のために一部工事中だった。今度は、志保屋の坂を登り、南台武家屋敷跡へたどり着く。妻の息が上がっている。ゆっくり歩くことにした。先ほど休んだ向こうの高台を見やると、ほぼ同じ高さだ。よくここまで昇ったものだ。

所々、更地や駐車場と化した土地もある。お寺の境内の一角には、大きく屋根瓦がずり落ちた屋敷。それぞれ長い年月を経て、維持も大変だろうと思う。なんとかこの風情だけは残して欲しい。飴屋の坂を下り、また新しい建物だろうか、周りと調和させた杵築市役所を見やりながら、また坂を上り北台を抜けて、番屋の坂に向かう。妻と、ここへ来てよかったね、と語り合う。ここの坂でガイドに伴われた7~8人の観光客に出会った。こんな素敵な場所、もっと人が来てもおかしくないのにね。じりじりと太陽の照りつける暑い夏の方が、かえってマッチするかも。などとも。

坂を降りて、一般道をバスターミナルに向かう。向こうから30人ぐらい集団が近づいてくる。ちょっと感じが違う。韓国からの旅行者だ。そういえば大分駅で、同じデザインで、色使いと文字だけを変えた3種類の観光ポスターが並べて貼ってあった。日本語、中国語、韓国語の3枚だった。九州は、そんな観光客が多いのだろう。ターミナルにたどり着くと、隣の駐車場に大きな観光バスが1台止まっていた。もっと日本の人にも、坂道の城下町、杵築へ来てもらいたいな。知って欲しいな。とにかく、素敵ですから。

1月22日 夕食の席で。

2007-01-28 19:27:20 | Weblog
宿に戻り、食事前の温泉に。この宿は、大浴場の入口に冷たい麦茶が置いてある。これがなによりうれしい。以前、琴平に行ったときは、水飲み場はどこにもなかったから。妻と一緒に、一口、二口。入浴前の十分な水分補給は必須ですから。妻は、たまに湯当たりするという。なので、麦茶を入れたコップを持って、女湯へ入った。

今日は、誰も入っていない。では久しぶりに腕立て伏せなどを。これと入浴を繰り返していると、汗が噴き出した。1時間近くを過ごして出る。妻は、火照った顔をして麦茶を飲んでいる。ちょうど出たばかりといっていた。うん、長湯はいい、ダイエットのためにもいい。

昨日と同じように、部屋を出て、2階の食事の場所へと向かう。席に座ると、隣にはもう先客がいて話し声が聞こえた。妻が笑った。あれ、岡山弁よ、と。私には、方言で少し分かりにくいのだが、妻には、話しの内容がすべて解るのだ。

今日は、ビールと日本酒を1本ずつたのんだ。昨日は日本酒2本だったけど、ほとんど冷めてしまったから。今日は最初をビールとした。その岡山からの客は、膳を運ぶ若い仲居さんとも話しをしている。同じくらいの子供がいる様子。顔は見えないが、そんな年輩の雰囲気だった。

食事がかなり進んだとき、妻は、はっとなった。私がおらんようになってもいいの。そういう風に聞こえた。
しばらくして妻は言った。旦那さん、かなり辛そうよ。長い間、人生を共にしてきて、男にとっては当たり前の日常が、妻にとっては耐え難い日々だったのか。

食事が終わって出るときに、妻が仲居さんに聞いた。岡山の人でしたね。と。仲居さんは、あのご夫婦は、明日は湯布院へ、そしてまた次の温泉地へと、だんだん岡山に近づきながら、帰ると。その先で、また今夜のような会話になるのだろうか。奥さんのことを、しっかりと考えてあげてください。この旅行で、いい関係を取り戻すためにも。

1月22日 大分と別府をぶらり。

2007-01-28 15:16:12 | Weblog
宿を出て、通りへ。天気はまずまず。トキハ百貨店に入ってみる。歩き始めると、トイレに行きたくなるのが私の常。2フロアにわたる婦人服売場を見て、妻は言う。ヤングと書いてあるけど、若い人の服は少ないみたい。なるほど。つまり別府には、若い人が少ないということなのか。温泉地巡りというのも性に会わないので、メイン都市の大分に向かうことにする。

駅を降りて、アーケードのある商店街を歩く。平日とはいえ静かな人通りに妻は拍子抜けした様子。一角の八百屋にさしかかると、妻の目が輝きだした。ホワイトアスパラなんて、めったに売っていないのよ。ここの野菜は、産地表示がある。大分の大根、水菜、ほうれん草、きゅうり、トマト、なす。生しいたけやカボスは大分の本場だ。

妻は安いとは言わなかったが、みずみずしい新鮮な地場野菜がふんだんに並んでいる。宿の料理も、もっと地場のものを使えばよかったのに、と思った。何でもない野菜からも、その土地の臭いがして、土地の顔が見えるものだから。

県庁向かいの城壁、滝廉太郎の銅像などを巡って、大分駅へと引き返す。大分駅の東側のガランとした様子に、妻は、どうするんでしょうね、こんな広い土地、とつぶやいた。広大な駐車場。線路の南側にも、空き地が拡がっている。来年に国体が開催されるが、ほんとうにどうするつもりだい。未来が見えないよ。

普通列車で別府に戻る。まだ、午後2時前。妻の健康を考えて、山の方に歩くことにする。本当は、もちょっとだけ痩せてねと。この頃になるとにわかに空が曇り、山の方にも雲が立ちこめてきた。降ることはないだろうと歩き出す。天気予報は晴れだったのにね。どんどん坂を上ると公園に出た。名前は、そのままの別府公園。もうひと工夫ほしいような。私はその先にそびえるタワーが気になっていたので、そちらに行こうとする。妻は、まさかあそこまで行くんじゃないでしょね。妻の息が上がっている。公園で歩くペースを少し緩めた。

公園の西側に近代的な建物が見えた。ビーコンプラザと言うらしい。人気がなく、冷徹な輝きを放っている。確かに見事な建物だけど、なにか違和感。自治体は大きな箱ものを作りたがるけど、本当に地域の人々の暮らしの中に役立っているのだろうか。そしてランドマークと言うべきタワーの下に到着した。ここで、妻は座りたいと言った。ちょっと歩かせすぎたか。私は、タワーを、グローバルタワーと言うらしいけど、下から見上げる。確かに昇れば、別府湾を一望に望めるかもしれない。でも、それだけ。

さて、あとは下るだけ。ちょっと横を見ると、レトロな赤煉瓦の建物があった。へえー、いいじゃん。この建物の方が、よほど温かみがある。道路側の門には、京都大学理学部地熱研究所とあった。なるほど、だから温かみがあるのだ。ずーっと、下り坂をひたすら歩く。体育館、市役所を過ぎて、なおも歩く。一本のよぎる道路を見渡すと、遙か先に日豊本線のガードが見えた。今度は、そちらへ歩く。

4、5人の小学生がわいわい喋りながら歩いている。近所のおばあさんが通りがかり、なにやら会話。ほれ、みかん、あげよ。と。ほほえましい。こんな光景、東京じゃないもの。ご近所みんな知り合い。会話がある。ここなら小学生だって、安心して通学できますね。

日豊本線のガードをくぐり、海の方に向かうと、街並みが少し変わった。古めかしい、なにか懐かしいような、ホッと安らぐような。魚屋さんの店先でヒレを干している。貸店舗、売り物件なども目に付くけど。古い瓦屋根二階建ての旅館、というのもある。のぞき込むと猫が何匹もいた。妻は声を掛けたが、愛想のない様子。そんな旅館が道の両側に何軒もある。営業しているのだろうか。でも、そんな風情の残ってくれたことに感謝したい。

さらに歩くと、妻が、ここ、リフォームのお店が多いね、と言う。木枠のガラス窓の向こうでミシンを走らせるおばさんがいる。その反対側にも、そんな店が。ものを大事にすることって、いいことだよね、などと。

宿の通りの向こうに岸壁が見える。ちょっと海を見たくなった。旅館街の裏をぬけると、岸壁の手前でなにか作業をしている。旅館から、厨房機器やら、部屋の金庫やらを運び出しているのだ。改装か、それとも廃業か。そういえば、この近隣にも、歯の抜けたような駐車場が点在する。私たちは、海が望める岸壁に出た。海鳥が、直ぐそばの堤防で群をなして休んでいる。天気は悪いが、海はおだやか。海はいいね、とうなずきあった。

1月21日 別府到着。

2007-01-27 22:18:58 | Weblog
午後3時前に、別府到着。昨年の年末にも、ちょっとだけ立ち寄ったが、駅のコンコースでは煙草の吸える場所が見あたらない。チェックインの予定時間も3時だったので、とりあえずタバコが吸える宿泊場所に向かうことにする。

海側へ、駅前広場を越えて、歩道のある広い通りをしばらく歩くと向かいの右手に、レトロな感覚の銭湯というか温泉、入浴施設がある。いつ頃たったのかしら、古そうだけどいい感じ、と妻が言う。

通りのこちら側は、金網のフェンスで囲まれただだっ広い空き地がある。前は何があったのだろうか。ここになにか施設を作るだけでも、雰囲気は変わるのに、建築計画の看板もない。ここ、なんとかした方が、いいな。なにか寂しいもの。

銀行やパチンコ店を通り過ぎると、焼けこげた建物があった。更地の中にぽつんとある住居ではあるまいが、なにかお店だったところか。早く取り壊すか、見えないように囲うかしないと、ちょっと印象が良くないですよ。

百貨店の横を過ぎると、幹線道路のような交通量の多い道路に出た。ここを越えると旅館だ。海沿いは高さを競うように、ホテル、旅館が林立している。その道路沿いの一角に、暗く沈んだ、手入れのない、周りをフェンスで覆われた建物がある。もうすぐ、解体されるのだろうか。これも別府の現状を象徴しているのかもしれない。

ホテルに着き、チェックインを済ませると、部屋の準備の間、ロビーで抹茶を味わう。かわいい金平糖が添えられていた。3粒、私はすべて食べた。妻は、1粒しか食べなかった。あっ、気にしてるんだ。そのことは、あまり触れないようにしよう。

仲居さんに部屋へ案内され、浴場、非常階段など、一通りの説明を受け、夕食券、朝食券のチケットを渡される。ん、ん、ん。部屋食じゃないんだ。ま、いいか。別の場所に、個室で用意されているらしい。仲居さんが出ていった後、冷蔵庫を開ける。げっ、スーパードライしかない。しかもアルコール類はビールだけで、ミネラル水とか清涼飲料はあるが。残念、日本酒が好きな私にとっては、お酒も置いてほしかった。

幸い、部屋を直ぐ上がった所が、温泉だった。さっそく、二人で湯に。もちろん、ここは男湯と女湯に分かれている。1階には家族風呂もあるらしいが、まずは大浴場。日曜日の夜の4時過ぎ、さすがに私ひとり。ほんのりと温泉らしき臭いが湯から立ち上る。私は知らなかったが、妻はちょっと口に入ったら、しょっぱいと言っていた。すぐ横が海だから、なのかな。温泉は、温まる。しばらくすると汗が噴き出す。まだ明るい、別府の街並みが望める。ほんとに、温泉はいい。長湯をしない妻に、5分くらい待たされたもの、よほど気持ちよかったのだろう。おかげで、私はちょっと冷えた。ま、いいっか。それで、少しでも妻の体重が減ってくれれば。

さて、食事。個室とはいえ、いわばパーテーションで仕切られた飲み屋のようなもの。でも、妻はなにより脚が伸ばせることに安心した様子。和室の部屋出しとなれば、女性だから正座となるわけで、ちょっぴり重りを持った妻には苦痛だったから。でもここは、宴会客の声高な会話、隣室の客の会話、仲居さん達のやりとりが伝わってくる。音が筒抜けなのだ。そんなこんなで食事が終わる。あとで、仲居さんがあまりお話をされてなかったですね、と言ったけど、その通り。会話のはずむものではなかった。その後で、妻とも話しをしたが、食事に大分らしさがなかった。品目は多かったけど、鮭のホイル焼きを出されたときは、思わず、ん、となったもの。やはり、妻も同様の感想だった。大分で鮭が獲れるわけでなし。

その土地ならではの顔、それが見えない食事には、いちばんがっかりさせられる。たとえば山奥の旅館で出される刺身。昔だったけど、唖然としたもの。そんなもの出さなくても、山菜とか地野菜とかなにか作れるでしょう、といいたかったもの。ま、日本人には刺身がないと満足しないバカが多いですから。らしさの主張がほしかった。私は、この食事で、早くも飽きが来てしまった。あと、食事は5回ある。そのことは考えずに、温泉を楽しもう。妻も、やはり同じ思いだった。

1月21日 大分の別府に向かう。その3

2007-01-27 16:45:26 | Weblog
新幹線の小倉駅で下車して、日豊本線に乗り換えて別府へ向かう。特急ソニックは、1時間に2本あり、1本は小倉を出て、行橋、中津、別府の3駅目だが、もう1本は、行橋、宇島、柳ヶ浦、中津、宇佐、杵築、別府の7駅目になる。所要時間の差は6分だ。

ちょっと早い時間に小倉に到着したので、駅停車の少ないソニックの自由席、発車30分前に余裕を持って並ぶことができた。駅で聞いたが、指定席はすでに満員だったから。

小倉発13時46分発、L特急ソニック。博多から来た列車はここで折り返して、また来た方向へ向かうことなる。つまりここで進行方向が逆になるわけだ。乗り込んだ車内は、すでに座席が回転されていた。3分の2くらいが埋まっていたので、その乗客があらかじめ回していたのだろう。おかげで私たち夫婦は、すんなりと座ることができた。

ぼんやりと車窓を見ながら、かつて妻は、バス旅行で湯布院に2回訪れたときのことを語った。20年くらい前と、7~8年前に。その2度目の時は、以前とは湯布院の表情がガラッと変わったという。新しい建物や施設がいっぱいできたのだ。誰かも、そんなことを嘆いていた人がいた。みんなが押し寄せるところは行きたくない。だから今回の別府も、あえて駅から近い宿を選び、湯布院は考えにも入れなかった。

湯布院が注目されだしたのは、10数年前だったろうか。鄙びて、静かで、ゆったりとくつろげる温泉街だったはずが。去年に読んだ大分日々新聞に、湯布市は活況、別府市は停滞、という評価あったのを思い出した。1999年と2005年の湯布市人口は35,822人から36,758人へ。人口増加率は102.6%。別府市は125,622人から122,930人へ。人口増加率は97.9%。つまり、減少なのだ。がんばれ別府温泉。

妻の思い出を振り返りながら、やがて列車は別府へ到着した。