さんでんじです。

ブログで思いのまま、自分なりの感想も含めて、発信します。

まだまだ片付けられません。

2014-03-29 15:46:32 | Weblog


まだ廊下には陸の抜け毛のかたまりが転がっています。私たちが歩くとふわふわと追いかけてきます。そういえば陸はいつもお母さんの後をついて歩いていましたね。ダイニングルーム片隅の毛布もそのまま。私たちが食事をするときは、寝そべって私たちの様子を眺めていました。もっと若い頃は、テーブルの直ぐ横でお座りして、おすそわけをおねだりして待っていたのですが。さすがに晩年は、私たちのおすそわけでお腹をこわすことが多く、あげることができなくなっていましたから。2階のベッドの下の毛布や布団もそのままです。今でも深夜は寝ている陸を起こさないようにそろりそろり歩くことがあります。そうだ、もう陸はいないんだった。まだまだ陸の思い出が、あちこちにしっかりと残っています。たとえ片付けても、思い出が消えることはないのに、まだまだ陸のものが片付けられません。ま、そのうちに。

県立奈良病院食堂の麺類は天かす入れ放題。

2014-03-27 23:10:26 | Weblog


昨日も、県立奈良病院でランチをした。私の食べるものは決まってその日も、きつねうどん300円にした。以前も紹介したと思うんだけど、ここのうどんつゆはしっかりと出汁を取っていて、これで300円とはおいしいうれしいお値段です。ここはセルフサービス方式で、チケットを出し、代わりに番号札をもらって、呼ばれたら料理を取りに行く。で、麺類を注文した人は、直ぐ横のカウンターでなにやらをすくって鉢に入れている、ということに最近気がついた。入れているのは天かすだった。そんなわけで、それ以来うどんを食べるときは、天かすをたっぷりと入れることにした。セルフサービスって、こういう融通の効くのがいいな。天かすをたっぷりいれるとなんだか豪華な気分です。皆さんも、県立病院の地下にランチを食べにおいでよ。駐車料金は1時間以内なら無料だから。たぶん。

食べ残す、殿のご飯。

2014-03-25 13:14:57 | Weblog


私たちが食事するダイニングテーブルの上には、いつも猫の殿用のお皿が乗っています。これは、夕食はみんなで食べようということで、奈良に引っ越してから続けてきたこと。でも、いつの間にか、殿たちが早くご飯をくれくれと急かすようになってから、夕方の5時くらいには入れてやるようになった。テーブルの上の殿のお皿にご飯を入れると、すぐに陸がそばにやって来て、殿が食べ終わるのをお座りして、ちらちらと殿が食べる様子を見ながら待っている。殿がある程度食べ終えてそのお皿から離れると、陸はもうぜんと前脚をテーブルに乗せ、殿のお皿を舐め尽くすのが常だった。ところが、そのご飯が80グラムから60グラムに減ったときは、食べる前にフニャ~フニャ~と怒っていて、きれいに食べ尽くしても怒っていたのだが。陸がいなくなってからは、なぜか少しだけ食べ残すようになっている。なんで?どうして?まるで、陸の取り分のように、なぜか、いつもちょっと残す。そうだよね、殿は小さくっても陸のお兄ちゃんだもの。いなくなった陸の取り分を残してくれているのかなあ。お行儀悪いけど、まあいいかあ。そんなわけで、殿もやっと落ち着いた感じです。もう陸が亡くなってから一週間。はやいものです。


素朴でしっかりおいしい「柳生茶屋」。

2014-03-24 22:04:35 | Weblog


先週のとある日のこと。月ヶ瀬に向かう途中でどこかで食事をすることに。奈良市街を通りながら、私は「うどんでいいんだけど」などと言いながら、場所を決めあぐねていた。いよいよ山間部に入って、どこか食堂の様なところがあったら、入ろうかと決めて、大柳生を抜け、柳生にはいると、道路沿いに看板が出ていた。そりゃ~、月ヶ瀬で食べりゃいいんだろうけど、今は梅見客でいっぱいだから、やはりその前に、ということで、月ヶ瀬に向かう道からは外れて、茶屋のある場所に向きを変えた。そして、着いたところが、いかにも茶屋という雰囲気の柳生茶屋。春の暖かい日差しを受けながら、なんだかひっそりしている。ガラガラとガラス戸を開けて入ると、ひんやりとしたコンクリートの土間の上に4人掛けのテーブルが4つ。奧には畳の座敷テーブルがいくつかある。なるほど、茶屋だ。お客が数人いたのは意外だった。考えてみたら、天気も良いハイキング日和だった。暑いときにこの土間は気持ちいいだろうな。で、私はおそらくおすすめ料理であろう茶粥定食1050円を、妻は茶そば580円を注文した。で、いよいよ来ました。茶粥にはちいさな雑穀餅が2つ入ってなかなかのボリューム。焼き鮭はびっくりしたけど、レンコン、大根、椎茸、ミニロールキャベツの煮物はしっかり味が入っていてとってもおいしい。妻の茶そばも、十分に出汁をとってあり味は申し分なし。食事としてはまあまあで、これならおすすめかな。でも、入口の千切れちゃった幟はみっともないから何とかした方が良いと思うな。

「柳生茶屋」の食べログはこちらです。定休日や営業時間をご参考にお出掛けくださいね。
http://tabelog.com/nara/A2901/A290101/29000760/
奈良県奈良市柳生町359-3

父の深い落胆。

2014-03-22 22:35:02 | Weblog


今日は5年前に亡くなった私の母の月命日で、父と一緒の墓参りの日だった。いつも通りに父のマンションに到着して、妻が父を住居まで迎えに行く。心なしかちょっと遅れて妻と一緒に現れた父の顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。絞り出すように「陸、かわいそうに」。陸を病院に連れて行った日曜日の午後に、恒例行事で父のマンションを訪問するのだが、その日だけは私ひとりでいった。陸は入院したばかりだが、状態を不安に思った妻は父の前で泣きだすのを恐れて行こうとはしなかった。そして、私は父に陸が入院したことを告げ、高齢なので持たないかもしれないと、最悪の事態を暗示しておいたのだ。迎えに来た妻に「陸、どうや?」と父は聞き、妻は「あかんかった」と答えた。寺に向かうまでは、父は「かわいそうに」と、ただただ涙にくれていた。妻は懸命に「陸は高齢やった。93歳のお父さん以上に相当する長生きやった」と父をなだめながら、妻も運転する私ももらい泣きをする。墓参りの間も、その後の食事中も、父は何か納得のいかない様子だった。マンションに送り届ける途中に父はポツリと言った。「もういっぺん、陸に会いたかったなあ」。毎年の正月には父が我が家を訪れ、陸のフラッシングをするのが父の仕事だった。そのフラッシングを陸は嫌がったのだが、父からは嫌がる陸の顔は見えない。私たちは顔で救援を求める陸をなだめてあやしながら、心の中では「陸、ちょっとだけガマンしてね」とカラダをさすり耐えさせていたものだった。でも今年の正月は父が体調を壊して、我が家を訪れることはできなかった。それが、父の後悔だったのだろう。私も陸を父に会わせてやっておきたかったが、もう遅い。食事の間、父はこうも言った。「もう犬、飼いなや」。妻は「もう飼わへんわ」と答えた。そう、陸で最後。妻はずっと前からそう決めていた。他に一緒に暮らす家族のない私たちの年齢を考えたらそういう結論になる。父は、かわいそうやから飼わへんねん。という。動物は必ず見送ることになるから。その悲しみが父は嫌いだった。今回はかなり父を心配させてしまった。あとは父の気持ちの回復を祈るばかりなんだけど。

やったあ~、イカナゴ半額。

2014-03-21 22:51:02 | Weblog


先週のことですが、よく行くスーパーで、なんとイカナゴが半額で売られていた。いついってもイカナゴは売り切れ状態で、めったにお目にかかれないのに、半額とは超ラッキー。しかし、その3時間後にまた入荷するということで、また妻はその時間に買いに行った。そして、出来上がったのがこれです。山椒もたっぷりで、そのピリリのスパイスが甘辛さを引き立てている。おいしい。でも、もう今週は見かけません。春の一瞬の出来事のようでした。

さっそくいただいた土筆。

2014-03-20 22:50:12 | Weblog


昨日、ブログに書いた土筆摘みですが、あれから妻は深夜までかかって土筆の袴を剥き終わり、さっきの夕食にはこのように土筆ご飯と卵とじが登場しました。自分たちで、といっても私が手を貸したのはほんのちょっとですが、摘んだ土筆だから、かえっておいしさが増すというものです。ちょっぴり苦みがあって、しゃくしゃくと歯ごたえがあって、いい味に染まってくれる春の野の恵み。ねえ、これをいただかない手はありませんよね。実は、もっと前に土筆の群生を見ていたのです。それは県立病院の地下の食堂から見える土手にいっぱい生えていた。でもその土手の上の建物は、MRIの撮影室なのでおそらく誰も立ち入らないから土筆の天国になったのだろうな。妻はむずむずして眺めていたけど、どうしようもないだろうな。で、今日、いっぱい下ごしらえのできた土筆の一部を知り合いのお店に届けに行った。でも、その人達は土筆を調理したことがないで、妻は丁寧に説明してきたという。春の大地の恵みですよ。おいしいに決まっています。なにより、カラダの活力となることは間違いなしですよ。土筆、見かけたらぜひ挑戦してください。

今年も、いつものように土筆がいっぱい。

2014-03-19 22:38:47 | Weblog


昨日は悲しみを流してくれるように、癒してくれるようにぱらりぱらりと降っていた雨が、今日はすっかりあがって天気良し。ふたりで、いえ、猫の殿がいました。家の中に閉じこもっていてもしょうがないので、ぱーっと出掛けることに。毎年、出掛ける月ヶ瀬梅林渓谷へ。でも、本当の目的は妻が大好きな土筆摘み。でも今年は脚の状態がちょっと悪くって、あまり歩くことができない。ご近所の穴場にも出掛けることができない。まあ、ちょこちょこっと卵とじ分くらいあればいいと、とにかく気晴らしに出発することに。途中、柳生で食事をして。またこれは別の時に、お店と料理を紹介しましょう。月ヶ瀬に着いたときは2時前くらいで、月ヶ瀬温泉のある産品の直売所はごった返していた。さらには、薄揚げもよもぎ餅も売り切れていた。ま、しょうがない。そんなわけで、買物が済んだら帰途に。さてさて、いつもの場所に差し掛かる。あるかなあ、といつもの場所に行ってみると、すくすくと伸びている。一面に生えている。妻は、夢中になって取り始めた。何もかも忘れて地面に這いつくばって土筆摘みに集中している。私も摘んだが、妻ほどのエネルギーはない。顔を上げると、本当に長閑で良い天気だ。妻は「陸はいつも伏せして待っていてくれたなあ」と言いながら、せっせせっせと手を動かす。暫く時間がたってから私は妻に「もう帰ろうよ」と声を掛けた。さらに「散歩の時間が」と言いそうになったが、ああそうだったと思い直した。手に提げたレジ袋にはどっさり土筆が入っている。満足そうな妻の顔。その顔を見て、良かった良かった。「さあ、待っているから、帰ろう」。土手道から車を出した。今年もありがとう。

陸が、逝ってしまいました。

2014-03-18 18:52:34 | Weblog


朝の早くの7時半頃、動物病院から妻の携帯に電話があった。妻はもうベッドから起き上がっていて階下に降りる準備をしていた。隣で寝ていた私は、携帯の着信音で目が覚め、妻と病院との会話に耳を集中する。妻の声がだんだんと沈んで弱くなった。最後に、8時半に伺います、と言って電話を切った。もう声の沈み方で私は分かっていた。そして妻は私に「陸が死んだ」と短く言った。「うん」。そうか、よく頑張ったんだ。家でか、病院でか、と最後の時のことを考えたのだが、痛みを和らげる処置を続けながら、いわば集中治療室のようなケージだからここまで頑張ることができたのだ。そう自分に言い聞かせた。陸を迎えに行く時刻が迫るまで、ただただぼわっとした時が流れた。頭の中には、これまでの陸との日々が駆けめぐる。妻は、これで良かったんだよね、と言い聞かせている。うん、うん、肯くばかりだ。病院に着いて中に入ると、1階の奥の部屋に通された。陸がいる。脚の点滴が外され、お尻もしっぽもすっきりきれいになった陸が寝ているのだ。しかし、ぴくりとも動かない。妻は泣きながら陸に駆け寄った。私はそっと陸のカラダに触れた。暖かい。まるで、生きているように暖かいのだが、もう動かない。脚の関節も柔らかい。まだ、死後硬直は始まっていない。

先生から話しを聞くと、時間は午前5時頃だったらしい。そして、もう遅いのだけど、検査の数値では、急性膵炎を示していて、これが死因になったということだった。私はかなり驚いた。膵臓?2年前には脾臓を摘出した。年末には、肝臓に腫瘍ありと。2日前のエコーでは、さらに腎臓と副腎にも大きな腫瘍があった。つまりはほぼ多臓器不全状態だったのだろう。陸のぽっこりお腹には腫瘍に加え、炎症などが巣くっていたんだなあ。痛かっただろうな。でも病院だからこそ、痛みは緩和されていたのだろう。そんな思いが頭を巡るが、陸は寝ているのだ。まだまだ暖かい。そして病院の方々に、眠っている陸を車に乗せていただいた。見送られて、病院を出た。何も考えられずに車を走らせていると妻が「このままで、陸のいつもの散歩コースを走ってやって」と言った。はい、はい。自宅を通り過ぎて、短い陸の散歩道をゆっくりゆっくり走った。何人かのお知り合いワンちゃんの散歩中に出会った。ある人は触ってくれた。「まだ暖かいね」。ある人は、「かわいそうに」。愛犬を抱っこして、陸のお見送りをしてくれた人もいた。みんな、ありがとう。陸もきっと、みんなにさようならをしていることだろう。私たちは我が家に戻った。猫の殿に最後のお別れをさせた。会わせると殿の様子が変だ。昨日あたりから殿はいつもと違った。何かいつもと違うものをしっかりと感じているらしい。そして、ここでも動かない陸に対して、殿はかなり不安な様子を見せた。動物同士の思いは、相変わらず私たち人間には分からないものだ。ちょっと早いけど、私たちは火葬を予約した動物霊園に出発することにした。

霊園でのあれやこれやが終わり、陸は骨になって私たちと一緒に帰ってきた。これで陸のすべてが終わりました。市の飼い犬の手続きが残っているくらいか。これからは陸の供養があるのみ。ワンチの骨壺の横に、陸の骨壺を置いた。霊園で陸の骨壺を選んだときは小さいかなと思ったが、家でワンチの骨壺と並べてみるとちょうどいい比率だ。今頃は、天国で二人仲良く遊んでいるに違いない。妻は帰りがけに陸のための花を買った。「おやつの方がいいんじゃない」、と私が言うと、「もう仏さんになっちゃったし」と妻は返した。陸のおやつやご飯は、またお友達のワンちゃんにお配りしなきゃと妻は考えている。うん、うん。骨壺の台の下には、陸がいつも居場所にしていた毛布がある。もう陸はいないがそのままにしている。その下に敷かれている絨緞も陸の抜け毛で真っ白だ。廊下には陸の抜け毛がふわふわと転がっている。まだ掃除するのは早いかも。陸は15歳だった。シェパードとしては超長生きだった。そうだったなあ。そんなに生きてくれたんだ。その分腫瘍が大きくなったんだけど。さて、陸の供養は陸のことを思い出し振り返ることだと私は考えている。このように陸との思い出をブログにすることも含めて。そんなわけで、時々は陸のことを振り返らせてくださいね。また廊下を歩くと、陸の抜け毛がふわふわと私のあとに舞う。りくう。そこにいるのかい?

こんなに麗らかな良い天気、なのに。その3

2014-03-17 23:07:20 | Weblog

病院の診察室に入ると、直ぐに採血が始まった。いつもは必死で部屋から出たがるのに、疲労困憊なのか大人しく診療台に引き上げられた、ほとんどじっとしていた。何と早いもので10分ほどで血液検査の結果が出た。腎臓の数値が異状に悪いという。エコーや点滴が必要で、当然ながら陸は病院におあずけとなる。診察台から陸を降ろすと、とたんに逃げようとした。以前ほど力強くはないが元気はある。私が入口方面を塞ぎ、懸命に陸をなだめる。それでも隙間に突進しようとする陸。妻の「よろしくお願いします」の声が聞こえると、リードを替えられ、陸は奧に引っ張られていった。それでも、こちらに来ようとしている。やがて陸は見えなくなった。午後5時にエコー検査の結果が出るので、また動物病院へ話しを聞きに来た。もちろん、入院中の陸の顔を見ることが第一だ。2階にある動物病室の格子ゲージの中で、陸は前脚に点滴をされ横になっていた。狭い格子なので手が入らず届かない。陸はこちらを目で追っているようだ。

また1階に降り診察室で先生の話しを聞きながらエコー画像を見ると、肝臓の腫瘍はかなり大きくなっている。腎臓にも大きな腫瘍が。副腎にも腫瘍が見える。私たちは愕然とする。やっぱりポッコリお腹の中は、腫瘍が膨らんだものだったんだ。そりゃ~苦しいはずだ。痛いはずだ。部屋で伏せをして薄目になり、口を少しばかり開け舌をちょろっとのぞかせ、ハーハーしていたのは痛みに耐えていたのだろう。ああ、陸の気持ちがまったく伝わっていない。推測もできていなかった。文明機器がこれほど進化しても動物とコミュニケーションが未だに取れない。犬と人間とで思いの交信ができていないのだ。草地で腹ばいになったのは、膨らんだお腹が熱かったのだ。今となっては、ゲージに入っている陸に何もしてやれない。触れることさえできないのだ。私たちは家に帰り、夕食が終わった頃、突然に病院から電話があった。しっこが出なくなり、体温が急激に上昇したという。直ぐに駆けつけると、陸はガラスのゲージに移されて喘いでいた。今度は、ガラス戸を開いて、陸に触ることができた。妻は陸に顔を寄せ、呼びかけている。息はハアハアと荒い。私は、瀕死だと思った。連れて帰り家で看取ることも提案したが、まだ頑張れば望みはあるということで、病院に任せることにした。また明日の月曜日10時に来るんだからと失意のまま帰った。なにかあれば、午後11時までに電話をしてくれるそうな。家で、その11時も過ぎて、私たちは寝ることにした。まだ陸は生きているのだ。

長い夜が明けて月曜日、面会時間の午前10時に動物病院に着いた。陸は同じゲージだったが、頭の向きが反転していた。ガラス戸を開けてもらい、妻が陸に顔を寄せ声を掛ける。やっと私たちにしっかり気がついたのか、寝ている状態から伏せに移ろうとする。妻が「寝とき、寝とき」とまた陸を横にした。前脚を動かし何かを掻き出そうとしている。そして、「ひゃーひゃー」と今まで聞いたこともない声をあげた。何を言いたいんだ。どう見ても喘いで苦しそうじゃないか。私たちが考え及んだ、安楽死のことを先生に伝えた。まるで、とんでもない、といわんばかりに、2~3日様子を見ましょう。詳しい検査の結果も出ますからと言う。なおも陸は声をあげている。私には辛く苦しそうに聞こえる。でもそうだな。陸を連れてきて、まだ丸一日だった。それで病院側が安楽死など許すわけがない。妻はひとしきり顔を寄せてから、私たちは診察室を出て、病院をあとにして暖かい日和の中で車を走らせ家に帰った。こんなに麗らかな良い天気なのに。夕方前になって私はぼそっと妻に言った。「1時間半、1時間、次の年は30分で、次はほんの15分、そしてゼロかあ。年ごとの散歩時間で解るんだなあ」。私は今年15歳の陸の寿命を暗示した。すると妻は、「また15分でも散歩できるといいね」。えっ。何を言っている。そうか。そういう考え方もあるな。私は陸が死ぬことしか考えていないのだ。これじゃ~ダークサイドに引き込まれる。暗黒への決めつけは良くないのだ。どんなに苦しくても動物は生きるために必死に生きているのだ。生きる可能性というか希望もあるじゃないか。なんといっても動物病院の獣医さんやスタッフの方々が最善のことをしてくれているのだ。妻のひとことで、私の気持ちがふわりと和んで、今日の日和のように暖かくなった。私は「うん」とだけ答えた。うん、ありがとう。と、心の中で妻に言った。今日も午後11時までに電話はなかった。陸は生きているのだ。闘っているのだ。

※写真は6年前の陸。この稿は終わりです。長文お付き合いありがとうございます。