さんでんじです。

ブログで思いのまま、自分なりの感想も含めて、発信します。

奈良での食生活も始まりました。

2008-05-31 13:23:10 | Weblog
引っ越しの荷物が到着したその夜は、妻は料理を作る元気もなく、夜になり、近隣を車で走って、コンビニ探し。

翌日の遅い朝食は、吉野川のサービスエリアで買った、さぬきうどんをつるり。早速スーパーへ買物へ。この近隣も大分と同じように、イオンのジャスコがありました。大分は、ジャスコのほか、サンリブ、新鮮市場、トキハインダストリーなどがあったんだけど、奈良はどうでしょうか。他にもあるのかな、などと。

この夜からはいつもの妻のメニューが登場。メインは鮭のちゃんちゃん焼にしようと思ったらしい。でも味噌味が、具沢山のお味噌汁とダブることになり、鮭はキノコに豆板醤を混ぜてあんかけに。さらにもやしの酢の物、最後の1袋の日の菜漬。

いつものように、私と妻が向かい合い、右手の椅子には殿ちゃんがで~んと座り。左では陸君が下から顔を覗かせます。所変わっても、いつも通りの食生活が始まりました。

こうして大分の名残か、メインは魚で始まり、次の日は肉で。また次は、魚と。海なし県の奈良で、おいしい魚が手にはいるかどうか。まあ、いろいろ探してみましょうか。

ところで、昨日のブログ、花の写真はベビーローズなんだって。近所を散歩しながら、妻が撮影した1枚です。この近隣は花の好きな人が多いらしく、庭などの植え込みを見ては、妻は花の名前を次々に繰り出している。とても覚えきれません。

奈良生活、始まる。21日からですが。

2008-05-30 13:09:55 | Weblog
翌日の21日に、引っ越しの荷物が届く。時間は、午前11時予定。その前に、陸の散歩を済ますことに。

住まいの近隣、妻はまったく地理がわからないから、ほんの少しうろ覚えの私が陸を連れて歩きます。確かに27年前は、このすぐ近くに住んでいたはずなんだけど。でも考えてみれば、学生時代は、下宿とかしているから、生活の実験があるのは、20才の頃かもしれない。つまり35年前。しかしそんな昔、とっくに忘れている。

その頃から、この近隣は山や雑木林が崩されて、どんどん住宅が建っていって。私たちが住む家も、そんな中のひとつなのだろう。この界隈は、私が子供の頃とは、大きく表情を変えました。当たり前だよね、

細い古い道が入り組んだ住宅街。一応地図を片手に、陸と歩く。一番のポイントは、はたして道ばたに、犬のウンチが落ちているかどうか。大分では、うんざりするほど至る所にウンチが落ちていたから。

住宅街の至る所に立て札が。犬の糞を処理できない人は散歩させないでください。なるほど、その通りです。30分ぐらい歩いた。とうとう犬のウンチを見かけることはなかった。いいぞ、奈良。マナーがしっかりしてます。さて帰って引っ越しの荷物を待ちますか。

光の中に飛び込む明石海峡大橋、20日午後9時。

2008-05-29 13:36:15 | Weblog
神戸淡路鳴門自動車道路を北へ北へ。淡路島の中を走っているんだけど、外は完全に真っ暗。道も広くてゆったり、走る車も少ない。景色が見えないというのは、好奇心を薄れさせ、必ずしも運転に集中できるというわけでは、ないのかも。適度に緊張はするが、眠い。あと2時間ちょっとで奈良だい。などと。

猫の殿ちゃんの泣き声が、ちょっと変。閉じこめられてぐったりしたのか、元気がない。で、妻もお腹が空いたという。私は、そうでもないんだけど。明石海峡大橋の手前、淡路サービスエリアで食事、ということで。

そうそうに食事を済ませて、妻はまず陸を散歩に連れ出した。すぐ近くに大橋の夜景が見える。陸には、わかるかな。あの橋を渡るんだよ。その先は、殿と陸が去年に岡山の矢掛を発って以来の本州です。やっぱりわからないだろうな。

さて出発。妻は、殿を篭から出して、膝の上に抱いた。大人しくしてねと。明石海峡大橋に差し掛かる。橋の中央に向かって上り坂、吊り橋だからですね。対岸の光の帯がとてもきれい。妻は、殿を抱きながら、デジカメのシャッターを切る。後で見ると光が踊っていますね。橋の中央を越えると、今度は下り坂。舞子あたりのマンション群や街の灯りがみるみる迫ってくる。まるで光の中に飛び込むように。そしてトンネルに入った。

神戸市内、大阪市内を避けるために、高速7号北神戸線から、中国自動車道路へ。西宮名塩SAで殿ちゃんを篭に戻す。殿も安心したのかおとなしく抱かれていて、私たちもほっとする。かなり疲れていたのかも。奈良まで持ちそうだけど、ガソリン補給。妻によると、1リッター22キロ以上らしい。走行はできるだけ5速を維持。それにしても驚くべし、軽自動車の燃費。いよいよ奈良は近い。吹田を抜け、近畿道の東大阪ジャンクションから第2阪奈道路へ。トンネルを抜けると、そこは奈良盆地。住宅街の細々した狭い道路を抜ける。午後11時、我が家に到着。大分から奈良まで、走行距離は500キロとちょっと。私と妻、殿と陸、ワンチの遺骨も一緒に。当たり前だけど全員無事です。もう眠いから寝ます。明日の21日は、家財道具が到着。奈良の生活が始まります。

陸君のドッグラン初体験。20日午後5時。

2008-05-28 21:48:28 | Weblog
松山自動車道路の、長いトンネルを幾つか抜けて開けた場所に出ると、しばらくして道路は2車線になった。これなら追いまくられることもない。心配した横風も全くなく、吹き流しは垂れ下がったまま。残る心配は睡眠不足の私です。

松山市の南を通り抜けて、さらに東へ。いよ小松ジャンクションを過ぎれば、石鎚山サービスエリアがあるらしい。寄るつもりはなかったが、案内板に犬のマークが。ドッグランがあるのかも。そこで迷わずサービスエリアへ。

ありました、サービスエリアのはじっこに。小さいけれど、ドッグランが。誰もいません。早速、陸を中に入れる。リードを外して、自由に走りなさい。といっても、ドッグランが初体験の陸は、ただ臭いを嗅ぎ回るだけ。私たち二人が別れて、おいでおいでをすると走り出したが、それもすぐに飽きて、あっちでクンクン、こっちでクン。

もう5時過ぎですが天気も良く、伸びやか。では先を急ぐとしましょう。西条、新居浜、土居を過ぎて、遠くに海に浮かぶ船が見えます。川之江ジャンクションから、高知自動車道路、そして徳島自動車道路へ。また片面1車線。池田あたりから陽は山陰に隠れたような。

吉野川のサービスエリアで妻はさぬきうどんを足早に買う。山と山に挟まれた小さな平野部も、段々とおぼろげになり、夜が迫ってくる。やっとのことで藍住インターを降り、一般道を北へ。もう走る車はライトを点灯。周りの景色もほとんど夜です。板野インターで再び自動車道路へ。淡路鳴門自動車道路で、今度は淡路島を縦断。大鳴門大橋に差し掛かると完全に夜になりました。眠いよ~、いかんいかん。みんなの命がかかっている。時刻は午後7時30分を過ぎました。

とうとうゲロした陸君。20日の午後4時。

2008-05-25 15:15:29 | Weblog
海に浮かぶ山のような半島を、すがすがしい気分で走行できた国道197号線。通称メロディラインを抜けて八幡浜市内へ。今のところ、殿は大人しい。さっき休んだものね。陸も落ち着いた様子。先ほどの休憩から30分くらいは経過しただろうか。このままできる限り距離を伸ばそうかと。八幡浜から、大洲へ向かう。

しばらくすると、妻が水を飲ませられる場所があったら、止めてほしいという。陸がちょっと限界かもしれない。しかしこの197号線、走れども、道の駅のような、そんな場所はない。そしていつの間にか国道56号線に入る。もうこうなれば松山自動車道路は近い。がんばれ陸。

そして、大洲のインターから松山自動車道路へ。げっ、片側1車線じゃん。こっちは非力な軽自動車。また、馬力のある車に追いまくられるな~。ま、その時は、とっととパーキングに逃げれば良しと。

で、やっとパーキングをめっけ。内子パーキングに入る。さっそく陸君を出す。もう辺り構わず、引っ張るというか、芝生のある緑地帯をどんどん歩く。妻が、水を飲ませる。かぽかぽ飲む。ただただ飲む。そしてまた歩きまくる。止まった。うんちです。早朝の散歩もしてなかったから、やっと出たね、ひと安心。

うんちをしたら、また水を飲む。ちょっと飲み過ぎじゃないかい。ま、いいか。さて出発。パーキングを出て、ほんの1分もたたないうちに、妻が言った。陸が、ゲロした。どこかで車を止めて、と。わ~ん、片側1車線の自動車道路。次のパーキングまでは、数十キロ。え~い、路側帯に止めてやる。そんなわけで、小さな路側帯に車を止めた。すぐ真横をビュンビュン車が通っていく。妻が、下に敷いた毛布をチェック。泡ばかりで液状のゲロだよと。水を飲みすぎたのだ。いつもならすでに数回はゲロしているから。よくぞ我慢した。先はまだまだ長いんだよ。では、行こうか。ゆっくり、速く走ろうね。


佐賀関、フェリーで、四国へ。20日の午後。

2008-05-24 13:32:46 | Weblog
大分で1年だけど住み慣れた小池原を出発して、佐賀関へ向かう。国道197号線に入り、東へ東へと。この道は、毎月の第3土曜日、佐賀関漁協の朝市に向かう通い慣れた道です。そういえば3日前の土曜日は朝市だった。その前日に、明日朝市だね、というと。妻は行きたいと言った。奈良では、おいしい干物に出会えるかはわからない。でも、ぐっと我慢。

鶴崎辺りを走っているときに。妻が、どうだった大分、と私に聞く。とっても住みやすかったんだけど、欲を言えば別府辺りの海が見える場所に住みたかったね、と。高城の北地域は工業地帯で、新日鐵の精錬所などがある。夜に煙突からすっごい炎が吹き上がるのは、ちょっと不気味な感じがした。北風が吹く冬は、家の北側がけっこう煤けてびっくり。喘息の持病がある人は、この地域を避けるという。住んでみて、初めてわかることがいろいろありました。こんど大分で暮らすのなら、やっぱり別府だな。などと。

佐賀関のフェリー乗り場に到着。さっそく陸君を出して、ささやかな散歩。ひっぱるひっぱる。乗り場だから、行く場所もないのに、やたらとむさぼり歩く陸。岸壁から海を興味津々で窺う陸。これからあのお船で、海を渡るのだからね~、と。妻は乗船前に、食堂で、私のおにぎり2個弁当と、とり天弁当を買った。とり天弁当は、ご飯が山盛りぎっしり。とり天もいっぱい。あとで陸君にも分けてあげよう。

さて1時発のフェリーに乗り込む。睡眠不足の私は、エンジン音でうるさいが、車内でしばしの休息を。船が湾を出ると、少し揺れ出す。妻は、船酔いしそうと、デッキに上がった。陸君も、猫バッグに入った殿ちゃんも、今のところ大人しい。多少蒸すが、なんとか寝ようとする私。そしてデッキに出ていた妻も戻り、いよいよ四国に到着。そして、車で船から出る。眩しい。でも気持ちいい。

大分から佐賀関。海で一旦とぎれた国道197号線が、三崎から復活します。この半島は、大分の高台からも、天気のいい日は望めました。今から、そこを走るわけで、まずはどんどんの上り坂。幾つかのトンネルを抜けると、わあ~、遥か下に海が。気持ちいい。と、私が言いたいが、ちらっちらっと見るだけ。妻は感激してます。しかし、登るにつれ、殿ちゃんがニャー、ニャー、と悲しい声。出せと言っています。車の後ろに、バッグごとただ置かれている殿。そろそろ休憩。私も、じっくり海を見たい。道の駅、瀬戸農業公園で小休止。眼下に広がる海。北の方にも、南の方にも。ピーカンの天気だが、遙か向こうは霞んでいる。惜しい。眠気が少し吹っ飛んだかも。

20日午前11時過ぎ、大分市小池原を発つ。

2008-05-23 11:01:41 | Weblog
わっ、昨日のブログを振り返ると、完全にNTTに対するグチですね。でも、奈良ですぐに光ケーブルに対応できないなんて、やっぱり奈良のNTTは遅れています。で、家電店で聞いたら、奈良の光は、4割ずつをNTTとKCNで分け合って、残りの2割が関西電力系だって。よほど奈良のNTTは、・・・。おっと、そんな話しではない。

引っ越し移動の旅紀行でした。さーて、火曜日まで遡ります。20日は、心配した台風の影響もなく雨もすっかり上がり、朝から晴れてひと安心。私なんですが、5時前くらいから、起き出す。というか、ほとんど眠れなかった。あとの車の運転が心配だけど、もうしょうがない。妻は、5時半の目覚ましに合わせて起きるが、私が布団の中にいないのにびっくり。さっそく掃除などに取りかかる。

8時から9時の間に、引っ越し屋さんが到着、ということだったが、8時前に、トラックが見える。でかく長いトラックだ。ところが、家の手前のカーブを曲がりきれない。ほどなく、通勤の車とかがどんどん出てきて、そのトラックはバックして消えていった。やっぱり。しばらくして、引っ越し屋さんが来て、小さな車を手配して、こちらに回します、と説明する。営業さんの見立てが、現場作業員と食い違ったのだ。まあいいよ、無事に確実に荷物を運んでくれるのなら。

10時くらいに引っ越し完了で、佐賀関の11時発のフェリーに乗りたかったけど、次は午後1時の便になる。前日の寒冷前線通過の影響で、まだ風が強い。四国の高速道路で、あまり強い風は受けたくない。時間をおけば、少しずつ弱まるだろうから、ゆっくりと走りますか。そんなわけで引っ越し屋さんが、さっきより小さい車で来て、9時前から積み込みを始める。一度に全部積み込めないので、もう一回来て積むと言う。わあ~、大変だ。つまり、小さな車に積み込んだ荷物を、先ほどここまで到着できなかった、大きな車に荷物を積み替えているらしい。ごくろうさま。で、2度目の積み込みも終わって、時間は午前11時を過ぎた。

ご近所の数件をご挨拶に回る。昨年、大分に来たときに、おいしい焼酎をいただいたお宅で、またもその焼酎をいただく。うれしい。本当に、大分はいい人ばかり。妻が懇意にしていただいた裏の奥さんは、前日小梅をもらったばかりなのに、今おにぎりを作ろうかと言ってくれた。さすがに、妻はご遠慮を申し上げたが。南の方は、人の気持ちも温かいのだろうか。最後に、大家さんにご挨拶。わざわざ、見送っていただいた。恐縮です。さて、敷布団と、数枚の毛布。懐中電灯。折りたたみ椅子。照明器具。その他もろもろの荷物。かれらのためのご飯と、猫の殿ちゃん用の猫砂トイレを積み込んで、いよいよ大分の小池原を出発。佐賀関のフェリー乗り場へ向かいます。

奈良到着、ADSLの設定が面倒っちい。

2008-05-22 22:10:45 | Weblog
一昨日の深夜11時に、家族みんな、私と妻、猫の殿、犬の陸、無事に到着しました。大分から、四国を横断してのドライブ紀行は、しばらくお待ちください。昨日に引っ越しの荷物が到着して、ADSLの配線工事も終わって、やれやれ。電話もファクスも繋がります。

そして、ADSLのパソコン設定。これは、昨日では完了しなかった。もう面倒くさ~、めげそう、って感じです。DHCPサーバ参照。認証ID入力、パスワード入力。その結果、ネット認証されません。ぬわに~。ADSLモデムも正常なのに。あ~あ、光だったら、ランに繋ぐだけで、一発だったのに。で、昨日は、あきらめて寝る。

今日は、起きてから、またADSLと格闘。そうだ、ストレートケーブルでダイレクトに繋ごう。ごちゃごちゃやっていると、突然ネットに繋がった。もう1台のパソコンも同様にやるが、ダメ。こちらの方にもストレートケーブルを使うと、繋がった。別の1台は、こんどはダメ。つまり、1度に1台しか接続できない。やっぱりADSLのルーターが必要だったのだ。

急いで家電店に車を走らせる。先ほど、ネットで場所を確認した。さっそく家へ帰って、ADSLモデムから、ルーター接続。わー、今度はパソコンからルーターの設定。いやはや、またそれぞれに設定ですか。てなわけで、やっと2台のデスクトップパソコンから、ネットができるようになりました。しかし、依然、ノートパソコンで、ネット接続ができない。ルーターのランプも点滅しているのに、なんで。

教訓です。時代に逆行してはいけない。スイスイと光の簡単接続になれてしまうと、いまさらADSLなんて、逆戻りしてはいけない、ということです。さて、殿ちゃんも、陸君もなんとか、奈良の借家だけど、我が家に慣れてくれたみたい。まだまだ、段ボール箱との格闘は続きます。奈良のリポートも、今しばらくお待ちください。

大分で最後のネット、ブログです。

2008-05-19 10:05:53 | Weblog
いよいよ明日が引っ越し。今日が、光ケーブルの取り外しとなるので、大分でのアップはこれが最後となります。大分での1年ちょっとを振り返ってみて、私が去年まで住んでいた東京としか比較できないんだけど、住みやすい街です。

住環境で言うなら、公園がいっぱいあって、陸の散歩には好都合。子供たちが、公園でボール遊びをしている光景が、公園の至る所で見かけました。だから、大分って、子供の兄弟が、2人以上、3人や4人の家庭があるのも納得できますね。

食べ物は、地場野菜がふんだんにあって、新鮮でけっこう安い。スーパーの野菜売場とは比較になりません。道の駅なんか、見ているだけでも楽しいから。お魚も同様です。

そんな大分を離れるのは、本当に残念。でも、なんで人は東京に集まるのだろう。だから、ビジネスが東京に集中するのはわかるのだけれど。東京で、3人や4人の子供を持つ家庭は、少ないのは事実。家族にとっては、暮らしにくい街なのに。

さて、明日の深夜からは、奈良での生活が始まります。奈良は、大阪圏に属して、いちおう都市近郊の位置づけです。大分と比較しながら、暮らし向きをじっくり見つめてみましょうか。そんなわけで、明日はブログがお休み。あさっても、ADSLでアップできるのだろうか。そこんところが奈良らしさなのかも。おっと、大分の皆さん、お世話になりました。そして、奈良の皆さん、よろしくお願いいたします。

猫の殿も、ストレスなのか。

2008-05-18 13:08:02 | Weblog
突然、縁側から音が響く。グワッシャ、カランカラン。猫の殿ちゃんが、猫タワーから飛び降りて、一目散に逃げていく。

音のした場所を覗いてみると、床の上には殿のご飯が散乱。ご飯を入れたボールも転がっている。それが、昨日の夜でした。

殿は、何か気に入らないことがあると、ご飯の容器をこのように猫タワーの上から、床にぶちまける。最近、これが多くなりました。人間でいうならば、ちゃぶ台返しですね。

床に散乱したご飯を、鼻ざとい陸君は、おこぼれにと狙いに来る。しかしアニマルネッカーがじゃまになって、うまく拾えません。しょうがないから、散らばったご飯の幾つかを、食べやすいように差し出して。陸はガツガツと。

引っ越し前の、家の中の様子が段々と変わって、殿ちゃんもご機嫌が斜めなのでしょう。もう使わなくなったけど、殿ちゃんの猫ゲージも撤去しました。昨日の夜は、布団袋の上でふて寝してます。朝にはいつも通り、私の顔の横で寝ていました。もうしばらくの辛抱です。奈良へ着いたら、ゆっくりしようね。引っ越しまで、あと2日です。