さんでんじです。

ブログで思いのまま、自分なりの感想も含めて、発信します。

神戸時代を振り返る。

2007-01-17 21:28:48 | Weblog
何の縁があったのか知らないが、高校を出て、2年浪人して、神戸市のはじっこにある大学に学生時代の籍を置いた。

そこでは、一年留年して5年間通った。ま、30年以上も前で、授業料は年間で2万4000円と安かったこともあったが。最初の1年半は、奈良から大阪を通り、神戸を抜けて、垂水で降り、バスの乗って大学前で降りた。時間は、2時間とちょっと。交通費は、電車370円、バス30円の、400円だった。むろん定期は買っていたが。

はるばる来て、バスを降りても、結局は友達に誘われて、雀荘に行くことになるのだ。2年の夏が終わると、電車で通うのも面倒になり、垂水の海側にアパートを借りた。風呂は、もちろんなし。トイレは共同。4畳半に小さなキッチンがついて、1畳くらいの板の間がある。その窓を開けると、大家の屋根の向こうに漁港を経て海が見えた。家賃は9千円。その年の秋に、今の妻と知り合った。私は22才。彼女は20才だった。

当時、垂水の街は緩やかな斜面にへばり付くように、数々の文化住宅が軒先をくっつけあっていた。道は狭い。火事でもあったら大変。道も入り組んでいる。なんとか卒業して、社会に出て、その時には、振り返っても神戸は住んでもいいな、くらいの心地よさは感じていた。

震災の数年前、平成5年の5月に垂水から学園都市に移転した大学で、学科の周年パーティがあり、数人の友達と参加した。駅からその街に降りたったとき、周囲に拡がる綺麗で整った街に強烈な違和感を覚えた。

マンションも、住宅も、整然と配置されて整っている。背景には緑の丘がある。ただ街が冷たすぎるのだ。情緒感というか、感情が起こらない。ただ、きちんと整っているだけだ。その数年前には、神戸の高校で校門圧死事件があったのが頭に残っていた。この街に、やさしさや人の心はあるのだろうか、と。

パーティーの後、友達が運転する車で、神戸市内を巡ると、なにもかもが新しくなっていた。施設もきれい。でも何故かよそよそしい。それが、大学を出て15年ぶりに訪れた神戸の印象だった。

その2年後に震災は起きる。その数年後に、児童殺傷というおぞましい事件が起きた。あの無表情な街並みが目に浮かんだ。今から、5年前に学科の同窓生が40人ほど、垂水に集まった。時間がもったいないほど懐かしがって、大量の料理が残った。

学生時代は、深夜に六甲の山道をタイヤを軋ませて走り廻ったこともあった。阪神高速、若宮のカーブを何キロで抜けられるかを競ったこともあった。暴走族のお姉ちゃんとも知り合いになった。その筋の人と麻雀をしたこともあった。スナックにカラオケが登場して、歌ったのもこの街が初めてだった。

その懐かしさが、すべて飛びさった。慣れ親しんだ街なのに、今やよその街になっている。妻もこの街で、短大の2年間を過ごしている。妻も震災後直ぐに訪れて、愕然としたという。引き合わせてくれたことに感謝しつつも、あれから一緒になるのに32年も時間が掛かったぞ。神戸のせいでは、ないものね。今日は、1月17日。ニュースを見るたびに目頭が熱くなる。というより、涙が出る。自然災害を、決して人災に変えるなと。

もう12年、1月17日、大震災。

2007-01-17 14:39:05 | Weblog
その日の朝は、東京でも揺れた。テレビでも、結構な震度を報道していて、奈良が震度4。めったとない大きさ。その当時、今もかろうじて建っているけど実家は築50年以上の木造で、子供の頃からちょっと傾いたボロ屋だったので心配だった。3時間くらい経って、やっと電話が繋がり、ほこりがいっぱい落ちたけど、家は無事、両親も無事ということで安心した。

地震から時間が経つとテレビはどの局も、空からの映像を捕らえていて、街並みから幾筋もの黒い煙が上がっている。長田の街。JRの線路から南は、商店街やら住宅の密集した地域だった。私はその一角にあった靴素材の問屋さんで配送のアルバイトをしたことがある。長田のJRから北の地域には、中小企業の町工場がいっぱいあって、ほとんどが靴を製造していた。工場からの注文に応じて、婦人靴、紳士靴に使われる人工皮革や布素材が大きなロールで用意されている。それを配送する運転役が私の仕事だった。

その街が、空からの映像で燃えている。映像をよく見ると、その先にも黒い点がいくつか浮かんでいる。それらは取材のヘリだとわかった。そんなにいっぱい飛んで、爆音は凄かろうに。その時、数年前の、横浜の住宅街を車で通りがかった時の出来事を思い出した。

ある街区にさしかかると、上空にヘリコプターが7~8機、円を描くように飛んでいる。凄い爆音だ。近所の人々が道に出て、その円の下方向の大きなマンションを不安そうに見やっている。何ごとですか、と聞くと、マンションに侵入した男が人質を取り立てこもっているという。

この爆音の下では、地上からの呼びかけも消されるに違いない。ましてやあの騒音の振動は、共鳴することもある。かつて私が住んでいたボロアパートもヘリによっては、部屋がカタカタと音がするのだ。ましてやその騒然とした状態、爆音が犯罪者の狂気をさらに駆り立てるのではないのか。不安を大いにかき乱す、嫌な音だ。上空を舞うヘリが、ハゲタカのように見えた嫌な光景だった。

震災の神戸。迫る炎の中、這い出せず助けを求める人がいたはず。そんな声を、上空を舞うハゲタカの爆音が消し去ったのだ。地上では、テレビカメラを肩にしたハイエナたちが、餌に飛びつくように、災害現場に殺到していただろう。おまえら、救助のじゃまをするなと。被災者の方は、言いたかったろう。ましてや人が生み出した騒乱の中で、助かるはずの命を落とされた方は、本当に無念だろう。

今日も、ハゲタカは爆音を散らして飛ぶ。ハイエナは、東京で起きたおぞましい事件の現場に食いつく。マスコミは、餓えた獣のようだ。そういえば、40代後半の朝日新聞局長が年収1900万円。55才には2100万円をイメージしている、なんて情報がインターネットを飛び交っている。なんとリッチな、不幸な人を食い物にしてブクブクと育つハイエナだろうか。朝日新聞、辞めようかな。配達、集金する人は、いつも笑顔で挨拶を交わす気持ちの良い人なのに。