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第519回 脳の不思議話byサックス-2

2023-04-14 | エッセイ
 少し間が空きました。続編をお届けします(文末に前回分へのリンクを貼っています)。
 イギリス出身で、脳神経科医としてアメリカで活躍したオリバー・サックス博士の著作から、前回は、2つのケース(症例)をご紹介しました。こちらの方です。

 もう1件、是非取り上げたいケースがありましたので、それを新ネタとし、以前、<旧サイト>で取上げた1件と合わせてご紹介することにしました。最後までお付き合いください。

★時が止まった男★
 まずは、新ネタです。前回のネタ元「妻を帽子とまちがえた男」(ハヤカワNF文庫)からのご紹介です。
 ジミー・Gという49歳の男性が氏のもとを訪れたのは、1975年のことです。街の医師からは、絶望的痴呆、錯乱、失見当識などとの診断が下された末の来診でした。陽気で社交的、活発な性格であることは会話を通じてわかりました。コネチカットの小さな町の生まれで、当時の記憶はしっかりしています。1943年に高校を卒業して海軍に入りました。潜水艦の副通信士を務め、潜水艦名、任務、配属場所、仲間の名前など当時の記憶も確かです。

 でも、博士は気づくのです。「彼の話が学校時代から海軍時代になると時制(テンス)が変わるので、非常に驚いた」(同)。つまり、海軍時代のことを「現在形」で話すというわけです。そこで博士は、それが何年のことか訊きます。返ってきたのは、「(19)45年ですよ。どうかしましたか?」彼は話を続けた。「われわれは戦争に勝ったのです。ルーズベルトが死んでトルーマンが大統領になりました。これからが大変な時代になるでしょう」(同)というもの。更なる検査、観察で、彼は「短期記憶の喪失」という症状であることがわかりました。ほんの数分前の出来事が記憶できません。1945年の終戦とともに、その症状が発症し、その後、ずっと継続していました。ですから、彼の中では、戦後の記憶は一切なく、時は1945年で止まっていたのです。
 その後、彼と博士との付き合いは9年に及びました。症状が改善することはありませんでしたが、「ホーム」と呼ばれる治療施設での生活を通して、落ち着きを取り戻し、「芸術的、倫理的、宗教的、劇的なるものすべてを豊かに享受する身になっている。」(同)
 このケースでも、心優しく、真摯に人間と向き合う博士の姿勢が浮かび上がってきます。

★突発性音楽嗜好症★<旧サイト記事の前書き部分に手を入れて、再掲しました。>
 私は、音楽的素養とはまったく無縁で、楽器は何一つできません。それでも、壮大なシンフォニーや歌謡曲などの音楽作品が、脳の働きによって、実に精妙なものとして受容され、心をゆさぶります。実に摩訶不思議な仕組みとしか思えません。
 今回ネタ元にしたオリバー・サックス博士の「音楽嗜好症(ミュジコフィア)」(ハヤカワNF文庫)では、音楽にかかわる不思議な症例が紹介されています。
「病的に音楽好きな人々(ウィリアムズ症候群)」、「パパはソの音で鼻をかむ(絶対音感)」、「音楽への恐怖(音楽誘発性癲癇)」など盛りだくさんです。なかでも「突発性音楽嗜好症」というエピソードが印象深いので、ご紹介することにします。

 エピソードの主人公は、トニー・チコリアという42歳の整形外科医です。湖のほとりでキャンプをしていた彼は、母親に電話をしようと、テントを出て、公衆電話ボックス(まだケータイがない時代でしたので)のところに行きます。母親との話が終わった時、突然、ボックスに落雷があって、彼のカラダは吹っ飛びました。幸い、短時間の心臓停止はあったと推測されるものの、特に異常は見つからず、2週間ほどして仕事に復帰します。

 ところが、それからしばらく経ったころ「突然、二日か三日にわたって、ピアノ音楽を聴きたくてたまらないと感じた」(同書から)というのです。ピアノといえば、小さい頃、2、3回練習した程度で、好きな音楽は、ロックだといいますから、本人の戸惑いは十分に想像できます。
 遂に、ショパンのレコードを買い集めまくり、全部の楽譜を注文するまでになります。そのうち、彼の頭の中に、音楽が湧き出るように流れ出してきました。ピアノを弾きたいという欲望はますます強くなるのですが、当然のことながら、思うように指は動きません。頭の中の曲を書き留める方法など見当もつきません。そんな煩悶の末に、まったくゼロから、憑かれたようにピアノの猛練習と作曲の猛勉強に励むことになりました。
 そして、遂に、その演奏と作品は、専門家の高い評価を得るまでになったというのです。う~ん、ピアノと作曲の技術を、42歳にして全くゼロからスタートし、完璧に身につけたことになります。雷撃が、ショパンの霊を送り込んだ、とでも考えるしかないような不思議なエピソーです。
 音楽的才能って、誰にでもあって、スイッチが入らない人が多いだけなんでしょうか?そもそも才能って、何なんでしょうか?いろんな事を考えさせられる不思議なエピソードでした。

 いかがでしたか?前回(第485回)の記事へのリンクは、<こちら>です。合わせてご覧いただければ幸いです。それでは、次回をお楽しみに
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