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第340回 四合目からの俳句

2019-10-11 | エッセイ

 ムーさんが、私のいきつけの店の句会に初めて参加されたのは2年ほど前だったでしょうか。お店で句会をやっているとの情報がきっかけだったと聞きました。
 「一日一句」を自らに課して、続けておられるとのこと。「まあ、日記代わりみたいなものですが・・・・ちょっとした自然の移り変わりに目を向けるのが楽しいですね」とのお言葉に頭が下がります。句会の上位入賞に毎度のように名を連ねられる裏には、日頃のそんな努力があったのですね。

 一方、私はといえば、ごくたまの入賞を励みに、ベテランの方々のコメント(というかツッコミ)を肝に銘じて、なんとか続いています。実戦的にやってる、といえばカッコいいですけど。

 そんな私が、せめて初心者からの脱出を、と殊勝なことを考えて、手に取ったのが「俳句 四合目からの出発」(阿部ショウ人(あべ・しょうじん(ショウは、竹かんむりに”肖”) 講談社学術文庫)です。


 カンナはいつも「燃え」、「一つ」だけ残った柿はきまって「夕陽」に照らされ、妻は「若く」、母は「小さい」ーーーこんなきまり文句、紋切り型の表現と手を切らなければ、「四合目」から上に登ることは出来ない、と著者は説きます。

 独自のネーミングと分類でやり玉に挙げられるダメ句の数々。まるで「ネガティブリスト」のオンパレードみたいな趣きですが、とりあえず、そのごく一端を、ご紹介します。

<三段論法俳句>
「野に置いて萩(はぎ)に親しむ一日(ひとひ)かな」が取り上げられています。
このような表現は「手折らずに」「萩を野に置いておいた」「それは私が萩を愛するからだ」という理屈の三段論法になっていて、感情の表出ではない、というのです。自分の風流心が行き届いていることを誇示、宣伝する卑しい句だと散々の評です。

「来客の用よりもまず牡丹(ぼたん)かな」
「梅咲いて遠回りする出勤路」
なども例として揚げられています。三段論法で誇示、宣伝するのは控えた方がいいようですね。

<も・に俳句>
「滝飛沫(たきしぶき)山蛾(やまが)も涼しく髭(ひげ)振れり」
 阿部が問題にするのは、「も」です。「人間も」ということを裏に、露骨に、へたに潜入させているというのです。一字でほかを言わずに含ませ、余韻を持たせることができると勘違いしている初心者が多いとも指摘しています。

 そして、「に」です。
「紫陽花(あじさい)の雨に童話を読み聞かす」
雨で外で遊べない、だから、本を読んでやる、という理屈仕立てになっているというわけです。原因結果を露出する手法で、初心者に氾濫しているとの説明です。「も」の用例として、
「絵葉書に河鹿(かじか)の声「も」書き添えぬ」
「世のために案山子(かかし)「も」やせる勤めなり」
などが揚げられています。17文字という制約があるからこそ、一字をおろそかに出来ないと、気持ちを引きしめました。

<セロファン俳句>
 発想が陳腐で薄っぺら、まるでセロファンのよう・・・・というわけで、挙げられてるのが、
「夏雷雨(なつらいう)洋傘とほし面にしぶく」
 強雨が布地を通して顔にかかると、まったくその通りのことで、筋書きの他は何もない言い方、それ故読み過ぎつつ引っかかるものが感じられません、と著者の指摘は厳しいです。

「炎天に鶴嘴(つるはし)上げて道修理」「犬濡(ぬ)れて春雨の庭をかぎまはる」などもやり玉の上がっています。そして、これ。
「浴衣(ゆかた)着てひとり左岸を歩みをり」
 浴衣がだしぬけに出て来て、なぜひとり、なぜ左岸、そしてなぜ歩むか。それらが離れ離れであって・・・と舌鋒の鋭さは相変わらずです。

 「あれもアカン、これもアカン、一体どうしたらエエのん?」と、大阪のオッちゃん(オバちゃんも)から言われそうです。初心者から脱出したいのなら、通り一遍でありきたりの発想、表現から抜け出しなさい。そんな著者の熱い想いが、ついつい「過激な」言葉となってほとばしっているようです。

 昔、テレビの俳句教室だったと記憶しますが、俳句作りの基本が「第一発想を捨てる」と教わりました。平凡でありきたりの発想を捨てるところから句作は始まる、という意味では、阿部の主張と相通じるところがあるな、と、今にして思います。

 俳句作りも、第二、第三の発想を探す「遊び」と心得て、「実戦的に」これからも続けていくつもりです。四合目より上に行けるかどうかは分かりませんが・・・・

 いかがでしたか?それでは次回をお楽しみに。

<追記>後ほど、俳句の話題で<第354回 江戸の難解句を楽しむ>をアップしています。合わせてお楽しみいただければ幸いです。